第三百三十四話【終焉を見るもの】
「――すみません。もうひとつだけ、わがままを言っても良いですか?」
近日中に魔女を討つ。そんな決断を下したその少し後、おどおどした様子でアギトはまた手を挙げた。
「わがまま……ですか? なんでしょう」
別に、彼の提案を――ゴートマン不在のこの瞬間を狙うべきだという案を、わがままや自分勝手だとは思っていない。
だが、それはそれとしても、彼の態度は気に掛かるところだ。
もちろん、先ほどの提案そのものもかなり無茶な理論、理屈だった。
それを通した上で、更に何かを……と、そんな風に考えているのなら、ひとつ納得という形にも落ち着くのだが……
「……その……ですね……」
自信が無い……わけではないだろう。
あんな大それた提案をしておいて、今更自信の有無程度で怯む道理も無い。
そもそも、魔女を倒すと言ったその時の顔には、奇妙なまでの落ち着きがあったのだ。
それなのに、今のアギトはそうではない。
もじもじしたり、眉をしかめたり。もしかしたら、まだ自分の中でもどうするか悩んでいるのだろうか。
「……っ。あ、あの! アイツに……ゴートマンに、面会することって出来ますか……?」
「……ゴートマンに……ですか? それは……ええ、私が許可すれば、看守とて拒む権限は持ちませんから……」
なら、一回だけでもいいのでお願いします。と、アギトは深々と頭を下げてそう言った。
しかし……ふむ?
もちろん、それが危険なことだとは理解出来る。
あのゴートマンは人の精神を支配する……魔術を抜きにも、他者の心に付け入る話術を持っているだろう。
だから、一対一での面会は流石に許可出来まい。
だが、アギトはそれを望んでいるというわけでもないのだろう。では、何をそんなに……
「……ミラ、肩貸してくれ。行くなら早い方が……明日には出発したいから、今日の内にやっとかないと……」
「っ⁉ あ、明日⁈ 体力が回復したら……という話だったではありませんか!?」
ゴートマンとの面会などにはあんなに尻込みしておいて、動けるか動けないかも曖昧なうちから出発することを確定事項のように語らないでください。
い、いけない、すっかり忘れていた。
彼もまたミラ同様に、私達とは違う常識で生きているのだった……
「えっと……歩ければ平気です。むしろ、俺の完全回復なんて待ってる場合じゃないくらいなんですから」
「た、たしかに、第二のゴートマンの出現を危惧するのならば、一日でも早いに越したことはありませんが……」
しかし、歩くのがやっとでは、魔女を前にして逃げることも叶わないではないか。
もしや……いや、もしかしてなんて言葉は必要無く、彼は本当にミラが勝利することを――魔女を完全に打ち倒すことを確信している……のだろうか……
「……フィリア。どっちにしても、歩くのがやっとじゃ調査の途中で帰ることになるんだ。戦うとこまでは辿り着けない」
「なら別にいいだろ、好きにさせてやれば」
「っ⁈ ユーゴ、貴方まで……」
明日には行くぞ。だから今のうちにやることを終わらせよう。なんて、そんな純粋なやる気を見せているアギトを前に、ユーゴまで彼の肩を持つような発言をし始めてしまった。
い、一度落ち着いて欲しいのだけれど……
「ミラに肩を借りねば立てないのに、どうしてそこまで……いいえ」
「むしろ、そんな状態ならば、私とユーゴとミラだけで出発することを提案すべきでは……」
「――だ、ダメです! 俺が行かないと……えっと……お、俺がいないと、ミラは微妙に本調子じゃなくなるんですよ!」
「甘えん坊だから、お兄ちゃんがいないと頑張れな――痛ぁいッ!?」
ふしゃーっ! と、肩を借りていなければ立ってもいられないアギトに、ミラは身体を支えたまま器用に噛み付いた。
そんな風に喧嘩ばかりするのならば、やはり別々の方が……
「がるるる……ぺっ。フィリア、私からもお願いするワ」
「さっきも言ったケド、バカアギトは最悪の非常時にだけは何かしでかしてくれるかラ」
「魔女なんて馬鹿げた存在と戦うんなら、こういう備えはしておくべきだもノ」
「……しかし、その備えがこんなにもフラフラでは……」
立ってさえいれば役に立つわヨ。と、ミラはなんとも信じ難い……信じようの無いことを言ってくれるが……
そんなミラに振り回されながらやっと立っている今のアギトを見ても、彼が何かの役に立つとは……魔女を前に役割を果たせるとは思えない。
私と同じで、ただ守られるだけの荷物になってしまうのでは……
「と、とにかく! 出発は明日考えるにしても、ゴートマンには会っておきたいんです」
「その……俺にとって、特別な意味があるんです。ゴートマンと……魔人の集いと向き合うってことには」
「特別な…………分かりました。そこまで言うのならば、私達も同行した上での面会を許可しましょう」
アギトは私の言葉に、目を輝かせてまた頭を下げた。
嬉しい……らしいが、いったいどこを喜んでいるのだろう。
彼からしても、魔人の集い、延いてはゴートマンとは敵対関係にある筈で、面会などをして楽しい相手なわけもないと思うのだが……
それから私達はすぐに部屋を出て、今日だけでも三度目の面会の為に砦を訪れた。
流石に看守も困った顔にはなっていたが、相手が相手、事情が事情だ。
それに、女王である私の手前、拒絶など出来よう筈も無い。
「……はぁ? また来たの。それも、今度は大勢連れて」
「はい、また来ました。ですが、今度は尋問が目的ではありません」
昼間だって尋問らしいことしてないでしょうに。と、ゴートマンは微妙に耳の痛い愚痴をこぼしてため息をついた。
くっ……私さえ足を引っ張らなければ、もう少しは……
「俺が頼んだんだ。アンタと話がしたいって。どうしても言っておきたいことがあって、確認したいこともあるから」
しかし、そんな私の後悔は今は無関係だ。
こちらを睨み付けるゴートマンの前に、アギトが……ミラに肩を借りたままのアギトがゆっくりと歩み寄る。
そんな姿を見て、ゴートマンは……
「……何を気取っているのかしら、この坊やは」
「アレで私を出し抜いたつもり? 私を騙して、コケにして、一本取ったつもりでいるのかしら」
「だとしたら……徹底的に痛めつけてやる必要があるわね」
「……別に、気取ってないし、アンタに勝ったとか出し抜いたとかも思ってない」
「アレはミラが勝手にやったことで、俺は本気で……って、そんな話をしに来たんじゃない」
ふう。と、アギトはゆっくりと深呼吸をして、話のペースをゴートマンに握られないように気持ちを落ち着かせた。
彼がそもそも気の弱い、押しに弱い性格なのもあるだろうが、それにしても主導権をあっさりと握られかけていたな。
やはり、ゴートマンの挑発するような態度と言動には警戒しなければ。
「……はあ。アンタ……魔女に従って、魔人の集いに入ってたんだよな。それはなんでだ? 魔女の何に惹かれて、そんな下らない力を借りようと思った」
少し間を置いてからのアギトの問いに、ゴートマンは眉間にしわを寄せて首を傾げた。
この男は何を言っている――何を聞き出そうとしているのかと考え込んでいる様子だ。
「別に、俺はアンタから何か情報を得たいわけでも、弱点を探ろうとしてるわけでもないんだ」
「ただ……妄信するほどの何かがあるんだろ、魔女には。それが強さなのか、それとも人格なのか。それ以外なのか。そこが知りたいんだ」
下らない。と、ゴートマンは彼の問いに食い気味にそう答えた。
いいや、答えてはいない……のかな。
彼の問いそのものを突っ返すような態度で、馬鹿馬鹿しいとまた更に吐き捨てた。
「化け物風情が、図に乗るな」
「あのお方は崇高な存在なのよ。信じることに、従うことに、力をお借りすることに理由など無い」
「雨が降らねば作物も実らぬように、無ければ話にならない存在なの。下等な人間と同じような扱いをするな」
「……そうか、そんなにすごいのか。いや……魔女ってのがすごいことはとっくに知ってたつもりだけどさ」
化け物……?
ゴートマンはアギトに向かって、なんだか強い警戒心を……いや、嫌悪感を抱いている……ようだ。
しかし、いったい何故?
あの時の彼の強さはたしかにすごかったが、結果としてはユーゴが勝った。
それに、ゴートマンも魔術師だと言うのならば、あの時のすごさの原因は大半がミラにあると、そのくらいは推測も出来よう。
では……また他の要因が……?
「えっと……それから、もう一個。こっちは質問とかじゃない、なんと言うか……宣言……みたいなものなんだけど」
ゴートマンの態度、言葉。それらにまだ悩んでいる私などは他所に、アギトはまた更に言葉を重ねた。
だが……今のゴートマンは、彼が何を言っても苛立つばかりのように見えた。
私を睨んでいた時よりももっと険しい顔で、今にも噛み付きそうなくらいだ。
「――俺達は魔女を倒す。それは……殺す……ことになると思う。そのことをしっかり伝えておかないといけない気がしたから。ただ、それだけ」
っ。魔女を……殺す……か。
言葉にされると、これほどまでに重たいものも無い。
強さ――倒すことの難しさという意味だけではない。
それが真に意味するところは別にある。
魔女は魔獣ではない。
言葉を介し、意志疎通を可能としていた。
その実が私達への攻撃意思と殺戮衝動ばかりに身を任せていたとは言え、まるで人と関わっているかのような錯覚さえ覚えたのだ。
それを……殺す……となれば……
「……く――はははは! 何を言い始めたかと思えば、やはり化け物には考える頭など無いらしいな!」
「フィリア=ネイ! 終わりだ! お前もこの国も! こんな化け物に縋らねばならないお前達など、あのお方に皆殺しにされてしまう運命なのよ!」
化け物……また、ゴートマンはそんな言葉を使った。
とてもではないが、アギトを表す言葉として適切とは思えない、良い意味でも悪い意味でも過剰なものだ。
しかし……ゴートマンはそれが正しいと、本心からそう思っている様子だ。
「二度と顔を見せるな……いや、次には死に顔だけを見せて貰うわ」
「あのお方の手に掛かれば、いかな化け物とて無残に死ぬしかない」
「たとえ死者でも亡者でも、それが何度蘇ろうとも、屑になるまで削り殺される運命なのだから」
「……俺は死なない。そして、倒されるのは魔女の方だ」
「そしたら……アンタにはもう力も残らないだろうから、その後のことはちゃんと考えとけよ」
「アイツらみたいに死んで終わりなんて、俺は絶対認めないからな」
アギトの言葉に、ゴートマンは笑い声をあげた。
崇拝する魔女を殺すのだという宣言を前に、そんなことは不可能だとあざ笑っているのだ。
アギトはそれで満足した様子で、ミラに合図を送って檻に背を向けた。
それからはもうゴートマンと誰も言葉を交わすことなく、静かに、もう暗くなってしまった帰り道を歩き始めた。しかし……
私の中には小さくない不安と疑問がいくつも根付いてしまっていた。
魔女を倒せるのかという不安。アギトの自信がどこから来るのかという疑問。
そして……ゴートマンの言葉と態度への懸念。
もしやゴートマンは、私達の知らない彼の過去を――悪夢を知っているのだろうか……?




