第三百六十六話【再出発】
エリーと共にアルバさんのお手伝いをして、そこへユーゴも起きて来て。
しばらくすると、まだ眠ったままのミラをおぶったアギトも顔を出して。
今朝もダイニングルームに全員が集まって、揃っての朝食を迎えられた。
今日はミラの作ったご馳走は無くて、それでもアルバさんの手料理はどれも美味しくて。
エリーは嬉しそうに、これはお祝いの日に作ってくれたものだ。これはアルバさんが一番得意な料理だ。これは自分も手伝ったのだ。と、それはそれは嬉しそうに、一品一品私に説明してくれた。
けれど、賑やかな食卓もいつまでもは続かない。
皆が食べ終われば、片付けをして、テーブルも拭いて、食後のお茶をミラが淹れてくれて、それを飲んだら終わり。
終わってしまったら……
「……エリー。では、また。また来ます。貴女が私の言いつけを守って元気でやっているかどうか、また見に来ます。そうでなくても、遊びに来ますから」
「うん! またミラも連れて来てね! そしたらね! マルマルやみんなのお世話もしようね!」
私達はいつまでもここに留まってはいられない。
ヨロクへと帰り、そこからどうするかを考えなければならないのだから。
エリーは笑顔のまま私達を見送ってくれた。
別れを惜しまない、悲しまない……のではない。
また会えることを今から楽しみにしていると、そう言わんばかりの笑顔だ。
「……あの子、強いわネ。なんとなくだケド、お姉ちゃんにちょっとだけ似てるワ」
「お姉さんに……ですか。それは……また、なんとも頼もしい姉妹がいたものですね」
ミラのお姉さんと言えば、彼女以上の魔術師だと言う話だな。
それがエリーと同じくらい無邪気で、強く気高い心を持っている……となれば、それはなんと素晴らしい人物だろう。
アギトとミラもそうだし、彼らの師でもあると言うふたりの英雄もそうだが、ユーザントリアにはとんでもない英傑が揃っているものだ。
アルバさんの家を後にして、関を通って、そして私達は準備されていた馬車に乗り込んだ。
たしかに今日出発するとは言ってあったが、いつ出るとまでは伝えていなかったのに。
ヘインスや他の騎士達も含め、ユーザントリアでは高い教育、指導……状況把握や管理といった能力の強化が進められているのだな。
「いつでも出発出来ます、アンスーリァ国王陛下」
「ありがとうございます。では……少し名残惜しくもありますが……」
もう出よう。時間は限られるし、急がねばならない理由もある。
準備が出来ているのなら、足を止める理由も無い。
私達は来た時と同じように馬車に乗り込んで、出発の瞬間を待……
「……おい、フィリア。客だぞ」
「……? 客人……ですか? この国で、私に……?」
むしろ客人は私達の方では……? なんて疑問は、覗き窓から見えた外の景色にかき消された。
そこには、ひとりの男の姿があったのだ。
「……ハミルトンさん……」
ケール=ハミルトン。と、彼はヴェロウにそう呼ばれていた。
この国の関を守る見張りのひとり。そして……ゴートマンに心をぐちゃぐちゃにかき回されてしまった、私達が巻き込んでしまったひとりだ。
私は出発を取りやめ、急いで馬車から降りた。
ユーゴは心配そうな顔で付いて来ようとしたが、それもやめさせた。
一対一で話をすべきだ、と。そう思ったから。
「ハミルトンさん。見送り……ではないのですよね。そして……ヴェロウからの言伝……でもなさそうです。では……」
貴方から私に伝えるべき言葉があるのですね。と、私は彼に……ハミルトンに……ケルビン=ジャーツ=ハミルトンにそう言った。
かつてアンスーリァに貴族としてあった家の、その子孫に。
「……アンスーリァ国王陛下。私は……私達ハミルトン家は、王政によって立場を追われました」
「ですが……ですが! 私は……ケールと名乗る私個人は、貴女を恨み、憎むようなことは致しません!」
「カストル・アポリアを認め、外敵を排除する手伝いをしてくださった貴女を――フィリア=ネイ=アンスーリァ陛下を、誇り高い女性の名君であると、異国のこの地より崇拝します!」
「……っ。ハミルトンさん……」
ハミルトンは少しだけ息を切らして、言い切った後にもまだ緊張した様子を遺していた。
何度も息を飲んで、時折咽たように咳払いをして。
それでも、私から目を背けずに……迷わずに、まっすぐ前を向いていた。
「……ありがとうございます。貴方のように誠実な方から支持をいただけると、私も励みになります」
「そして……あの時、私達を快く迎え入れてくださったことにも、心からの感謝をもう一度申し上げます」
「手を貸してくださって、良くしてくださって、アルバさんを紹介してくださって、本当にありがとうございました」
「……っ。もったいないお言葉です、アンスーリァ国王陛下」
出来れば……もう一度、気さくに呼んで欲しかったところではあるのだがな。
しかし、アギトがああなのだから、やはりそれは簡単なことではないのだろう。
ハミルトンの場合、彼以上に複雑な心境にあったのだから、なおのこと。
「それでは、また。私達はこれからもここを……カストル・アポリアを訪れます」
「時には外交の為に。時には補給の為に。時には……気晴らしに来ることもあるかもしれません」
「はっ。カストル・アポリアのすべての民が、御身の来訪をお待ちしております」
それはなんだか話が大き過ぎる気もするな。
しかし……ハミルトンには笑顔が浮かんでいた。
私に対しての嫌な思い、苦しい感情は、ひとまずは払拭されたのかな。
「……話、なんだったんだ」
「……いえ。また来てくれ、と。そう言って貰えました」
馬車に戻ってすぐ、私はユーゴに尋ねられた。
そして、彼は私の返事を聞くと、なんとも興味無いと言わんばかりの顔で、ふーん。と、そっけない相槌を打つ。
興味が無ければ聞かないし、それなりの反応も見せるでしょうに。
エリーと触れ合った後の貴方は、あの子に引っ張られてかずいぶんと素直になりますよね。
そして馬車は今度こそ出発した。
カストル・アポリアの地を後にして、目指す場所はヨロク――現アンスーリァの最北端だ。
早くへ帰って、これからの方針をしっかりと定めなければならない。
カストル・アポリアを出発した翌日の朝。私達はそれを、ヨロクの街の役場の一室で迎えた。
「おい、フィリア。さっさと起きろ」
「……ふわぁ。一日ぶりですね、これも。そのうち、貴方に起こされないと朝を迎えた気がしなくなってしまいそうです」
アホ。と、ユーゴはため息交じりにそう言って、私からシーツをひったくった。
んん……け、今朝は少し冷えますね。その……すみません、もう少しの間だけそれを被っていたいのですが……
「子供みたいなことしてんな。さっさと起きてやることやるぞ」
「……子供……はあ。エリーに引っ張られてしまっていたのは、私もだったのですね」
いえ、エリーは朝からしっかり元気ですが。
もう少しだけ包まっていたい。と、そう思って私はめくりあげられたシーツに手を伸ばしたのだが……ユーゴはそれを、二度寝をしようとしていると勘違いしたらしい。
いえ、そこまで大きな間違いでもないのでしょうが。
怖い顔で私を睨んで、しゃきっとしろと呆れた声で叱った。
「……私としては、やはりランデルへは帰るべきか……と、そう考えています」
「何より、議会に提出しなければならないことも出来てしまいましたからね。パールとリリィに早く報告しなければ」
「……勝手に決めたの、やっぱり駄目だったと思うんだよな。まあ……今更だけど」
カストル・アポリアの自治を認める。とは、以前から私が勝手に口にしていたことだ。
当然と言うか、議会にはそんなもの認められていない。だが……
今回、私はヴェロウに、ダーンフールとフーリスの所有権を譲渡する。と、そう条件を明示して頼みごとをしてきた。
これはもはや覆らないし、覆せない。
となれば、名実ともにかの国の自治を認めざるを得ない状況がやって来たのだ、議会にとっては。
この報告が遅れれば遅れるほど、反発は強くなるだろう。
もっとも、急げば反発されないという意味でもないが。
「将来的には民主主義による政治を……民が選んだ議会による決定を、と。そう考えてはいますが……」
「もしかしたら、今回の件で王様クビかもな。いくらなんでも無茶苦茶し過ぎだし。国民から革命起こされないにしても、貴族からは……」
恐ろしい話を、それも現実的な話をしてくれるものだ。
しかし……まあ、それならばそれで。
私が王位を退くとなれば、次に即位する人物は残念ながら存在しない。
となれば、政治の主導権を握るのは議会となる。と、それが私を退かす際の議会の目論見になるだろう。だが……
それについてはすでに一手楔を打ち込んでいる。
私は王政を解体し、新たな議会を招集するつもりがある。と、いつか脅し文句としてそう宣言しているのだ。
無茶を通す為だけに使ったその文句が、今となって貴族らの行動に歯止めを掛ける可能性がある。
「……暴君だな。少なくとも悪い王様だ。そのうち本当に殺されるぞ」
「……それは困ります。せめて、すべてを成し遂げてから。王としての責任を果たして、その位を譲ってからにしていただきたいものです」
殺されないようにしろよ。と、ユーゴはまた大きなため息をついてそう言った。
もっとも、呆れてしまっているのではないのだろう。
殺されそうになったとしても、自分が守るから大丈夫だ。と、そう言ってくれているに等しいため息だ。
そうだな……殺されないように、死なないようにしなくては。
私はまだ、やらねばならないことがある。
たくさん、山のように。
魔女のこと、魔人の集いのこと。解放すべき街々のこと。国民のこと。
あらゆることを終わらせるまでは、決して死ぬわけには……




