第二百八十一話【みんなが彼に教えたかったこと】
魔獣の討伐は順調だった。
時に軽やかに、時に激しく。ユーゴはもともとあった攻撃力を振るいながらも、必要に応じて――練習する意義があると感じて、防御や回避に専念する姿も見せてくれた。
今更なことだ。彼が自分の身を守る手段を手にするのは、今更過ぎることだった。
それはもっともっと早くに――それこそ、魔獣と戦い始めたばかりのころに、私が気を遣って習わせてあげるべきものだっただろう。
それでも、今まではまったく必要としてこなかった。
それを、今になってやっと手に入れて、それで……
「……アギト。その……ユーゴに護身の技を教えてくださったのは貴方なのですよね? その……どうして、それが必要だと思ったのでしょうか」
それで、ユーゴは何を求めるのか。
そもそも、魔獣を相手には敵などいない。
そして、身を守らなければならないほどの脅威があるとすれば、それは護身の技術程度でなんとかなる相手とも思えない。
だから、私の中には単純な疑問だけが残った。
嬉しさもあって、後悔もあって、理解も納得もあった上で、それらを飲み込んだ後に、ひとつの疑問が。
何故、アギトもユーゴもそれを必要と思ったのか、と。
それがどうしても気になって、私は先頭を歩くミラとユーゴに聞かれないように、アギトを呼んでそれを尋ねた。
「どうして……って聞かれると……その、あんまり自信は無いんですけど。ユーゴに必要なのは、成功体験じゃないかな……って」
「何かを頑張って、身に付けて。それに意味があるかは別としても、形を残せたって結果が必要なのかなと思ったんです」
「成功体験……ですか。しかしそれならば、魔獣を倒していることそのものがそうなのではないでしょうか」
「他の大人や、屈強な兵士すらも苦戦するような相手に、彼はたったひとりで勝利を重ね続けてきたのですから」
私の言葉に、アギトはちょっとだけ考え込んで……けれど、はっきりと――私に対してはおどおどした態度を見せることもある彼が、首を横に振って明確に否定の意を露わにした。
「その……それはユーゴの成功じゃない……と、そう思うんです。多分、本人もなんとなくそう思ってるのかもしれません」
「……? ええと……いえ、そんなことはありません。あり得ません。だって、魔獣を倒したという実績は間違いなく彼だけのもので……」
アギトは困ってしまった顔で、それでも首を横に振っていた。
ユーゴが魔獣を倒したのは事実だ。
そして、その活躍を見て人々が希望を抱いたことも、それを彼自身が自覚したことも。間違いなく事実の筈だ。
その……それらの自信や経験を、かき消されてしまった……というのならば納得もする。
あの敗北は、ユーゴにとってすべての勝利を覆されたに等しい心の傷を負わせただろう。
だから、それが原因で自信を失っているのだ、と。私もそれは考えた。
しかし……アギトはどうやらそういう意図では言っていない。
私がかき消されたと思ったもの、積み上げていたと思っていた勝利そのものが、幻だったかのように語るのだ。
「……本人がそう言ったわけじゃないんで、どうしても多分の話にはなります。でも、こうして試してくれてるってことは、そう思ってくれてるってこと……だと、思います」
「ユーゴはきっと、自分自身の力ではまだ何も成し遂げていない……って、そう感じてる筈です」
「自分……自身の……? しかし彼は自ら握った剣で……」
アギトはやはり首を横に振った。
その時の表情は、なんとなく――事情をあまり知らない私だから、勝手に思い込んでいるだけかもしれないけれど――なんとなく、寂しそうなものに見えた。
「魔獣を倒せるだけの力は、女王様に貰ったものでしかありません。それは、ユーゴが努力して身に付けたものじゃない」
「その能力を育てて、初めの頃よりずっとずっと強くなったっていう経緯があったとしても。それはあくまで、人から貰ったものに過ぎない……って」
そういう力には、自信が宿らないんです。と、アギトは視線をユーゴの背中へと向けてそう言った。
私から貰っただけの力……その礎の上に努力と結果を積み上げたことは紛れもない事実なのに、それだけでは彼の自信にはなっていなかった……か。
「あと、その……これもなんとなくなんですけどね。女王様から貰った力だからこそ、それだけじゃ嫌なんだと思います」
「いつも一緒にいて、大好きな人だから。だから、自分自身で培ったものを見せたい、それで守りたい」
「どこの世界でも、男の子ってそういうもんですから」
「どこの世界でも……ですか。では……その……アギト、貴方も……」
私がそう問えば、アギトは苦い顔で頷いた。
そして……どこか悔しそうな顔で、服の下に身に付けているホルスターを触る。
短銃――魔弾、魔具。ミラに作って貰ったという武器。
大切な相手から貰った、自分の身を護る為の力を。
「……やっぱり、俺もアイツを自分の力で守りたいって思います。だけど……はあ。あのバカ、いくらなんでも強過ぎる」
「一時期は弱ってたけど、それも今じゃ……はあぁ」
「この世界の最強はユーゴになるかもしれないですけど、あらゆる世界の最強は絶対アイツですよ」
あらゆる世界の……か。それは……ふふ、納得だ。
彼が言いたいことは、ほんの上澄みだけを話に聞いている私にも理解出来て、想像も出来た。
彼の言う最強とは、どれだけの人を救ってみせたか、だろう。
そういう点では、ユーゴはこの国を救うだろうし、ミラはユーザントリアをすでに救っている。
だから、いつかはユーゴもそれに並ぶだろう。と、そうした上で……
あらゆる世界――つまり、まだ並行して続いている、召喚される前のアギトの世界。
早い話が、そちらの世界での生きる活力にもなっているのだ、ミラの存在が。
確かに、ユーゴがどれだけ強くなろうとも、それにはとても敵わないだろうな。
「……ちょっとだけ嫌な話……でも、しなくちゃいけないと思う話も、一応します」
「ユーゴはあの強さに自信を持ってない。だからこそ……魔女を前に、心を折られてしまったんだと思います」
「っ。そう……ですね。たしかに、貴方の話を聞いた後になら、私でもそう思えます」
「そして……っ。私の未熟さを、能力の無さを、痛いほどに思い知らされた気分です」
自信が無かったから、ユーゴは心を折られてしまった。
それを聞いて、私は昔の……いいや、ほんのわずか前の出来事をいくつか思い浮かべていた。
それらはすべて、大切な恩人によるものだ。
バスカーク伯爵は、依頼の報酬にと屋敷の掃除を私とユーゴに求めたことがある。
お願いごとをしたのだから、自ら対価を支払わなければならない――対価を支払って人に何かを頼むという仕事の原則を学ばせよう、と。
ジャンセンさんは、ユーゴに学問を修めさせるようにと私に言ってきた。
この世界の常識を覚えることで、少しでも仕事が出来るように――将来の役に立つように、と。
あれらはきっと、ユーゴに成功体験を積ませようとしていたのだ。
今アギトがしてくれていることを、彼らはもっと前にしようとしてくれていた。
そのきっかけを私に伝えていてくれたのだ。だというのに……
「……身を以って思い知りました」
「与えられたものでは自信も実力も伴わない。生まれによって与えられた王の位、そしてその仕事。それらをどれだけこなそうとも、私には自信も、それに能力も身に付いていません」
「それはきっと、与えられた責任を背負うだけで満足してしまっているから……だったのだと」
「えっ。い、いえ……その……俺が見る限り、女王様も優秀な方に見えます」
「だって、まだこんなに若いのに……あっ。ちがっ……あの、威厳が無いとか未熟とかそういう意味じゃなくって……」
…………そうか。アギトには、私が威厳を感じない未熟な王に見えているのか。
ユーゴのように何も言ってくれないのも困ったものだが、アギトのようにすべてがだだ漏れなのもどうかと思う。
その……一緒にいてつらい思いをする機会が多いかどうか……という点においては。
「……ふふ。貴方のような人物に優秀と言って貰えたことは誇らしいです」
「けれど、事実は事実。私も……私自身も、まだまだ頑張らなければなりませんね」
「王としての責務だけではない。フィリア=ネイという個人として、私はまだ何も成し遂げていませんから」
「……っ! ぜ、全力でお手伝いしますよ! 俺も! ミラも!」
なんだろう、その……嬉しい言葉だったし、それに本心なのも伝わって来る。
だが……それと同時に、失言を挽回しようという焦りと企てが感じられて、微妙に喜びきれない。
彼のこの隠しごとが出来なさ過ぎる性質は、良くも悪くも不自由そうだな。
その……周りが、という意味で。
「……ふふ。貴方の言葉には多くを学ばせていただきました。なので、未熟と言ったことも、威厳が無いと嗤ったことも、今日のところは不問とします」
「っ⁈ ち、ちがっ……ご、ごめんなさい! 決して! 決して本心ではないんです!」
「その、親しみやすい方だな、と! 若くて綺麗で、あの、えっと……せ、セクハラでもなくてっ!」
せ、せくはら……? またアギトらしい何か分からない単語が飛び出したが……こほん。
まあ、今日のところは何を言われても許そう。
大変な気付きを与えてくれた。
伯爵とジャンセンさんの遺していたメッセージに気付かせてくれたのだ。
こんなにも大きな恩はなかなか無い。それに……
若い……と、そう言ってくれたから……っ。
何かに付けて親と子に間違われる私とユーゴを、初めて会った時から姉弟と勘違いしてくれたことも加味して、今日はすべて許そう。はあ……




