第三百十二話【遠く離れた街までは】
 
オクソフォンの市長ランディッチと、私の父――先王との間には、幼少からの確かな絆が存在した。
そんな話を聞かされて、私は誇らしさと喜ばしさと、そしてこの街の現状への理解を得た。
優秀な人物が治めているから、街が平和で無事なのだ。と、そんなことはここへ来る前からある程度予想出来ていた。
新たに分かったことは、この街でどうして父が恨まれずに済んでいたかという点。
だが、やはりそうなると気に掛かるのは……
「……ランディッチ殿。その……こんなことを私から尋ねるのは、無礼極まりないとは自覚しているのですが。どうしても、確認したいことがあるのです」
「はい、なんでしょう。私に答えられることならば、なんでもお答えいたします」
ランディッチ殿が父を良く言ってくれたから、住民が恨みを持つことが無かった。それは分かった、分かったが……
ではどうして、ランディッチ殿は父を恨まなかったのだろう。
この街へ来てから最終防衛線というものが引かれたのか、それとも最終防衛線を引いてからここへ来たのか。
どちらにしても、宮で使用人をしていた頃に比べれば、生活の質は落ちてしまっている筈だ。
「……ランディッチ殿は父を……父の政治をどうお思いなのでしょうか」
「その……こうして最終防衛線の外で暮らすことを強いられている貴方から見て、あの政策は間違っていなかった……と、そんな風に割り切れるものなのでしょうか」
割り切っているから、それしか無いと思ったから、父を責めずにいてくれる。と、そういう話だとしても、それは待遇への不満が無いことを意味しない。
親しかったのだから、縁があったのだから、なおのことこの状況への懐疑は深まってもおかしくない。
友人だと思っていたのに、どうして。
もしや、自分は利用されていただけなのだろか。と、そんな思いが巡ったとて不思議は無いだろう。
それなのに、どうしてランディッチは笑顔で父との思い出を語れるのだろう。それが私には不思議だった。
「……その話ですか。いやはや……それについてお答えすることは、私の身を危険に晒すことにもなりかねないのですが……フィリア様の為であれば、お答えしましょう」
「ランディッチ殿の身に危険が……? け、決して他言は致しません」
「同行した皆にも、既に部屋へと入って貰っています。そのお話は、私の胸の内だけに留めますので……」
ランディッチ自身が危険に晒される……?
はて、それはいったいどういうことか。と、答えを出せないでいる私の前に、ランディッチはゆっくりと立ち上がって、カーテンを閉めたりドアの向こうの様子を耳で確認したりし始めた。
それほどまでに大きな話がある……のだろうか。
「……ふむ、誰にも聞かれていませんね。では……こほん」
「最終防衛線……国土の分割管理法につきましては、私からレオナルドへ進言したのです」
「私がこの街で、この生活を送っていることは、私自身が望んだことなのですよ」
「……ッ! ランディッチ殿自ら……ですか……?」
ランディッチは寂しげな表情を浮かべて、小さく頷いた。
使用人であった彼が、王であった父へと進言した……?
自らの生活が危険なものに変わる政策を、平和と豊かさを手に入れたばかりの彼自身が……
「レオナルドは優しい王を目指していました。そして、それは事実として成し得ていたのです」
「歴代の王を見ても、他国の王を見ても、彼ほど大衆に寄り添った王はいなかったでしょう。しかし……」
優し過ぎたのです、彼は。と、ランディッチは目を細めてそう言った。
「レオナルドはあらゆる市民を守ろうとしました。魔獣から、飢饉から、疫病から。その為に、小さな街にも役人を多く派遣していたのです。しかし……」
それでも状況は改善しなかった。そんなランディッチの言葉には納得も行く。
魔獣の問題は根が深過ぎる。その数は計り知れないものだ。
それに、父の代にはユーゴがいなかった。特別な力が――魔獣と拮抗し得るものが、人々に希望を見せられるものが無かった。
「各地へ人を派遣し続けるうちに、ランデルは疲弊し切ってしまった。そして、宮を含めたすべてが崩壊してしまうほどの経済難に陥りかけたのです」
「しかし……それだけやってもまだ、この国は魔獣の勢力を押し留められるだけの力を得られなかった」
ランディッチはそこまで話をすると、ふうと大きなため息をついた。
それからまた部屋の外の様子を気にして、人がいないことを確認してから私と向き合い直す。
そして、小さな声で話を再開した。
「……人には力がある。他人には、自分の思いもよらぬ力がある。自由だったころのレオナルドなら、きっとその可能性に賭けられたでしょう」
「しかし、その時にはもう、彼は民を守ることだけで頭がいっぱいだった。自分が守らねばならないという責任感だけで戦っていたのです」
「故に……私から進言しました」
多くの街を切り離し、自治を託し、国として守るべき範囲を限定する。そして、その先頭に自分が立つ。
ランディッチは父に向って、そう宣言したそうだ。
「結果としては……どうでしょうか。私はこのオクソフォンから見える範囲しか知りません」
「ですが……カンタビル、ブラント、サンプテム。最終防衛線を引いたカンビレッジよりもこちらは、堅固な街を作れていると自負しています」
「……そうですね。カンビレッジからこちらまでやって来て、そこに大きな差があるようには思えませんでした」
「むしろオクソフォンは、現国土として定められているあらゆる街よりも強固な守りを敷いているとさえ感じたほどです」
そうですか。と、ランディッチは安心した様子でため息をついた。
そして、すぐに目を窓の方へ――カーテンを閉めてしまって、景色など見えやしない窓の方へと向けた。
「噂では、カンビレッジから西……ウェリズには、盗賊団の治める街があると聞きます」
「いえ、ウェリズだけではありません。最終防衛線に沿うように、その外側を束ねる組織があると、そんな話を聞いています」
「これもまた、自治の形ではないでしょうか」
「……っ! はい……はい、たしかに。以前には、最終防衛線の外にコミュニティを形成する盗賊団が存在しました」
「彼らによって、いくつもの街が支えられていたことも事実です」
ほう。と、ランディッチは私の言葉に首を傾げた。
それからすぐ、今は違うのでしょうか。と、不思議そうにしたまま私に尋ねる。
「はい。まだほんのわずか前の出来事です。盗賊団と私達は……アンスーリァ王国は、友好的な協力関係を結びました」
「それによって、国の事業として最終防衛線の外の街を保護、復興しているさなかです」
「……ほほう、そうでしたか。生まれてきたばかりの自治を、国が支えて育てる。私が予定していたよりもずっと早かったですが、レオナルドはもうそこまで…………?」
ランディッチは感慨深そうに頷いて、それから何かが引っ掛かったようにまた首を傾げてしまった。
その“何か”が私に起因していることは、彼がこちらへ目を向けたことからも間違いないだろう。
「……フィリア様。貴女は先ほど、レオナルド王を先王と呼ばれましたね。その……では、彼は退位なさったのでしょうか」
「いえ、しかし……フィリア様がまだこのお歳で、それ以前には跡継ぎとなる子はいなかった筈です」
「その後にご子息が生まれたとして、まだ即位出来るようなお歳とは……」
「っ。はい……現王政はレオナルド先王のものとは変わっています」
「現在は、私が――フィリア=ネイ=アンスーリァが、女王として国政を任せていただいております」
フィリア様が……? と、ランディッチは目を丸くして、それからしばらく私のことをじっと観察していた。
嘘はついていないだろうか、なんて確認しているのだろうか。
それとも……私は王にふさわしい人間かどうかと、見極めようとしているのだろうか。
「……そう……でしたか。しかし、どちらにせよ大きなことがあったのですね」
「本来男子だけが継ぐものであった王位を、よもや王女であるフィリア様に……ああ、いえ。今はもう王女ではなく、女王陛下でございましたね」
そうですか。と、ランディッチは自分に言い聞かせるようにそれを繰り返して、段々と悔しそうな顔になって、まだ何も見えない窓を睨み始めた。
悔しそうに、少しだけ嬉しそうに。くそうと言葉を漏らし始めるころには、彼の横顔は笑っていた。
「レオナルドめ、いつからかまったく連絡を寄こさなくなったと思えば。フィリア様の即位の際には、私も参上してお祝いの言葉を述べさせていただきたかったのに」
「それに、王位を退かねばならぬほどのことがあったなどと、真っ先に私に連絡すべきだろう」
ランディッチは少年のようにそんな文句をこぼし始めた。
ああ、そうだ。彼は知らない。彼は知り得なかったのだ。
このオクソフォンまでは、ランデルで起こった事件など、風に乗っても届かない。だから……
「それで、レオナルドの容体はどうなのですか。跡継ぎも待たず退位なされたとあれば、さぞ大病を患ったのでしょう」
「……っ。父は……レオナルド先王は……十余年の時を遡り、逝去なされました。建国の記念式典のさなかに、市民に暗殺されたのです」
隠すべきかとも思った。
父を愛してくれているランディッチには、この話はより残酷なものに聞こえてしまうかもしれない、と。
けれど……決してそんな不義理を働いて良い相手ではないとも思った。
だから……私はすべてを打ち明けることに決めた。
父が亡くなったことも。そして、それが愛していた民からの凶弾によるものであったことも。
「……暗殺……市民に……? レオナルドが……あれほど民を愛した男が……っ」
ランディッチはそれからすぐに険しい表情になって……そして、きっとすべてを悟ったのだろう。
跡継ぎが生まれるよりも前に王が亡くなって、王政を維持する為だけに私が代替の王として即位したことまで。
ランディッチはしばらく何も言わず、顔も上げずに、机の上で頭を抱えてしまっていた。
先ほど見せてくれた若々しい笑顔などは消え失せて、彼の背中には悲壮感だけが残されていた。




