第三百三十六話【可能性を引きずって】
馬車の中は普段と変わらない様子だった。
いつも通り、ユーゴが外を見ていて、ミラは周囲を警戒しつつもリラックスしていて。
それにアギトも、腕や背中をさするようなしぐさを見せることこそあれ、特別気負った感じは見せない。
私以外は皆、強い緊張状態には陥っていない様子だった。
「……ふう。どうにも……考え込み過ぎてしまっているのでしょうか……」
ユーゴが楽観的な姿勢でいるのは、きっと魔女と出会う前には引き返すだろうと考えているから……だろうか。
あるいは、これもやはりいつも通りに、心境を周りに悟られたくないから……だろうか。
彼とて魔女は恐ろしい筈だから、戦うとなれば気楽になど構えていられまい。
ミラは……魔女そのものに対して、警戒心こそ抱いていても、悪いイメージを……敗北や死の恐怖といったイメージを持っていないのかもしれない。
以前に別の魔女と遭遇し、二度生還していると言うから、少なからず自信を持っていることはたしかだろう。
それで……アギトはどうして、こんなにも平然としていられるのだろうか。
「……その、アギト。身体は本当に大丈夫なのですか? まだどこか痛むのなら、すぐにでも引き返して……」
「い、いえ、大丈夫です! ご心配には及びません!」
いえ、及びます……
今日魔女と戦わなかったとしても、何かあってアギトの離脱が長引けば、それだけ作戦を展開しにくくなってしまうだろう。
調査についても、また期限を延ばさなければならないし。
「……陛下。アギトはこれでマーリン様の教えを受けたものですかラ。多少の障害であれば難なく乗り越えてみせまス」
「もちろん、これから現れる障害が、多少の内に含まれないことは事実ですガ……」
「……ミラ……それを分かっているのなら、どうして貴女から止めていただけないのですか……」
申し訳ありませン。と、ミラは小さく頭を下げて、けれど考えを改めるつもりは無いと言わんばかりの面持ちで私を見ていた。
もしかしたら、私の考えが甘いのだろうか。
アギトもミラも、第二のゴートマンが……いいや、第二第三、それ以上の数の魔人が現れることを、魔女そのものよりも圧倒的に大きな脅威であると認識しているのだろうか。
私にとってのあの無貌の魔女は、考え得る中でもっとも危険な存在……最悪の事象だ。
その思いと苦い記憶が、私の思考を阻害してしまっているのだろうか。
「……ユーゴ、貴方は……」
「なんだよ、もう決まったことだし、こうして出発してるんだから。今更変わんないだろ」
いつまでもぐちぐち言ってんな。と、ユーゴはちょっとだけ呆れた顔でそう言った。
う……ごもっともと言わざるを得ない。
私はこの馬車の……この部隊の、友軍を指揮する立場にある。
それがいつまでも優柔不断にうろたえていては、全体の士気に差し障るというもの。
いえ、全体と言っても、この馬車の中の私達と、それから後方の馬車にヘインスを始め十数人いるだけですが……
「……すんすん……それにしても、魔獣の気配を感じませんネ。ユーゴ、前に来た時にはどうだったノ? もっといタ?」
「……そう言えば、最初に出た時にはずっと魔獣と戦ってたな。もしかして、結界ってのが張られたのは割と最近なのか?」
「いや……でもそうか。ヨロクの周りで魔獣が減ったのも、カストル・アポリアに行った後だったから……」
そう言われてみれば……と、今更になってまだ馬車の中にユーゴもミラもいることに気が付いた。
ふたりがまだここにいる……外で魔獣と戦っていない事態に、ようやく気が回った……が、正しいだろうか。
「結界が展開されたのは、私達が一度目の遠征に出た日の前後……ということになるでしょうか。では……」
「術者はまだ近くにいた……かもしれないですネ」
「もっとも、それからはずいぶん日が経ちましたかラ。今もまだこの近辺に潜んでいる……とは考え難いですガ」
っ! もしかして……と、頭の中に浮かんだのは、ひとりの男性の顔だった。
魔術を使えるかどうかは不明だが、魔獣と――魔女との関係は間違いなく深いであろう人物。バスカーク=グレイム伯爵だ。
「……伯爵はあの日、私達の後を追って……私達を助ける為に、フーリスまでやって来てくださっていた……と、そう考えていました。しかし……」
もしかしたら、伯爵は解放作戦の手伝いを、情報収集以外の面でもやってくれていた……のではないだろうか。
いいや、違う。情報収集をしながら、更に別のこともやっていた……と。
「コウモリを飛ばして……と言っていましたが、そのコウモリが彼自身の一部だったとすれば。そして、一部ではなく伯爵自身が調査に訪れていたとして……」
その途中、魔獣の多さに私達を心配してくれて、魔獣除けの細工をこの近辺に施してくれていた……とか。
そうしてフーリスへ滞在している時に、魔女の気配を察知して……
「……フィリア。いくらなんでもそれは妄想でしかないだろ」
「バスカークは頭のいい奴だったけど、魔術が使えるならそれをわざわざ隠したり、報告せずに何かしたりする理由も無かった」
「まあ……アイツなら何か仕込んでてもおかしくないとは俺も思うけど、思い込みでいろいろ決めるのは良くない」
「うっ……そう……ですね。すみません」
妄想……か。そうだな、まったくその通りだ。
伯爵やジャンセンさんを――失ってしまったものを大きく考え過ぎてしまっているかもしれない。
彼らならば、彼らさえいれば……と、これでは縋り付いているのと変わらないではないか。
「女王陛下。その……僭越ながら申し上げますが、話に伺っているバスカーク伯爵とは関係無い結界かと思われまス」
「と言うのも、この近辺に作用している結界の精度は、並大抵の術師のそれとは格が違いますかラ」
「もしもこれだけの力を持っているのならば、自らの所在にも身隠しの結界を展開するでしょウ」
それはつまり、私達が出会っている時点で、結界魔術に長けた魔術師であるとは考え難い……と?
たしかに、魔術師の大半は自らの研究を優先し、他者とのかかわりを可能な限り断ち切ってしまうものばかりだが……
「それに……術者不在では結界も長くは維持されまセン。特に発動の初期段階では、手を掛けるべき部分が多いですかラ」
今からではもうずいぶん前になりますが、話に聞いている遠征の日よりも後まで手を加えていたであろうことはたしかですのデ……と、ミラはしょんぼりした顔でそう言った。
そう……か。
では……では…………もしかしたら、伯爵は生き延びてくれていて……というのは、流石に妄信が過ぎる……だろうか……
「……陛下。考え方を変えていただけませんカ」
「この近辺に結界を張った人物は、まだこの国の中にいるのでス。そして、その人物は魔獣から人々を守ろうとしていル」
「私や魔術翁に匹敵する術師が、あるいは新たに味方に加わってくれるかもしれないのだ……と、そう考えることも可能では無いでしょうカ」
「……ミラ……そうですね。たしかに、勝手な恩を押し付けるよりも、新たな可能性を模索する方が有意義だ……と、きっと伯爵もそう助言してくださるでしょう」
それに……ミラと同等の魔術師ともなれば、是非にも味方に迎え入れたい。
そんな可能性がわずかでもあるのなら、他の可能性にかまけて見落としてしまうことは絶対に避けなければならないだろう。
「…………おい、フィリア。だったらさ、そいつがいそうな場所も見てった方が良いんじゃないのか?」
「ダーンフールに人が住んでるとは思えないし、となったら……」
「……っ! フーリス……それに、カストル・アポリアですね」
そうだ。せっかくこうして最終防衛線の外を確認しに来る機会が出来たのだ。
であれば、無事では済むまいと思って目を背けていた場所を訪問すべきだろう。
事実、ああしてヨロクは無事だった――魔女の侵攻は無かったのだ。
魔獣の数こそ一時的には増えたが、それも結界の作用もあって、昔よりわずかに多いか同じくらいに留まった。
ならば、同じく結界の内側にあったであろうフーリスは……
「……カストル・アポリアも……ヴェロウも、アルバさんも、エリーも、皆まだ無事である可能性だって……」
「……そうですネ。では、魔女を討った暁には、凱旋の一歩前にそちらを訪れるとしましょうカ」
こ、このまま真っ直ぐにカストル・アポリアを目指すわけにはいかないのですね……
いや、そもそもが急がねばならないという話だったから、そこを履き違えてはならないのだけれど。
だが、たしかに希望が感じられた。
もしもこの結果を展開した魔術師が存命ならば、カストル・アポリアに身を置いている可能性は十分にある。
あの場所は……あの国は、この近辺でももっとも暮らしやすい場所だろうから。
そんな前向きな考えを胸に抱いて、私達はまたしばらく馬車に揺られた。
その後も結局引き返すことにはならず、その日の暮れの内にはまたダーンフールの砦へ……かつてジャンセンさん達と共に作り上げた北の最前線へと到着した。
やはり、取りやめにする余裕は無いらしい。
私が思っていた以上に、この瞬間には大きな価値が――ここを取り逃すことには重篤な意味があるようだ。




