第三百二十一話【隣に立つもの】
天の勇者、ミラ=ハークス。
魔王を倒し、大国ユーザントリアを救った大英雄。
極めて高い格闘技術に加え、大魔導士と呼ばれるマーリンに指導された魔術を駆使する、人々に希望をもたらす奇跡の存在。
私はそれを理解したつもりだった。
理解して、彼女こそが派遣された友軍の肝――この国を救うのに欠かせない最大のピースなのだと、そう考えていた。
それと同時に、彼女の在り方を――彼女らの在り方を完全に履き違えていた。
勇者と共にあるもの。
その旅を、戦いを知るもの。
彼女に呼び出された異世界の人間であり、彼女がもっとも心を開いている仲間。
それがアギトだ――と、そう思ってしまっていた。
「――魔弾の射手――っ!」
「っ。またそれ――くそ――っ!」
ユーゴにはこの世界でもっとも強いという特性が――能力が付与されている。
それは、想像出来る範囲内で無限に進化し続けるというものだった。
はっきり言って、アギトがユーゴに敵うとは、わずかほども思っていなかった。
彼が弱いとは言わない。ミラの魔具を駆使し、怯むことなく魔獣を倒している姿も見ている。
彼もミラ同様に多くの修羅場をくぐって来ているのだろうと、それくらいには認識出来ていた。
間違っていたのは、その慣れの練度の高さに対する認識だった。
「……強過ぎる……っ。射程で優位性を持っているとは言え、ここまで一方的に……」
アギトは魔具を――魔術を使い、ユーゴを遠距離から攻撃し続ける。
その威力が、精度が、範囲が、特別に強力なものである……という前提を込みにしても、こんな状況はあり得ると思っていなかった。
ユーゴは速い。以前ほどではないにせよ、彼の機動力はミラに引けを取らないと言っても過言ではないだろう。
だからこそ模倣が成立しているのだし、彼女もそれを提案しただろうから。
それでも、その速さを――機敏さ、すばしっこさを以ってしても、アギトの懐に飛び込むことが出来ない。
魔具は確かに強烈だ。だがそれ以上に、アギトの練度が高過ぎる。
ただやみくもに攻撃しているのではなく、ユーゴを追い詰める明確な策が彼の中にあるのだ。
私達は彼を履き違えていた。
彼は、勇者の隣にあるものではない。
勇者の隣に立てるものだったのだ。
「ほらほらほら! 逃げてばっかだとジリ貧だぞ! いや、俺の方も魔具の使用制限があるから、あんまり逃げられ過ぎると困るんだけど」
「でもこのまま行ったら、まあまず先にお前が力尽きるだろ!」
「――っ。それ、言わない方が良いだろ。バカにしてんのか」
言わなくてもバレてるだろ、どうせ。と、アギトは笑ったまま――笑いながら、そして攻撃し続けながら、ユーゴの言葉に返事をしている。
まだまだ余裕がある。彼が今虚勢を張る理由は無いから、本当にまだ余力を残しているのだろう。
「……ん、ちょっと作戦変えて来たか? そんな遠くまで行かれると、流石に射程圏外だな」
余裕があるから、アギトはユーゴの行動を前に、いちいち思考を挟み込める。
一度攻撃の手を緩めた彼の視線の先には、焼き払われた地面よりも遠くにまで――これまで見せている魔術の射程圏外にまで逃げたユーゴの姿があった。
「……なるほど、そこから一気に走って来て、こっちに手数を出させる前に間合いを詰める作戦か」
「うーん…………やばいな、普通に対処出来るものが無い」
っ!? そ、それを自らばらしてしまうのですか……?
アギトは先ほどまでとは打って変わって、少しだけ困った顔で首を傾げてしまっていた。
嘘をつけない人物だとは思っていたが……こ、ここまでとは……
「……でも、対処出来ないくらいじゃまだ駄目だぞ。なんたってこっちは――」
「――ごちゃごちゃうるさい――遠くて聞こえないし――っ!」
少しだけ気の抜けるひとり言があったが、それでも戦況は変わらない。
ユーゴは遠くにいて、アギトの射程はそれに迫るだけのものがある。
ユーゴはこれから、魔具による過激な攻撃を避けながら、真っ直ぐにアギトの懐まで飛び込まなければならない。
合図は無かった。
ユーゴが様子を見計らって、少しだけじぐざぐに――けれど、大きく迂回することなく、アギト目掛けて一直線に走り始めた。
それを見て、アギトはまた両手を彼に向けて突き出す。
そして、魔具を起動させるべく言霊を唱えて――
「三又の槍灼――っ!」
「――っ。それはもう見切った――っ!」
進路を塞ぐべく放たれた火炎の魔術は、合計六本の火柱となってユーゴを迎え撃つ。
だが、彼はそれを飛び越えるでも横に避けるでもなく、地面を滑って下を潜り抜けてみせた。
そして――それが見えたのは、彼らを横から見ていた私だけだった。
「――っ! 消え――いや、下か!」
噴き上がる炎を壁にして、ユーゴは死角から一気にその間合いを詰め寄った。
アギトもそれにはすぐに気付いたが、ほんの一瞬だけでも視界から外れられれば、ユーゴの速さには追い付けない。
魔具が魔術を放ち終え、アギトに視界が取り戻された時。もうユーゴは彼の目の前にまで迫っていた。
そして……
「――揺蕩う雷霆――っ!」
「――っ⁈ 強化まで――」
ユーゴがアギトを捕えようと、両手を広げてタックルをした瞬間だった。
アギトの身体に青白い稲光が纏わり付いて、ユーゴに引けを取らない機敏な動きでそれを回避してみせた。
いいや、それだけでは終わらず……
「脇が甘い――っ!」
身を翻してタックルを避けたと思えば、そのままユーゴの脇腹を両手で突き飛ばした。
進行方向と垂直に力を加えられたユーゴは、自身の勢いも相まって大きく体勢を崩される。
そしてそのまま、足をもつれさせて地面を転がった。
「……おお、まさかこんなセリフをリアルに口にする日が来るとは……」
「……げほっ。なんか……いちいち気が抜けるな。バカみたいな顔しやがって」
誰がバカだよ! と、憤慨して地面を蹴り付けるアギトの姿は、それを更にバカにするユーゴの姿は、どちらも普段見かけるふたりのものに思えた。なのに……
そんなやり取りもすぐに終わって、ふたりは真剣な表情で拳を構える。
これだけ距離が近付いてしまえば、アギトももう大規模な魔術攻撃は使用出来ない筈だ。
魔具は決まった魔術を決まった出力で発動させるものだから、威力や範囲を弱めて近接戦闘に応用する……と言うことは出来ない……筈。
「言っとくけど、さっきまでのはまだ……えーっと……あの……あれだ。そう、余興だ」
「あんなのは俺の得意分野じゃない。正直、やってて怖かったからな」
「ちょっと間違えたら自分も巻き込まれるし、こんなとこじゃいつ火事になるか分かんないし」
「……なんだよ、その余裕。これだけ距離が近かったら、もうお前に勝ち目なんて無いだろ」
「組手なら俺はチビにも勝ってる。それも、お前が今使ってる強化も込みで、だ」
「アイツより弱いお前なんて、俺に勝てるわけ――――」
バ――ッ。と、空気が爆ぜて、そしてユーゴの身体が宙を舞う。
不意打ち……いや、違う。話をしながらでも彼は緊張していた。
アギトの行動に目を配り、いつでも対処出来るように構えていた。なのに……
アギトの姿が一瞬だけ見えなくなって、気付けばユーゴは投げ飛ばされていた。
いや、突き飛ばされていたのか?
分からない。少なくとも、私の目では捉えられないくらい速い攻撃が繰り出された。
「――俺が知ってるミラの強さは、遠距離から爆撃しまくるおっかない強さだけじゃない。いや、むしろここが――近距離がアイツの主戦場」
「強化魔術と練り上げた武術、魔王を倒したのだって結局グーパンだったんだからな」
「――げほっ! くそ――そんなこと、誰だって見たら分か――」
地面に叩きつけられて息を乱したユーゴに、アギトは休む隙など与えなかった。
起き上がったばかりのユーゴへと突進して、まるでミラさながらの回し蹴りを放つ。
ユーゴはそれを、思い切り飛び退いて回避した。だが……だが、それでは……
「――分かってないな。迫って最強、離れて最凶。それが天の勇者――宇宙一可愛いプリティマイシスターだ――っ!」
「九頭の龍雷――ッ!」
ほんのわずか、ユーゴの拳が一歩では届かない間合いが出来てしまった瞬間。
アギトは言霊を唱え、特大の雷魔術を放った。
「――ユーゴ――ッッ!」
ユーゴは光に飲まれ、私はその姿を見失ってしまった。
まさか……直撃してしまったのか……っ。
今の魔術の威力は、とても生身の人間が耐えられる代物ではなかった。
それを、完全に体勢を崩された状態で放たれては、いくらユーゴでも……
「――プリティとか――キモイこと言ってんな――っ!」
「――っ!」
避けられない。そうなれば手傷程度では済まされない。
そして、傷を負ってはもはやアギトの攻撃を避けるすべも、その懐に飛び込むすべも無い。と、私がそんな風に諦めかけた時だった。
稲妻が割れたのだ。
雷魔術が、ミラの誇る最大の攻撃力が、真っ二つに割れた……いいや、切り裂かれた。
理解などは出来ない。そんなことが可能なのかと、それすらも分からない。
だが、結果としてはそうなった。
撃ち放たれた雷撃は真っ二つに切り裂かれて、その中からは小さな人影が現れる。
「――そうだよな。雷くらい斬れるよな。でなくちゃ世界最強とか、名乗れるわけないもんな」
雷を斬ったのはユーゴだった。
どんな理屈かは知らないが、彼は雷を断つという強さを――想像を以って、窮地を脱したのだ。
「……ユーゴ……? アギトも……ふたりとも……」
ミラから授けられた中でも最大の攻撃を防がれた。
だと言うのに、アギトは嬉しそうに笑っていた。
友達になれると思った人が、容赦無い攻撃を自分へと向けた。
それなのに、ユーゴは楽しそうに笑っていた。
先ほどまでの緊張とはどこかが違う、けれどピンと張り詰めた空気が、まだ轟音やまぬふたりの間に満たされていた。




