第二百九十五話【怖くないの?】
 
私はユーゴと共に馬車に乗って、東へと向かっていた。
同行してくれているのはアギトとミラではない。
友軍の中でランデルに残ってくれていた数名だけを連れていた。
「――コウモリのマーク……か。確かに、それを使うとしたら特別隊の誰か……元盗賊団だった誰か、だよな。でも……」
でも。と、ユーゴはそこで言葉を飲み込んで、深く考え込んでしまった。
聞くよりも前に自分で考えたいのだろう。
この問題は、ユーゴにとっても小さなものではないから。
特別隊と盗賊団の問題――ジャンセンさんとマリアノさんが深く関わる問題なのだから。
「……今、この馬車はナリッドを目指してるんだよな。ウェリズじゃなくて」
「はい。もっとも、ナリッドまでは船で行くので、馬車の目的地自体は港のあるカンスタンですが」
ナリッド。ウェリズ。ユーゴが悩んでいるのは、私が定めた目的地のようだ。
そして、彼が悩んでいることには私も思い当たる部分がある。
盗賊としてのジャンセンさんを慕う人物であれば、ウェリズやカンビレッジ、それに他のあらゆる街にも多くいる筈だ。
特にウェリズは、最終防衛線の外の街であり、国に放棄された後にジャンセンさんの手によって守られていた場所だ。
だから、そのシンボルを掲げるとすれば、ウェリズこそ最有力候補である……とも考えられる。
「……私も初めはウェリズを思い浮かべました。けれど、すぐに違うと……あそこに住む人々ではない、と。そう思ったのです」
「理由は……その、あまり論理的なものではありませんが」
「一応あるのな、理由。なら聞かせろよ。アイツについての問題なら、俺だってちゃんと……」
やはり、ユーゴは皆を失ってしまったことを、自分の責任だと思っているのだな。
ジャンセンさんを、マリアノさんを。
かつて盗賊と名乗っていた特別隊の仲間を、“自分が守れなかった人達”という認識でいるようだ。
「……感覚的なものでしかないのですが、ナリッドに移った人々の方が、熱を持っているように思えたから……です」
熱? と、ユーゴは首を傾げた。
その……申し訳ないことに、私もそこを感覚的な言葉でしか説明出来ないのだ。
理屈っぽい言葉も浮かばないでもないが、それらはすべて感覚の後付けでしかないものだし。
「ナリッドを解放するに際し、ウェリズやカンビレッジから、多くの若者を派遣しましたから」
「彼らはジャンセンさんと共に戦っていた者達です。もちろん、だからと言ってウェリズの民を、ジャンセンさんに関心の薄い者達だなどとは言いません。ですが……」
ウェリズの人々は、あくまでもジャンセンさんに守られ、彼に憧れを抱いていただけだ。
もちろんそれだって強い繋がりで、ジャンセンさんの振る舞いや人格を思えば、心から慕われていただろうことも理解出来る。
だが……
ナリッドに派遣された若者は、ジャンセンさんと共に戦い続けてきたのだ。
それこそ、ウェリズの街を守る為にも、彼と共に魔獣と戦い続けた。
盗みを働き、それらを売りに移動するさなかにも、多くの敵を排除し続けただろう。
「事実として、特別隊はもう私の指示を受けて動いてはくださいません」
「ジャンセンさんがいないから、そして物資も他人も足りていないから。だから、連絡が届きにくい……のではなく」
かつては共にクロープを訪問してくれたゴルドーをはじめ、ランデルに残った部隊もその機能を停止している。
誰も、私の言葉を聞いてはくれないのだ。
ジャンセンさんを失ってしまったことで、彼らにとってあの場所は――特別隊は、もはやなんの価値も無いものになってしまっているのだろう。
けれど、それで終わり……にはならない。
そうは出来ない、それで済ませてはいけないと彼らは教わっている。
他でもないジャンセンさんに。
「彼らは彼らだけで考え、話し合い、結論を出した。それが、あの手紙なのだと思います」
「私の口からすべてを説明させる――全員に、きちんと話をさせる場を設けよう、と」
馬車もわずかしか残っていないから、ランデルへ大勢で押しかけるのが難しい。
となれば、私に来るようにと指示を出す方が効率が良い。
なんとも大胆で不敵な話があったものだが、そういうところもジャンセンさんの教育が行き届いている証拠だろう。
小さく弱い組織として、過酷な世界で生きて行く為の教え。
指導者であろうと、権力者であろうと、効率を前にはふんぞり返って来訪を待つなど許されないのだ。
「……話し合い……で、済むのかな。だってアイツら……みんな……」
「……暴動にはならない……と、思います。だって彼らは、虐げられる痛みを知っているのです」
「それに……私達とて、共に戦った仲間……だったのですから」
それは勝手な願望だろうか。それでも私は信じたい。
特別隊として戦ってきた日々は――名も顔も知らぬものの方が多いとは言え、彼らと共に活動してきた日々は確かに存在するのだから。
そこにも絆がある筈なのだから、と。
「……フィリア。もう一個だけ、聞いていいか?」
「……? はい、構いませんよ」
どうしたことだろうか。と、少しだけ驚いてしまいそうになった。
ユーゴが質問に許可を求めるなんて。
もちろん、彼が礼儀をわきまえない無教養な人間だなどとバカにしているのではない。
けれど、私と彼との間には、もうすっかり関係が出来上がっているのだ。
彼が私に気を遣う必要は無いし、あまりそうされたことも無い。
良いか悪いかはその時によるが、今ならばたとえ許可無く問いを投げられたとしても、それをぶしつけだなどとは思わない。
思われないと、彼だって分かっていただろうに。
ユーゴは私に許可を求めてから、しばらく黙り込んだままだった。
それを本当に尋ねて良いかと悩んでいるのかな。
けれど……彼が私に向かって悩まなければならないほどの問い……なんて……
「……その……さ。もし……もしもの仮の話だけどさ」
「もしも、みんながもうフィリアとは一緒にいたくない……って。特別隊を辞めるって、バラバラになっちゃったら……」
たどたどしい言葉選びで、不安そうな顔で、ユーゴは私の様子を窺いながらそう尋ねた。
こんなことを思うと、むしろ私の方が無礼かもしれない……が。
けれど、思ってしまったのだから仕方がない。
この子はこんな風に怯えた顔を、私にも向けるのだな。
「……貴方は本当に優しいですね。同じ苦しみを、悲しみを経験している貴方からの問いなのだから、それに私が傷付くなどあり得ないのに」
あんなにつらいことがあった。なのに、もっと嫌なことが起こったらどうしよう。と、ユーゴはそんな可能性を示唆するか否かで葛藤していたのだ。
そして……それを口にしたから、罪悪感さえ感じているのだ。
私を悲しませやしないだろうか、と。
もちろん、それを無縁の他人に問われたならば、何を知っているのだと怒ってしまったかもしれない。
けれど、ユーゴはそうではない。
むしろ、私よりももっとつらかっただろう、もっともっと苦しかっただろう。
痛みを知るものからの憐憫を侮辱と捉えるなど、あり得てはならないことだ。
「……ですが、そうですね。もしもそう言われてしまったなら……きっと、悲しくて寝込んでしまうかもしれません。私にとって……いいえ。私達にとって、特別隊は大切な場所でしたから」
「これを失えば、ジャンセンさん達との思い出すらも失った気分になるでしょう」
私がそう答えると、ユーゴはもっと暗い表情になってしまった。
こんなことを言わせてしまった、こんなことを考えさせてしまった。と、そう思って後悔している……ようだ。
何故だろうな、今に限って彼の心情がすべて手に取るように分かる。
ユーゴは優しいから――優し過ぎるから、人を思い遣っている時には、その感情を隠し切れなくなってしまうのかな。
「そんな顔をしないでください、ユーゴ。まだそうと決まったわけではありませんし、それに……」
「……? それに……なんだよ」
もし、彼らがそう結論付けたのならば。それはきっと素晴らしいことだ。
指導者を別に求めるか、あるいは自分達の誰かが代わりに引っ張るのか。
とにかく、自立して戦うことを皆で決めた……ということになる。それは何も悲しいことなどではない。
「それに……仮にそうなったとしても、彼らは決して恨みや憎しみだけで決定したりはしないでしょうから」
「その時は単に、もはや特別隊に価値無しと見限られてしまっただけです」
「その……それはそれで悲しいですし、情けなくもあるのですが。私がもっともっと頑張れば、もう一度手を取って貰える可能性を残していますから」
苦境や逆境など、彼らにしてみれば茶飯事だっただろう。
もっとも、これを私が口にすることは許されない。
その境遇を招いたのはかつての王政で、つまりは代々の王すべての責任でもあるのだから。
それでも、胸に秘める分には構うまい。
彼らは厳しい状況に力を合わせ、判断をし、生き抜いてきた猛者なのだ。
ジャンセンさんもマリアノさんも、自分達がいなければ成り立たない組織など作りはしない。
皆、必ず自らの足で立ち、進むだろう。
ユーゴは私の言葉と態度に少しだけ納得したようで、不安そうな顔を引っ込めてそっぽを向いてしまった。
心配して、顔色を窺って損した。なんて、そう思っているのかな。
馬車はそれからしばらく進み、潮の香りのするカンスタンへと到着した。
そこから船に乗り換えて、私達はナリッドの街を目指す。
かつて勝ち取った、特別隊の足跡の残る場所を。
 




