第三百五話【誰もが進む、誰もが止まらぬ】
カンビレッジ南部に位置する旧砦跡。
かつて国が廃棄し、盗賊団が占領して、今は特別隊の活動拠点となっている場所。
その一室で、私は砦の指揮官であるグリフィーから、現在のカンビレッジの状況を――周辺の魔獣であったり、街の経済状況であったり、今まで知る余裕の無かったランデルの外の事情を、ひとつずつ教えて貰っていた。
そしてその情報をもとに、私達は更に南へと歩を進める。
目的地はオクソフォン。かつてバスカーク伯爵に調べて貰った、魔獣の脅威を自らの力だけで払い除けている強い街だ。
「……ふむ。昨日今日で準備出来る量、質ではありませんね。ずっと……私達の為に、ずっとずっと調べてくださっていたのですね。心より感謝します」
「いいえ、当然のことです。頭にそう指示されたから……だけではありません。特別隊という組織に加え入れて頂いた瞬間より、私達はこのアンスーリァ王国の為に尽力すると決めていました」
「ならば、一刻であろうと仕事を蔑ろにしたりは出来ません」
グリフィーはしゃんと胸を張って、私の言葉にそう答えてくれた。
なんと頼もしく、なんとありがたい話か。
ジャンセンさんの奇妙な嘘の所為で私の人格を誤認しているということを抜きにしても、彼の……いいや、この砦の隊員すべての勤勉さには頭が下がるばかりだ。
「ユーゴ、貴方から見てどう思いますか。私の見立てでは、西からの道を進めば、比較的安全に到着出来るようにも思えます。ですが……」
「そういうの、俺じゃなくてフィリアが決める約束だろ。まあ……相談相手が欲しいってことなら、今は俺しかいないから、聞くけど」
力の振るいどころは私が決める。と、その約束はやはり変わらないのだな。
それでも、私が頼っていると分かれば、彼はなんだかんだと協力してくれる。
言葉とは裏腹に、根は素直で真面目な子だからな。
「……今朝決めた通りに考えれば、フィリアの言う通り一回西に進んでから南下する方が良いかもな」
今朝決めた通り。と言うのは、明朝早くにやって来たユーゴによって、無理矢理決めさせられた選択肢の話だ。
そのおかげでスムーズに決定出来ることはありがたいが、もう少しだけゆっくりさせてくれても……ではなくて。
選択肢は……いや、経路と呼ぶべきか。それはまずふたつに分かれる。
カンビレッジからオクソフォンまでの直線上には、大きな山が存在する。
残念ながら、現在の装備でこれを越えて進むことは不可能だ。
ならば、それを右へ避けるか左へ避けるかを決めなければならない。
この時の判断材料を減らす為に、私達は今朝早くからいろいろと案を巡らせていたのだ。
まずひとつ、天候はどうか。
山の近くを通り過ぎるのは、きっと今日の夕暮れ前になるだろう。
となった際に、雨がどう影響するかを考えた。
雨が降るのならば川からは離れよう。雨が降らないのならば川沿いを進もう、と。
そしてふたつ、南部の魔獣の生息状況はどうなっているか。
これもやはり、今は戦える人員が少な過ぎるから。
ユーゴの力に不足がある筈も無いが、彼の体力とて無限ではない。
やはり、安全は出来る限り事前に確保すべきだろう。
もっとも重要なのは三つ目。
どちらに見なければならないものがあるか、だ。
魔獣は避ける。
だが、カンビレッジや他の街への脅威となるような魔獣の巣があるのならば、それを無視して進むわけにもいかない。
国の安寧の為に協力を。と、そう言葉にする以上、結果を伴わなければ、オクソフォンの住民にも信頼して貰えないだろう。
「フィリア、今朝のやつも出せ。見落としが無いかちゃんと確認しとかないと、面倒が起こってからじゃ困るのはお前なんだからな」
雨は降りそうにない。魔獣の生息についても大きな差は付いていない。
そして、特別な問題も発生していない。
予定の中ではもっとも確率が高く、もっとも望ましい状況だと言えよう。
その際に選ぶべきは、山を西側から通り過ぎて、出来る限り最短でオクソフォンを目指せるルートだ。
ユーゴはそれを今朝の内に決めてくれていた。もちろん、私も協力した。
ふたりでやったこと……ではあるが、それをやろうと言ってくれたのはユーゴだ。なら、これは彼の手柄だろう。
そして同時に、自分が責任を負うべきだと、ユーゴ自身が感じているものだ。
だから、ユーゴはやや強引に私をこき使って……もとい、指示を出して、あれこれと今朝散々確認した資料を読み直す。
そんな様子を、グリフィーもアービーも不思議そうな顔で……そして、怯えた様子で見守っていた。
「……彼は特別なのですよ。その……なんと言うのか。彼には王を敬うべきだという義務はありません」
「いえ、それ自体は国民の誰にも無いのですが……そうではなく」
ユーゴには、この国を救い、希望を国民に振り撒くこと以外に、しなければならないことは無い。と、私がそう言えば、ふたりはなおさら怪訝な顔をしてしまった。
ううん……私のことは面白おかしく吹聴してくれていたのに、ユーゴの紹介はまったくしていなかったのだな、ジャンセンさんは。
「彼はこの世界を救う戦士です。その為に私が連れてきた、特別な存在なのです」
「今はまだ、こうして知られていない場所もありますが、いずれは国の誰もがその名とその活躍を知る、世界最大の英雄になるでしょう」
「世界最大の……ですか」
真剣な顔で紙束を睨み付けるユーゴの背中を、アービーはじっと見つめて首を傾げてしまった。
いえ、違うのです。最大の……と言うのは、物理的な大きさを指すのではなく。
この国が始まって以来最大の逸話を誇る……という、存在感の話をしていてですね……
「……ええ、頭から名前だけは伺っています。女王陛下の懐刀であり、姉さんよりも個人としての戦闘能力に秀でる戦士だ……と」
「ただ……そう聞かされていたものですから、てっきり巨人のような屈強な男かと……」
「おい、誰が子供だ。ジャンセンから何聞かされたか知らないけど、いろいろ間違ってるからな。フィリアはもっとしょぼいし、俺はアイツが思ってた以上に…………」
思っていた以上に……?
ユーゴのことだ、ジャンセンさんの言葉には目一杯張り合うだろうと、言葉以上に強いんだ。と、そう言い切ってしまうかなと思っていたのだが……
ユーゴは何かを言おうとして、けれどそれを飲み込んで俯いてしまった。
そんな姿を見れば、にぶいと言われ続ける私にもその真意は理解出来る。
「……彼はまだ、成長途上にあります。だからこそ、ジャンセンさんは彼を全力で逃がしてくださいました」
「彼ならば、彼の力さえあれば、この国をかならず良い方向へ進められる、と。そう確信していたからでしょう」
ジャンセンさんがなんと言っていたとしても、自分は彼を守り切れなかった。
それが、今のユーゴの胸の中にあるすべてだろう。
そしてそれは、私がどんな言葉を掛けたとて覆らない、慰めようの無い深い傷だ。
けれど、ジャンセンさんがユーゴに期待し、信頼を寄せ、すべてを託したことは間違いなく事実だ。
ならば、私はそれこそを伝えるべきだろう。
私の言葉に、グリフィーもアービーも背筋を伸ばし、まだ俯いたままのユーゴの背中へと視線を向けた。
ユーゴはそんなことも知らず、俯いて、後悔して、嫌な記憶を噛み潰して、すぐにまた資料を読み漁り始める。
そんな姿を見せられるのなら、きっと誰にもまた信頼して貰えるだろう。
「確認が終わり次第出発します。もしもオクソフォンにて良い返事をいただけたなら、このカンビレッジは交流の窓口となるでしょう」
「貴方の指揮ならば安心して任せられます。どうか、これからもこの街をお願いします」
「はっ。御身のご期待に、必ずや応えてみせましょう」
大丈夫だ。と、なんとなくそんな考えが頭の中に浮かんだ。
ユーゴはまだ苦悩の真っ只中にいる。
けれど、それでももう立ち止まらないし、それを理由に塞ぎ込まない。
そして、ジャンセンさん不在であろうともこの組織は強い。
あの方が遺してくれたものは、ただの組織だけではない。
彼が目指したものと、その精神力を受け継ぐだけの頼もしい人々だ。
そんな希望を胸に抱いて、また私達は馬車に乗り込んだ。
目的地はオクソフォン。この希望を見つけてくれた伯爵に報いる為にも、決してだらしない姿は見せられない。
油断無く、しかし張り詰め過ぎることも無く。一刻一瞬を大切にしながら先へと進もう。
女王フィリアがカンビレッジの砦を離れ、オクソフォンへと到着するころのことだった。
場所はヨロク――最終防衛線最北端の街。
つい先日、その安全を確保し直したばかりの街から、いくらか北へと進んだ樹林でのことだった。
「――――ミラ――――っ。起きろ――起きてくれ――――ミラ――――っ!」
新緑に吸い込まれて反響しない少年の叫び声は、あまりに悲痛なものだった。
優しく、穏やかで、のんびりとした少年アギトの、後悔と苦痛のこもった叫び声だった。
「――天の勇者――魔王を討ちし者――っ」
「ふふ――はは――あははははは――っ! 好い――好い好い好い――っ! 最高の拾い物だわ――っ!」
そんな叫びをかき消すように、女の声が響いた。
彼のものよりも少しだけ長く残り、けれどそれもすぐに木々のざわめきに吸い込まれて消える。
それでも、ほんのわずかにだけアギトの声よりも長く、その場にとどまった。
ほんのわずかにでも、彼の言葉よりも強い意味を残すかのように。
「――――フィリア=ネイ=アンスーリァ――――ッッ」
「今度こそ――今度こそお前の息の根を止めてくれるわ――ッ! あーっはっはっは!」
地面に横たわる少年の睨む先には、同じく突っ伏したままの少女の姿と、それを足蹴にする女の姿があった。
動かなくなった勇者の姿と、ひとりの女の――魔人ゴートマンの姿が。




