第二百九十三話【取り返した場所と、取り返したい場所】
 
街の周囲の再調査と、工事の開始。その為にまず一日を費やした。
アギトとミラが以前調べてくれたおかげで、調査についてはそう時間も掛からずに済んだ。
けれど、工事にはなかなか手が付けられなかった。
というのも、ランデルからマチュシー、マチュシーからハルにかけての工事の為に、人を大勢残して来ているから。
指揮を執る人材が不足し、なかなかスムーズには着工出来ない。
それでも、三日が経つ頃には工事開始の目処も立って、どうしたものかと悩む時間は終わりを迎える。
そして、工事の進行に不具合が無さそうだと、順調な滑り出しを確認したのが、ヨロク到着から五日後のことだった。
「では、私とユーゴはランデルへ戻ります。後のことはお願いします、アギト、ミラ」
その翌日、私はヨロクを出発し、ランデルへ戻ることを決めた。それが昨日のこと。
そして今、荷物を準備して馬車へと乗り込んでいるところだ。
「任されたワ。工事が終わって、もうちょっとだけ調査したら私達も戻るかラ。ユーゴ、その間もちゃんと鍛錬を続けるのヨ」
「うるさい、言われなくても分かってる。チビのくせに」
いちいち生意気なのヨ! ふしゃーっ! と、ミラはやはりアギトに噛み付いて、ユーゴへの怒りをあらわにした。
これもずいぶん見慣れてしまったな。あまり慣れたいものでもなかった気はするが。
私達は先に帰る。理由らしい理由があるわけではないが、ここに残って作業を手伝い続けて良いという理由も無い。
私は王で、王には王にしか出来ない仕事がいくらでもある。そう、いくらでも。
だから、工事の始まりを見届け、アギトとミラに後を託したら、私は早く宮へ戻らなければならなかったのだ。
これは初めから分かっていて、いちいち説明せずともアギトもミラも理解してくれていたことだ。
街の復興を最後まで見届けられた試しは、今までにだって数えるほども無い。
これはこういうもの。私は資金と人をかき集め、指示を出し、そして許可することが仕事。
後のことは、どうしても皆に任せっきりになってしまうのだ。
「では、また。時間が許せば、私からもマチュシーやハルの視察に伺おうと思います」
「ん、そうネ。女王様自ら顔を出せば、現場も士気が高まるデショ」
「でも、無理はしないコト。フィリアはフィリアにしか出来ないことを優先しなくちゃいけないんだかラ」
荷物の確認をして、ユーゴも馬車に乗り込んだ。
では、もう行こうか。少しぶりにふたりと別れるのはやや名残惜しいが、それもわずかな間の辛抱だ。
「ここ、良い街ネ。戦う為の力があって、それを重荷に思ってなイ。みんなが自分の足で立ってる強い街。そういう名残がいろんなとこに残ってル。絶対元に戻してみせるワ」
「……そうですね。このヨロクには、多くの危難が訪れました。けれど、今までそれらをすべて跳ね除けて来たのです」
「ならば、今度も……いいえ。これからもずっと、足りないのならば私達の力も貸し与えて、強い街として残し続けてみせます」
ミラは勇敢な顔で私の手を握って、そしてすぐにいつものあどけない笑顔で見送ってくれた。
アギトもまた、彼女の名に――天の勇者の肩書きに見劣りしないように、ピンと背筋を伸ばして見送ってくれていた。
「……ユーゴ。少しだけ、弱音を吐いても構いませんか……?」
そんなふたりとも別れ、馬車の中には私とユーゴだけが並んで座っていた。
小さな馬車だから、蹄と車輪の音で馭者の声など聞こえない。
だから、私は彼にだけ聞こえる声で、少し情けないことを言ってしまった。
「……今更そんなの確認するなよ。割といつも泣き言言ってるくせに」
「そ、そう言わないでください……はあ。そうですね、私は貴方の前では少し弱気な部分を見せ過ぎてしまっているかもしれません。ですが、今回だけ……いえ。今回も、大目に見てください」
意外と厚かましい。と、ユーゴは怪訝な顔をしたが……厚かましくもなるというものだ。
私にとって、ユーゴは特別なのだ。
彼だけが私を女王として扱わない――気を使ったり、本音を隠してへりくだったりしない。
いや、今はミラも同じようにしてくれているが……それでも、ユーゴほど明け透けになんでも口にする……とはいかないだろうから。
「その……ですね。不安だったのです。いくつもいくつも不安なことがあって、あの街を訪れるのが怖かったのですよ」
ユーゴはまだ渋い顔をしたままだったが、それでも私の言葉を遮ったりはしなかった。
なんだかんだとこうして甲斐甲斐しくしてくれるから、私もついつい彼に甘えてしまっている節が…………や、やはり私よりも彼の方がしっかりしている……?
「……こほん。ヨロクの皆に拒まれてしまわないか……と。それがまず、ひとつ目の不安でした」
「貴方があの時のことを覚えているかは分かりませんが、私はまだ頭に焼き付いています。皆、ひどく怯えた様子でした」
あの時の様子は、忘れようにも忘れられない。
強い雨が降っていて、遠くでは雷さえ聞こえていた。
けれど、私が恐れたものはそんなものではなかった。
背後から――北から、もっともっと恐ろしい何かが迫っている。
魔女という奇怪で凶悪な存在が、私達を追いながらあらゆるものを蹂躙している。
私はそれを、断片的にだけ彼らに伝えてしまった。
ただ、逃げて欲しい、とだけ。
「きっと、内心では拒んだものもいたでしょう。私などを王とは認めないと、怒声を上げたかったものもきっといた筈です」
「けれど、彼らはもうそんな感情に振り回される余裕も無いのだろうから」
「そんな理由でも、私はひとまず彼らに王として振る舞うことを許して貰えました」
だから、不安のひとつ目は、完全ではないものの、ある程度払拭されている。
私がそう言えば、ユーゴは目を伏せて私の肩を殴った。
怒っているようだったが……それが何に対してなのかは、私では分からなかった。
「それと……もうひとつ。あの街を訪れれば……ジャンセンさんやマリアノさんと長く過ごした場所を再訪すれば、あの痛みがまた戻って来てしまうのではないか……と。それがとても……とてもとても怖かったのです」
それはもちろん、私だけの話ではない。
ユーゴの中にまたあのつらい記憶が蘇って、また塞ぎ込んでしまったらどうしよう、と。それも考えた。
けれどそれ以上に、私自身が打ちのめされてしまったらどうしよう。と、それを何より不安に思っていた。
別れを惜しまない、痛みを感じない心など、持っていないと知ってしまったから。
「……けれど、結果としては何も起こらなかった」
「つらい思い出は間違いなく存在します。それでも、私は前を向いて立っていられた」
「それは……あの場所に、まだ希望が残されていたから。そして……私達の隣に、新たな希望が在ってくれたからだと思うのです」
私がそう言えば、ユーゴは顔を伏せたまままた私の肩を殴った。さっきよりも強く。
けれど……さっきと違って、あまり怒っている感じではなかった。
「ユーザントリアから来てくれた皆に、アギトとミラに、私はどれだけ救われたでしょうか。あのふたりの穏やかさ、賑やかさに、どれだけ温められたでしょうか。それを改めて思い知らされた気分です」
「……別に、そんなの無いけど、俺は。ジャンセンとマリアノの方が頼もしかった。バスカークの方が頭良かった」
でも、彼らにしか無いものだってあっただろう。
アギトの優しさと、弱さを理解する心は、傷付いたユーゴの心に癒しを与えてくれた。
ミラの強さと、気高さを志す精神は、弱っていたユーゴの気持ちを励ましてくれた。
私はきっとそれ以上のものを貰っている。
揺れる馬車の中で目を瞑れば、思い出されるのはアギトの顔と、それに噛み付くミラの顔。
ふたりの騒がしいやり取りばかりが浮かんで来て……
「…………もっと、もっともっと……それこそ、アギト達すらも交えて、もっと皆と――特別隊の皆とも打ち解けたかったです」
ジャンセンさんにはもっと話を聞かせていただきたかった。
マリアノさんにはもっと相談に乗っていただきたかった。
バスカーク伯爵とはもっと一緒に仕事をしたかった。
それはもう叶わない。
けれど、新しくて温かい思い出の後ろに隠したつらい気持ちに、今なら少しだけ目を向けられる。
思い出しても平気なくらい回復しているのだ。
「私はもう、あの悲しみを繰り返したくありません。あんな気持ちはもう二度とごめんです」
「最低最悪の気分だったと、今やっと口に出来るようになったほど打ちのめされたのですから」
「……そんなの、言われなくたって」
私達は揃って顔を上げ、示し合わせもせずに揃って覗き窓へと目を向けた。
そして外を――ヨロクとハルを繋ぐ道を眺めれば、胸の奥から炎のような熱が――痛みとやる気のふたつの感情が、渦を巻いてせり上がって来るのが分かった。
「ユーゴ。必要だと思ったものがあるのなら、どんなことだろうと準備してみせます。なので――」
「だから、言われなくてもそのつもりだってば。もう絶対負けないし、負ける可能性すら残さない」
私達はぎゅっと固く握手をして、絶対なる勝利を誓い合った。
今更な再確認だったかもしれない。
こんなことをまたしなくても、私達はきっと同じ思いを抱き続けていただろう。
それでも、だ。
これで、マチュシー、ハル、ヨロクの街を――かつて最終防衛線の内側に属した街を取り戻すことが出来る。
ここから先は、かつての仲間と共に積み上げたものを取り返す。
実感は覚悟を生み、覚悟は言葉を生み、言葉は熱を生む。
固く握ったユーゴの手も、きっと私の手も、いつもよりずっと熱くなっていた。
 




