第二百九十八話【もう一度、あの場所を】
ナリッドの街の一角で、皆は静かに私の話を聞いてくれていた。
それは、ジムズをはじめとした、役場の外で私を取り囲んでいた男達だけを指すのではない。
建物の中にいたもの、騒ぎを聞きつけてやって来たもの、それにここまで同行してくれた友軍も、全員が私の話を聞いてくれていたのだ。
「――私は今、北部の解放を目指そうとしています。それこそが、ジャンセンさんに繋いで貰ったこの命の唯一の使い道なのだから」
「その為には、やはり特別隊の力が必要になります。どうか、もう一度力を貸していただけませんか」
事情の説明を。と、そう求められて始めた筈だったが、気付けば私は自分の要求ばかりを口にしていた。
もう一度共に戦って欲しい。
今度こそ、皆と一緒に目指したものを手に入れたい、と。
やはり、私は人の上に立つには向いていないのだろうな。
求心力と言うか、ジャンセンさんのように人を纏められるだけの言動が出来ない。
どうしても自分を大きく見せられないし、見て貰えないだろうという前提の下に振る舞ってしまう。
それでも、そんな私に付いて来てくれる皆がいたのだ。
ならば、私はこのままで――王としての威厳を持たない私のままでもいい。
なりふりなど構わない、いくらでも頭を下げるし頼みもする。
必要ならば、外道の真似事だって……
「……顔を上げてくださいませ。貴女が真に国王様であると言うのならば、私達のようなものの前に頭を下げるべきではありません」
「っ。いいえ、それは違います。私が王であっても、そうでなくても、礼節を軽んじることは組織としてあってはならないことです」
「今、私は皆に頼みごとをしている。だと言うのに、立場が違うからと頭のひとつも下げないことを、私は王の条件だとは思いません」
ジムズも私の言動に困惑した様子で、ややうろたえながら周囲の男達と顔を見合わせていた。
これはどうしたことか。と、呆れてしまっているのだろうか。
王としての誇りは、矜持は無いのか、と。
それとも……こんなことをしていては、やはりこれは影武者に違いない……と、断ぜられてしまったかな。
それでも、私は頭も下げずに頼みごとをするなど……
「……北で何があったのか、頭達がどうなったのか。そして、今この国が何をしようとしているのか。よく理解しました」
「そして、貴女が……国王が、国が、私達の手すらも借りたい状況であることも」
その上で尋ねたいことがございます。と、ジムズは背筋を伸ばしてそう言った。
その上で――理解を前提として、確認したいことがある、か。
どんなことでも包み隠さず打ち明ける心構えは出来ている。
だから、私も精一杯胸を張って彼らと向き合った。
「その失敗について、国にだけ落ち度があるとは思いません」
「頭がいて、不可能に近い作戦を実行させるわけが無い。姉さんがそれを咎められない筈が無い」
「ですから、あのふたりを以ってしても予測出来ないだけの脅威が襲った……と、それは分かっています。分かっていますが……」
本当に避けられないものだったのでしょうか。ジムズは顔を伏せながらそう言った。
ずっと私の目を見ながら話していたのに、言葉の最後にはもう顔も見えないくらい俯いてしまっていた。
彼はその問いを、本当に意義のあるものなのかと自分に問うているのかもしれない。
責任は誰にあるのか。失敗を避ける手段は無かったのか。
当然の問いではある。
だが、それを終わってから投げかけることに、果たして意味はあるのか、と。
もちろん、事情を知るうえで、そして気持ちを整理する上で。
そして再発を防止する上では必要な質疑だ。それは間違いない。
けれど……彼はそんなつもりで口にしたのではないのだ。
「……避けられなかった……と、そう答える他にありません。負け帰った身で、あれは対処し得た問題だった、などとは、口が裂けたとて言えませんから」
その問いの本質は、強い後悔と無念だ。
ジャンセンさんを――大勢の仲間を、目の届かぬところで失ってしまった。
それも、他の誰より頼りにしていた人々を、だ。
ジムズの中にあるのは、信じたくないという強い拒絶感だろう。
再発を予防したいのではない。
状況を突き詰め、次の一手を打ちたいのでもない。
彼はただ、その責任が他にあったのではないか、と。
誰でもいいから責められる相手が欲しいのだ。
そうでもしなければ、平静が保てなくなりそうだから。
「ジムズ、そしてこの場にいる皆の気持ちは理解出来ます」
「ジャンセンさんが、マリアノさんがいて、解決出来ない問題があるものか……と。私もあの瞬間まではそう思っていました。いえ……今ですら、です」
「これだけ時間が経ってなお、あの方達ならばどこかに逃げ延びているのではないか……と、そんな妄想にふけってしまう瞬間があります」
彼らの気持ちは痛いほど理解出来る。だってそれは、私の中にもあったものだから。
いいや、今この瞬間にも残っているものだ。
ジャンセンさんがなんの策も無しにあの状況を引き受ける筈が無い。
マリアノさんならばきっと、不敵な笑みを浮かべて切り抜けてくれる筈だ。
あれだけの手練れが揃っていたのだ、たったひとりの脅威など簡単に退けてしまうだろう。と、何度その妄想を振り払っただろう。
だが、彼らと私では決定的に違うものがある。
私には、現実を突き付けるものがあったのだ。それが……ユーゴだ。
誰よりも強く、絶対に勝利をもたらす――筈だった、そんな彼の打ちのめされた姿を、私はずっと目の当たりにしていた。
だから……その現実から逃げることも許されなかった。
「ジャンセンさんの策を以って、マリアノさんの武力を振るってなお、私達は敗北した。これは覆りません」
「それと同時に、そんな脅威がまだこの国の中に残っているという事実も」
だからこそ、私達は戦わねばならない。
彼らをよく知る特別隊こそが、その無念を晴らさなければならない……なんて、そこまでは思っていない。
だってそれは、ジャンセンさんの望んだ形ではないだろうから。
彼は守られるものに強さを求めなかった。
弱きものを弱いままに守る。それが、彼らの望んだものだった。
ウェリズの街は、そういう在り方をしていた。
「どうか、彼らの仇討ちを……などと、焚き付けるようなことは言いたくありません。私は以前と変わらぬ志を持ったまま、この国すべての人間の平和と安全を願うだけです」
「その為に――特別隊が当初より掲げていた信念のもとに、どうか協力をお願いしたいのです」
私の願いは――ジャンセンさんが共感してくれた志は決して曲げない。
苦しんでいる人の為、弱っている街の為に戦う。
恨みではなく、慈しみから奮い立って欲しい。
私はその場にいる全員にそれを告げて……そして……
「……もちろん、難しいことだとは理解しています」
「特別隊という組織が出来て、まだ日も浅い。ここにいる多くは、私ではなくジャンセンさんに付いて来たのでしょう」
「それが、当人を失い、その志だけを導に戦え……など、到底受け入れられるものではないかもしれません」
それでもどうか。まだ私に望みを託しても良いと思えるものがあれば、どうか力を貸していただきたい。
私はそう言って、また深く深く頭を下げた。勢いを付け過ぎて、前のめりに少しふらついてしまうくらいに。
それから、またしばらくの沈黙がやって来た。
その間、私は顔を上げなかった。上げられなかった……のかもしれない。
都合の良い綺麗ごとを並べるな。と、そう罵倒されたらどうしよう。
皆が私を睨み、協力などあり得ないと拒んでいたらどうしよう。と、被害妄想じみた思いが私の首を押さえ付けたのだ。
誰も何も言わず、私も顔を上げられず、何もかもが静止した状態が続く。
それがいつまで続くのかも分からない。いつ終わるのか、誰が終わらせるのかも、まるで見当が付かない。
そんな不安と痺れが胸に芽生え始めた頃……膠着はあっさりと打ち破られた。
「……私達には、とても戦う力などありません。頭の意図を、采配をご存じならば理解していただけるでしょう」
「ここにいるもののほとんどは、魔獣と戦ったこともろくに無いのです。この街へ来てから、自己防衛の為に少し鍛えられたものがいる程度」
「こんな私達で、本当にお力になれるのでしょうか」
「――っ! はい……はい! 魔獣を倒すだけが力ではありません、強さではありません」
「皆にはこれからも、多くの街を復興していただきたいのです」
「ジャンセンさん不在の今、私だけでは状況の把握もままならない。あの方が担っていた役割を、ここにいる全員で――私も含めた全員で、分けて背負っていただきたいのです」
一歩前へ出て声を掛けてくれたのは、やはりジムズだった。
彼は穏やかな顔で私に手を差し伸べてくれて、特別隊としてもう一度協力してくれる……と、そう言ってくれていた。
そんなジムズに続いて、他のものも次々に声を上げてくれた。
もしかしたら、場の空気に流されてしまっただけのものもあるかもしれない。
それでも、心の奥底で皆が同じ思いを持っていたに違いない。
ジャンセンさんに――そして私に、一度見せられた理想の形を、もう一度追い掛けてみたい。
平和で安全で、盗む必要も無く、戦う必要も無い未来を――そんな世界を生きる子供を見てみたい。
賛同の言葉は次第に熱狂へと変わって、ジャンセンさんのカリスマ性に惹かれて集まった皆の気持ちはひとつになっていった。
もう一度、あの場所を――と。




