第三百六十三話【締結】
 
私達は選ばなければならない。魔女という存在を知った上で、自らがどう振る舞うかを。
「戦う道を選ぶべきか、黙認すべきか」
「アンスーリァとカストル・アポリアは、地理の関係上、無関係と言うわけには参りません」
「どちらかが不戦を定めたとしても、どちらかが戦いを起こせば巻き込まれかねない。足並みを揃えなくてはなりません」
これからの関係を――国交を維持する為にも、それは外せない。しかし……だ。
私は――アンスーリァは、すでに意思を表明している。
理想を諦めるつもりは無い。魔女を退け、なんとしても全土の解放を目指す、と。
だからこれは、ヴェロウの――カストル・アポリアの意思確認だ。
共に戦うか、巻き込まれることを是とするか、あるいは断固として拒絶するか。
「共に戦って欲しいと、戦力を提供して欲しいとは言いません。ですが……」
「……その存在を黙認し、これまでと同じように過ごしていたのでは、いつか均衡は破られてしまいかねない……ですか」
ヴェロウはふむと顎に手を当てて考え込んだ。
そう、そうなのだ。彼の言う通り、ひとつの選択肢には、半ば確定してしまっている未来が見えている。
魔女とは戦わない。魔人の集いには関わらない。ダーンフールよりも北へと解放の手を伸ばさない。
理想を諦め、南側だけで国を興していく。
その選択には、最悪の将来が約束されているのだ。
遠くない未来なのか、遠い未来なのか。明日なのか、私達が年を経て皆死に絶えてからなのか。
それは分からないが、ともかく明白な未来。
魔女と魔人による攻撃によって、すべての街が――民が、人間が、まったく無抵抗のまま蹂躙されてしまうという可能性。
魔女には明確な悪意が――人間に対する攻撃意思が、はっきりと見て取れたわけではない。
ゴートマンに頼まれたから。と、初めて遭遇した時にも、動機が他者にあることを示唆していた。
だが……だが、だ。
同時に、あの存在には、人間を滅ぼさない理由も存在しない。
単純にして理不尽な理屈ではあるが、魔女が魔獣を造っている……なんらかの意図でそれの能力を引き上げ、試作を繰り返していると言うのならば、その過程で人間を――人間の住む街を実験場にしない理由も特に無いのだ。
もちろん、この島を出て行ってくれる可能性だってある。
この場所で手に入るものに価値が無くなれば、すべてを試し終われば、また別の場所で何かを試さんと移動を始めるかもしれない。
だが……それを期待するのは、あまりに愚かと言えよう。
だから、アンスーリァは戦うことを決めた。
もちろん、アギトとミラが来てくれたから、抗うことが可能になったという前提は欠かせない。
だが、もしもそれが無かったとしても、ずっと黙認し続けることは出来なかっただろう。
「……そうですね。フィリア女王、貴女のおっしゃる通りです」
「話に伺った存在が誇張されたものでないのならば、私達が選ぶことの出来る道はふたつだ」
「今戦うか、いずれ戦うか。そのどちらかだけです」
最大化された理想を追うか否か以前の問題です。と、ヴェロウはそう言って、険しい顔で頷いた。
そうしなければならない。と、そういう前提に基づいた決定だ。彼はそれが不本意なのだろう。
「しかしながら……貴女がこうして話を持ちかけた、相談した通りに、私は貴女とは考えを違えています」
「貴女は今すぐにそれを取り除くべきだと、解決すべきだと考え、そしてすでに実行しようとしていらっしゃるのでしょう。ですが……」
「……それがすぐにどうこう出来る問題とは思えない……と、そうおっしゃるのですね」
当然です。と、ヴェロウはやはり苦い顔のまま、はっきりと言い切って首を横に振った。
あり得ない、あり得てはならない。
すでに大敗を喫した相手に、意地だけで立ち向かうなどあってはならない、と。
「無論、そうして動かれている以上は何かしらの策を講じておられることでしょう」
「ですが、私には貴女ひとりで解決出来るものとも思えない」
「ほんのわずかながらも、私とてジャンセン殿とマリアノ殿とは話をしている。その人となりを見ているのです」
彼らの能力についても、貴女のこれまでの功績を鑑みれば、疑うところなど無いでしょう。
ゆえに、彼らがいて解決出来なかった問題を、貴女がたったひとりで解決出来るとは到底思えない。
と、ヴェロウのそんな言葉には、自分でもまったくだと頷いてしまいそうなほどの説得力が……実感があった。
そうだ、私ひとりでなんとか出来る筈が無い。
ジャンセンさんもマリアノさんも、バスカーク伯爵もいない。
これでいったいどうすれば良いのかと、かつては私もその事実に打ちのめされた。だが……
「……ヴェロウ。違うのです。私はひとりではない。今の私には、特別隊の皆に引けを取らないだけの頼もしい仲間がいてくれるのです」
「……特別隊と並ぶほどの……ですか。それは……いささか信ぴょう性に欠けるお話です」
「女王である貴女が直接指揮を執っていた部隊が、この国の最大戦力でない道理は無い」
「であるならば、この国には彼ら以上の戦力など……」
ある筈が無い。そう言いかけて、ヴェロウは目を丸くした。
そして……ぐっと拳を握り締め、どこか期待のこもった眼差しを私へ向ける。そう、その通りだ。
「はい。私には……ランデルには、ユーザントリアから派遣された友軍部隊が滞在しています。此度の遠征も、彼らに同行していただきました」
「……ユーザントリア……かの大国からの援軍……ですか。それは……たしかに、ジャンセン殿達に匹敵し得る戦力でしょう。しかし……」
しかし……の後に続く言葉を、ヴェロウは飲み込んだ。言うまでもないと理解したのだろう。
そうだな、それもやはりその通りだ。
「……はい。先ほどから、何を言うよりも前に理解されてしまっている気分ですが、貴方が今考えている通りです」
「彼らには特別隊ほどの……ジャンセンさんほどの権力を与えられない」
「解放した街を復興させることが出来ない、単独での解放作戦を任せられない」
「戦力としては同等としても、組織としては大きく劣ってしまうのが事実です。ですから、そこで……」
貴方に、カストル・アポリアに協力をお願いしに参ったのです。と、私がそう言えば、ヴェロウは呆れたように笑った。
ふざけたことを言い始めたと、呆れかえって相手にしていないのではない……筈だ。
彼ならば、これから言わんとすることもやはり見抜いているだろうから。
「……正気ですか、フィリア女王。貴女は今、貴女が守らねばならぬと発言した祖国を――アンスーリァを、バラバラに切り刻み、売り渡そうとしているのですよ」
「正気……ではないかもしれません。ですが、これ以外に万事を進める策が無いのです」
「私はカストル・アポリアに、ダーンフールとフーリスの領土を譲渡します」
「見返りとして、これより解放される街のすべてを、貴方に守っていただきたい」
オクソフォンでもランディッチを相手に同じことを言った。
そして、同じように呆れられ、正気を疑われた。
まったくもって……なんと不誠実で、なんと心無い王が在ったものだろうか。
「ダーンフールには広い土地があります。私達はそれを、市場を開く為の場所として使う予定でした」
「ですが……それは何も、経済の為だけにしか使えないものではない」
フーリスとダーンフールには、魔術による魔獣除けが成されている。
それが誰によるものかは分からないが、少なくとも現在は有効に――私達にとって優位に働いている。
このふたつの街は、魔獣に対しての警戒を必要としない、安全性の高い場所なのだ。
そのふたつを譲渡し、カストル・アポリアには難民を受け入れる受け皿となって貰う。
当然、これより解放される街から逃げ出した民は、アンスーリァではなくカストル・アポリアに移住するという形になってしまうだろう。
解放作戦によって得られる筈の国の利益は、私達の手にはほとんど残らない。
それでも、これしかない。
ランディッチと話をした時からずっと考えて、ずっとずっと計算して、ひとりで悩み続けた結果出した答えがこれだ。
「――ヴェロウ。アンスーリァは、形に囚われて民を見殺しにする国ではない、あってはならない」
「ならば、不戦を掲げる貴方達にこそ、戦いから逃れたい人々を受け入れて貰いたい」
「解放作戦の最後には、もしかしたらアンスーリァとカストル・アポリアで国土と人口が逆転してしまうかもしれませんが……その時は、島を二分するふたつの国として、手を取り合って生きていくことを考えるまでです」
「……ふう。やはり、貴女は王らしからぬお方だ。そして、その言葉に収まらぬほど苛烈極まりない」
「ですが……その覚悟、心意気は理解しました」
カストル・アポリアにとっては一切不利益の無い話です。お受けしましょう。と、ヴェロウは即座に返事をしてくれた。
私を認めてくれたから……というのは、きっと理由の三割にも満たないだろう。
自国の利益になり得る条件を下げられる前に、なんとしても手中に収めるべきだ、と。
ランディッチと同じく、彼も大勢を守る立場にあるのだから。それを考えずに決定することはあり得まい。
指針について、そしてアンスーリァとカストル・アポリアそれぞれの振る舞いについては話が纏まった。
であれば、あとは…………この話を、事後報告として議会に提出するだけだ。




