第三百三十二話【代替案】
馬車を呼んでからも足を止めることなく、私達はひたすら林から遠ざかり続けた。
ミラがそうしようと提案するのだ。他でもない、もっとも勇気に溢れ、もっとも危険を察知するのに長けたミラが。
「――ミラ。結界とおっしゃっていましたが、いったいどのようなものなのでしょう」
「貴女がこれほどまでに警戒心を……いえ、恐怖心を抱くようなものがあの場所にあるとして、果たしてなんの為に……」
「……分かんないワ。でも……あの場所には、何かを秘匿する為の結界があった、それは確かヨ」
秘匿する為の……つまり、魔獣除けの結界に比べて、人間を相手にも効力を発揮するもの……と、そう考えれば良いのだろうか。
私がそう尋ねると、ミラは小さく首を横に振った。
「……フィリア。この国には……アンスーリァには魔術がそこまで発達してないかラ、言葉で説明しても理解し難いかもしれないワ。それでも良い?」
「はい、構いません。私とて術師の端くれでしたから、たとえ飲み込めないものでも、せめて口に収めるくらいはしてみせます」
私のそんな返事に、ミラはちょっとだけ笑顔を見せてくれた。
そしてすぐにまた神妙な面持ちになって、前に進みながらも顔だけを後方に――林の方に向けて説明を始めてくれる。
「結界って言うものは、そもそも領域に対して効果を発揮する魔術の総称ヨ」
「例えば……そうね。ランデルの王宮全域……その敷地内、防壁の内側すべてニ。と、範囲を確定させて、その領域内のみに微弱な治癒効果を継続作用させる……みたいな、そんな魔術をそう呼ぶのヨ」
物理的な効果範囲を定め、その内側へと作用する……か。
言葉にされてみると、なんとなく普段のミラの魔術とは毛色が違うことも理解しやすい。
彼女を中心として風を発生させたり、電撃を放出したり。
それらには起点と射程こそあれ、状況やミラの意思によって常に違う反応を見せる。
と同時に、射程圏内全域に、同時に効果を及ぼすことは無い。
結界魔術と呼ばれるものは、常に同じ反応、効力を、定めた範囲に漏れなく作用させるものである……と、そう考えたならば、強化の魔術もある意味ではこちらに近いのだろうか。
「目的は様々だケド、基本的には罠や見張りに使うことが多いわネ。あるいは、身を護る砦のように使う人もいるワ」
「それで……なんだけどネ。ここから先は、見て分かる、触れて分かるってものじゃなくて、術師としての当然の行動理念に基いた推理……になるんだけどネ……」
結界を用いた時点で、その内側には守りたいものがあル。
そして、魔術師であるならば、何よりも守らなければならないものは、自らの研究成果、及び研究そのものである筈。と、ミラはそう言った。
なるほど、これも道理だ。
魔術師にとって、魔術とは目的なのだ。
自然の再現……術の最奥と言う最終目的。
その研究、研鑽、没頭こそが魔術師の生きがいであり、執着だろう。ならば……
「……結界と言うものがある時点で……魔術師が何かを守ろうとしている時点で、その奥には隠したいものが存在する……と」
「もちろん、これはあくまでユーザントリアの魔術師の考え方……って可能性もあるワ。この国には魔術師が……魔術を専門的に学ぶ場所が少ないってことだったかラ」
「あるいはあの向こうには、魔術を学ぶ人が集まってる村があるのかもしれないわネ」
それは……つまり、魔人の集いやかつての盗賊団のように、国策によって居場所を失ってしまった人々が――魔術師が、自らの目的を達成する為の組織を立ち上げている可能性がある……と?
もしもそうなら……
「……それは、やはり恥じるべきなのでしょうね。ミラが驚くほどのものを作ってしまうような人々を、この国は切り捨ててしまったわけですから……」
「まだそうと決まったわけじゃないワ、変なとこで落ち込まなくていいわヨ」
「どっちかって言えば、魔人の集いにいるであろう魔術師や、あるいは魔女そのものがそこに潜んでるって可能性の方が高いんだかラ」
そ、その方が嫌なのですが……だが……ううん。
困ったことに、あの場所には――林の奥には、ミラですら舌を巻くほどの魔術師がいる痕跡があるのに、それが何に属し、何を目的としているのかは一切分からない……と。
「……ユーゴ。アンタ、しばらく魔術を勉強しなさイ」
「別に使えるようになれとは言わないワ。ただ、そういうものがあるんだってことを頭に叩き込むのヨ」
「アンタの力は、知らないものには対処出来ない。アギトに苦戦した理由もそれ、アンタは未知の力を前にはやみくもに暴れるしか出来ないのヨ」
「っ。べ、別に、苦戦とかしてない。まあ……気にはなってたから調べるくらいはするけど」
ユーゴに魔術を学ばせる……か。
ジャンセンさんやマリアノさんもそうだったが、やはり彼の能力を活かすには、どんな分野であれ多くを学ばせる必要があるという答えに行きつくのだな。
もっとも、若く才能あふれる少年に、自らの得意分野を教えたいという願望が混じっていることも間違いないだろうが。
「それから……ごめんネ、フィリア。この林の先は、まだちょっと調べられそうにないワ」
「少なくとも、私と同等の魔術師をもうひとり呼ばないことには……」
「あ、貴女と同等の……ですか。それは……」
それはつまり、完全に不可能……と言うことではないだろうか。
だって、天の勇者だ。
ユーザントリアでも有数の……いや、頂点の魔術師のひとりである彼女に匹敵する魔術師など、少なくともこの国には存在しないだろう。
仮にもうひとりを派遣して貰うとしても、ユーザントリアにとってもそんな術師は貴重な存在だろうから……
「……すみません、ミラ。もしも追加の応援をユーザントリアから派遣して貰おうと考えているのならば……す、少しだけ考えさせてください」
「その……貴女達の力を借り、もてなすだけで、宮の財政はひっ迫していて……」
「な、なんだか世知辛い話をするわネ。でも……そっか、なら……うん、分かったワ」
「ひとりだけこういう状況で役に立ちそうな知り合いを思い付いてたケド、国のお金の問題があるなら他の方法を模索しまショウ」
お、思い当たる節があったのか。
なのにそれを、私達の不甲斐無さで断念させることになってしまうとは……っ。
「大丈夫ヨ、そんな顔しないで。どっちみち、応援を呼んでそいつが到着するまでには、とんでもなく時間が掛かるもノ」
「その……一応、林自体は安全そうだ……ってことは確かめられたかラ、あとは街の近くに魔獣が巣を作ってないかだけ確認すれば、今回の目的は達成ってことで良いでショ」
「……すみません。しかし、そうですね」
そうだ。当初の目的は、この林の謎の完全解明ではなく、ヨロクの安全を確保すること。安全を確保したと流布して良いだけの状況を確認することだった。
ならば、手間を掛けねば辿り着けさえしない林の、その更に奥の秘密などは、すぐに気にする必要も無いだろう。
それからしばらく歩くと、迎えの馬車とすれ違い掛けてしまった。
ミラが見付けてくれたおかげでなんとか合流することも出来たが、やはり集合場所からは勝手に動かない方が良いな……
そして街へ戻ると、流石にもう夕暮れも近いから、この後の調査については明日に回そうという運びになった。
ミラはひとりでやって来ても良いと言ってくれたが……せっかくだ、彼女の働きぶり、その能力をユーゴに見せて覚えさせる意味も込めて、明日また三人でという約束をした。
それが決まったのだから……
「それにしても……たくさん食べますね。客人を招いたわけですから、もとより宿舎には大目に食料を届けさせていましたが……この調子では、もっと増やした方が良さそうですね」
「そんなとこにまで気を遣わなくても大丈夫ヨ。私が食べる分はアギトから奪ったり、他の人から貰ったりしてるかラ」
動けないアギトの為にも。と、食べるものを大量も大量に買い込んで帰り道を歩いていた。
今の話を思うと、三人が両手で抱えて運んでいるこの大量の食糧は、ほとんどミラが食べるのだろうか。
こんなにも小柄なのに、いったいどこへ……?
そんな謎も袋と一緒に抱えて役場へ戻ると、私達は目を丸くする役人を尻目に部屋へと向かった。
いえ、違うのです。この量を私が食べるのではありません。そんなに驚いた顔で私を見ないでください。
違うのです、私ではなくてですね。
たしかに、身体が一番大きいのは私ですが、食べるのは私では……
「――――ですよ。はい、分かってます。俺には――」
「……? アギトの声……でしょうか。誰かと話を……?」
誤解を解こうと必死に目で訴えていたところに、部屋の方から声が聞こえてきた。
アギトの声……話し声だ。誰かと会話を……?
しかし、彼を訪れるものなど……友軍の誰かが、砦から見舞いに来てくれたのだろうか。でなければ……
「帰ったわヨ、バカアギト。ご飯買って来てやったから、ちゃんとありがたがって食べなさイ」
「おう、おかえり。しかし……最近のその反抗期っぷりはなんとかならんのか、妹よ。お兄ちゃん涙で前が見えなくなりそうなんだけど」
誰が誰の兄で、誰が妹ヨ。と、まだ袋を抱えたままのミラは、部屋に入るや否やアギトをじとーっと睨み付けた。
しかし……はて。
「……アギト。今、誰かと話をしていませんでしたか? その……声が聞こえた気がするのですが……」
部屋の中には、やはりまだ臥せったままのアギトの姿しかない。
これはいったいどういうことだろう。
ひとりごと……とは思えない。すぐそこに相手がいるような話口だったし……
「バカアギトの奇行に理由なんて求めてたら、いつまで経ってもご飯に出来ないわヨ。荷物降ろして早く食べまショ」
「あっ、こら。俺をバカにするついでに……女王……さま……にまで失礼な態度を取るんじゃない」
奇行……ひとり言は私もたまにしてしまうが……それ……なのだろうか。
それにしては……やはり、会話として語り掛けているような語調だった――自然過ぎるものだったように思えたが……
「すみません、女王……さま……そいつ、ずっとわがまま言ってませんでしたか? 最近、ちょっと調子に乗り過ぎてると思うんですけど……」
「い、いえ。ミラにはいつも助けられていますし、今回も頼りにさせていただきました」
「それに、楽にして欲しいとは私から頼んだのですから……」
その……むしろ、まだ女王と呼ぶことに抵抗を覚えているアギトの方が、やや距離を感じて寂しいのだけれど。
彼の暮らすもうひとつの世界での一件で、女王という単語を口にしにくくなっている……みたいな話だったとは思うが、ならばいっそ名で呼んでくれて良いのに。
「それで……その……調査の結果はどうでしたか? ミラがいて調べられないなんてことは無かったと思いますけど……」
「うっ……なんか、タイミング良く鬱陶しいこと聞くわネ、このバカアギト」
なんだよ、失敗したのか? と、アギトはミラの様子を見てそんな言葉を口にし……そして、抵抗出来ないままに思い切り噛み付かれてしまった。
どうして動けない相手に噛み付くのですか。
そして、どうして噛み付かれるようなことを言ってしまうのですか……
「林の奥には魔術結界がある、という事実は突き止められたのですが……私を連れたままではとても踏み入れないほどの気配を感知したようで……」
「いでで……そ、そうだったんですね。それはむしろ安心したと言うか……大人になったな、お前も。昔なら構わず突き進んだだろうに」
ふしゃーっ! と、また更に噛み付きが強くなって……本当に仲良しなのだろうか……?
その……スキンシップにしても過激も過激と言うか……
「痛い痛い! 痛いって! お前なあ……はあ」
「話はなんとなく分かりました。でも……その林はここからはそれなりに遠いんですよね? だったら……」
「はい。ヨロクに安全を取り戻した……と、そう流布するのには差し支えないでしょう。明日、街の周囲を調査し直したら、正式に発表する予定です」
そうですか。と、アギトはゆっくりと身体を起こして、噛み付いたままのミラを抱き締めた。
まだ動きづらそうだが、それなりに回復し始めているようだ。
「……だったら、俺から一個だけ提案させて貰っても良いでしょうか」
「その……今のうちに……ゴートマンを捕まえたこの瞬間に、魔女を倒しに行こうと思うんですけど……」
「そう……ですね。確かに、脅威をひとつ取り除いたわけですから、また仲間を増やされる前に…………えっ?」
「あ、アギト……? 今なんと……?」
ですから……と、アギトは真面目な顔で――笑うでも怯えるでもなく、そして気負うでもなく、自然な表情でもう一度提案した。
魔女を倒しに行く、と。
ユーゴはそんなアギトを、目を丸くして見つめていた。
驚いて声も出ないようだった。
ミラは……ここからでは分からない、彼に噛み付いたままだから。
では……私は今、どんな顔をしているだろうか。
呆れているだろうか。それとも……




