第ニ百七十九話【少年からの提案】
少年ユーゴが宿舎を訪れて、およそ三十分が経過した。
他愛も無い雑談を続けたその間にも、目的であったミラ=ハークスは起床してこない。
故に、少年はやや腹を立て始めていた。
それほどどうしようもない怒りというものでもなかったが、無力感から鍛錬を積みに来た彼にとって、ただ喋っているだけの時間は焦燥感を駆り立てられるものだったから。
そんな彼の様子をいち早く察知したのは、なんとなく少年の境遇に親近感を感じている、同じく被召喚者であるアギトだった。
「あのさ、ユーゴ。ミラが起きてくるまでの間、俺で良かったらちょっと付き合うよ」
「アイツみたいに直接組み手の相手するわけにはいかないけど、なんだかんだで俺もいろんな人に教えて貰ったことがあるからさ。役に立つと思うんだ」
「っと、そうだった、世間話をしに来たわけじゃなかったな」
「ちょっと頼りないように見えるけど、アギトが教わってる相手は俺達の国でも有数の実力者だ。本人の腕前はともかく、知識と教えは確かだと思うぜ」
ユーゴはアギトの提案に、やや……と言わず、大いに不信感を抱いていた。
至って単純な理屈だが、まだ彼が戦う姿を――魔具という道具に頼らずに何かをする姿を見ていないから。
その上で、普段の振る舞いがあまり頼もしいように思えないから。
言い掛かりめいてはいたが、印象とはそういうものだろう。
けれど、ヘインスの後押しもあって、ユーゴはそれを承諾した。
渋々と言った表情にはアギトも苦笑いを浮かべていたが、彼としてもひとまずそうなったことには安心していた。
少年アギトにはひとつの目的があった。
それは、ふたりきりで対話をすること。
以前提案して、一度だけきっかけを与えられて、取り逃した機会を今度こそ、と。そう考えていたのだ。
「それで、何教えてくれるんだ? あんまり強そうに見えないって言うか、絶対強くないんだろうけど」
「あ、あはは……そうだね、俺は別に強くはないから。でも、弱いなりになんとかする手段を、何人ものすごい人に教わってるんだ」
なら俺には必要無いものだろ、それ。と、ユーゴはアギトの言葉に噛み付く。
強さを持たないものの戦い方を知ったとて、既に自分は強さを持っているのだから。
今更それを与えられても、何かの役に立つとは思えない。そう思ったのだ。だが……
「えっと……うん、それはそうだと思う。でも、絶対じゃない」
「少なくとも、俺と会ったばっかの時の君は、俺と変わんないくらい無力だった。それでも、守りたいものがあった」
「なら、もう一度そうなった時の備えをしておくことには、大きな意味があるんじゃないかな……って」
アギトはそう言って、そして身に付けていた小さな鞄を外して邪魔にならないところへと追いやる。
ユーゴにはその所作がどことなく手慣れたものに見えた。
鞄を外すことが……ではなく、弱さを前提とした提案をすること――きっとアギト自身がして貰ったことを、他人に教えようとする姿勢が、だ。
「それと……これ、オフレコでお願いね。ミラがさ、君に必要なのは絶対的な自信なんだ……って、そう言ってた」
「君の能力が自分の想像限界の範囲内でいくらでも強くなれるってものなら、その上限を低く見積もってしまわないだけの、うぬぼれにも似た自意識が大切なんだって」
「……自意識……? 別に、自信が無いわけじゃないけど。何が来ても絶対倒すつもりでいるし……」
ユーゴの少しだけ曖昧な返答に、アギトはつらそうな顔を浮かべる。
そして……二度深呼吸をしてから、苦しそうに告げた。
けれど、君はそれを思い込み切れなかったじゃないか、と。
「守りたいものを失えば……守れると思っていたものを失えば、当然自信は無くなる」
「多分……で悪いんだけど、君に求められてる自信っていうのは、過剰気味どころじゃない、圧倒的過ぎて持て余すくらいの自意識なんだと思うんだ」
「それこそ、悟〇やケンシ〇ウみたいな強さのイメージを出来るくらいにさ」
「…………ちょっとそれっぽかったけど、こっちでその名前出されると一気に萎えるな。分かりやすかったけどさ。あと、その辺あんまり分かんない。昔のだし」
うぐっ。と、アギトはうめき声をあげて、じゃあル〇ィなら分かりやすい……? と、よく分からない代替案を提示した。
ユーゴはそこの変更を求めたわけではなかったが、ひとまず頷いておくことにした。
このままでは本題に入れなさそうだから、と。そう思ったから。
「ごほん。とにかく、君に与えられたのは、主人公の力だと俺は解釈してる。授業中に侵略者がやって来て、それをかっこよく追い払う自分……っていう、そういう妄想を実現しちゃう力」
「自分の都合の良いように物語を進めるだけの能力。それが、君の力の本質なんじゃないか、って」
「なんかその言い方嫌だ、撤回しろ。いきなりダサい感じになったし、バカにされた気分だ」
ごめん……と、アギトはしょぼくれて頭を下げる。
しかし、ユーゴもアギトの説明事態は理解していた。
納得したくない言い方をされて、言い方を改めて欲しいと思っただけで。
「主人公ってことは、当然考えらんないくらいの試練も苦境も乗り越えなくちゃいけない」
「セ〇編に入ったらフ〇ーザなんて雑魚だったってくらい敵が強くなったように、信じられないようなインフレと理不尽が襲って来るんだ」
「そういう物語があるから……じゃなくて。君にしか任せられないから、必然的にそうなっちゃう」
「……やっぱりその例えやめないか? 分かりやすいけどイライラする」
「別に、ふたりきりの時はそういう話題じゃないと会話しちゃいけないってわけじゃないだろ」
ごめん…………と、アギトはまた更にしょぼくれてしまう。
彼は彼なりに、自分の拙い語彙で伝えられる精一杯の表現を選んだつもりだったが、それがユーゴにはやや不評だった。
もちろん、伝わりやすさという点においては、彼らの間に限っては抜群のものだったが。
「……まあでも、言いたいことは分かる。それに……実感もしてる」
「俺はあの時、誰も守れなかった……って、そう思っちゃったから戦えなくなったんだ。だから、最初からもっと強くなれてたら……」
「そう、そうなんだよ。ミラも言ってた通り、相手が自分より強かった時……そして、そいつが一撃でとんでもないことをした時、君は強くなる暇も無く負けちゃうかもしれない」
「だから、ミラは自分の強さを限界まで見せて、君を“今この瞬間に世界で一番強い”存在にしようとしてる」
「だけど、俺からすればそれは悪手だ。だって君は――俺と君だけは、強さの引き出しを無限に持ち合わせてるんだから」
アギトはそう言って、そしてすぐに構えを取った。
手のひらを開き、半身に構え、どちらの足にも均等に体重を乗せる。
今の今までしていた無限の強さの話とは程遠い、護身の為の構えを彼の前に見せている。
「だから、君に必要なのは自信だけな筈だ。そして自信を持たせてくれるのは、やった、出来たっていう経験だけ」
「小さなことでも、簡単なことでも、それは等しく自信になってくれる。なら、俺が教わった護身術も、絶対に君を支えてくれる筈だ」
「……役に立つとは思えないけど、まあ……そこまで言うなら。何すればいい? 俺が攻撃すればいいのか?」
絶対やめて! 死んじゃう! と、大慌てで逃げ出そうとするアギトの姿には、ユーゴもため息をついた。
だがしかし、その会話には意義があったとも思った。
この男は弱い。そして何より、成功者ではなさそうだから。
だから、言葉のひとつひとつに悲壮感が滲んでいて、聞いていてつらくなるような現実感が含まれている。
実のところ、ユーゴはミラの強さの模倣に限界を感じつつあった。
それは、魔術というものを再現出来ないから。
だから、どれだけやっても完全な模倣には至れないのではないか……と。
早い話が、もうすでに自信を喪失しかけていたのだ。
「どれだけ強くなっても、絶対に基礎的な技術は使えると思うから。防御の為の構えと歩き方を一個ずつ教えるよ」
「その……教えてくれた人、性格はマジで終わってたけど、指導官としての能力は本物だったから」
そういうわけだから、ユーゴにとってこのアギトの提案は少しだけ……ほんの少し、慰め程度ではあったが、気が楽になるものだった。
あまりに小さな一歩かもしれないが、それに価値がありそうだと思えることが、まだ失意の底から抜け出せていない彼にとって大きな意味を持つ。
「えっと、それじゃあ……まずは恥じらう乙女の構え……ってやつからなんだけど……」
「……やっぱやめとく。ダサいしキモイし、絶対強くならなさそう。騙されてるだろ、お前」
大きな意味を持つ……と、本人もそう思ったのだが、しかしことには限度があった。
どうにも頼りない人物から、顔も知らぬ指導官の、得体の知れない奇妙な構えを教えられる。
どれだけ価値のありそうなことだと考えたとて、簡単には受け入れられない。
少年なりに矜持というものもあったから。
その後、アギトの必死の説得の甲斐もあってか、ふたりは護身術の練習をしばらくの口論の後に開始した。
大きな成果はきっと現れないが、まったく無駄な時間にもならないだろう。
少年ユーゴがそれを信じている限りは。




