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異世界天誓  作者: 赤井天狐
第三章【たとえすべてを失っても】

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第三百四十三話【魔術師、魔女、魔人】



 龍は消えた。

 割れた地面は元に戻っていた。

 雨はもう降っていなくて、地面も渇いたまま――濡れた形跡も、魔女の溺れていた小さな海も、どこにも存在しなかった。


 私達は何を見ていた。

 何を見せられていた。


 幻なのか、それとも現実なのか。その区別もまだついていない。


 ただ……ただひとつ、目の前にははっきりしている事実がある。


「――アギト――っ!」


 その名を叫んだのはユーゴだった。

 その声に、私の身体もようやく動くという機能を取り戻す。

 ただ立ち尽くして呆然とするだけだった私も、やっと彼のもとへ――地面に伏したアギトのそばへと――


「――――九頭の龍雷(ヒドル・ヴォルテガ)――――ッ!」


「――っ。み――ミラ――ッ⁈ 何を――」


 アギトは無事か――と、心配の一点だけで駆け出した途端、ミラの声が……魔術の言霊が聞こえた。

 それは、強大な雷を発生させる魔術――攻撃意思だった。


 慌てて声の方を振り返れば、もう雷電は撃ち放たれていて、光も音もとっくに通り過ぎた後だった。

 光も、音も、規格外のあらゆる事象も――


「――ちっ。こんなになってもまだ魔力は打ち消されるのネ」


「魔力……っ! まさか――まさか、魔女はまだ――」


 高い攻撃性のある魔術を行使したばかりのミラが睨み付ける先には、無貌の魔女の姿が――――手足を捥がれ、腹を食い破られ、喉を掻き切られて、首だけになってなおうごめいている魔女の姿があった。

 まだ……まだ生きて……


「……物理的に叩き潰せば死ぬ……んでしょうネ。普段はどうか知らないケド、今に限っては間違いなく」


「……っ」


 殺す。

 魔女を殺す。

 この場で、今殺す。


 ミラはそんな覚悟を言葉にして、その首の転がる方へとゆっくり近付いて行った。


 高い警戒心が窺えた。

 当然だ、相手はあの魔女なのだ。

 首だけになろうとも、あの魔法という力が使えなくなったとは限らない。

 殺そうとした瞬間にどんな反撃があるか分かったものではないのだ。


「……直接的な恨みは無いケド、私はアンタを殺すワ」

「何も、自分を正義だとは思ってなイ。ただ、アンタと私達の守りたい正義は、どうやっても相容れないのヨ。だから戦っタ」

「そして……勝ったのは私達――――アギトだっタ」


 ミラはどこか穏やかな声色でそんなことを魔女に告げ、そしてついにはその首を足蹴に出来るところまで辿り着いた。


 魔女は……どんな顔をしているのだろう。

 もちろん、無貌の魔女なのだから、表情などが窺える筈は無い。

 ただ……どんな思いで、今この瞬間を過ごしているのだろうか。


 死が恐ろしいだろうか。

 先ほど、魔女は生への渇望を――執着を見せた。

 アギト……の力だったのだろう何かに襲われながら、死にたくない……と、そう望んでいた。


「……恨むなら私を恨みなさイ。そういうのも全部背負う覚悟があるかラ。だから、勇者を名乗ってんだもノ」


 魔女は何も言わなかった。言えなかった。

 喉を掻き切られているから……というのは関係無いのだろう。

 水の中に沈められても、その声は聞こえていたのだから。


 では……もはや、命乞いをする気力すらも果てて――――


「――――困ります――困ります困ります、殺されては困りますぅ――はぁい――――」


「――っっ! 誰ダ――っ!」


 抵抗すら出来ない魔女をミラが踏み潰そうとした時、まったく聞き覚えの無い声が聞こえた。

 一度として聞いたことの無い、知らない男の声。

 軽薄そうな――困ると言いながら、誰かが殺されるかもしれないという瞬間を、さして重要になど思ってもいなさそうな――


「――殺されては困ります、私の大切な友人ですので。はい」

「この場はどうか、私に免じて、どうか、見逃してはいただけませんでしょうかぁ。はい」


 声のした方は……分からない。分からなかった。

 どこから聞こえたのか分からなかった……のもそうだが、周囲を見回してもその存在が見当たらなかったからだ。

 その瞬間までは――


「――――っ! こいつ――いつの間ニ――っ⁈」


「いえいえいえ、先ほど、つい先ほどです。はい」

「友人の命に危険が迫っていると知りましたので、大慌てで駆け付けましたところでございます。はい」


 それにいち早く気付いたのは、やはりミラだった。

 そんな彼女がどこかを向いて短剣を構えたから、私達も続いてそれを発見出来た。


「それにしても……ひどい! ひどいひどいひどい! 非道なことをしますね! はい」

「大切な友人をこんなにされては、私もどんな顔をして良いか分かったものではありませんよ。はい」


「――っ⁈ な――魔女――」


 発見して――その男の姿を目で見て、認識して、理解する頃になってようやく、それが腕に抱いているものが何であるかを把握した。


――男の腕の中には、貌の無い魔女の顔が抱かれていた――


「それにしても……よくもまあ、これほどのことをしてみせたものです。はい。それにつきましては、ただただ感嘆するばかりでございます。はい」


 ずいぶんと古い、今の王政が出来上がるよりも更に前の時代の、この島に残されていた民族の衣装に身を包んだ男だった。


 ただものではない……と、その外見は関係無く、これまでに起こった事実のみから私もそれを悟った。

 この男は魔女を友人と呼び、ミラの目を――感覚を掻い潜ってこの場所に現れ、そして魔女の首をさらったのだ。


 ひとつ――私の頭の中に、たったひとつの最悪の可能性が浮上する。


 ミラの感知能力を掻い潜れるものなど、この世界にはそう多く存在しないだろう。

 これまでに見た彼女の活躍を思えば、それは決して過剰な評価ではない。だが……


 一度――たった一度だけ、彼女が後れを取った場面を知っている。

 転移、転送。と、彼女がそう呼んだ魔法――それによって出現した敵――――ゴートマンの急襲によってのみ、彼女は――――


「――まさか――――まさか、もう――――」


 アギトとミラが懸念していた可能性――魔女によって新たな魔人が生み出されてしまう危険性が――それが現実となったものが、目の前のこの男なのではないのか――


「それにしても……不思議な感覚ですね。はい。私は普段から、こうも大勢の前に立って話すことなど無いものですから。はい」

「これほど注目を浴びるというのは……はい。緊張すると言いますか。はい」


 喉の奥に渇きを感じる。

 もしも……もしもこの男が魔人ならば――魔女の力を授かった、ゴートマンに続く脅威なのだとしたら。


 私達は……ミラは、果たしてどれだけ抵抗出来る。


 もちろん、あのゴートマンには勝利している彼女ならば、勝つことも可能かもしれない。

 しかし……それはあくまで、彼女がひとりだったら……の話だ。


 思い浮かんでいたのは、ヨロク北方の林を――かねてより何かがあると危惧していた場所を、ミラと共に調査に訪れた時のことだった。

 あの林の奥には、ミラですら計り知れない実力の魔術師が――――


「……っ。その魔女の友人……だとか言ってたわネ。何者ヨ。返答次第では、多少は手加減してやってもいいワ」


「ひっ⁈ そ、それはつまり、どんな返答をしたとしても、これから私をボコボコにする宣言……ということではないでしょうか……はい」


 ミラもその可能性を危惧しているのだろう。


 男からはそれほどの脅威を感じない――魔女から感じたような異様さも無く、魔獣のような規格外の肉体があるわけでもなく、言動や行動から強い意志をにじませるでもない。

 それでも、可能性はある……と……


「……ごほん。それでは……はい。僭越ながら、名乗らせていただきます」

「私はこちらの方の友人で……ええと……はい。そうでした。無貌の魔女……と、名をいただいたと、大変うれしそうに語っていましたので、私もそう呼ばせていただいているのですが。はい」

「皆様はこちらの方の名前をご存じでしたでしょうか。はい」


「僭越だなんて思ってるんなら、さっさと名乗りなさイ。ごちゃごちゃうるさいと、喋ってる途中でも叩き潰すわヨ」


 ひっ。と、男はミラの脅しに怯えた表情を浮かべ、情けない悲鳴を漏らした。

 危険な魔人ではない……のだろうか。

 いいや、こんなしぐさひとつでそれを断定するわけにもいかないが、しかし……これだけ警戒したミラを前には、たとえどんな力を持った魔人でも……


「――ごほん。では改めまして――私は“ゴートマン”と申します」

「かつてはそれなりに大きな家に住んでいたこともあります、貴族として暮らしていたこともあります」

「どうか、そんな私に免じて、この場は穏やかに帰らせていただけませんでしょうか。はい」


「――っ。ゴートマン……なるほど、お前も魔人の集いだったのネ。もっとも、それとつるんでた時点でそうだろうとは思ってたケド」


 っ。ゴートマン……あの女魔術師と同じ名を名乗る魔人……か。

 それを聞けば、ミラは先ほどまでとは違う構えを――動向を探る警戒のものではなく、攻撃の機を窺うような、更に低い姿勢へと構えを変えた。

 だが……


 そんなミラを前に、男は……新たなゴートマンは、小首をかしげて不思議そうな顔を浮かべた。


「……? 魔人の集い……ですか。それは……申し訳ありません。はい」

「いえ、存じてはおります。そういうものがあると存じておりますし、関わりがまったく無いというわけでもありません。はい。ですが……」


 ですが……と、男は困った顔で言葉に詰まって、ううんと頭を抱えてしまった。

 もっとも、両手で魔女の頭を抱えて持っているから、そういうしぐさをしようとした……に過ぎないのだが。


「……はい。ええと……はい。貴女達の思い浮かべている魔人の集いという組織のゴートマンと、私とは、違うもの……だと認識していただきたいのです。はい」

「彼らは組織に属するものという意味で、その名を口にしていますので。はい」


「……お前は魔人の集いに属しているわけではない……って、そう言いたいのかしラ? ずいぶんくだらないこだわりがあるのネ」

「こっちからすれば、どっちも叩き潰さなくちゃならない邪魔者ってことで変わりないんだケド」


 ひぃ。と、男はまたミラの言葉に怯えた態度を見せて、魔女の首を隠すようにこちらへ背中を向けた。

 そうしたまま、ぶるぶると小さく震えながらまた顔だけをこちらへ……ミラへと向ける。すると……


「……その……ですね。はい。どうか、見逃してはいただけませんでしょうか。はい」

「先ほども申し上げました通り、私は貴女達の知る他のゴートマンとは違いましてですね。はい。争いや諍いを好みませんので。はい」


「……悪いけど、それを置いて行かないならそんな要求は飲めないワ。私達の目的は、それを完全に排除することだもノ」


 ひいぃ。と、男はもう何度目かも分からない悲鳴を上げて、ついには首を抱き締めて完全に向こうを向いてしまった。

 こうまで怯えながらも、ここまで必死に魔女を庇い立てる……とは。もしや、本当に特別な友人で……


「どうか……どうか、このまま帰らせていただけませんでしょうか。はい。なんだっていたします。はい」

「そうです、この場で皆様を“殺さずに”帰りますので。はい、はい。それでいかがでしょうか。はい」


――っ。


 びり――と、緊張感が全身を痺れさせる。


 いけない、腑抜けていた。

 こんなにもあからさまな演技に引っかかりかけていた。


 男は悲鳴を上げて、弱々しい態度で、情けない表情で、まるでこちらに譲歩を求めるような口ぶりで。

 けれど――紛れもない殺意をついには隠すのをやめた。


「……すう。悪いケド――猿芝居で加減なんてしてやらないわヨ――――ッ!」

万雷の喝采をヴィクトル・エル・ドラーフ・ヴォルテガ――――ッッ!」


「――――ひいいぃぃいッ⁉」


 パ――――と、甲高い破裂音が聞こえて、それから強い衝撃が私達を――ミラの周囲を襲った。

 言霊を聞く限りでは、どうやら強化魔術の――その発展形のようだ。

 そして――――その出力は――――


「――っ。これが――ミラの全力――――」


――――とてもではないが計り知れない――――っ。


 今までに何度も見た彼女の強化魔術とは、とてもではないが似ても似つかない。

 肉体への強化だけではなく、周囲への影響も甚大なものだ。


 ミラの身体にはまっすぐに見ていられないほどの眩い雷光が纏わり、まるで空気を切り刻み続けているかのような雷鳴も絶え間無く響き続けている。

 彼女が立っているだけで周囲の空気はびりびりと震え続け、足下の小石などは何をされずとも砕けて砂になって――――


「――――一撃で――仕留める――――」


「――ひ――――ひぃいいい――――っ」


――そして――ミラの姿が消えた――


 たった一歩――なのだろう。踏み出したのだ。

 とてつもない衝撃を伴って――立っていた地面を大きく抉りながら、彼女は最大の一撃を放つ為に一歩を踏み出し――――


「――ひぃい――っ。そ、そんなにもバチバチしていたら、ぶつかるだけできっと感電死してしまいますぅ。はいぃ。ですので――――」


「――――っ⁈ な――――」


――――そして――――私達の目の前に戻って来た。


 とても目で追える筈の無い攻撃が繰り出されるだろうその瞬間に、ミラは私の目でも捉えられる程度の速さでゴートマンの目の前へと飛び出して……


「――大変、大変大変優秀な天術師どのですね。はい」

「ですが……はい。それを人に向けるなど、あぶないことはあまりしてはいけませんよ。はい」


「――――コイツ――――」


 ミラはゴートマンに触れることも無く――ゴートマンがミラに触れることも無く、彼女の小さな身体はそのまま地面へと真っ直ぐに叩き付けられた。

 見えない何かに上から踏まれてしまったかのように、一瞬で。


「それでは、約束通りに。はい。皆様を殺さない代わりに、この場を見逃していただきますね。はい」


「――――っ。げほ――ま――待ちなさ――――」


 思い切り叩き付けられてまだ息も苦しそうなまま、ミラは男の声に慌てて身体を起こそうとした。けれど……


 そこにはもう、男の姿は無かった。当然、魔女の首も残されてはいなかった。

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