第三百五十一話【もやもやとキラキラ】
方針は決まった。
細かいところはヨロクへ戻ってから、あるいはランデルにまで帰還するか否かのところも含めて議論を。と、そんな結論を以って話は終わった。
アギトとミラはそのまま部屋で休むだろうし、ユーゴもまっすぐ自分の部屋へと向かった。
しかし、私は……
「……はあ。今晩は少し冷えますね」
また、星の見える見張り台へとやって来ていた。
けれど、そこには他に誰もいない。ジャンセンさんも、アギトも。誰も。
「……はあ」
白い息はまだ出ない、そこまで冷え込んではいない。
けれど、どうにも身体の芯が冷えてしまっている気がする。
胸の奥の、一番痛む部分が。
アギトは言った。自分が囮になる、その隙にユーゴとミラに魔女を倒して貰う、と。
その作戦を候補に入れる為に、あんな無茶をしたのだと。
自らの存在そのものを揺るがすような、あまりに危険な行為だった。
ミラの話を聞けば、そんなことは私にも分かる。
彼の過去を詳しく知らない私にも、そのくらいは分かってしまう。
「……そうまでせねば勝てぬ相手……と、そういうことなのでしょうが、しかし……」
どうしてそこまでしてくれるのだろうか。という疑問はもう今更持つまい。
アギトとミラの中にある正義感は、損得勘定や国境などによって揺らぐものではない。
気高く、やや暴走気味で、けれど誰からも崇敬されるだろう勇者としての振る舞い。
それが、魔王を倒した“ふたり”の在り方なのだ。
そんな彼らが、危険を幾重にも重ねた作戦を考えねばならないほどの脅威が、私達の行く手に立ちはだかっている。
それを考えるだけで目眩さえ起こしてしまいそうだ。
アギトの力は魔女をも圧倒した。
けれど、世界を亡ぼすに足る力を以ってしても完全には滅せなかった。
大きなダメージを負わせこそしたものの、魔女は生きている。これが残された現実だ。
それに……
「……っ」
ゴートマン。そう名乗ったあの男は、いったい何者なのか。
魔女を友人と呼び、それに……ミラの誇る最大魔術だろうものをあっさりと無力化してみせたあの存在は、果たしてこの先にも敵として現れるのだろうか。
ミラはあの男について触れなかった。
アギトは……きっと知らない、見ていないだろう。
それと……ユーゴも口を挟まなかった。
ミラは、まだ考察する余地が無いと、何かを議論出来るほどの情報を得ていないと考えているのだろうか。
けれど、それだけならば存在くらいは口にする、危険があるのならばもう一度共通認識として確認する筈だ。
だが、それも無かった。
もしや、ミラはあれを……あの男を、どうすれば良いものか判断に困っているのではないだろうか。
対処に困ってしまって、どうしようもないものに思えてしまって……そして……
「……いえ、いいえ。違う、違います。ミラに限ってそんな……っ」
そして……考えれば立ち止まるしかないから、見て見ぬフリで無理に前を向こうとしているのではないか。
そんな考えが……侮辱が、頭をかすめてしまう。
何度顔を振っても、腿を叩いても、自分を毒突く言葉を口にしても、悪い考えは止まってくれない。
もしかしたら、ユーゴも同じようなことになってしまっているのではないか……と。
いつも冷静で、勤勉で、特に最近は危険に対して敏感な彼が、それに口を挟まなかった。
ミラに対して、アレはどうするのかと問い詰めなかった。
それは……彼ですら、アレはどうしようもないものだと諦めてしまっているから……なのではないのか……?
胸の奥――一番痛んで、一番冷えて、一番苦しい場所に、不安と懸念が渦を巻いている。
私達は本当にこのままダーンフールを出発して良いのだろうか。
本当に……このまま、安全だろう場所まで退いて良いのだろうか。
危険を、恐怖を、不安を遠ざけて、それで……
考えはまったく纏まらなかった。
ただ……それでも、眠らなければ明日に差し障る。
私の不調は部隊全体を危機に陥れかねない、私がふらつけば迷惑を掛けてしまうばかりだ。
そんな思いだけで部屋へと戻り、そして……眠れないままにその時を迎えた。
部屋には私以外誰もいないのに、ひとりでにドアが開いたのだ。いや……
「……おはようございます、ユーゴ。いつもこんな時間に来ていたのですね」
「っ。お、起きてたのか。めずらしい」
今朝もユーゴは私を起こしに来てくれた。
声を掛けられるよりも前に身体を起こせば、彼は目を丸くして慌てたようにそっぽを向いてしまう。
私が起きているなどとはわずかほども考えていなかったようだ。
「……もしかして寝てないのか? アホだな、やっぱり。帰るだけだから困ることも無いだろうけど、馬車の中じゃロクに寝れないぞ」
「……そうですね。エリーがいてくれたなら、きっと眠ってしまえるくらい静かに運んでくださるでしょうが」
フィリア? と、ユーゴは首を傾げて私の顔をじっと見ていた。
悩みがあるのか? と、そう尋ねたい……のだろうか。
それとも……また間抜けな顔で何を考えているのか。と、困ってしまっているのか。
「……カストル・アポリアに寄ってくんだよな、この後。ヨロクがああで、ここもこうして無事だったんだ。よっぽど大丈夫だろ」
ああ、なるほど。エリーの名を出したから、彼女と彼女の住むあの国とを心配していると思われているのか。
それは……それも、私の中にある大きな不安のひとつで間違いないな。
やはり、ユーゴにはいろいろと見抜かれてしまう。
「まあいいや。まだ出発まで時間あるし、寝れるなら寝とけよ。王様で、指揮官なんだから、夜更かしとか馬鹿なことしてんな」
「……時間があると分かっているのなら、もう少し遅くに起こしに来てください……」
それはそれ。と、ユーゴは不満げな顔でそう言って、部屋を出て行ってしまった。
だが……足音はそう続かなかった。きっと部屋の前で番でもしてくれているのだろう。
「はあ。あんなものを見なければ、貴方がいれば大丈夫だ……と、そう思えたのですが……」
相変わらず世話焼きで頼もしいユーゴのしぐさにも、私の胸の奥は温まらない。
魔女はまだ生きていて、ユーゴもミラもまだ考えられないくらいの脅威がまた現れて。
これで気を休めて眠れと言う方が無茶だろう。
それでも、身体は最低限休めておかなければならない。
もう一度シーツを被って、目を瞑って、けれど一向に途切れない意識を自覚しながら、朝日が昇る時を待つ。
そろそろとなればユーゴがまた部屋へ入って来てくれるだろうから、外の様子は気にせず、出来る限りの休息を。と、そう思っていたのだが……
「……? なんの音でしょうか……」
どたどた。ばたばた。と、部屋の外から賑やかな物音が……言葉を選ばずに言うのならば、だいぶやかましい物音が聞こえて来て……
「――フィリア! 起きテ! 出発するわヨ!」
「バカ――っ! おバカ! バカミラ! 勝手に入るやつがあるか!」
ばたん! と、勢い良くドアが開けられたと思えば、元気いっぱいなふたりの声が……元気良く私を起こすミラの声と、それを出来るだけ静かに諫めるアギトの声がやって来た。
え、ええと……?
「はい、ええと……起きてはいますが……」
「ん、早起きなのネ。感心感心。一国の主ともあろうものが、寝坊なんてしてられないもノ」
ええと……あ、ありがとうございます……?
突然の訪問……もはや急襲に近い訪問に、私の頭の中はパニックと言うか……何も考えを纏められない状態で……
「どの口が偉そうなこと言ってんだ! この寝坊助! すみません、フィリアさん。その……なんか、今朝はやけにテンション高くて……」
じっとしてられないみたいで……と、アギトは申し訳無さそうに頭を下げながら、部屋の中を物色し始めるミラを抱き上げて……いつものように噛まれてしまった。
気分が高まってしまって落ち着かないからと、私の部屋を襲撃しないでください……
「むがむが……ぺっ。行くのよネ、カストル・アポリアってとこ……国ニ! だったら急ぎましょウ!」
「ぺってするな! お兄ちゃんをぺってするんじゃない!」
「それと! まだそうと決まったわけじゃないだろうが! 勝手に盛り上がって勝手に突撃するな!」
うるさイ! ふしゃーっ! と、ミラは怒りの形相でアギトに噛み付いたが……一応、彼の方が正しいことを言っていると思う……私は……と、それはよくて……
「ええと……はい、この後はカストル・アポリアへと向かう予定です」
「ここやヨロクが無事でしたから、きっと無事だろう……と、少々楽観視し過ぎているかもしれませんが、それは関係無く」
「巻き込んでしまったかもしれない以上、安否確認はしなければなりません」
「えっ……ミラに合わせなくても大丈夫ですからね……? その、前々から決まってたなら……いいですけど……」
わがまま放題するばっかりですから、必要以上に甘やかさなくていいですからね。と、アギトはそう言い残して…………思い切り投げ飛ばされたかと思えば、組み伏せられたまままた首を思い切り齧られてしまった。
その……はい。今のはアギトの言葉が悪かったかな……と。それもよくて。
「ぐるるるる……ぺっ。決まったなら早速出発ヨ! 国の中に国が生まれるなんて聞いたことも無いし、ずっと気になってたのよネ」
「うっ…………そう……ですね……きちんとした統治、政治が行われていれば、国の中に新たな国が生まれることなど…………」
ぐ……目をキラキラさせるミラの悪意の無い言葉に、これ以上無いくらい無能を咎められてしまった気分だ……
しかし、そうだな。カストル・アポリアの在り方……生まれ、そして振る舞い。機能、国としての強み。
さまざまなものが私にとっても勉強になったのだから、市長も務めるというミラにもきっと刺激をもたらしてくれるだろう。
それからすぐに荷物を纏め、私達はダーンフールの砦を後にした。
今度は、南へ――あの時には叶わなかった、帰るべき方角へ向かって。




