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異世界天誓  作者: 赤井天狐
第三章【たとえすべてを失っても】
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第二百八十七話【膝を折ることの意味】



「――おい、フィリア。さっさと起きろ。急ぐんだろ」


 久しぶりにその声を聞いた気がした。

 ユーゴの声を……ではない。私の目覚めを急かす彼の言葉を、だ。


「……おはようございます、ユーゴ。ふわぁ……こうして貴方に起こされるのも久しぶりですね」


 知らない天井は、ここがランデルではないことをもう一度思い出させてくれる。


 そうだ、ここは安全な宮ではない。

 安全を奪われてしまった――けれど、これから取り戻そうとしている、マチュシーの宿の一室だ。


「やることあるんだろ、お前は。色んなとこ行って、正式な手続きとかしてこないと。一応、俺とアギトで話は付けて来てるけど」


「そ、その節は本当に迷惑を掛けました……ですが、そうですね」

「ミラならば身体を休める必要もありますが、私がのんびりする余裕はどこにもありません。すぐに支度をします」

「すみませんが、昨日訪問した場所を案内していただけますか。貴方かアギトのどちらかが一緒の方が話も早そうです」


 分かった。早くしろよ。と、ユーゴは小さく頷くと、さっさと部屋を出て行ってしまった。

 そうだな、早くしなければ。一刻を惜しむ必要がこの瞬間にはあるのだから。


 着替えを済ませてユーゴと合流すると、私は久しぶりのマチュシーをまた歩き回る。

 仕事の依頼を取り付ける為に、だ。


 昨日は状況の再確認と、それから宿探しだけで夜になってしまったから。

 もっとも、到着した時にはもう日も傾いていたのだが。


「あそことあそこと……あっちにもあった。アイツらがこの前の調査の時、いろいろ話聞いててくれたらしい。だから、結構あっさり承諾して貰えたよ」


「アギトとミラが……そうでしたか。本当に頭が上がりませんね、あのふたりには」


 そうか、そういうカラクリがあったのか。


 正直、ユーゴとアギトだけで話を付けに行くと言った時には、きっとたくさん揉めて、後日私から交渉をしなければならないのだろうと腹を括っていた。


 だが、結果はそうならなかった。


 ふたりを軽んじたつもりも、甘く見たつもりも無かった。

 だが、そう簡単に承諾して貰えると思っていなかったから、内心では少しだけ驚いたものだ。


「……みんな、嬉しそうだったよ。本当に来てくれた。女王様は見捨ててなんていなかったんだ。やっぱり、フィリア王は国を救ってくれるんだ。って、みんなそう言ってた。これってさ……」


「……今までの努力が……ジャンセンさんやバスカーク伯爵と共に戦った意味が、きちんと残されていた……ということでしょう。皆、まだ貴方の戦いぶりの中に、希望を抱いてくれているのです」


 ユーゴは私の言葉に、少しだけ……本当にわずかだけ、暗い顔を見せた。

 けれどそれもほんの一瞬で、すぐに嬉しそうな笑顔を浮かべる。

 その笑顔は……きっと、半分は作りものなのだろうな。


 まだ、皆が期待してくれている。

 かつてのユーゴにとって、それは単に背中を押してくれるだけのものだった。


 人々の期待が、希望が、彼の勇気になって、やる気になって、自尊心にもなっていた。

 だが……


 今のユーゴには、まだそれを受け止めるだけの余裕が無い。

 また、今度は、もしかしたら。と、二度目の敗北の可能性を無視出来ないでいるのだろう。


 それでも笑顔を見せてくれたのは、本当に嬉しいから……だと思う。まさか、私に気を遣って、不安を必死に隠しているだけ……なんて、そんな寂しい話ではないと信じたいところだ。


「朝早くからすみません、失礼します。昨晩、彼がこちらを尋ねたと思うのですが……」


「――フィリア女王陛下! 本当に……本当にいらしてくださったのですね……っ! 本当に……まだ、このマチュシーは……っ」


 ユーゴに案内されて足を踏み入れた石材屋で、店主と顔を合わせるや否やそんな反応をされてしまった。


 そう……か。そこまで……押し潰される寸前まで、不安を抱えさせてしまっていたのだな。


「……遅くなって申し訳ありませんでした。このマチュシーを……いえ。ハルを、ヨロクを。必ず、元の安全な街へと戻してみせます」

「そして私は、今度こそこのアンスーリァ全土の解放を成し遂げます」


 店主は私の前で、なんだかありがたいものを拝むように手を合わせていた。

 そんな姿を見ては、私も奮起せざるを得ない。

 もとよりやる気は十二分に満ちていたつもりだが、まだまだお腹の奥の方から力が湧いて来る気分だ。


 それと同時に、強い罪悪感も湧き上がって来た。

 もちろんこちらも、とっくに思い知っていたつもりだった。

 それでも、まだ……まだ、足りていなかったのではないか、と。そんな思いが胸中に渦を巻き始める。


 私は一度、皆に絶望を感じさせそうになった。いいや、感じさせてしまった。

 そしてそれは……取り返しのつかない結果をどこかで生んでいてもおかしくない。


 国は救われる。街は平和になる。豊かな生活がやって来る。

 そう思っていたところへ、もう一度……いいや、以前よりも更に強い恐怖が押し寄せたのだ。


「……必ず……っ。必ず、勝利します。もう二度と、誰にも不安な思いはさせません。もう二度と――私達は敗北しませんから……っ」


 目の前の人物は、まだ私を信じてくれている――信じて縋らなければ打ちのめされてしまうほどに疲弊している。

 きっと、それをやめてしまったものだっている筈だ。

 抗えば――希望を抱けば、また……と。


 失敗は許されない。アギトとミラを失えば……だとか、もう議会を脅すことは出来ないから……なんて、そんな下らない理由ではない。


 もう一度の敗北があれば――この国は、民は、胸に希望を抱いて生きていくことすらも出来なくなってしまう。


「……っ。それで……その、ユーゴから話をしてくれていると思いますが、このマチュシーからランデルにかけて、もう一度道路を繋げ直します。工事に必要な資材の確保をお願い出来ますか」

みわずかですが、相場よりも多く報酬を払います。どうか、ご助力を」


「もちろんです……っ。もちろん……この街を、私達の生活を守っていただけるのならば、なんだって……っ」


 店主はもとからしわの多い顔をもっとしわだらけにして、頼んでいる筈の私よりも更に深く頭を下げた。


 痛ましいと思ってしまった。

 安全な宮へと逃げ込んだ私が、身勝手にも憐れんでしまった。

 それはすごく……自分の胸を殴り付けたくなるくらい嫌なことだった。


 それでも、こうして一件目の交渉は取り付けた。

 私の人格が腐っていこうと、暴君への道をまっすぐにひた走る羽目になろうと、今はなんだっていい。

 結果さえ出れば、皆が笑って暮らせるのだから。


「……あんまり嬉しそうじゃないな。引き受けて貰えたのに」


「……ふう。貴方からでもそう見えるのでは、もう少し心を落ち着かせてから次へ向かうべきですね」


 店主に見送られて石材屋を出てすぐ、ユーゴは私の手を引いてそう言った。


 嬉しそうじゃない。笑っていない。つらそうな顔をしている。

 それは……きっと真実だ。けれど、隠さなければならないものでもある。


「……理解していたつもりでした。しかし、目の当たりにしては、今更ながらに痛む胸もあるというものです」

「あの敗北は、私達よりもむしろ、期待してくれていた皆の心に大きな影を落としたのだ、と」


 罪悪感を感じるな。よしんば感じても表に出すな。

 それが難しいのならば、いっそ人でなしとして振る舞うくらいはしろ。

 自分に何度もそう命令するのだが、ユーゴが不安そうな顔を晴れさせることは無かった。


 なんと愚かだったのだろうと過去の自分を毒突きたい。

 すべてを失ってしまった。もう可能性は潰えてしまった。これまでの努力は水泡に帰し、もはや戦うすべなど残されていない。

 そんなことを一瞬でも思ってしまった自分を、今すぐにでも呪い殺してやりたい気分だ。


 すべてを失ったのは私ではなかった。

 未来を摘み取られたのも、懸命のあがきを踏みにじられたのも、すべては私ではなかったのだ。

 何を打ちひしがれた気分になって、悠長にやっていたのだ。


「……っ。行きましょう。待たせ過ぎてしまっている。この街も、ハルも、ヨロクも。私達は大勢を待たせ過ぎてしまっています」

「ダーンフールもフーリスも、それにカストル・アポリアも。一刻すら無駄にせず、最速で取り戻しましょう」


 ユーゴは何も言わず、ただじっと私が顔を上げるのを待っていた。


 私は今、どんな顔をしているだろう。

 苛烈な悪王の醜悪な顔だろうか。

 それとも、愚鈍な暗君の浅ましい顔だろうか。


 あるいは……王に似つかわしくない、ただの女の泣き顔だろうか。


 それから私達は何件もの職人や管理組合を訪れ、人手と資材の確保を進めた。

 同時に、協力してくれると言ってくれた皆に手順書も配布した。


 これでまた、明日の朝には出発出来る。

 同じことを、もっと手早く、ハルでもこなしてみせよう。

 長く時間を要した分、準備はしっかりと出来ているのだから。

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