第三百五十話【次へと繋げる】
目の前にいるのは、紛れもなくいつものふたり……いつものアギトとミラだった。
仲良しで、信頼し合っていて、愛情表現が過剰と言うか過激と言うか。
とにかく、あらゆる点でいつも通りのふたりがそこにはいた。
私の中には安堵ばかりがあった。
アギトの変容についての疑問や不安は晴れていない、まだもやもやと薄暗い霧の中にいるような気持ちも残ってはいる。
だが、今この瞬間には、安心に心を落ち着けられて……
「――さて、バカアギトも起こしたことだシ、次の話をしないとネ」
「……? 次……ですか?」
落ち着いて……あとはゆっくり休むだけだと思っていた私に、ミラは真面目な顔でそんなことを言った。
咎めるつもりも無かったのだろうが、結果としては……私がのんきなことばかり考えていたみたいになってしまった……
「そ、次ヨ。バカアギトが無茶言い出したのを止めなかったのも、どう転んでも次に繋がると思ったからだもノ」
「としたら、こうして結果が出た以上は、その話を考えなくっちゃならないワ」
「……この結果を……アギトが変容し、魔女を圧倒しながらも、しかしとどめを刺しきれなかったという今を、ミラはある程度予想していた……と、そうおっしゃるのでしょうか?」
倒しきるつもりでいたんだけど、そう出来ない可能性は十分に考えてたワ。と、ミラは苦い顔でそう言った。
アギトのあの力を以ってしても、倒しきるのは難しいだろう、と。
ミラの内にある自信を前提に置いたとしても、それでも完全なる勝利が簡単ではないと分かっていた……か。
「……その、ミラのその口ぶりを思えば、アギトにはもう頼れない……あの力は乱用すべきではない……のですよね。とすると……貴女の言う次とはつまり……」
私達だけで……本来持っているミラの力とユーゴの力だけで、あの魔女を完全に倒してしまう……には、果たしてどうするべきか、と。そう言いたいのだろうか。
「そうネ。さっきも言ったけど、アギトのあの力は、そもそもが不安定さを悪用しただけのものだかラ」
「使えば使うだけ、アギトって存在は希薄になる……ってのが、使わせたくない理由」
「だけど、根本的な問題として、アレはもう発現しないだろうって問題もあるワ」
「……? 発現しない……使おうと思って使えるものではない……ということでしょうか?」
私の問いにミラは小さく頷いた。
そんなミラに、アギトも少しだけ険しい表情を向ける。
やっぱりそうだよな。と、寂しげに呟きながら。
「何回もくどいようだケド、アギトはそもそもただの一般人……世界を滅ぼす力なんて持っていられるような人間じゃない……いえ、人間にそんな力が備わること自体がおかしいのヨ。それに……」
「……あの力は、一回棄ててる筈のものでしたから。自分の中にまた帰って来たこと自体、俺も驚いたくらいですよ」
そ、そうなのですか?
一度は棄てた……廃棄した、諦めた力……とは、しかしイマイチ実感の湧かない言葉だ。
ただ、彼はその力を是としなかった……のだろうことはたしかなのだな。
そして……なんらかの方法でそれを破棄した。
魔術的な要素であれば……たとえば、魔術式そのものの破棄――式への介入による儀式の不成立を引き起こせば、人為的に破壊することも可能だろう。
あれがそういうものだったのかは定かではないが。
「……しかし、また使えるようになった。であれば、その要因となったものを特定さえすれば、もう一度取り戻すことも可能なのではないでしょうか?」
「もちろん、それをすべきではない……と、危険なものであるとは認識していますから、頼るようなことはしたくありませんが……」
だが、まったく無いものだと考えるには、あまりに大き過ぎる力だった。
無貌の魔女をあれほど圧倒するだけの能力ならば、なんとかして安定させる……アギトの身の安全を確保しながら運用する手段を考えたいところだが……
「……いえ、アレが戻って来た理由はもう分かってるんです。でも、その上でもう無理かな……って」
「……理由は分かっている……しかし、それには再現性が無い……ということでしょうか?」
私の問いに、アギトは残念そうに頷いた。
そして……どういうわけか、その顔を私でもミラでもなく、ユーゴへと向ける。
ええと……その理由は、ユーゴにあった……と?
「あの力が発現したのは、アギトじゃなくてアキトの方……もうひとつの世界に生きてる方だったのヨ」
「さっきも話したわよネ。あの平和な世界において、アキトはアギトとしての因果によって――複数の世界を渡り歩き、死を超越した存在としての因果によって、災厄としての完成を迎えたっテ」
「……はい。その……自身の無力さに嘆きながら亡くなり、その強い後悔から……」
人ではないものの強さに焦がれ、自身を人の領域から逸脱させる力を手に入れた。
ミラは先ほどそう説明してくれた。
そんな私の返答に、アギト本人は目を丸くして驚いていた。
そうだったの……? と、そんなことで驚いているのではあるまい。
その話もしてしまったのか……と、少しの不安や恐怖心も混じった驚きが……
「……そ、そうだったのか……いや……うん……まあ…………言われてみると、あの時たしかにそんなことを考えてたような……?」
「っ⁈ あ、アギト自身はそれを把握していなかったのですか……」
そんなことで驚いていたのですか……
しかし、その驚きの内容自体はどちらでも良い。問題はそこではなくて……
「アギトとアキトはまったく違うものってわけじゃなイ。でも、同じものでもないワ」
「アギトの中には、力を呼び覚ますほどの強い後悔が存在しないノ。魔王との戦いの記憶はあっても、それはとっくに過ぎたことでしかないしネ」
「だから、あの力が再現されることはあり得ない……筈だったんだケド」
「……筈だった……しかし、現実としては起こってしまった。その理由が……」
私は言葉を最後まで言わず、なんだか困った顔の……理解が追い付いていなさそうな顔のユーゴへと向けた。
それを追うようにアギトもミラも彼を見て……そして……
「……? お、俺……? 俺がなんかしたのか……?」
「アギトにとっては一大事だったのヨ。もちろん、そうでなくても特別な存在で間違いないんだけどネ」
ユーゴはまさか自分に理由があるとは思っていなかったようで、珍しく慌てたり驚いたり、冷静さを欠いていた。
私がなんとなく話を理解しかけている中で彼がこうも掴みあぐねているのは、彼の中に魔術に対する知識が無いからだろう。
いろいろと、ミラの話は魔術を前提にしたものが多かったから。核心を紐解く以前のところで詰まっているのだ。
「ユーゴの在り方、その強さは、“アギト”にとっての理想だっタ」
「能力を付与されないまま召喚され、常に私に守られながら旅をして、最後には力が無かったが為に命を落としタ。そんなアギトにとっての、ネ」
理想と真正面からぶつかることによって……あの時、あの林で戦ったことによって、アギトの中にも後悔が――その力を捨てなければ良かった、特別でいることをやめなければ良かったという後悔が生まれた。
だから、力が呼び覚まされた……か。
「だけど……同時に満足もしちゃったのヨ、バカアギトだもノ」
「戦ってる最中にはその強さに焦がれて後悔もしタ。でも、終わってみたら自分の弱さにも満足しタ」
当たり前なんだけどネ。と、ミラはそう言って、まだ頭を撫でようとしていたアギトの手に噛み付いた。
その姿は、なんと言うか……まるで本人のようになんでも分かっているような口ぶりだが、アギト自身はどう思っているのだろう。
もちろん、違うのならば反論しているだろうから、その通りなのだろうが……
「とまあ、そんなわけだかラ。もう一回戦う時には、バカアギトの力には頼れないワ。その上……」
「……目論見通り、魔女には死の恐怖を刻み込んだ」
「だから……今回よりもずっとずっといろいろ考えて、準備して、死にたくないって思いで本気で殺しにかかってくる……と思います」
え……? え、ええと……?
アギトの力に頼れない……のは分かった、話の流れからも当然のことだろう。だが……
目論見通り。と、アギトはそう言った。
それはきっと、ミラと話し合った結果の目論見だろうことから、彼女の中にも同じ答えがあるのだろう。
だが……うん?
「つ、次に戦う時には、今までよりもずっとずっと手ごわくなっている……と?」
「そ、それを予測しながら、今回の作戦を立てたのですか……?」
こ、困ってしまうではありませんか……
しかし、アギトもミラもそんな表情は見せず、むしろ前向きな……勇敢な面持ちで私を見た。
そ、その自信はどこから……
「そうネ、今回よりもずっとずっと厄介な敵として表れるでしょウ。でも、それでやっと話が始まるのヨ」
「そもそも魔女って存在は、人間と比較出来る次元にいませんから」
「戦って倒そうと思ったら、今回みたいにこっちがおかしなことになっちゃうか、向こうをおかしくしてこっちまで引きずり降ろさなくちゃならない……って、ユーザントリアにいる時からずっとそう思ってました」
魔女を……引きずり下ろす……? それは……ええと……
「死にたくない、だから準備する。これは人間なら当然のことです」
「人間は魔獣より弱いですし、普通の獣相手にも素手じゃ負けます」
「勝てる人もいるけど、そういう人は勝てるまで努力した……準備をしたってだけですし」
「魔女にはそれが――人間を相手に怯える要素が無イ。そして、怯えが無ければこっちに勝ち目は無いノ」
「虫を踏み潰すだけなら、躊躇も不安も無いデショ?」
まともにやり合ったら、生き残るのが精いっぱいヨ。と、ミラはそう言って……その上で、にやりと口角を釣り上げた。
な、なんだか悪い笑顔だが、いったい何を企んで……
「だけど、その虫が猛毒を持ってると知ってたらどうかしラ?」
「踏み潰すにしても、底の厚い靴を準備するデショ? そして、万が一にも噛み付かれないように、絶対に目を背けないわよネ」
「何も考えずに踏まれたってこっちはそれで死んじゃうのに、無駄に警戒して無駄な集中をして……そして、無駄の多い手段を選ぶ」
「生き残るんじゃなくて倒す、その為には……」
まず、付け入る隙を作る必要がある。
アギトとミラは声を揃えてそう言った。
ただ戦ったのでは、どうあっても勝機などは存在しない。
まずは、魔女にこちらの刃がその喉に届き得るものだと思わせる必要がある……か。
「今回の件で、魔女はまず俺に警戒しなくちゃいけなくなりました。ミラでも、ユーゴでもなく、俺に」
以前、魔女はユーゴをも圧倒してみせた。
その事実からも、この世界でもっとも強いという彼の特性すらをも凌駕する存在なのだ……と、そう考えるべきだ。と、アギトはそう付け足して、そして……
「俺が囮になって、ユーゴとミラの力で倒す。隙なんてそうそう作らないだろうけど、ふたりなら絶対にその瞬間を逃さずに仕留められる筈です」
アギトの言葉に、ミラはこくんと頷いた。
それからふたりは視線をユーゴへと向ける。
それを受けて、ユーゴも小さく頷いた。
私はそんな三人を見て……




