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異世界天誓  作者: 赤井天狐
第三章【たとえすべてを失っても】
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第三百六十二話【ふたつの理想、ふたつの挫折】



 以前に語った理想を破棄するつもりはあるか。

 そんなヴェロウの問いに、私は即答しなかった。


 出来なかったのではない。

 それが許されるのならば、彼がそんな問いを言い終えるよりも前に否定したかった。


 だが、そうはしなかった。

 そんなものが望まれているわけではないと分かっていたから。


「アンスーリァを過去あった姿へと戻す。最終防衛線などという壁を取り払い、すべての街、すべての民が安全に暮らせる国を作る」

「かつて私は、たしかにそんな目標を語りましたね」


 そして、今もその想いは変わっていない。

 大勢を……ではない。すべてを。すべての国民を守る国へと作り替える。

 このアンスーリァを、最大の器として復活させる。

 その理想は、まだ私の中に掲げられている。いる……が……


「……そうですね。あの敗戦の後、私はその理想を……夢を、諦めるべきものだと断じかけました」

「ジャンセンさんもマリアノさんも、他の多くの協力者も、特別隊という唯一私に残された武力も失い、ユーゴも戦える状態ではなくなってしまった」

「その時、私の心は理想から目を背けていたでしょう」


 私はかつての自らの胸の内を吐露した。


 あの時には、もはやそんな理想は叶えられないとも思った。

 ユーゴの心は砕かれ、戦力は壊滅し、それまでに挙げた成果の大半をも失った。


 あんな状況で、まだまだこれからだと気を張ることなど出来やしなかった。


 だが……だが、だ。それでも、私は前を向き続けていた。

 それがたとえ強迫観念からなるものだとしても、私は前を向いて、戦い続ける道を模索していた。それは間違いない。


「……すう、はあ。聞いてください、ヴェロウ。私は……アンスーリァは、かつての理想を破棄するつもりなどありません」

「究極の理想、究極の平和、究極の国を。その理想の為に、私はまだ戦いを続けるつもりです」


 愚かと思うのならば、いっそ笑ってください。と、私は余計なひと言をつい付け加えてしまった。

 それくらい馬鹿げた話をしている自覚があったから。


 けれどヴェロウは何も言わなかった。表情も変えなかった。

 ただ、静かに私の目を見ていた。じっと、ただじっと。


「……どうやら、貴女自身にも大きな変化があったようですね」

「以前お会いした貴女は、もっと……言葉が悪いようですが、子供のような無邪気さを身に纏っていました。そして、私はそれを恐ろしいものだとも思いました」


「……恐ろしい……ですか。それは……その、そんな未熟な人間が、一国を……アンスーリァという、このカストル・アポリアよりも大きな国を治めていることが……でしょうか」


 しかも、それが隣国ともなればなおのこと、か。

 無邪気な子供のような政治で、わがままな理不尽によって攻撃されればたまったものではない。と、そう懸念していた……だろうか。


 だが、私が危惧した思いとは裏腹に、ヴェロウは小さく首を振って……やっと笑顔を見せた。


「……いいえ。私は貴女を……未熟であるがゆえに理想を高く掲げる貴女を恐れたのです」

「その在り方がもしもまかり通ったならば、私のしてきたことはすべて叩き伏されてしまう、と」

「最大の理想を諦めた私が、ただ逃げ出しただけの臆病者ということになってしまうと、そう怯えたのです」


 ヴェロウはそれからも何度か首を横に振って、何かしらの思いを振り払おうとしているように見えた。

 けれど……それでも最後には私の目をまたじっと見つめて、苦々しい表情で頭を下げた。


「……けれど、貴女もその理想を一度は打ち砕かれた。そう聞いて、私は安堵してしまった」

「やはり、すべてを思い通りにというのは不可能なのだ、と」

「自分の選択は間違っていなかったのだと、下らないことに安心してしまったのです」


「安心……ですか……?」


 ヴェロウは言った。

 自分にも高い理想があった。高い高い、とても手の届かない場所にある理想が。

 とても手の届かない場所なのだと諦めて目を背けてしまった、一番初めに掲げた理想があったのだ、と。


「私は初め、一切の差別や格差の無い国を……と、そんな夢を掲げました。ゆえに、私は王政という形を選ばなかった、選べなかった」

「誰もが対等に、そして平等に、国という組織を作る手伝いが出来る国――民主主義による政治を掲げたのです。ですが……」


 その時点で既に、私はひとつの形を諦めていた。と、ヴェロウは目を伏せてそう言った。

 諦めた形……とは、つまり……


「……自らが王となって、すべてを管理し、守り抜く。それは不可能だと、構想に入れることもしませんでした」

「ある意味では、この時点ですでに理想を諦めていたのかもしれませんね」

「ですが……それでも、誰もが平等な国家にこそ目指す価値があると、本気でそう考えたのも事実」


「……それでも、貴方はその理想を……誰もが平等に国を支える形を諦めた……と?」


 私の言葉に……さして大きな意味も無い、ただの相槌に過ぎない問いに、彼は悔しそうに歯を食い縛って頷いた。


「最大の平等を目指した時、そこには不平等が待っていました」

「当然のことですが、まだ学びを済ませていない子供には、政治に関与する能力など無い」

「けれど、それはまだ良い。幼き内に学び、歳を経てから参政してくれれば。ですが……」


 学びは万人に開けている。そう考えられたのは、私が恵まれた環境にあったからに過ぎなかった。

 ヴェロウはそんな言葉を、まるで懺悔のように口にした。


「誰もが言葉を用いて意思疎通を成している。だが、誰もが文字を書けるまでには至っていない」

「大勢が出来るのと、全員が出来るのとには、大き過ぎる隔たりがある」

「ゆえに、私は始めに、このカストル・アポリアの前身となる小さな街のいくつかで教鞭を取ったのです。誰もが学べるように、と。しかし……」


 ヴェロウはかつての理想を、夢を、強い後悔と共に語り続ける。


 たしかに、アンスーリァ国民の識字率は高い。

 だがそれでも、全員が文字を理解出来ているとは言い難いだろう。


 それに……高いと思われる識字率についても、最終防衛線の内側だけの話。

 もっともっと余裕の無い、その壁の外側の街では……


「私は街を回り、定期的に教室を開きました。ですが……そこに集まるのは、すでに文字を読み書きしているものばかりでした」

「その時私は、ある結論を……くだらない、勘違いも甚だしい、あまりに傲慢な結論を出しました」

「学の無い人間は、学びに対してどうにも無関心で、怠惰なものばかりなのだ、と」


 そこまで語ったところで、ヴェロウはこぶしを握り締め、自らの脚を殴り付けた。

 戒めるように、咎めるように。自らの愚かさを反省し、忘れぬようにと刻み込むように。


「……しかし、現実は違った」

「学びを得られていない人間は、学ぶだけの時間を得られていない者達だったのです」

「朝早くから畑の土を耕し、雑草を抜き、日に一度か二度の食事を済ませ、畑仕事を続ける」

「そうして一日の仕事が終わるころには、書物などを読む為の明るさはどこにも確保されていない」


 誰にも開かれていると思った学びは、とうに閉じ切られたものだった。

 ヴェロウはそこまで語ったところで、ぎゅうと奥歯を噛み締めた。

 それが、話の……懺悔の終わりだと、私は僅かに遅れて理解した。


 彼はその事実を知ったから――自分ひとりでは覆せない現実を目の当たりにしたから……


「……皆が等しく、同じ機会を得られたならば。たしかに、その理想は難しい……いえ、それこそ不平等な結果をもたらすでしょう」

「それはつまり、すでに多くを学んだ人間からは、学びの機会を取り上げる、と」

「代わりに、それまで学問を修めて来なかったものの代わりに労働に従事しろ……と。そんな結論に至ってしまいます」


「……ですが、そうして得られるものは何も無い」

「多くを学び、知識を蓄え、政治を理解した途端に、それからもっとも遠い生活を送らされる。これでは意味が無い」


 だから、ヴェロウは理想を――絶対の平等を、完全に不可能なものだと諦めた……か。


 なるほど、聞かされてみれば当然の帰結だ。

 だが……彼の掲げた理想は、紛れもなく究極のひとつだっただろう。

 私の思い描く理想と、根底を同じくするものだ。


「フィリア女王。貴女は自らの掲げた原初の理想を打ち壊された。それでもなお、それを破棄しない、と。そうおっしゃられました」

「しかし……貴女自身は、以前ほど無邪気なままではあられない。その不変と、その変化には、たしかな裏付けがあるのですか」


「……はい。断言します。私は理想を挿げ替えない、曲げない。そう出来る、貫けるだけの希望がまだ手の内にあるから」

「そして……挫けて、折れて、足を引きずるばかりになったこの身でも、まだ戦わねばならぬと覚悟を決めましたから」


 私にはまだユーゴがいる。ユーゴがいてくれる。

 その力はたしかに小さなものになった、それでもまだ――奇跡を起こし得る存在として私の隣に彼がいてくれる。


 私にはまだ託されたものがある。

 ジャンセンさんが、マリアノさんが、バスカーク伯爵が、大勢の仲間が。

 この命は、多くのものに繋いで貰ってここに残っている。


 ならば、挫けて目を背けるなんて結末が許されよう筈も無い。


「……やはり、貴女は苛烈な方です。しかし……ゆえに、貴女は王として在るのかもしれません」


 ヴェロウはそう言って、ふうと息を吐くのと同時に肩を竦めた。

 次の時にはゆったりと身体を楽にさせていて、どこか恐怖にも似た緊張感を遠くへ吹き飛ばしてしまったように見えた。


「それでは、聞かせてください。それだけの戦いに敗れ、それでも理想を捨てぬと語るフィリア女王は、この国へ何を求めてやって来たのかを」


「……はい。ひとつは、安否確認でした」

「ヴェロウが、アルバさんが、エリーが。ハミルトンさんが、バーテルさんが。以前の滞在の折にお世話になったこの国のすべてが、無事かどうかを確かめる為。そして……」


 そして、私達はこれからしなければならないことについて話を始めた。

 アンスーリァとカストル・アポリアとして。魔女と魔人という脅威の存在する小さな島に、同じように存在する国の代表として。

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