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異世界天誓  作者: 赤井天狐
第三章【たとえすべてを失っても】
343/544

無題



――――違う――――


 違う――違う違う――――違う――――ッ!


 そうではなかった。そんな予定ではなかった筈だ。


 そんなこと聞かされていなかった、そんなことあるとは思っていなかった。


 そんなこと――こんなことがあり得るなんて、考えられる筈も無かった――――


「――ぁ――ト――――っ」


 声が――言葉が口から出て行かない。

 彼の名を呼べない。

 嘘だ――と、感情的に喚くことも出来ない。


 何も――


 次第にそれへと焦点が合わさっていくのが分かった。

 真っ赤な血だまりが出来ていて、そこに見覚えのあるズボンを履いた人間の下肢が転げていて、そして――


 声が聞こえた。

 まだ声変わりも手前の、少年の声だ。

 少年が誰かを――――そこに倒れてしまった誰かの名前を呟く声が聞こえて――――そして――――


「――不思議な、個体が、ありますね」

「これまでに、見た、どの、人間の、個体よりも、マナとの、親和性が、高い。不思議な、個体が、ありますね」


 忌まわしい音が――魔女の声が耳に届いた。

 それは既に、興味をミラに――ミラだけに向けているようだった。


 それがどこを向いているかも分からない。

 それが何を見ているかなど分かる筈も無い。


 けれど、それが何に興味を持つかなどは、ここへ来る前からはっきり分かっていた。


 不思議な、特別な、稀有な、優秀な。あらゆる言葉で飾ることの出来るたったひとりの存在。

 天の勇者、ミラ=ハークス。


 魔女ならば――魔術を、魔力を知る魔女ならば、彼女を特別視しない理由など無い。それは分かっていた。

 そしてその上で――特別であると知られ、初めから壊すつもりで掛かられてもなお、生き延びる力があると――彼女にならば――――彼女にだけはあるのだと信じて――――


「――――アギ――ト――――」


 違った筈だ。

 そうではなかった筈だ。

 こんなつもりではなかった筈だ、こんな予定は無かった筈だ。


 そこにはまだふらついたままの姿のアギトがいて、私と共にミラの戦いを不安そうな顔で――あるいは勝利を確信した顔で眺めている筈だった。

 それだけの筈だった。


 それしか出来ない筈だった――のに――――


 声が出ない。

 絞り出したたったひと言を――彼の名を最後に、私の喉からは力が失われてしまったようだった。


 どうして止めなかった、どうしてこんなことを許可したと、ミラにそれを問い詰めることも出来ない。


 どうにか踏みとどまってと、その悲しみから――絶望から――二度目の最悪から目を背けて逃げてくれとユーゴに懇願することも出来ない。


 何も――何も出来ないで――――何も出来ないのは私だけではなかった筈なのに――――


「――――ちゃんと見てろって言っただろ――ユーゴ――――」

「目を背けるな、茫然とするな、考えるのをやめるな」

「それが――君のやらなきゃならないことだ――――」


「――――え――――?」


 声が聞こえた。

 そして――それと同時に、まだ焦点がどこにも定まっていない私の視界が、鮮明な光景を映し始める。


 突然のことだった。

 何度か瞬きをしただろうか、それもせずに見開いたままだっただろうか。

 そんなことも分からないくらいのわずかな間に、目の前の景色が――ずっと見ていた筈の場所が、あっさりと塗り替えられて――――


「――? 不思議な、ことが、起こりましたか?」

「魔力に、乱れは、無く、また、生体の、反応に、不可解な、変化も、ありません」

「しかし、不思議な、ことが、起こった、ように、思えます」


「不思議――か。そっか、お前もそんな風に思うんだな。魔女でも――魔法なんて使う不思議の代名詞みたいなやつでも」


 そこに赤色は無かった。


 赤色を含んだような明るい土色や、人の肌の向こうに透ける血潮の赤らみはあれど、鮮血の色はどこにも――


 そこに結果は無かった。

 私が見た――筈だった――最悪の結果はどこにも無かった。


 けれど――


「――ユーゴ。もう一回だけ言うよ」

「よく見て、反面教師にするんだ。君はそれをしなくちゃならない。君にはそれをする義務がある」

「それをしないと……どうなるか……って。それを僕が見せるから」


「――アギ……ト……?」


 私の目は、アギトの背中を捉えていた。

 はっきりと像を結んで、ぼやけることのない視界の真ん中に、彼の姿を捉えていた。


 理解など出来る筈が無かった。

 ただ……安堵はした。

 先ほど見た光景は、私の勘違いだったのだな――と。

 勝手にそんな解釈を――簡単な答えを当てはめることで、不理解に折り合いを付けようとしてしまっていた。


「不思議な、個体が、あります。ですが、それは、こちらの、人間の、幼体の、女性と、分類され、呼ばれる、個体です」

「しかし、不思議な、ことが、起こりましたか?」

「人間の、途上の、個体は、上体を、失っても、生存が、可能だと、そのようには、学習して――――」


――うるさい。と、彼はそう言った。

 まだどこか震えた声で、怯えた声で、魔女の言葉を遮った。

 そんな彼の姿に、魔女は首を傾げたように見えた。


「ごちゃごちゃうるさい。一個だけ質問するから、それにだけ答えろ。変なこと言うな、喋るな、人間みたいにするな」


 質……問……?

 次にアギトの口から飛び出したのは、これもやはり突拍子も無い言葉だった。


 しかし……かつては私も同じことをした。

 対話を試みて、あるいは和解が可能であったりはしないか、と。そんな希望を模索した。

 だが……


 彼の中にそんな意思が無いことは明確だった。

 不用意に言葉を介するな。人間のように振る舞うな。さもなくば――と。


 どんな顔をしているのかは見えない。

 どんな感情が――想いが、覚悟があるのかは分からない。


 ただ……その後に続く言葉だけは、どうしてかはっきりと頭の中に浮かんでしまった。


 さもなくば――殺したくなくなってしまう――


「――お前、どうしてみんな殺したんだ。ゴートマンに頼まれたから――だけか?」

「どうして、どうして――どうして全部奪う必要があった。どうして――ユーゴをあんなに悲しませた――っ」


 理解出来ない心情がそこにはあった。

 そして、その心情からは更に遠い、理解し難い問いが投げかけられた。


 アギトは怒っている。

 間違いなく、魔女に対して怒りを向けている。

 ただそれは、彼の中だけから発生したものではない。


 義憤――ユーゴの為に、誰かの為に悲しんで、その結果に生まれた怒りだった。


 けれど、彼は同時に、魔女に対して憐みの感情を向けている。


 殺したくないと、そう思ってしまいかねない。

 人間のようなしぐさを見せられては、情が移ってしまう、と。


 何もかもが理解出来なかった。


 先ほど見た光景はなんだったのか。

 アギトは殺されていなかったのか。

 殺されたのは――身体が無くなっていたのは、彼ではなかったのか。

 それとも、その事実そのものが存在しなかったのか。


 彼は何を想っているのか。

 魔女を殺す――と、明確な殺意をどこから生み出したのか。

 恨みが先なのか、怒りが先なのか、憐みが先なのか。

 そして――それを失いたくないと――失いかねない程度の淡い動機で、どうして彼はあんなものの前に――――


「――っ! アギト――っ!」


 ユーゴの声が聞こえた。

 彼の名前を叫ぶ、悲痛な声だった。


 そして――――また、私の視界の真ん中に、真っ赤な色が飛び散って――――


「――? 不思議な、ことが、起こりました。不思議な、不可解な、不自然な――――」


「――――質問に答えろよ」

「変なこと言わなくていい、分かんないままでいい。質問にだけ答えろって、さっきそう言っただろ」


 また――消えて無くなった。


 瞬きをしただろうか。

 私は、瞼を一度閉じて、それを開いただろうか。

 意図せず、生体の反射行動として。たった一度だけ、わずかな間だけ、瞼を閉じてそれから目を背けただろうか。


 また――アギトの身体が無くなったように見えた。

 けれど、そんなことはなかった。


 彼は無事に立っているし、血飛沫も舞っていない。

 誰も怪我などした様子は無いし、誰かが殺されたわけでも――――


「――答えろ――僕の――俺の――アギトの――俺の――――俺達の――――質問にだけ答えろよ――――」


 声が聞こえた。

 けれど――それは知らぬ声だった。


 そして、ひとりだけの声でもなかった。


 なのに――――それがアギトの声だと――――魔女と向き合い、たった一歩を小さく前に踏み出した彼のものだと、それだけは理解出来た。


「質問に――――」


「――っ。不思議な、ことは、起こさせない」

「人間の、個体は、血液を、一定量か、あるいは、重大な、臓器を、損失すれば――――」


 バチャ――と、また水の跳ねる音が聞こえた。

 そして……私の目は、ついにその光景をはっきりと捉えてしまった。


 アギトの胸に大きな穴が開いて、そこからとめどなく血が噴き出して――――


「――――答えろよ――――」


「――――っ! 臓器を――心臓を――損失して――いるのに――――」


――――などいなかった。


 瞬きをしたら、アギトの背中に開いた穴は消えてしまっていた。

 血などは一滴も出ていてなくて、ケガすらもしていなくて、それで……


「――――質問に――――」


「――っ。人間の――個体で――間違いは――無いように――――」


 アギトは一歩――また一歩と魔女へと迫って行く。

 無防備に、今にも殺されてしまいそうな格好で、何も出来ないまま。

 彼はゆっくりと――後退りを始める魔女を追って、一歩一歩前へと――――


「――――答えないなら――もういいよ――――」


 アギトの声に――言葉に、行動に、魔女は更に大きく一歩後退した。

 そんな魔女に向けて、アギトは右手を向ける。

 手のひらを開いて、まだ遠い魔女の胸ぐらを掴むように。


 だが――


 彼が手を前に出した途端に、また血飛沫が舞った。

 そして、アギトの腕は――右腕は、肘の手前から丸く切り取られ――――


「――お前――怖いって思ったことないだろ――――」


――ずに、千切れずに、何も無かったように、その手はまっすぐに魔女の喉元を指差した。


 それが何かを起こすわけでもなかったが、ただ――明確に何かが起こっている――――魔女の起こす理不尽よりも理解し難い何かが起こされて――――


「――――だったら――僕が最初の――――最後の恐怖だ――――」


 アギトの腕が千切れた。

 けれど、瞬きをする間にそれは無かったことになった。


 アギトの胸に穴が開いた。

 けれど、瞬きをする間に無かったことになった。


 首が千切れた、肩から先が消えた、上半身が無くなった、アギトという人間そのものがこの世界から消え去った。

 けれど――――


 アギトの腕が千切れて――いない。

 身体に穴が開いて――いない。

 首が、肩が、上体のすべてが、全身が――魔女の攻撃によってこの世界から切り離されて――――いなかった。


 気付いた時には――――気付くよりも前に、起こったすべてが無かったことになって――――

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