第三百十五話【もっと知りたいことがある】
最終防衛線外、南部の四都市のうちのひとつ。オクソフォン。
私はその街で、協力関係を結ぶことに成功した。
ランディッチという父の友人が治めていたことも幸いしただろうが、彼の口から私の志を肯定する言葉が飛び出したことが、何よりも嬉しく、誇らしく、同時に自信を持たせてくれる。
そんな晴れやかな気持ちで、私達はランデルへと帰還した。そして、宮へ戻ってすぐ……
「パール。朗報です。オクソフォンに協力を許諾していただけました」
誰よりもまず、彼らにそれを伝えねばなるまい。と、急いで執務室へと戻り、その場にいたパールに喜びを報告した。
「リリィはどこでしょうか。彼女にも早く伝えなければ」
「落ち着いてくださいませ、女王陛下。本日、リリィには休暇を与えております。仕事にも区切りが付きましたので」
っと、そうだったか。では、報告は明日にしよう。
私の留守の間に、多大な業務を代行して貰っているのだ。
それがやっと休みを貰えたと言うのに、急に乗り込んで来られては、たとえ喜ばしい話を聞かされたとしても、疲れは取れないだろう。
「しかし、そうですか。オクソフォンが」
「こんな物言いをすべきではないとは自覚しておりますが、正直に申し上げて、断られるであろう……と。どこも今の王政には力を貸したがらないだろうと思っておりましたが……」
「はい、その点については私も半ば同意してしまいます」
「ですが……そうです。パール。貴方ならば、ランディッチ=リトーという人物を知っているでしょうか」
「現在のオクソフォンを統治する人物なのですが……」
父の古い友人で、かつてはこの宮で使用人として働いていた人物だ。
そして、私の幼少期を知っていた。
ならば、パールが宮へやって来た時期と被っているかもしれない。
彼もまた、私が王となる以前からこの宮で働いているのだから。
「……ランディッチ……はい、お名前だけは。しかし……そうですか。先王様のご友人が治めておられるのですね、オクソフォンは」
「はい。今回の協力関係も、あの人物がいたからこそ……でしょう」
「もしもその人柄について……かつての様子について知っているのならば、聞かせていただこうと思っていたのですが……」
申し訳ございません。と、パールは深く頭を下げた。
名前は聞いているが、その姿を眼にしたことは無い、か。
「私が宮へやって来た際には、まだ先王様直属の使用人として働いていらした筈ですが……」
「最終防衛線を制定するに際して、この宮を出発した……とのことでしたから。その頃のことを思い出してくだされば……」
その頃にはまだ見習いをしておりましたもので。と、パールは申し訳無さそうにまた頭を下げてしまった。
そうか……ううん、残念だ。
せっかく協力して貰える人物が現れたのだから、その人となりを少しでも知りたかったのだが……
「……伯爵と出会った際には、その素性を……プライベートを知る努力を怠ってしまいました」
「もちろん、その頃には無礼の無いようにと考えてのことでしたが……結果としてはあのような別れをしてしまって、もうあの方の名残をどこにも求めることが出来ずにいます」
「そんな寂しい結末は、もう二度と味わいたくありませんから」
思い浮かべたのは、人懐こい伯爵の笑顔と、最後に見た翼の生えた大きな背中だった。
私達はバスカーク伯爵と仲良くさせて貰っていた……つもりだった。
けれど、伯爵のことを何も知らないでいた。
番号四と呼ばれた彼の過去は、きっと尋ねても教えて貰えない、探しても見つかりやしない特殊なものだったかもしれない。
けれど、知ろうとしなかったから、私達の手元には何も残っていないのだ。
あの人物との繋がりは、あの洞窟の中だけ。
だから……あそこが崩れてしまった今はもう……
「……私は誰よりも出会いに恵まれているのだと思います」
「貴方やリリィもそうですし、伯爵やジャンセンさん……特別隊として私に協力してくれている皆もそうです」
「友軍としてやって来た彼らも……その中でも特に親しくしてくれているアギトとミラも」
「それに、ユーゴも」
私は出会いに……人に恵まれている。それはこれまでにも考えたことだ。
けれど、その恵まれた出会いに甘えて、私はそれを当然のものと軽んじてしまっていたかもしれない。
「私には秀でたものが無い……と、そう思っていました。ですが、違ったのです」
「私は人に恵まれる、そういう天運について他者よりも秀でている」
「ならば、それをしっかりと自覚し、より良いものになるよう努めなければならないと思ったのです」
「……それで、出会った人物について詳しく知ろう……と」
「ですが、直接お会いし、その人柄に触れたのならば、それ以上にその人物を知る有益な情報は無いと思われますが……」
それ以上を知れずとも、それ未満の情報を集めない理由にはならない。
それは、仕事の上で――国を良い方向に進めるうえで、戦い続けるうえでのみの話ではない。
伯爵は知的な人物だった。
そして、コウモリを使役し、広い範囲で同時に諜報活動を可能としていた。
これが、私達の知っていたもっとも有益な情報だろう。
けれど、それだけではダメなのだ。
伯爵は甘いものが好きで、リージィの街で売っているカスタードプディングが大好物だ。
これは、とても有益とは言い難い情報かもしれない。
だが、私が欲しいのは、こういった人柄だけを示す情報だ。
私は思い出を蔑ろにし過ぎていた。
それがなんの意味も持たないと、過ぎてしまえばもう捨てたのと変わらないものだと、あの頃の私が勝手にそう思い込んでいたから。
父との思い出を、私はほとんど覚えていない。
それは、ユーゴの召喚に際して棄ててしまったから。それを対価に召喚を執り行ったからだ。
だが……
ランディッチ殿の口から父の話を聞かされて、それが自分の内に存在しないことに口惜しさを感じた。
寂しさを、悲しさを覚えたのだ。
「振り返れないことの寂しさを思い知ってしまって……そして、その思いをユーゴにもさせてしまっていることを知った」
「まだ幼い彼に、大切な友人との……もっともっと親しくなれる筈だった友人との思い出を作る機会を与えてあげられなかった」
「王として以前に、ひとりの大人として。これではいけないと思うのです」
「……そうですね。彼にはもう少し、出会いがあっても良いかもしれません」
「今の生活を恵まれていないものとは言いませんが、歳頃の少年としては、やや寂しい思いをさせてしまっている可能性は大いにあります」
だから、次に彼と出会う人物については、もっともっと親しくなれるように……と。
もっとも、それとランディッチの過去を知ることについては、あまり相関も無いのだけれど。
あの人物については、ただ私が知りたいというだけだ。
私が忘れてしまった父の面影を知る人物として。
「……であれば、やはり友軍の少年……アギト殿について詳しく知る機会を窺うべきでしょう。それこそ、騎士団の大人達から話を聞いても良いでしょうし」
「そうですね、やはりまずはアギトとミラについて知るところから始めるべきでしょう」
「っと、そうでした。彼らはまだ戻っていないでしょうか」
「ヨロクまでの道のりも整備されましたから、移動だけならばそう時間も掛からない筈ですが……」
しかし、調査範囲は広いし、それに危険も伴う最終防衛線の外の調査だからな。
まだ戻っていないということは、彼らでも苦労を強いられている……ということか。
「短期的な調査……ではありますが、彼らには土地勘もありません」
「ですが、ううん……魔獣程度に後れを取るふたりではありませんし、魔人の集いについてもその脅威性を認知していましたから」
「それに、調査という役割の意味を履き違えるとも思えません」
「危険が迫れば、それがわずかなものでも避けて、撤退してくれるでしょうが……」
「でしたら、存外順調に調査が進んでいるのかもしれません。能力について疑うところ無しと聞いておりますが、であればなおのこと」
なるほど、そういう可能性もあったか。
確かに、ミラの索敵能力があれば、危険を避けながら調査を進めることも容易いだろう。
生真面目なふたりだから、完璧な調査を終えるまでは戻らない……とまで考えているかもしれない。
「……ふふ。帰って来たら、出来る限りの報酬を準備しなければなりませんね。今のアンスーリァの未来は、あのふたりの背中に委ねられていますから」
「……お言葉ですが、陛下。その未来は本来、御身が背負うべきものかと」
うっ。ち、違うのです。今のはものの例えと言うか……私がそれを背負う為には、どうしても彼らの力を借りなければならない……と言いたかったのであって。
何も、それらをすべて来客である彼らだけに押し付けるつもりがあったわけでは……
「こほん。どちらにせよ、帰還が待ち遠しいですね」
「有益な情報を持ち帰ってくれることもですが、あの人懐っこいふたりに会えることが楽しみです。ユーゴもふたりとはずいぶん打ち解けていましたから」
ミラのあの愛らしい笑顔に早く癒されたいところだ。
そんなのどかな願いを胸の奥にしまい込んで、私はパールに手伝って貰いながら仕事に手を付け始めた。
留守の間に出来ることはやって貰っていたものの、王である私でしか決められないことも当然あるのだから。
はあ……この仕事から逃れる為にも、早くふたりとも帰って来ないものだろうか……
そんな私の思いとは裏腹に、アギトとミラが帰還することは無かった。
オクソフォンから帰還して三日、四日……そして十日が経過してからも。




