第三百四話【思いもよらぬ置き土産】
日も昇り、街にも活気が出始めた頃、私達はカンビレッジを出発した。
と言っても、その領地からはまだ出ない。街から少し外れた砦跡に――特別隊の活動拠点に向かったのだ。
「おはようございます、フィリアです。入りますよ」
「……それ、本当に要るのか……? いっつもいっつも……」
挨拶は必要なことです、おろそかにしてはいけません。なんて、まるで母親のようなことをユーゴに言って…………私はひとり、勝手に気を落としてしまった。
まだ……まだこんなにも大きな子のいる歳では……
「おはようございます、女王陛下。ナリッド駐在の隊員からお話は伺っています。また……いいえ。まだ、私達は戦えるのですね」
こほん。勝手な傷心もそこそこに、私は出迎えに出て来てくれた、まだ少年とすら呼べそうな若者に頭を下げる。
まず、説明が遅れてしまったことを謝罪し、そしてこれからの協力をお願いする意図で。
けれど……彼はそんな私の姿を見てすぐ、慌てて私よりも深く頭を下げてしまった。
「ああっ、違うのです。私から謝罪しなければならないことがあって……」
「……お前、いい加減学べよな。本当に王様かよ」
王だからとそれだけでふんぞり返っていていい筈も無いのです。と、そんな私の持論を語ろうとも、皆が私を前に委縮しない理由にもならない。
はあ……こんなことを思ってはいけないと分かっていますが、やはりミラは変わった子だったのですね。
「……こほん。話が行き届いているのならば結構です。私達はこれから、もう一度この国全土の解放を目指します。どうか、協力してください」
「も、もちろんです! 私達は頭に拾って貰って、盗みを働くことでしか生きられなかった。それを、陛下はみんなに仕事を与えてくださり、居場所まで作ってくださいました」
「その恩に報いる為ならば、私は命をも捧げる覚悟です!」
い、いえ、命は大切にして欲しいのです。
しかし……嬉しいことを言われてしまったな。
私など、所詮はジャンセンさんのおまけ、国という組織と彼を結んでいるだけの装置程度にしか認識されていないとさえ思っていたのに。
「……私への恩よりも、皆の平穏の為に戦ってください。それが私の望みですから」
「は、はい! 国の平和の為に、この身を粉にして働き続けてみせます!」
ですから、自分をもう少し大切に……はあ。
私としては、自分の周りにいる人々……という意味で、皆と言ったつもりだったのだがな。
まあ、これをいちいち訂正する必要も無いだろう。
「昨晩、連絡を受けて部屋を準備してございます。案内します、こちらへ……ああっ!」
「も、申し遅れました! 私はアービーというもので、現在はこのカンビレッジで生態調査を主に行っております!」
「アービーですね、よろしくお願いします。それと……もう少しだけ楽にしてくれて構いませんよ……? 特別隊は、国ではなく私の保有する組織ですから」
「今の私は確かに責任者かもしれませんが、王としての権限は持ち込んでいませんから」
アービーは私の言葉に、笑顔を見せてはきはきと返事をしてくれた。
承知致しました、女王陛下。お心遣いいただき、心より感謝申し上げます。と、なんとも堅苦しい返事を。
女王として来ているわけではないと言ったばかりなのに……
そんなアービーに連れられて、私は以前にも何度か利用した大きな部屋へと通された。
当然だが、誰がいなくなろうと、施設の機能自体が変わったりはしない。
だから、ここは会議室のまま、というわけだ。
「ご足労いただき誠にありがとうございます、陛下。私はグリフィーと申します。現在、この砦の総指揮を執らせていただいています」
部屋へ入ればすぐに、背の高い……ジャンセンさんよりも、あるいは私の知る国軍の誰よりも背の高い男に出迎えられた。
総指揮を……と言っていたから、きっとジャンセンさんに指名されたのだろう。
それだけ能力もあり、評価の高い人物というわけだ。
「連絡を受け、こちらに資料を準備してございます」
「本来ならば私どもから宮へとご報告に参らねばならないところを、このような形になってしまい、心よりお詫び申し上げます」
「いえ、貴方が謝る必要などありません。もとはと言えば、私が特別隊の復旧を後に回したことが原因です」
「それに、皆がこれをランデルまで運ぶ為の馬車も、ほとんど無くなってしまいましたから」
「皆に迷惑を掛けたのは私です、謝罪ならばこちらからさせてください」
そんな私の言葉に、またしてもアービーは慌てて頭を下げてしまって、グリフィーも驚いた様子で膝を突いてしまっていた。
「……おい、フィリア。学べって」
「そ、それとこれとは話が別です。この件については、全面的に私の責任ですから」
「謝罪は必要なことで、それを欠かしては礼儀も何もあったものではありません」
しかし……ううん。その度に周りを慌てさせていては、それもそれで問題だろうか。
それにしても、謝られたというだけでこれほど取り乱さなくとも良いだろうに。
ジャンセンさんやマリアノさんなど、私のことを気の違った狂人だとすら言っていたのに……
「……こほん。では、確認しますね。急な頼みを聞いていただき、ありがとうございます。またこうして皆とともに頑張れることを嬉しく思います」
「私のようなものにそのようなお言葉をいただけるとは……光栄です、女王陛下」
光栄とまで言われれば、流石に嫌な気分も無い。
無いが……ううん? どうにも……ううん。
これでも長く王を務めているし、王族の生まれでもある。
敬われることには慣れているつもりだったが、ここまでかしこまられることはなかなか無かったから……
「……もしや……グリフィー。ジャンセンさんから私のことを紹介されていませんでしたか? アービーも、思い当たる節は無いでしょうか」
「あの方から、フィリア=ネイとはどのような人間である……と、そんな話を聞かされていませんか?」
「はい、おっしゃる通りでございます。頭から何度も聞かされ、御身の素晴らしきお人柄につきましては、少なくともこの砦の中の人間は存じ上げております」
「いえ、もちろん、それは話に聞いたというだけのこと。こうして直に向き合えば、陛下の高貴さは聞きしに勝るものであると……」
そ、その話を詳しく聞かせて欲しいのですがっ⁉
私が慌てて大声を出したものだからグリフィーもアービーも目を丸くして、まるで咎められているかのような顔になってしまった。
ああっ、怒っていません。決して、決して貴方達には何も文句など無いのです。ある筈が無いのですよ。
「頭からは、フィリア女王陛下は大変慈悲深く、我々のような賊をも受けいれてくださる懐の深さを持ち、国の未来を案じて自ら奔走するほどの献身を見せ、その為に遊撃部隊を設立する思慮深さも併せ、時に常人には思いもよらぬ手段で問題を打開する、他に代えがたき特別なお方である……と」
うっ……う……ううん。思っていたよりも誇大に紹介されていたのだな、私は。
もちろん、ただいたずらの為にそんなことをしたのではあるまい。
組織を纏める為に、強い強いカリスマが必要だったのだ。
それこそ、ジャンセンさんの上に立つことを皆に認めて貰うくらいの。
それで……だ。ここまでは良い、ただ私が褒められていたというだけだから。
いえ、そのほとんどが過剰な言葉で、買い被りと言うにもほどがあるものではあるのですが。
もし、問題があるとすれば…………
「ほ、他にはなんと。その……あの方のことです、皆に残した言葉の中にも、何か複数の意図が隠されている可能性があるのです」
「今はもうその真実を知ることが出来ませんが、それに迫る努力は必要でしょう。なので……一言一句、覚えている限りですべて教えていただけませんか」
「頭の……残したもの……っ。かしこまりました、そうおっしゃるのでしたら」
「ただ、少しだけお時間をいただいてよろしいでしょうか。アービーとも話をして、より明確に、正確に思い出しますので」
うっ。す、少しだけ罪悪感が。
しかし、それを確かめておく必要は……無いと言われてしまうと反論出来ないが、私個人としてはとても大きな意味があると思っている。
グリフィーとアービーは部屋の隅で固まって、ひそひそと話し合いを始めた。
アレを言ったらまずい、これは隠さなければ。と、そういうやりとりではないだろう。
些細な言葉にも暗号か何かが隠されているかもしれないから……なんて、女王にそんなことを言われて隠しごとなど企むまい。
それから少しして、ふたりが私の前に戻って来た。
そして、どことなく顔色の悪いアービーの姿に、その時点でなんとなくの察しが付いてしまった。
女王フィリアは厳格な統治者で、礼を欠くものは容赦なく処罰する。
ジャンセンさんであれ、マリアノさんであれ、国民である限りは例外ではない。
ただひとり、彼女の懐刀であるユーゴを除いては。
と、そんな言葉で、ジャンセンさんは特別隊の規律を厳格化させていたようだ。
その……出来れば事前に相談しておいて欲しかった……っ。
そして……止められるものならば止めたかった……っ。
だから……だからナリッドでもあんなに怯えられたのですね……




