第三百十三話【身を切る準備は出来ている】
父は民を愛した王だった。父は民に愛されている筈の王だった。
それが、ランディッチの思い描く、旧友レオナルドの姿だった。
けれど、私の知る父の最期は、とても愛された男のものではなかった。
建国の式典という華々しい場で、愛した筈の民に暗殺される。
どれだけの無念と悲しみがあったかなど、父との思い出をすべて破棄した私では、到底想像することも出来ない。
けれど、もしかしたら……古くから父を知るランディッチならば、それを成し得てしまうのかもしれない。
想えてしまうからこそ、彼は沈痛な面持ちで歯を食い縛るしか出来ないでいるのかもしれない。
「……とても信じられません。レオナルドが……誰よりも民へ愛を向け続けたレオナルド王が……っ」
ランディッチはようやく顔を上げたかと思うと、今にも泣いてしまいそうなくらい目元に深いしわを作って、懇願するように私にそう尋ねた。
嘘であって欲しいと、これほど優秀な男でもそんな薄い可能性に縋らずにはいられないのだ。
「……っ。申し訳ございません、取り乱してしまいました。なにぶん……ふう。歳をとると感情的になってしまうものですから」
「……いえ、お気になさらず。無理も無いことです。友人との別れというものは、年齢に関係無く、つらく苦しいものですから」
今の私ならば、彼の気持ちも理解出来る。
そういう意味で……こんな言葉を思い浮かべてしまった自分に腹も立つが、そういう意味では今になってからの訪問で良かった。
皆を失い、絶望を経験し、自分にも人の心があったことを知った今で本当に良かった。
もしもこれが、家族の死さえ無視すべきものだと思い込んでいた頃の私だったならば……
「では、フィリア様はここへ、アンスーリァ国王として訪問なされたのですね」
「そして、最終防衛線の外の街を、再び国の中へと取り戻そうとしているさなかである……と。であれば……」
「はい。私はこのオクソフォンへ、アンスーリァへの回帰をお願いしに参りました。この国は、もう一度あるべき姿へと戻る時が来ているのです」
ランディッチは私の言葉に、少しぶりの笑顔を見せて頷いてくれた。
しかし……それでも、了承を口にはしてくれなかった。
「素晴らしい試みだと思います。私としても、レオナルドに提案した際から考えていたことです」
「国が建て直すまでは、地方を自治に委ねる。そして、国が再び力を付けた暁には、必ずすべての街を庇護の下に取り戻すのだ、と。しかし……」
「……まだ、その時期ではない。ランディッチ殿はそう考えるのですね」
さようでございます。と、彼は私に対して臆することなくそう言った。
私を王と知っても――何も知らぬ王女ではなくなっていると知っても、なお。
「……はい。私もそう思っているところです。まだ私達のアンスーリァには力が足りない。すべてを守るだけの力は無い、と」
「……ほう。それでは、オクソフォンへと合併命令を出すつもりは無い……と、そうおっしゃるのですか?」
もちろん、無理矢理になど進められるものではないだろう。
私が頷けば、ランディッチはにやりと笑って、それでは何をしにここへ参られたのですか? と、そう尋ねた。
彼は何かを悟り、私の企てに興味を抱いてくれたようだった。
「私はこのオクソフォンへ……いえ、オクソフォンを始めとした、南端の四都市へ、協力関係を結ぶ為に参りました」
「国が力を取り戻すには、どうしても外からの協力が欠かせないのです」
情けない話だとは思うが、最終防衛線の内側にはもう戦う力が残っていない。
総動員しての解放作戦に失敗して、すべてを失ってしまったのだ。
故に、どうしても人と道具の数が足りていない。
「現在のアンスーリァには、解放作戦に打って出る為だけの戦力しか残っていません。つまるところ、解放した街を復興する余力や、作戦中のランデルを守る力が無いのです」
「私はそれを、オクソフォンや他の三都市に求めてやって参りました」
今はユーザントリアの友軍がいてくれる。
しかし、彼らとてずっといてくれるわけではない。
特に、アギトとミラは、いつ返してくれと言われるか分からない。
それだけ特別な戦力を借りているのだという自覚くらいはある。
「魔獣を相手にするだけの解放作戦については、これまでにも多くの実績を上げて来ました」
「しかし……どうやらこの国には、今の政治を認められない組織が存在するそうなのです」
「そして……厄介なことに、それがとてつもなく強大なのです」
「ふむ……話は理解しました。その組織を解体するまでの間、防衛戦力を貸し出して欲しいというわけですね」
「しかし……こちらからも確認しなければならない点がいくつかございます」
ランディッチは少しだけ怖い顔になってそう言った。
ある程度の予想はして来ているし、受け答えの備えもある。
それに、思いもよらぬ問いが出たとて、うろたえることなく対応出来る自信もある。
解放作戦については長く経験してるし、覚悟も決めているのだから。
「まず、我々に対する見返りの話からです」
「愛国心から名乗り出るものもあるでしょうが、しかしそれだけで人数を確保するのは不可能でしょう」
「であれば、当然報酬についての確約が必要になります」
「はい、もちろん理解しています。これは国から街への命令ではなく、国家から自治区への要請ですので」
まず浮かぶのはリターンの問題だろう。当然、これは準備している。
こんなことすら考えていなかったなら、ユーゴにどれだけ怒られることか。
「今の宮の財政は苦しいですから、報酬金という形での支払いは小さくなってしまいます。ですが、それではとても人を集められません。ですので……」
私は持って来ていた鞄の中から、パールとリリィと、それにユーゴにも目を通して貰った資料をランディッチに提出した。
それは、現在のアンスーリァが保有する資源とその採取可能地域を纏めたものだった。
「私はアンスーリァを復興する為に、その国土を売るつもりです。もちろん、外国にという意味ではありません」
現金は準備出来ない。そして、資源を集めてそれを交渉の材料とするにも、集める為の人員が足りていない。
ならば、出来ることはひとつだ。
私が選んだ対価は、アンスーリァ全土にある自然資源だった。
「……各地の国有鉱山や森林に対して、民間にその全権を譲渡する……と、そうおっしゃるのでしょうか。それはまた……」
ランディッチはこの提案に対して、やや苦い顔を浮かべた。
彼は理解しているのだ。それがあまり良い結果を望めないことを。
国の領地を国内の自治区に譲渡する。
文面の上でその管理者が変更になり、現実的には何かが動かされるわけではない。
今すぐに明確な負債が発生するものではない……のだが……
将来的に、国の価値は大きく下がってしまう。
それが十年後か二十年後か、はたまたもっともっと先の話か。あるいは、ほんの数か月後か。それは誰にも分からない。
分からないが、間違いなく国は衰弱する。これだけは確定している。
「国とは信頼。信頼とはつまり通貨です」
「国が存在するからこそ通貨が存在し、通貨には国民から国への信頼が無ければ価値が付与されない」
「もしも、国が自らの存在を維持出来ぬほどに衰弱すれば……」
通貨は価値を失い、経済は破綻し、民は混乱の渦に飲まれるだろう。
これもまた、紛れも無い事実だ。
資源とは国の保有する未来だ。
鉱山を国が保有すれば、それを掘削する仕事を人々に任せられる。
そうなれば、そこには賃金が――経済が発生する。
しかし、その鉱山を自治区に委ねてしまえば、それをどうするかは国では定められない。
つまるところ、国の意志でコントロール出来る通貨の総数、及び国営事業の総数が減ってしまうことを意味する。
これはつまり、国家の衰弱に繋がりかねない。
もちろん、悪い目ばかりではない。
自治区がその資源を用いてとてつもない発展を遂げれば、国はそこから税を多く徴収出来る。
そうなれば国力は上がるし、経済も上向くだろう。しかし……
「……フィリア様、本当にご理解いただけているのでしょうか」
「現在のオクソフォンは、アンスーリァの経済圏には加わっておりません。これはもはや、外国への権利譲渡と変わりませんぞ」
「……はい、それも理解しています。それでもなお――国土の一部を譲渡してなお、この国に帰属する価値があると思わせられるだけの成果を挙げる。それですべてが解決するのですから」
既にアンスーリァの通貨を流通させ始めているナリッドや、最終防衛線内の街とは違う。
このオクソフォンという街は、私達とは違う通貨を用いて経済活動をしている。
言うなれば、カストル・アポリアに近しい状況だ。
引き渡した資源によって街が活発化しても、ここからは税が取れない。
どう転んでも国は損をするしかない選択なのだ。
しかし、そうするしか方法は無い。
報酬に充てられるだけの資金は無く、それ以外の見返りについても準備出来ない。
ならば、国の未来を売り渡す。そうしなければ、私達の今日が買えないのだから。
ランディッチは険しい顔をしながらも、私の提案を拒絶しなかった。
彼もまたこの街を――民を守るものとして、その提案の意味を理解していたから。
父の――古い友人の娘であり、祖国の王である私が相手だからと、目の前に現れた巨大な利益には食い付かずにはいられないのだ。




