第三百五十二話【国と王と民】
馬車は少しゆっくりと――行きほどの緊張感や切迫感を帯びることなく、のんびりと道を進んだ。
魔獣は……まだ出ていない。
やはり、ダーンフールとフーリスの近辺は、ミラの言う魔獣除けの結界が強く作用しているようだ。
「ふんふーん……ねえ、フィリア。国ってことは、やっぱり全然文化も違うノ? ううん、そんなわけないわよネ?」
「だって、あくまでもこのアンスーリァに住んでた人が、より快適で安全な暮らしを求めて集まったってだけだもノ。としたら、使えるものはそのまま使うでしょうシ……」
そんなのどかさがあるからか、今この馬車の中で唯一魔獣を感知出来るミラも、にこにこ笑って鼻歌を歌っていた。
私に問うているのか、それとも自問なのかも分からないような疑問を口にしながら、今からもう待ち遠しくてたまらないと言った表情で。
「ええと……そうですね。カストル・アポリアは、あくまでもアンスーリァ国内に生まれた新しい自治国家……いえ、自治区と呼んでも差し支えないものでしょう」
「今はまだ、独立を謳うだけの組織と、それを認可すると口にしただけの王でしかありませんが」
「遠くない将来、国と国として――外交として訪問するつもりもあります」
「フィリアは独立に賛成……ううん、積極的なのネ。普通は逆だと思うケド」
「王様だったら、自分の国の領土が減っちゃうのなんて、認められないし、認めちゃいけないもノ」
うっ。その……あまり耳の痛いことを言わないでいただきたい。
しかし……そうだな。
自分が王として不足している……という自覚を抜きにしても、私は王らしくない選択をしているのだろう。
「……私は王である以前に――アンスーリァを統治するものである以前に、この国に住む人々の平和を願います」
「平穏を、安寧を。すなわち、彼らが望む最良の形を。であるならば……」
アンスーリァという形にこだわる必要は無い。
少なくとも、カストル・アポリアはヴェロウの先導のもとに、豊かな発展を遂げられそうなのだ。
それを今更、自国の領土の大半を喪失したままの国などが口を挟める道理も無いだろう。
「それに……思うのです。もしも私がこの先に立派な王となっても、それでこの広いアンスーリァを――そのすべてを守り切れるかと問われれば、それは違うのだ、と」
「その為に街に役人を配備し、地方に多少の自治を委ね、国民の力で国を守る必要が出てくるでしょう。なら……」
「……初めから自治国家として独立させても問題無いだろう……ってことネ。ちょっと過激で極論な気もするケド……」
悪い話じゃないわよネ。と、ミラはうんうんと頷いてくれた。
そうなのだ、それでも全く問題無い筈なのだ。
アンスーリァは王国として――王政国家として長く続いているが、それもこの島に人が住み始めてからの歴史を思えばずっとわずかなものでしかない。
人が生まれ、原初の王が選ばれ、国が出来て、そして……滅ぶ。
それを何度も何度も繰り返して、今の時代にはアンスーリァと名を受けた。
その間には、王の不在期間……王政が破綻していた時代や、そもそも政治と呼べるものが存在しない時代もあっただろう。
「自らの足で立って進むことの出来る人々を、わざわざ鎖で繋ぐ必要はありません」
「もちろん、カストル・アポリアには大きな国土がありませんから、いつか限界が来てしまう可能性もあります」
「ですが、その時にアンスーリァとひとつになれば良い。今である必要などどこにも無いのです」
私の言葉を聞いて、ミラはうーんと考え込み始めて……そして、にこにこ笑って私のそばまでやって来た。けれど……
「……でも、限界が来る可能性が高いって分かってるなラ、最初から守ってあげるのも王様の役割だと思うワ。そこはどうなノ?」
ちょっとだけ心配そうな……きっと、市長としてのミラとしての顔で、教えを請うように私に尋ねた。
それは、責任放棄ではないのか、と。
「……そうですね。もしかしたら、私はただ投げ出しているだけなのかもしれません」
「今のアンスーリァだけですら満足に治められていないのだから、これ以上は背負いきれない、と。しかし……」
しかし……それもそれで、やはり独立を許す理由になるだろう。
まったく情けない、だらしのない理屈だろうが、どうしようもなく覆せない現実がそこにはある。
「現王政は、現議会は、最終防衛線の外の地区に関して、再度経済圏に加え入れ、その将来を保証出来る状態にありません。だからこそ、私は解放作戦を急ぐのです」
「すべてが手遅れになってからでは遅い。皆に――最終防衛線を取り払ったアンスーリァ全土に、将来について自分達で考える余地を与える為に」
ナリッドは……きっと、今すぐに独立しろと言われても、そのまま潰れて消えて無くなってしまうだろう。
反対に、オクソフォンや南の主要都市については、カストル・アポリア同様に国として成立させてしまえる筈だ。
ウェリズやフーリスのように、どちらに転ぶかを他の街、地区との連携に委ねなければならない街もある。
今はまだ、どの街も生き残ることを考えるので精いっぱいなのだ。
だから、解放作戦を急がなければならない。
一度アンスーリァの中のひとつとして、国の一部として回帰させてから、それから……
「……私は、将来的にこの国を――アンスーリァを、民主主義国家にしようと思っています」
「民が、自らの足で立ち、自らの頭で考え、自らの手を他者に差し伸べて国という形を作って行く。そんな国にしたいのです」
これは、とっくに決めていたことだ。オクソフォンでランディッチに言うよりも前から。
もしかしたら、カストル・アポリアを初めて訪れた瞬間から……いいや。
ユーゴに彼の住んでいた世界を、国を、その在り方を聞かされた時から……なのかもしれない。
私は将来、アンスーリァ王政を破棄する。
いつかそれを、議会への脅し文句として使った……と、ユーゴにはそう言った。
けれど、これとそれとはまったく意味の違うものだ。
「――な――お――おい! フィリア! そういうの、こんなとこで言ったらダメな奴だろ! 執務室の中だけに留めとけ!」
「いや、あそこでも言っちゃダメだと思うけど……」
そんな発言に、ユーゴは大慌てで私の肩を……脇腹を、頭を、そこら中を叩いた。
あの……た、叩き過ぎです……
それに、ミラも眼を真ん丸にして周囲を忙しなく確認している。
よもや誰かに聞かれてはいまいな、と。それを不安に思っているようだ。
だが……だが、たったひとりだけ、私の話に慌てていない人物がいる。
うろたえない、わたわたしていない。堂々と、のんびりと、何か変なことがあったのだとすらも理解出来ていない人物が。そう……
「……え? えっと……変なこと……なのか? 民主主義……が普通なんじゃないの……?」
「――普通なわけないデショこの大バカアギト――ッッ!」
ふしゃーっ! と、怒りの形相のミラに噛み付かれた彼こそ……アギトこそ、私の言葉を不思議なものだと捉えていない唯一の人物。
平和を知り、それに暮らし、民が主体となる政治を知っている人物。
ある意味で、私の理想を明るく照らしてくれる、目に見える希望と言ったところだろうか。
「いででででっ⁈ だ、だって! 日本はそうだったし!」
「お前も行っただろ! 見ただろ! あの国は! 俺の世界は! 民主主義だったの! そうじゃない国もあるけど!」
「……アギト、お前…………お、思ってた以上にアホなんだな……」
「あっちとこことじゃ全然違うだろ、状況も時代も、文明も」
ユーゴまでそんなこと言うのか! と、アギトは半泣きになりながら、なんだか縋るような視線を私へと向けた。
あ、あの……いえ。どちらかと言うと、民主主義の在り方を肯定する役目を、貴方にお願いしたかったのですが……
「だって! ミラ! 考えてもみろ! 思い出せ! 初めて行ったあの世界、王様なんていたかよ! エヴァンスさんが王なんて言葉を口にしたかよ!」
「っ。そ、それは今関係無いデショ! ちょっと冷静になんなさいヨ!」
アギトはまだ噛まれたままながら、必死になってミラを説得しようとしている。
その……ええと……すみません、争わせたいわけではなかったのですが……
しかし、やはりと言うか……思っていた通り、彼だけはこの将来を――彼の知る現在を、否定する筈が無かったのだ。
「神様は言っただろ、自分達で考えて、何が欲しくてその為にはどうするのが良いか決めなくちゃいけないって。それが出来ないなら剪定するって」
「それに……モノドロイドは――あの世界は、そんな未来を選んだから滅びを迎えるんだって、そういう話だったじゃないか」
筈が……無かったのだが……うん?
その……思っていたのとはまったく違う切り口からいろいろと考えているようだ。
あの……ええと。彼は……いったいどこの話をしているのだろう。
もしや、ミラに聞いた、記憶を取り戻す為に訪れた世界……の話だろうか……?
「――全然違う世界の――まったくすれ違わない価値観を引き合いに出すんじゃないわヨ――っ! ふしゃーっ!」
「アホだ。どうしようもなく究極のアホだ、お前。今こうしてある国をわざわざ壊してまでやることじゃないだろ、どう考えても。授業まともに聞いてなかったのか」
「フィリアは役に立たないけど、宮の大勢は国の為に頑張ってる。少なくとも、革命を起こされないといけないような状態じゃない」
ええっと……アギトはなんだか……その……人を説得するのが下手……苦手なのだな。
そんなアギトに、ミラは何度も何度も噛み付いて……物理的に噛み付きながら、彼の発言にも噛み付いて、王様を排除するなんてバカなこと考えてんじゃないわヨ! と、まるで彼が民主主義を扇動しているかのような発言までしてしまった。
あ、あの……私です。王を無くそうと言ったのは私で……
それにユーゴも、私を貶めながらも、議会や宮の役人、それにパールやリリィを例に挙げ、今はまだこの国がきちんと支持を得られる状況にあると主張する。
その……嬉しいことを言ってくれているのに、どうして私だけを狙い撃ちでバカにするのでしょうか……
けれど……どうしてだろうな。
この光景こそが、民主主義を――人々が自分で考えて国を治める未来を、十分に可能性のあるものとして証明しているのかもしれない。
だって、こんなにも争いながら、ひとつのものごとについて議論出来るのだから。




