第三百二話【喧嘩をするほど】
アギトとミラの力を借りて、北の調査と南の解放を同時に行う。
それは、彼らがこの国へ来たばかりの頃ならば、絵空ごとにすらならない妄言だっただろう。
けれど、彼らとともに過ごし、彼らに影響され、彼らの助けを借りて、私達はひとつの成果を挙げた。
ヨロクまでの主要な街を解放し、道路を作り直し、魔獣への対策を完了する。
その一歩は大きな自信を生み、同時に私を縛っていたしがらみを――議会の否定的な姿勢を打ち壊してくれた。
更に、特別隊も再稼働した。
ジムズという男を筆頭に、解放した街の復興を任せられる組織が復活したのだ。
これによって、妄言は理想になり、理想は可能性になり、可能性は目標に、目標は目的へと変化する。そして……
「――それではふたりとも、よろしくお願いします。どうか無事に戻ってください」
「任せテ。今回もサクッと調べて、ぱぱっと戻って来るワ」
目的を明確に定めれば、私達は行動に移れる。
南への遠征に必要な資金と物資、そして人材を確保するとすぐ、私はアギトとミラに、ヨロク以北への調査をお願いした。
「……ところで、アギトはどうかしたのでしょうか。その……今朝はずいぶんと……」
「……? 別に、何も無いわヨ? いつもよりもっと間抜けな顔してはいるケド……」
変化に気付いているのに、どうして何も無いと言ってしまうのでしょう……
信頼、信用、そして何より深い相互理解があるからだとは理解しているが、どうにもミラはアギトをぞんざいに扱いがちだな……ではなくて。
また調査に行って欲しい。と、それを伝える為に応接室へとふたりを呼び出したのだが、今朝に限ってアギトの様子が少し変だ。
何やら落ち着かないと言うか、周囲をしきりに気にしている様子だ。何かあったのだろうか。
「……こほん。大丈夫ですよ、アギト。この部屋の中の会話を盗み聞きしようというものはありません。なので、貴方もミラと同じように楽にしてください」
「あっ、いえっ……その……女王……さま……ありがとうございます、気を遣っていただいて」
ふむ。やはり、以前言っていた“女王”という呼び方について、まだ彼の中に問題が残っているのだろう。
その……女王がいかがわしい言葉……というのは理解出来なかったが、少なくとももうひとつの世界での生活に支障をきたし始めているのは事実。
ならば、それを取り除けば……
「フィリア。と、この場ではそう呼んでください。皆の前とこの場とで意識的に呼び変えれば、自ずともうひとつの世界にも影響するでしょう」
「少なくとも、そちらの世界では本物の国王と謁見する機会はそう無いのですよね。ならば、呼び間違えもずっと減るでしょうから」
「えっ……あ……ありがとうございます、女王……さま……」
いえ、ですから……と、私から言ってもあまり効果は無いのかな。
こればかりは本人の気持ちの問題もある。
ミラは特別人懐こい子だったから、私を友人として扱うのもすぐに慣れてくれた。しかし……
根本的な前提として、私とアギトとでは歳も違うし、性別も違う。
それに、趣味趣向もずっとかけ離れたものだろう。
事実、彼はユーゴとすっかり打ち解けてくれている様子だし、知り合ってからの時間はもう問題ではない筈だ。
「……そうです。ここ数日、ユーゴがそちらを訪ねていなかったようですが、何かあったのでしょうか」
「あの子はふたりとの鍛錬を楽しみにしていた様子だったので、そちらの都合が悪かったのかなとは思っているのですが……」
「うぐーっ⁈ そ、そそそそそそそそれはでででででですね…………」
こ、こんなにも分かりやすい反応があって良いのだろうか。
どうやらも何も、まず間違いなく、アギトとユーゴの間に何かあったようだ。
そして……その件を気にして、アギトは周囲を――この宮の中を、どこかにいるユーゴを意識して落ち着けないでいる……のか。
「何か失礼があったでしょうか。あの子はどうにも……打ち解ければ打ち解けただけ、失礼な言葉を使ってしまう傾向にありますから……はあ」
「もしも気分を害してしまっていたのなら、私から謝罪します。どうか、許してやってください」
「えっ⁉ い、いえいえいえいえいえいえいえ! 違うんです! ユーゴは何も悪くなくて! むしろ俺の方が……俺の……俺が…………はああぁぁぁ」
アギトはこれまでに見たことの無いくらい大きなため息をついて、床に手を突いて落ち込んでしまった。
い、いったい何があったのだろう。
しかし……ううん? ユーゴに何かを言われたのではなくて、アギトの方から……?
「……その……申し訳ありません、女……王……さま……」
「あの……フィリア。と、呼んでいただいても……」
なんと言うか……アギトは自分の気持ちに振り回されやすい性格なのかな。
落ち込んでしまったことに引っ張られてか、もう女王という単語を口にするだけでもずいぶん緊張しているように見える。
呼び方など、そうまでして貫くものでもないでしょうに……
「……ごほん。その……ふぃ……フィリアさん…………げふぅっ⁈ だ、ダメだ……ダメだこれは……いろいろと……いろいろと問題に……っ」
「いえ……その……今のこのやりとりの時間の方が問題になってしまうので、構わずフィリアと呼んでください。それも嫌なのでしたら、呼びやすい名で好きに呼んでいただいて構いませんから」
い、嫌なわけではないんです! と、アギトは大慌てで顔を上げ、涙を浮かべながら、上げたばかりの頭を何度も何度も下げた。
ううん……彼はどうにも……
「バカアギト、女王様の時間をいつまで無駄にするつもりヨ。礼儀正しくしたいんならバシっと決めなさイ」
「それが出来ないんなら余計な時間を使うんじゃないワ。本当にアンタは仕事の出来ない男ネ」
「ふぐっ…………ぐっ……うっ……ぐすん。そうだな……うん。じゃあ……その……こほん、ふぃ…………フィリアさん」
ああっ。出来れば言わずにいようと思っていたことを。
しかし、ミラがあっさりと切り捨てたおかげか、アギトはようやく吹っ切れてくれたようだ。
こんなことをこうまで気負わないでいただきたかったが、済んだことは良い。
「……申し訳ありません。その……先日、俺があんまりにも無神経なことを言ってしまって……」
「ユーゴのこと、めちゃめちゃ怒らせちゃったんです。本当に……本当に申し訳ありません」
「ユーゴが……怒った……ですか。そう……ですか」
申し訳ございませんでした! と、アギトは謝罪に謝罪を重ね続け、ついには床に着くくらい頭を下げてしまっていた。
そ、そんなに謝らなくても……
「……せっかく仲良くなれたのに。それに……フィリアさんとも約束したのに」
「ユーゴと友達になるって、心の傷を埋められるようにって」
「そうでなくても、やっと気を許してくれたのに……っ。俺、ユーゴのこと裏切るようなことしちゃって……」
「そ、そんなに思い詰めないでください。大丈夫ですよ、ユーゴは賢い子ですから。少し言い合いになったくらいなら、すぐに頭を冷やして、何ごとも無かったように振る舞う筈です。それに……」
それに……? と、首を傾げたのはミラだった。
そして、そんなミラの姿に、私もつい釣られて首を傾げて……ふたりに怪訝な目で見られてしまった。
ち、違うのです。何も考えていなかったのではなくて。
「……あの子は打ち解けた相手としか喧嘩もしませんでしたから」
「私には一方的に言うばかりで、対等に言い合いをしたことなど一度もありませんでした」
「あの子が喧嘩をする相手はいつも、ジャンセンさんやバスカーク伯爵……心から尊敬している相手ばかりだったのですよ」
首を傾げてしまったのは、私もどうしてそうなっているのかが分からなかったから。
理屈も理由も私には分からないが、あの子は仲良くなった相手と――仲良くなりたい相手としか喧嘩をしないのだ。
もしかしたら、彼にとってこの場所が――この世界が、あくまでも訪問した場所であるという意識があったのかもしれない。
自分はこの場所では余所者だという意識があって、どうしても一歩引いてしまっていた……とか。
そんな気持ちの壁を打ち破るくらい魅力的な人物が、彼の引いた線をあっさり踏み越えて来た時。
彼は一度、防衛本能としてそれを拒絶するのだ。
拒絶して、喧嘩をして、その後に対等な相手として認める。
そんな儀式が、私達には見えないところで――彼の胸の中で行われているのかもしれない。
「ともかく、そう気にしないでください。むしろ、私としては嬉しい限りです」
「変な話に聞こえるかもしれませんが、あの子には喧嘩をする相手すらいませんでしたから」
どんな形であれ、ユーゴには縁が必要だ。
ひとつでも多く、ひとりでも多く。
アギトがジャンセンさんの代わりに喧嘩をする相手になってくれるのなら、それはそれで問題無い。
「貴方が心優しい人で、ユーゴを思い遣っていて、何も憎しみや嫌悪感からユーゴにひどいことを言ったのでないことは、その場にいなくとも分かります」
「私でも分かるのですから、もっと仲良くなったユーゴに分からない筈もありません。なので、あまり重たく考え過ぎないでください」
「で、でも……やっぱり、ひどいこと言ったのは事実ですから……」
なら、ほとぼりが冷めてから本人に謝って、もう一度話し合えば問題無いだろう。
今すぐに……は、難しいかもしれない。あの子も頑固だし、それに……精神的にはまだ脆い。
「調査から戻って、あの子の頭が冷えた頃に話をしてあげてください。その頃にはあの子も、何に怒っていたのか。と、落ち着いている筈ですから」
「……はい。その……絶対、神様とか仏様とか、あらゆるものに誓って、俺はユーゴをバカにしたり、悪く言ったり、否定したりしたかったわけじゃないんです。それだけ……その……伝えておいて貰えますか」
「人伝でも、怒ってて聞きたくなかったとしても、知らされてないと不安になる……俺はそういうの、つらいタイプだったので……」
もちろん、そのくらいは請け負おう。
それにしても……うん。やはり、アギトは私の印象通りの人物なのだな。
さっきまで怯えた顔をしていたのに、その話をしている間だけはとても寂しそうな顔をしていた。
彼は他人の痛みをイメージ出来る……いや、し過ぎてしまう、優し過ぎる人だ。
それから二日、アギトとミラはヨロクへ向けて出発した。
その間にもユーゴはふたりの前に姿を現さなかったようだ。
けれど……きっとすぐに誤解も解けて、また仲良くなれるだろう。
今のユーゴは、あのふたりの温かさに惹かれて心を開いたのだから。




