第三百五十七話【訪問、不在、ひりつき】
もてなしていただいたお礼もろくに出来ないまま、私はひとりアルバさんの家を出た。
目的地はこの国の代表……ヴェロウ=カーンアッシュの住む屋敷。
かつてこの国のすぐ近くで起こった戦いについて、その結果――私達の敗北について。
この国に危険が迫りかねなかったという事実について、謝罪をしに行かなければならないのだ。
それと同時に、私の中にはもうひとつ目的があった。いや、生まれた、か。
ここがこうして無事だったのならば、もう一度協力を要請したい。
戦う為の援助をしろと言うのではない。
ダーンフールやフーリス、それにここから更に北へ進んだ先に住んでいるかもしれない人々を――解放を続けた先で見付かった生存者を受け入れ、街を支える。
オクソフォンに頼んだのと同じ役割を、この国にも担って貰えれば、と。
しばらく歩いて、それから市場へと向かう馬車へ乗せて貰って、私は道に迷うことなく屋敷へと到着した。
案外忘れないものだな、ずいぶん前に一度来ただけなのに。
「ごめんください。フィリアと申します。ヴェロウ殿はいらっしゃいますか」
こんこんとドアを叩いて声を掛けると、少し間を置いて返事が返って来た。女性の声だった。
大きな屋敷だし、それにヴェロウも忙しい立場だ。使用人がいることに不思議は無い。
ただ、問題は……
「お待たせいたしました。申し訳ございません、主人は出払っていまして……」
「そうでしたか…………主人……? とおっしゃいますと……貴方はヴェロウの……」
はい、妻のポーラです。と、おしとやかに頭を下げたのは、長い赤茶色の髪をした、私よりも少しばかり歳上だろう女性だった。
そうか、ヴェロウには伴侶がいたのだな。と、それはよくて。
少しだけ懸念していた通り、ヴェロウは不在のようだ。これは困った。
いかんせん、私はこの国のこの街をあまり把握出来ていない。
どこに何があって、どこからならばどこへ通じるのかと、道が分からないのだ。
これでは、今はどこへ行っていると言われても探しに向かうことも出来ない。
「ええと……すみません、出直します。いつ頃に戻られるでしょうか……っと。申し訳ありません、名乗りもせずに要求ばかりで」
「私はフィリア=ネイと申します。アンスーリァから参りました」
「フィリアさん……ですね。ふふ、なんだかおかしなことをおっしゃいますね。まるでここがアンスーリァではないかのように」
え、ええと……?
ここは……カストル・アポリアは、アンスーリァからは独立している……というのが、私の認識だったのだが……?
ヴェロウもそのつもりだろうし、ここを新しい国だと口にするものも街の中には多くいる。だと言うのに……
「ええと……このカストル・アポリアはヴェロウが新たに興した民主主義の国だ……と、そう伺っています。それに、この在り方は紛れもなく国のものだと私もそう思いました」
「ですので、やはりこことアンスーリァとは別の国だ……と、そう捉えるべきかと……」
「……うふふ。面白い方ですね、フィリアさんは」
「確かに、主人はここを……カストル・アポリアを国として立ち上げ、纏めています」
「ですが、だからと言ってここがいきなりアンスーリァから切り離されてどこかへ移動したわけでもないのですから」
「国境らしいものもありませんし、そもそもがアンスーリァ国王に認知されているかも怪しいものです」
地続きである以上、アンスーリァと呼んでも違和感は無い。
それに、まだ国と国として分けて語れるほど立派にもなっていないでしょう。と、彼女は笑顔のままそう言った。
皮肉や自虐めいた意味合いはそこに含まれていないようだ。
どうやら彼女は、ヴェロウとはまた違った視点からこの国を見ているらしい。
それも、彼同様に広い視野を持ちながら。
「あ……っと、申し訳ありません、帰りの時間でしたね」
「予定では、フーリスにまで出掛けるとのことでしたから、戻るのは夕方……いえ、晩になってしまうかもしれません」
「そうでしたか。では、明日また出直します。その……明日の予定を、分かっている範囲で構いませんので、訪ねても良い時間をお教え願えますか?」
はい、少し確認して参りますね。と、ポーラはそう言うと私を屋敷の中へと招き入れた。
ここは以前と変わっていない……いや、多少は物が増えたかな。
人様の家の内装などをこと細かに確認するのは少し不躾かもしれないが、そうすることで……
「……はあ。ヴェロウも無事……でしたか」
どうしても、確認して安心したくなってしまう。
いけない、また目頭が熱く……涙が浮かんで来てしまいそうだ。
それからしばらくすると、ぱたぱたと小走りでポーラが戻って来た。
明日ならば午前中は屋敷にいるだろうから。と、彼女は少し息を切らせて教えてくれた。
そ、そんなに急がずとも構わなかったのに……
「ありがとうございます、ポーラさん。それでは、また明日。出来るだけ早くに伺いますので」
「はい、伝えておきます。ご足労頂いたのに、留守で申し訳ありません」
急に押し掛けたのはこちらなのだから、謝られる謂れはない。
私も彼女に頭を下げて、むしろその非礼を詫びて屋敷を後にする……つもりだったのだが……
「……あの、フィリアさん。ところで……その、フィリアさんは主人とどのような間柄なのでしょうか」
「アンスーリァから……と、そうおっしゃったということは、フーリスや他の交流のある街の方……ではない、という意味ですよね。その……」
まだカストル・アポリアは交流をそこまで広げられていないのだから、どこの街の方だろうと思いまして。と、ポーラは少しだけ首を傾げて私にそう尋ねた。
首を傾げて、笑顔で、そして…………ど、どうしてだろうか。少し……ほんの少しだけ、背中に寒気が……
「え、ええと……なんと言いましょうか。私自身はランデルに住んでいるのですが、以前にここを訪問した際に、ヴェロウには良くして貰って……」
「……ランデルに。それはまた……どうしてそんなにも遠いところから、こんな場所まで」
え、ええ……と……?
な、なんだろう。すごく……すごく冷や汗が出てきた。
ひりつくような緊張感と、それに……なんだか恐怖心と言うか、威圧されているかのような圧迫感が……
もしや……ポーラは私の素性を疑っているのではないだろうか。
女王である……などという明確な回答には辿り着かなくとも、この国を治める代表であるヴェロウに取り入ろうとする、小賢しい町役人なのではないか、と。
そう疑って、牽制しているのでは……
「け、決して怪しいものではないのです。以前の訪問も、そもそもは目的地が別にあって、偶然にもこの国を発見したから立ち寄ったと言うだけで……」
「……この場所から更に南……ヨロクの街から外は、アンスーリァの防衛圏外……実質的な無法地帯です」
「そんな場所に用があって、それにもかかわらず寄り道をしていた……と言うのは、少々……」
うっ……その……そうですね。
言われてしまうと、あの時の私達はいささか無謀な行為を繰り返し過ぎていたようにも思える。
どこに潜んでいるかも分からないゴートマンを探す為に、とにかく最終防衛線の外へ飛び出してみたという無謀から始まり、もしかしたら敵の本拠地かもしれない素性の知れない場所へ潜入してみたという愚行に続いて……ううん。
これを筋の通った話として説得力を持たせるのは、いささか困難と言うか……
「……もう一度だけ尋ねますね。フィリアさん、貴女はヴェロウとどんな関係にあるのでしょうか」
「ランデルに住んでいるとおっしゃる貴女と、それもまだずいぶんお若く見える貴女と、ヴェロウはいつ、どこで、どうして知り合ったのでしょうか?」
「……え、ええと……? ポーラさん……?」
それは……ええっと……今からもう何十日も前に、このカストル・アポリアで、ゴートマンとの交戦の所為で……騒ぎを起こしてしまった所為で、ヴェロウには迷惑を掛けてしまって……と、そういう話をしても、とても信じて貰えそうにない。
ど、どうしたものだろう。このままでは、明日もう一度訪問するという約束さえ……
「……っ。信じてください、ポーラさん。私は……私は決して、ヴェロウやこのカストル・アポリアに仇なすものではありません」
「証明することは難しいですが、しかし……どうか、信じていただきたい」
「ヴェロウに私の名を伝えて頂ければ、きっとご理解いただける筈です」
「……主人に直接……ですか。はい、承知致しました。それでは、また明日。主人ともどもお待ちしております」
っ。どうやら……今日のこの場は丸く収まった……だろうか。
しかし……なるほど、ヴェロウが娶るだけのことはある。
危機感も、観察眼も、それに警戒心も。
あらゆる面で、彼女は私に対して一切隙を見せなかった。
帰り道の間にも、私の頭の中にはポーラの目が、表情が、はっきりと浮かんだままだった。
ただヴェロウを支えるというだけではない、きっと何か大きな役職も任されているのだろう。
私もきっと、あんな風格を……ヴェロウにさえ信頼される仕事ぶりを身に付けたいものだ。




