第三百六十八話【力を手にしたとして】
ゴートマンの移送手続きを済ませると、私とユーゴはそのまま役場へと戻った。
ゴートマンとは顔を合わせることなく、言葉も交わすことなく。
そもそも、会って話をする理由も無いし、したい話も無い。
道理も動機も無ければ、義務も責任もそこには無い。
だから、そうしなかったこと自体は普通……当然のことではあった。だが……
「……特別な意味……ですか」
そんなことが気に掛かったのは、出発前に……あの戦いの前にアギトが口にしていた言葉が、どうにも耳に残っていたからだ。
ゴートマン、魔人の集いと向き合うことには、特別な意味がある。アギトはそう言った。
自分にとっては、体調の不良や身体的な問題を押してでも優先したいものである。と、彼はミラに肩を借りながらでもあの魔術師との対話を望んでいた。
その理由は……結局は分かっていない。
きっと、ミラが語ってくれた過去の物語の中に――勇者として、アギトとミラがふたりで歩んだ物語の中に、魔人との因縁があるのだろう。
だが、それ止まりだ。
「……? フィリア?」
「……あ……すみません、すぐに行きます」
ふう。と、ついため息が漏れてしまって、それをユーゴに聞かれてしまって。
彼がこちらを振り返ってから、私が少し遅れてしまっていることに気付いた。
周りどころか、目の前を歩いているユーゴとの距離すら把握出来ないくらい浮ついてしまっていたのか。
「まだなんか悩んでんのか? なら、早いとこ戻らないとな。フィリアがひとりで悩んでも絶対解決しそうにない。パールに聞いて貰わないと」
「……反論し難いことを言いますね、貴方も。はあ」
ひとりで悩んでいては解決出来ない。と、たしかにそれはその通りか。
この悩みについては、私の中にあるものがきっかけではないのだから。
しかし……ユーゴの意図した言葉とは少し違う気もするから、反論自体はしたいのだよな……
私の気持ちを妙に引き留めるものは、魔人の集いの……ゴートマンという存在の、その歪み方の、原因になるものがなんであるのか……についてだ。
アギトにとって、魔人の集いとはなんだろうか。
初めてその話を聞かせた時、彼は険しい表情で悩んで見えた。
ミラについても同様に、彼らには集いに対する悪感情が存在する。これは間違いない。
だが……だが、だ。
魔人の集いとて、ゴートマンとて、憎まれる為に生まれた筈は無いのだ。
意志が、目的が、理念が、理想が。
流布したい考え方、あるいは信仰が、彼らの根幹となる部分には存在する筈。
それが魔女だと……無貌の魔女だと言うのならば……
「……魔女はどうして、人に力を与えたのでしょう」
「あのゴートマンに力を与え、もうひとりのゴートマンと友好的な関係を結んだ。その理由は……きっかけは、いったいなんなのでしょうか」
私はまるでひとり言のようにそう尋ねた。
そう、尋ねた。聞くつもりがあったわけではなくて、ただ自分の中で疑問がぐるぐると渦を巻いていたから、それを吐き出したくて口にした。
したが……その言葉は、どちらかと言うと問いかけに近い格好になってしまった。
だから……なのだよな。ユーゴはなんだか困った顔で……それも、私に対する呆れ果てた感情も含めた表情で、じーっと私を睨み付ける。
「……それは俺に聞いてるんだよな……? 最近ひとり言多いけど、今のは俺に聞いたんだよな?」
「うっ……すみません。そのつもりは無かったのですが……」
しかし、そういう言葉が出たということは、無意識にでも答えを……ひとまずの納得、安心を得たいと願ったのだろう。
起きてからそれなりに時間も経っているのに、まるで寝ぼけた子供のようではないか……
「……理由なんて知るか……って、言いたいけど。でも、考えないとヤバいよな、多分」
「……? ユーゴ……それは、ええと……?」
考えなければ問題になる……と、ユーゴはそう言って、足を止めて深く考え込み始めた。
往来の真ん中で立ち止まっては邪魔になると、そんなことを気にもせずに。
「…………アイツの……男の方のゴートマンの口ぶり的に、アイツの方が長い付き合いなんだよな。あの女のゴートマンとか、他の魔人の集いのやつらよりも」
「そう……ですね。どこまで信用して良いものかは計りかねますが、しかし……」
崇拝……だった。
魔術師ゴートマンが魔女に向けていた感情は、紛れもなく崇拝……いや、信仰にすら近しい感情だった。
それが意味することは、なんらかの機会を通じて……誰かの紹介であったり、偶然であったり、とにかく誰かの介入があった上で出会った……という経緯だと推測出来る。
魔女の能力がどれだけ優れていようとも、それを崇拝するとなれば、まずは自分に対して危害を加えないものだと理解する必要があるからだ。
そして……あの魔女が、わざわざそれを人間相手に明示するとも思えない。
「……魔女は、まずあの男のゴートマンと出会った。そして……あのゴートマンに新たな魔人を紹介され、力を分け与え……」
「そうして力を手にしたやつらが、魔人の集いを名乗り始めた……か。アイツ、自分は集いに属するものとは違う……って、そうも言ってたもんな。なら……」
魔人の集いと魔女との関係は、あのゴートマンを仲介して成り立っている……と、そう考えても良いかもしれない。
もちろん、ただの推測でしかない。それに、その推測にも意味があるとは思えない。
だが……そういう不確かな前提を立ててでも、もうひとつ踏み込んで考えたいことがある。
それが、男のゴートマンと魔女との関係だ。
「魔女は人間に対して攻撃的な意志を持っていなかった……初めは、無関係……無関心な相手でしかなかったのかもしれません。しかしながら……」
魔女の前にあのゴートマンが現れ、どういった経緯であれ、その間に関係が芽生えた。
言葉の通り友好的な関係なのか、あるいは互いの利益の為の関係なのか。
はたまた、どちらかが一方的に利用するような関係なのか。それまでは分からないが。
そして、疑問は一番初めに戻る。魔人の集いは、なんの為に存在しているのか、と。
「あのゴートマンが、魔女の力を以って何かを成そうとしている……と。しかしながら、魔女本人を指示だけで乗りこなすことは難しいから……」
魔人の集いは、あの男によって偶発させられ、そしてあの男の目的の為に誘導されている。
無関係であるという言葉を引用するのならば、組織を作って指導していると言うよりも、こちらの方が正しいのだろう。
もっとも、そこはどちらでも良いのだが。
「……けど、結局それも最初の部分がよく分かんないだろ」
「魔人の集いはゴートマンの為に何かしてる。でも、ゴートマンは何をしようとしてるのか。主語が置き換わっただけで、答えは出てないままだぞ」
「その通り……なのですよね。ううん……」
あの男は何を企んでいるのだろう。
その……国家を乗っ取る……だとか、この島を統治する……だとか、そんな話ではない……気がするのだ。
だって、もしもそうならば、とっくに済ませてしまえた筈なのだから。
「まだ……まだ、何かを進めている最中である……と、そう考えたとして……ううん」
「貴方ならば……とてもとても大きな力を手にした時、貴方ならば何をしようと考えますか……?」
「…………それ、俺に聞くのか。めちゃめちゃ大きな力を実際に手にした俺に」
それは……その…………そうだったな。
文字通り、ユーゴにはその大きな力を手にしたという経験がある。
そして……その時に何をするかについても、すでに答えて貰っていた。
「俺は怖いやつにはなりたくない。だから、ここがどんなとこかをちゃんと把握する為に、しばらくはフィリアの言う通りにしか使わないようにする」
「ここに来たって部分を省いたとしたら……うーん、そうだな……」
もし、元の世界でそのまま力を手にしていたら。と、そんな前提をぶつぶつと呟いて、ユーゴはもっともっと深く考え込み始めた。
けれど……それはほんの十数秒で解決したようで、彼はすぐに顔を上げてこちらを振り返る。
「……やっぱり、怖いやつにならない方法を考える。俺にとってはそれが一番大事だからな」
「……一番大事……つまりは、行動や思考の原点……」
なら、あのゴートマンの場合は何がそれに当てはまるだろうか。
こればかりは……ううん、考えたとて思い浮かぶ道理も無い……か。
「……フィリアならどうするんだよ。こういう時、自分の意見言わないのは使えないやつだぞ」
「っ⁈ わ、私ならば……そうですね……」
お、思いの外辛辣極まりない言葉を投げられてしまった……
しかし……ふむ。もしも私が大きな力を手にしたならば……か。それは……その時は…………
「…………それを私に尋ねるのですか…………? 生まれながらに王家という肩書きを得て、なし崩し的にも国王という権力を手にした私に……」
「……そう言えば、フィリアもそういう立場だったな」
なんとも……間抜けな話があったものだ。
私とて、文字通り大きな力を手にしたもののひとりなのだ。
少なからず、魔術師ゴートマンと同じ立場にあったと言って過言ではない。
いや、流石に過言かもしれないが、しかし他の民に比べて境遇は近いと言えよう。
ならば……王となった私が初めに選んだもの――行動、思考の原点に相当するものと言えば……
「……民の為、大勢の為。そして……自分が父のような最期を辿らない為」
「ううん……貴方の志を聞いた後では……なんと醜い保身ばかりを考えたものでしょうか……」
「い、いや、それは別にいいだろ。目の前で王様が……それも、父親が殺されてたら、自分だって殺されるかも……って、そう考えるのは不思議でもなんでも……」
しかし……ううん。私の考えを足したとて、結局は答えに辿り着けそうなものでもない、か。
かたや、自らの力を正しく使う為――自らには他者を大きく害しかねない力があるのだと戒める為の考え。
かたや、自らの保身の為にと存分に振るう考え。
あまりにかけ離れたふたつの答えが意味するところは、こればかりは個人によって主張が違ってきてしまう――考えたとて考えの及ぶものではないという結論だけだ。
はあ。と、ふたりしてため息をついて、私達は止まっていた足をまた役場へ向けて進めた。
このもしもの話を、アギトとミラにも聞いてみようか。
ふたりならば……ふたりも実際に大きな力を手にした立場だから、自分の心境を語ってくれるかもしれない。
それが手掛かりになるかは……ううん……




