第三百二十九話【出発前にちょっとお話し】
ゴートマンの捕縛によって安全が確保されたことを街に広める為……広めても問題が起こらない為に、まずは街の周囲を再調査する。
そう決めた翌日の朝、私はユーゴとミラに同行して貰い、砦へと向かっていた。
「――と言うわけなのです。どうしても人伝に言葉を伝えるには限界があります。ならばいっそ、安全をたしかなものにしてしまおうかと思いまして」
「うん、良いと思うワ。私もそういうやり方の方が好きヨ。我慢をお願いするだけなら、それは統治者じゃなくてもいいもノ」
道中、ミラに事情を説明すると、彼女も笑顔で同意してくれた。
やはりと言うか……この子は基本的に、他者に対して献身的だから。
「でも……一個だけ不安なのは、あの林の異様さよネ」
「聞いてはいたケド、本当に魔獣の一頭も……いえ、生き物の気配すらも無かっタ。あんなの、普通じゃあり得ないワ」
「そう……なのですよね。しかし、それでいて人間がまったく立ち入れないというわけでもない」
「北に魔獣を退ける結界があるとのことでしたから、それと同じものが作用しているのかとも思いましたが……」
ミラのこの反応を見るに、それとは違うのだろう。と、私達を揃って悩ませる問題とは、以前からずっと気に掛かっていた、魔獣も何も存在しない、ヨロク北方の林――ついこの間ゴートマンを捕縛したあの林のことだ。
ミラもゴートマンと共にあの場所を訪れている。
だから、あそこがどのように異様なのかは把握済みだ。けれど……
「貴女が一度踏み込んだにもかかわらず、その元凶が特定出来ないとなると……魔術によるものではない……のでしょうか」
「どうでしょうネ。結界の作用がまったく無いとも思わないかラ、その中心から遠いであろうあの場所で、魔術的な反応を感知出来ないことにはそう不思議も無いワ」
「でも……もしそうなら、あそこまで生き物が寄り付かない理由が思い当たらなイ」
魔術であれば分かるし、分からないほどならば魔獣を退けられている理由に思い当たるものが無い、か。
至極当たり前のことを言っているだけなのだが、その当たり前の認識すら今までは持てていなかった。
まったく未知の理由で……理由があるのかも不明なまま、ただ生き物が存在しない……と、そんな不理解だけしか無かったから。
「……じゃあ、今日はまたあそこ行くのか? 話の流れ的に」
「そうですね、もう一度訪れてみましょう。その……出来ればアギトも同行していただけたら頼もしかったのですが……」
アレは役に立たないだろ。役に立たないわヨ。と、ふたりして目を細める姿に、どうしようもなくアギトが不憫に思えてしまった。
ミラに至っては、彼の気持ちを汲んでゴートマンに操られたフリまでしていた……とすら言っていたのに……
「バカアギトが役に立つのは非常事態の時だけヨ。それも、本当にどうしようもない時限定」
「で……アイツが役に立つ時が来たら、五分五分で全滅する可能性があるワ」
「……ええと、それはつまり、全滅し得る可能性がある状況でも、彼がいれば五分の確率で生き残れるかもしれない……と、そういうことでしょうか」
良く捉えたらそうとも言えるわネ。と、ミラはうなだれながらそう答えた。
それは……それ自体はとてもすごいことだと思うのだけれど……?
しかし、ミラが問題視しているのは、そんな状況に陥ってしまう、不必要に踏み込んでしまうことだろうか。
アギトが何かをしなければならないとなれば、それは根本的なところで失敗してしまっている……と。
「でも……ああして動けなくなったし、チビの道具を借りてのことではあったけど。それでも、そこそこは強かったぞ」
「そうですよ。それに、いつかも魔獣と戦っている姿を見ています」
「その立ち回りには不安なところもありませんでしたから、魔具の扱いに……武器の扱いに慣れていることは事実。そしてそれは、戦力として数えるに足る要素だと思いますが……」
おや。自分で役に立たないと言っておいて、ユーゴまでアギトの肩を持ち始めてしまった。
一度喧嘩をして、その上で真正面からぶつかり合って、その後に話をしていないにしても、やはり心を許している証拠だろうか、これは。
しかし、それでもユーゴが誰かを褒めるのは稀だ。
どうにも素直な言葉を口にしたがらないから。
そんな彼がこうまで言う……のは、最もアギトに近しいミラが、彼を不審がるような発言ばかりをするからだろう。
もちろん、信頼の裏返しなのだろうことは分かっているが。
「言ってるデショ、有事だけだって。魔獣と戦うのも、アイツにとっては一大事なのヨ」
「それと……あの時は相手がアンタだったから。アイツにとって特別な相手で、それも特別強い相手だったからこそ、あれだけ集中出来たのよ」
「普段なら魔弾一発撃ったところで隙晒して、一発で倒されてたでしょうネ」
そこはアンタと似てるかもしれないワ。と、ミラは不思議そうな顔をしているユーゴに向かってそう言った。
似ている……とは……ああ、なるほど。
「ユーゴは強さを見て、それを乗り越える強さを想像することで強くなる」
「理屈を取り除いてみれば、相手が強ければ強いほど強くなれるとも言い替えられるでしょう」
「そ。アギトもそれと同じ、問題が大きくなればなるだけ開き直れるのヨ。もっとも、アイツの場合は限界が知れてるケド」
それでも、まだ不完全な強さしか持たないとはいえ、ユーゴを相手にあれだけの立ち回りを見せたのだ。
あの強さがあれば、魔獣を相手にするだけならば、今のユーゴと変わらないだけの活躍を……っと、魔獣相手ではあそこまで強くなれない……のだっけ。
「……あんまり期待しない方がいいわヨ。本人は頼って欲しがるケド、頼られるとポカするのもアギトだかラ」
「良くも悪くも、有事に備えさせるのが一番だワ」
マーリン様もそうなさってたことだシ。と、ミラはちょっとだけ優しい顔でそう言った。
話に聞く大魔導士マーリン……ミラの魔術の師で、彼女を勇者として見出した巫女で、魔王を倒した英雄のひとり。
そんな人物でもそうした……か。
「……その、純粋な疑問なのですが、ミラとそのマーリン殿とでは、どちらがより強い……ええと……魔術に対して造詣が深いのでしょう」
「私から見れば、ミラの魔術は、もはや理外の無法にすら感じられるのですが……」
「造詣……そうネ……ううん」
おや? かの大魔導士に対しては強い敬意を払っている様子だったから、こんな問いには即答するかな……と、そう思っていたのだけれど。
「マーリン様は魔術師として、おそらく究極に位置するお方だったワ」
「でも……究極だからこそ、あの方はもう研鑽を積まれていなかっタ。進化の余地を残していなかったのヨ」
そういう意味では、私の方が魔術師としては優れていたかもしれないわネ。と、ミラは寂しそうな顔で答えてくれた。
その感情は……憧れの存在がどこか隠居じみた生活を送っていたから、少しだけがっかりした……と、そんなところなのだろうか。
それとも、また別の……
「戦力として振るえる力を比べるだけなら、私なんか足元にも及ばなかったワ。マーリン様はほとんど魔法に近しいだけの魔術を行使されていたかラ」
「だからこそ、もう進化の余地が無かったのかもしれないケド」
「ミラの魔術よりも更に……ですか……」
現時点のミラではまったく太刀打ち出来ないが、かの魔導士は歩みを止めている。
ゆえに、戦力としてでは圧倒的に勝りつつも、学者として――術の最奥を目指す探究者としてはミラに劣る立ち位置だった……と。纏めるならばそんなところだろうか。
「マーリン様は魔術にそれほどの興味が無いと、そうおっしゃってらしたワ。あくまでも手段、人々を守る為の武力に過ぎない、って」
「孤独にひた走る魔術師であることよりも、大勢を守る政治家であることを優先されたノ」
「……貴女同様、献身的な方なのですね。あるいは、そんな方に教えられたからこそ、優しい勇者になったのでしょうか」
えへん。と、ミラは胸を張って、嬉しそうに笑っていた。
その人が褒められたことも嬉しいし、その人の影響を受けていそうだと言われたことも嬉しいのだろう。
「……そうです。今日の調査が終わったら、マーリン殿について詳しく話を聞かせてください。それに、黄金騎士フリードリッヒ殿についても」
「以前も少し伺いましたが、貴女とアギトについて良く知った今ならば、あの時では分からなかったことも見えて来るかもしれません」
「ふふん、良いわヨ。マーリン様とフリード様がいかに素晴らしいお人か、フィリアにもユーゴにも分かりやすく教えてあげるワ」
「ついでに、あの不敬者のバカアギトにも、もう一回再認識させてやらないとネ」
ふ、不敬者なのですか……?
私の目からは礼儀正しい、むしろやや臆病なほどの少年に思えたが……
それから砦に着くまで、そして砦で馬車の調達を済ませるまで。ミラは嬉しそうに大魔導士マーリンの話をしてくれた。
調査が終わってから……という話だった筈だが、もしや今これだけ語った上で、まだこの後にも逸話が残っているのだろうか……?




