第二百九十六話【沈黙の中で待つ】
船は日の出と共に出発し、何ごとも無く港へと到着した。
ナリッドから少し離れたこの場所には、船を着けて荷物を運搬する他にはほとんど機能を持たせていなかった……というのが、ずいぶん昔の私の知る範囲の話。
それが今は……
「……なんか、広くなったな。汚いけど」
「私達が北の解放に気を向けている間、皆が全力で復興してくれていた証拠ですね。本当に……本当の本当に、特別隊は素晴らしい組織なのだと胸を張れます」
港そのものも増築され、船も五隻ほど泊められそうだ。
魔獣を避ける柵や壁も高く設けられ、その上には灯台も備えられている。
街へ続く道そのものも、より広く、見通しの良いものになっている。
道の両脇も綺麗に整備され、これならば魔獣にいきなり襲われる心配もあるまい。
私がここへ来ない間にも、大勢の隊員が頑張ってくれていた。
それをひしひしと感じ取りながら、私達は綺麗になった道を馬車で進む。
今日は友軍の皆に同行して貰っているから、この感動は分かち合えない。それが少しだけ残念だ。
しばらく進んで、これもまた以前には存在しなかった大きな門の前に馬車は到着した。
街と港を繋ぐ道と、その出入口は真っ先に工事をした場所だ。
それがここまで発展しているということは、中はもっと凄いのだろう……なんて。
私の中には期待による高揚感は無かった。
あるのは楽しかった思い出と、それを塗り潰す絶望の瞬間の記憶だけ。
私はこの場所で、あの敗北の謝罪をしなければならない。
ジャンセンさんを、マリアノさんを、大勢の仲間を死なせてしまったことへの償いの為に来たのだから。
門をくぐると、たしかにそこには期待以上の光景が待っていた。
突貫ではあるものの、建物のほとんどが改修されて、以前あったようないつ崩れるかも分からない不安はどこにも見当たらない。
視線をずっと奥へ奥へと向ければ、人が行き交う様子も多く見られる。
それも、どうやら工事の為に働いている隊員だけではない。
野菜を、魚を、商品を持って歩く人々の姿が――経済活動の証が見て取れるのだ。
「……っ。この街はもう、ここまで回復していたのですね……」
浮かれてはいけない。私は、この光景にすら浮かれて喜んではいけない。
何度もそう念じて自分を戒めるのだが、どうしても嬉しい気分が湧き上がってしまう。
そして同時に、この光景を誇らしげに自慢してくれる人物が――ジャンセンさんが隣にいないことが、どうしようもなく苦しくて……
「……フィリア。行くんだろ」
「っ。はい、急ぎましょう。彼らとの対話に時間を使うのならいざ知らず、尻込みしているだけの時間など無駄でしかない」
「そんな時間の所為でまた同じ悲劇を繰り返したなら、今度こそ皆に顔向け出来なくなります」
ぐっと歯を食い縛る私の手を、ユーゴは優しく引っ張ってくれた。
きっと彼の中にも同じ悔しさがある。
彼だって、またここへ来たならば、きっとジャンセンさんと口喧嘩をするのだろうと思っていた筈だ。
悔しくて、悲しくて、どうしたら良いか分からなくなるくらい頭の中がかき乱される。
それでも、私は話をしなければならない。
あの手紙の主と――この街で戦い続けてくれている特別隊の皆と。
「――こんにちは。少しよろしいでしょうか」
大丈夫。私はもう平気だ。
冷静さを取り戻し、苦痛に顔を歪めたりなどしていない。
悲しみから同情を引こうとしているそぶりの、その一片すらも浮かべていない。
ユーゴに何度も表情を確認して貰って、私は深呼吸をしてからドアを開けた。
かつても役場として使われていた建物のドアを。
「はいはーい、いらっしゃい。今日はどういったご用件かなー……って、あれ? あれれ?」
「あー……うーん……どっかで…………あっ! フィオーレちゃん!」
意を決して中へ踏み込んだ私を待っていたのは、たった一度だけ顔を合わせたことのある特別隊の隊員、ガーダーだった。
彼はなんだか和やかな空気を纏いながら、久しぶりの再会を喜んでくれているようだった。
「うっは! マジで久しぶりだね! 良かった、無事だったんだ。いや、そりゃそうか。本隊の人って言っても、全員が全員戦いに出たわけじゃないもんね」
「――っ。はい……お久しぶりです、ガーダーさん」
ぎゅぅう。と、まるで万力で締め付けられているかのように胸が痛んだ。
そう……だよな。皆、何があったのかという仔細は知らずとも、何かはあった――悲劇が起こってしまったという結果だけは聞いている筈だ。
彼は何も知らない。彼は私の素性も知らない。彼は何があったかも知らない。
彼は私が何故生きているのかも――何故、そんなことに不安を感じなければならないのかも、何も知らないのだ。
「そりゃさ、とても喜んでいい話じゃないのは分かってるけど。知ってる顔がひとりでも無事だったことくらいはさ、喜んでも別にいいよね」
ガーダーの言葉がひとつひとつのどに刺さっていくような錯覚を覚えた。
彼の言葉を聞けば聞くほど、私が言わなくてはならないことが言えなくなってしまうようだ。
伝えなければならない。そして、謝罪しなければならない。
その上で彼らと話をして、もう一度共に戦って欲しいと頼まなければならないのに――っ。
「……? フィオーレちゃん? どうかした? あっ……ごめんごめん。いや、よく言われるんだけどさ、なかなか治んなくて。俺ひとりで好き勝手話し過ぎだよね」
「……っ。いえ、大丈夫ですよ。貴方ばかりが話をしてしまっていたのは、私がだらしなかったから。ただそれだけですから」
そ、そんなことは言わないけどさ。と、ガーダーはちょっとだけ慌てた様子で、けれど何かが引っ掛かったらしく、ごめんと何度も謝りながら、首を傾げて私の様子をじっと観察し始めた。
伝えなければならない。謝罪しなければならない。
何よりもまず、私が誰であるかを――この場にいる誰かが気付いて声を上げるよりも前に、自分から打ち明けなければ――――っ。
「――聞いてください。ガーダーだけではありません、他の皆も。どうか、私の話を聞いてください」
精一杯の大声だった。まだ少し苦しいのどから、精一杯の大声を絞り出した。
それでも、部屋の隅にまでは届いていない様子だった。
目の前のガーダーが目を丸くして、近くにいた男達がこちらに顔を向けた。
そして、彼らの沈黙が水面の波紋のように広がり、十数秒の後に役場には静寂が訪れる。
困惑だけを理由とした沈黙が。
「――私の名はフィリア=ネイ=アンスーリァ。アンスーリァ王国国王であり、特別隊最高指揮官、フィリア=ネイです」
「私がここへ来た理由に思い当たるものがいる筈です。どうか、私の前へ来てください」
痛いほどの沈黙の中、私は必至に名乗りを上げた。
そして、あの手紙の主を――コウモリのシンボルを掲げた誰かを呼び付ける。
全員であるならそれでも構わない、その覚悟もしてきている。
沈黙の理由がゆっくりと変化していくのが分かった。
困惑はより強い困惑へと、そしてそれは懐疑へと。
けれど、最後には各々の内から湧き出る様々な感情に起因する静けさへと移り変わって……そして……
「――フィリア――陛下――っ⁈ フィオーレちゃん……何言って……」
「申し訳ありません、ガーダー。私はあの時、嘘をついてしまいました。少しでも皆の気持ちを知りたくて――忌憚の無い言葉が聞きたくて、名を偽りました」
初めに口を開いたのは、目の前にいるガーダーだった。
彼が一番驚いていたから、当然のことだろう。
それに、彼の場合は驚いた部分が他にもあったから。
だから、この場において彼だけが特別……というわけではない。
皆が皆、同じ気持ちを持っていて、同じ理由で私を見て、けれどまだ――その静寂を打ち破らずにいる。
「……すう……はあ。皆、もう話は聞いていると思います。だからこそ、私に文を送ってくれた者がいる筈です」
「コウモリのシンボルを――この特別隊が出来上がる前に、貴方達が掲げていたものを。盗賊団の証を、私に向けてかざした者がいる筈です」
私の言葉に、ガーダーはもっと驚いた顔になって、周囲をきょろきょろと見回し始めた。
彼は違う……のか。全員が結託して私にあの手紙を送った……というわけではないのだな。
何人かの首謀者がいて、それに与する人物がまた別にいる、という形だろうか。
「あの手紙の真意を、私は対話の要求だと認識しました。それが正しいのか、間違っているのかは分かりません。ですが、どうかその機会をいただけませんか」
「あれは――あの手紙は、特別隊の責任者である私に対して、追求したい問題がある。と、そう訴えたものではありませんか」
だから、私はそれを説明しに、謝罪しにやって来た。
ガーダーはまだうろたえたままだったが、何名かは動揺ではないものを顔に浮かべているのが分かった。
そのうちの何名かは外へ出て行ったから、きっとここ以外にも大勢同じ気持ちのものがいるのだろう。
「どうか――どうか話を聞いてください。そして、聞かせてください」
「私はあの一件を――まだ皆に伝えられていない、大きな失敗を説明し、謝罪する為に参りました」
「なのでどうか――どうか、今の皆の気持ちも教えてください」
今この場で私に出来るのはここまでだ。
次は……誰かが私の前にやって来て、深く反省し、謝罪し、償いをしろと口にするのを待つばかりだ。
けれど、それはすぐにはやって来ない。
顔付きの違う数名は確かにいるものの、まだ動こうとはしない。
仮にも国王を前に、たった数名で糾弾するなど、容易いものではないのだ。それも分かっている。
いくらでも待つ。全員が揃うまででも。
その上で話し合いをし、どうにかして立場の違いによる緊張を乗り越えるまででも。
あるいは、私の今の言葉に対する答えを出すまででも。
いくらでも待つ。その為に来たのだから。




