第三百八話【何も知らぬ街】
カンビレッジを出発しておよそ半日と少し。私達は無事にオクソフォンへと到着した。
「――で――かいな。ここが……」
「オクソフォン……で、間違いないでしょう」
デカい。と、ユーゴがそんな言葉ばかりを繰り返しているのは、目の前にそびえている大きな砦を見たからだった。
最終防衛線内ではもっとも苛烈な戦闘が繰り広げられていたヨロクにあるものよりも、ダーンフールに私達が新設したものよりも大きな壁は、ここがオクソフォンであることを――国の力に頼らずとも生き抜いてきた強い街であることを物語っている。
「……なあ、フィリア。こんなとこ、本当に解放……って言うか、協力して貰えるのか?」
「ジャンセンの時と違って、どう見ても困ってなさそうだぞ」
「そ、それを今から言わないでください……こほん」
「それに、困っているかいないかという問題ならば、困っていない道理も無いでしょう。魔獣に対処出来ているとは言っても、それに対処を要されているとも捉えられます」
「この街にもきっと、私達で協力出来ることがある筈です」
ボランティアみたいなこと言い始めたな。と、ユーゴは冷たい目を私へ向ける。
なんだか意味は分かりませんが、少なくとも王として、国の代表としてふさわしくない発言だろうと咎められたことだけは分かった。
そういう顔をしているから……というだけですが。
「……とは言え、まず通行の許可が下りるかどうか……というところから問題なのですよね」
「身分を隠して侵入するだけならば簡単でしょうが、現国王と名乗れば、いい顔をされない可能性も十分に考えられます」
しかし、ここで身分を隠したとて、私達の目的は達せられない。
今度は調査ではなく、友好的な協力を申し出ることにある。
カストル・アポリアを始めて訪問した時のようにはいかない。
「……だったら、あんまりのんきなことばっかり言うなよ……? そもそも女王なのかってとこから怪しまれるぞ」
「うっ……私の言動はそんなにも威厳に欠くものなのですか……」
これっぽっちも感じない。とまで言い切られてしまっては、私ももう言い返す言葉を持っていなかった。
しかし、彼の言う国王らしい振る舞いというものが、私にはどうにも……
だが、拒まれてしまったから今日は大人しく帰ろう。と、そんなわけにもいかないのだ。
ことは一刻を争う、何度も何度も南への遠征を繰り返す余裕など無い。
今回の時点である程度話を付けられないのならば、他の問題へ着手するのが遅れてしまう。
そうなれば、今も調査をしてくれている筈のアギトとミラに申し訳が立たない。
「しかし、これと言って構えられるものも持っていません。それに、策を弄して取り入ったのでは、いずれその関係は悪い方向へと破綻します」
「素直に素性を打ち明けて、真正面から対話を望む以外にありません」
「……言ってることは間違ってなさそうだけど……フィリアのそれって結構おっかないんだよな……」
私はそんなにも信頼を得られていないのだな……なんて落ち込む暇も惜しい。
私達は馬車に乗ったまま砦の関へと向かって、門番の検閲を受けることに決めた。
何も隠さず、何にも動じずに。
「見ない馬車だな、どこからの荷物だ。あっちから来たように見えたが……まさか、バリスやカンビレッジから逃げて来たのか?」
「事情は知らないが、あそこはまだずいぶん安全だっただろう。国の保護も行き届いていた筈だ」
門の前に馬車が止まると、友好的な態度の男が馭者へとそんな質問を投げたのが聞こえた。
当然だが、やはりこれがランデルから来た馬車などとはわずかも考えていないようだ。
もっとも、これはユーザントリアの馬車だから。見かけで判断など出来よう筈も無いのだけれど。
「すみません、私が代わります。今出ますから、もう少しだけ待っていてください」
「ん、なんだ、中に人がいたのか。荷馬車じゃないとなると、本当に集団避難か? そりゃあこの街は安全だが……逃げ込むのなら、ここよりもカンビレッジの方が……」
あの、いえ、避難民ではなくて。
これもやはり仕方のないことかもしれないが、どうしても逃げ込んできたのだと勘違いされてしまうらしい。
魔獣の脅威があり、国の力と保護が薄れてしまっていたという事実を鑑みれば、そう考えるのが自然ではあるものの……やはり、王としては嘆かわしい言葉だろう。
「……すう。私はフィリア=ネイ=アンスーリァと申します。国を代表して、ランデルより参りました」
しかし、嘆かわしくても悲しくても、今やるべきことには変わりなどない。
私はひとりだけで馬車から降りて、なんの手荷物も持たずに門番の前へと躍り出た。
名を名乗り、それが何を意味するのかを告げる為に。だが……
「……フィリア=ネイ……国を代表して……? それはまた……ずいぶんと大きな嘘をついたものだなぁ」
「確かに、防衛線内から逃げて来たんだとしたら、多少はバツも悪いかもしれないけど。だからって、アンスーリァの名前を引っ張り出すのはどうかと思うよ」
「っ!? ち、違います! 私は本当にそういう名で、現王政の国王なのです!」
「確かに、この街が最終防衛線によって国から隔てられた時には、まだ先王の時代でしたが……」
私の言葉に、男はにこにこ笑って頷いていた。
確かに国から弾き出された事実はあるが、だからって王様をそこまで憎んでるわけじゃない、と。
「これしか手段が無かったと判断して、苦悩した上で決断されたことだろう。それはきっと間違っていなかった。だから、嘘でも王様が代わられたなどとは言わないで欲しい」
「それではまるで、こうしていくつもの街を切り離したことが間違いだったと、それを咎められてしまったのだと言われているようだよ」
男はどうやら本心からそれを言っているようだった。
あの政策を間違いだと認めれば、自分達のこれまでの苦労と苦痛はなんだったのか……と、そんな思いから言っているのでもない。
本当に先王を……父を、心から尊敬している態度だった。
「中には他にも誰かいるのかい。だったら、一応全員の顔を見せてくれないか」
「ここは門で、自分はその番だ。不審なものが無いかを確認する義務があるからね」
「あ、あの……はい。では、こちらからどうぞ……」
そんな彼を前に、私はそれ以上何も言えなかった。
何も……言いたくなかった……のかもしれない。
先王は敬われていた。
私の父は、切り捨てた街の人からすらも尊敬されていた。
民を愛し、その見返りとして皆が自分を敬ってくれるという父の言葉を思い返せば、これほど喜ばしいことは無い……筈なのに。
「みんなこっちに顔を見せてくれ。疑ってるわけじゃない……なんて言うと仕事をサボってることにもなるけど、疑いたくないのは事実だから」
「出来るだけこっちに来て、顔が見えるように……ん、子供もいたのか。それから……」
先王はまだ求められていた。
求めてくれる人々がまだいたにもかかわらず、凶弾に倒れてしまった。
そのことが悔しいから……だけであったらどれだけ良かっただろう。
まだ、この国には先王が必要だったのではないだろうか。
私ではなく、父が。
私のような未熟な人間ではなく、父のような偉大な王が必要とされていたのではないだろうか。
分かっていた。
自分が王に足り得ないことも、父が偉大であったことも。
とっくに理解して、それでも自分がその位に就いてしまったからには……と、必死に努力してきたつもりだった。
だが……こうして現実を知れば、嫌でも思い知ってしまう。
やはり、私はまだこの国の王にはふさわしくないのだ……と。
「……ちょっと、お嬢さん。もしかして、この人らはあれかな。外国の人かな」
「となると……ウェリズ辺りに外国船が着くようになったのかい? それで、働き場を求めてこっちまで出向いた……とか」
「え、ええと……」
いや、隠さなくてもいいんだ。この街は誰でも受け入れるし、どんな人でも働ける。と、男はにこやかにそう言って、そしてすぐにまた馬車の中へと顔を向けた。
「長旅だったみたいだね、お疲れさん。もう少しだけ……荷物の確認だけしたら通行許可を降ろせる。あとちょっと協力して欲しい」
男の言っていることはてんで的外れで、紛れもなく私が現国王なのだと訂正しなければならない。
ならない……のに……
どうしてもそれが言い出せなくて――言っても聞いて貰えない気がしてしまって、そうなったら今の自分を否定された気分になってしまいそうで。
私はただ、されるがままになってしまっていた。
それからすぐ、馬車には通行許可が下りた。
男に見送られて門をくぐると、その先には立派できれいな街並みが待っていた。
普段ならば心躍るその光景にも、今日の私はもの寂しさを覚えるばかりで……
「……やはり……私ではダメなのでしょうか……」
自分が直接否定されたわけではない。
むしろ、民に失望されたと思っていた父が、まだこうして支持を受けていられる場所があったのだ。
喜ばしいこと……なのに……
門をくぐり抜けた馬車は、すぐにまた別の憲兵に声を掛けられて、移住希望者ということで役場へと案内された。
私が何も言えなかったから、すべてなされるままに。




