第二百七十五話【それぞれの思惑】
魔獣の討伐は何ごとも無く終わった。
到着してすぐ、ユーゴがひとりですべて倒してしまったのだ。
倒せる程度の魔獣しかいなかった……か。
もう魔獣くらいは簡単に相手出来るだけの力を取り戻していた……と、それが確認出来たという意味では、目的を完全に果たしたと言えよう。
そういうわけだから、帰り道の足取りも軽く、大きな不安や懸念を抱えることも無く、穏やかな気持ちで街へと戻ることが出来た。そして……
「もう魔獣と戦う分には問題無いデショ。私とアギトはヨロクまでの情報収集に向かうワ」
「準備もあるから、もう何日かは鍛錬も手伝ってあげられるケド」
「……どうしても、ふたりだけで行くのですか?」
「ユーゴの力が戻っているのなら、ランデルの防御は十分な筈。部隊の皆を連れて行っても、そう大きな隙を晒すことにはならないと思うのですが……」
ミラはやはり、諜報活動の提案を繰り返した。
魔人の集い、そして魔女。
これらの大き過ぎる敵を相手取るに際し、私達には情報が不足し過ぎている。
伯爵の穴を埋める為にも、たしかに調査隊を派遣することには賛成なのだが……
しかし、それをたったふたりだけに任せるというのは、とてもではないが正気の沙汰でない。
魔獣の数も増えているのだから、せめてユーザントリアから共に来た仲間を連れて……と、説得するも、ミラは首を縦には振らない。
「私達はあんまり大勢で動くのに慣れてないかラ……って、こんなこと言うと信用失くしそうネ。でも、私とアギトはふたりでなんでもやってきたかラ」
「だから、安心して任せて大丈夫ヨ。なんたって、私達は世界を救ってんだもノ」
「……そうですね。貴女達の力量については、大いに信頼しています」
「ふたりだけでの作戦に慣れている……と言うのであれば、あまり引き留めても迷惑でしょう。十分に準備をして、必ず無事に戻ってください」
えへん。と、ミラは胸を張って頷いた。
任せて、か。確かに、魔獣程度に後れを取るようなふたりではない。
ただ……どうしても、嫌な思い出が脳裏をよぎってしまう。
せめて……せめて魔女の居場所だけでも分かっていれば、それを避けて調査して貰うくらいは出来るのに……
「じゃ、今日もさっさと寝るのヨ、ユーゴ。アンタはこの国の防御の要なんだかラ」
「寝不足で魔獣を一頭討ち漏らした……なんてことがあったら、街のみんなはもうここを安全だなんて思えないワ。完ぺきにこなしなさイ」
「言われなくても、最初から俺が全部やるって言ってんだろ」
ユーゴの返答に、ミラは満足げに笑った。
そして、アギトの背中を押すように宿舎の中へと入って行って、私とユーゴはそれを見送ってからまた歩き出した。
ゆっくりと、宮へ向かって。
翌朝、私はやはりひとりでに目を覚ました。
ユーゴはもうしばらく起こしに来られないだろう。
相当体力を消耗するのだな、ミラの模倣は。
それだけ高い集中力で臨んでいるということであり、それだけ高い技術を身に付けているということでもある。
この静かな朝は、ある意味では安心の先ぶれなのだろう。
と、そんな勝手な満足を胸に抱いて、私は今朝もユーゴの部屋を訪れる。
まだ眠ったままの彼の枕もとで、その穏やかな寝顔を見つめていれば……
「……ふふ。眠っていると、貴方もエリーやミラのように、あどけないだけの子供に見えるのですがね」
最近、ミラに心を弛緩され過ぎているだろうか。
いつも冷静で、ややつんけんした態度のユーゴが、無防備に眠って隙を晒している。
それがなんだか愛おしくて、可愛らしくて、そして……なんとなく、いたずらごころを刺激するものだから。
「……すう。わっ! 朝ですよっ! 起きてくださいっ!」
少しだけ驚かせてやろう。と、まるで童心に帰ったかのような……いえ、子供の頃にもこんなことはしたこと無いのですが。
ともかく、子供の発想で彼にいたずらを試みた……のだが……
「…………うるさ。なんだよ、いきなり。子供じゃないんだから」
「うっ……いえ、そういう反応が返ってくることくらいは予想すべきでしたが……」
あまりにも冷たい、そして小さいリアクションに、すごく……その……普段以上に強く咎められてしまった気分になってしまう。
せめてもう少しはっきりと怒ってください……呆れられたようでなおさら胸が痛みます……
「今朝も行くのですよね、鍛錬に。ほら、早く起きて準備してください」
「……ん、まあ……それはいいけどさ」
それは……? 他にはまずいことがあるのだろうか。
もしや、情報収集に向かうふたりの邪魔をしてはいけない……と、そう言いたいのか。
それとも、もうひとりでも戦えるから、鍛錬よりも魔獣の駆除を優先したい……とか……
「ここんとこ全然仕事してないけど、そっちは大丈夫なのか……?」
「なんか、最近執務室にパールもリリィもどっちもいるよな。あのふたり、前は基本的にはどっちかだけじゃなかったか……?」
「……その……それは……それはですね……その……」
思ったよりもまずい問題を指摘されてしまって、私はもう黙るしかなかった。
そんな様子を見て、ユーゴは大きな大きなため息を……あの、すみません。そこまで呆れないでいただけると……一応、貴方を心配してのことだったのですから……
「俺だけでいいだろ、行くのは。フィリアはやるべきことやれ。どうせ疲れたとか言って抜け出してくるだろうけど」
「うっ……はい、おっしゃる通りです。では……その……わ、私がいなくても、ミラと仲良くするのですよ……?」
保護者か。と、ユーゴはがっくりと肩を落とし、それからすぐに私を部屋から追い出した。
ほんの数日前までは何をされても無抵抗で、自発的には何も出来ない状態だったというのに……
「……元気になってくださったのなら、私はそれで構いません。では、今日も頑張ってください」
「……うるさい、早く行け」
閉じられたドア越しに声を掛けると、きちんと返事も聞かせてくれた。
そうだ、ユーゴはこんなにも元気になってくれた。
もう私がいなくても歩いて外へ出られる。
アギトとミラと出会えて、彼らが協力してくれて、本当に良かったと心からそう思う。
きっと溜まっているのであろう仕事のことを思うと、どうしたって憂鬱な気分にはなった。
けれど、ユーゴがミラに指導して貰っている姿を思い浮かべれば、いくらでも頑張れる気がしてくる。
その元気が萎まないうちに、私は急いで執務室へと向かった。
アギトとミラが情報を集めてくれると言うのなら、その間にやれることを纏めておこう。
ふたりが戻るまでには、マチュシー、ハル、ヨロクの解放作戦の段取りを決め、国軍の出動要請も取り付けておかないと。
少年にとって、それはあまり好ましい状況ではなかった。
フィリア=ネイ=アンスーリァを見送り、静かな部屋にまたひとりだけになって、彼はまた大きなため息をついた。
「……あのアホ……はあ」
なんとなく……本当になんとなく、だが。
少年ユーゴの中で、女王と母親の姿が一瞬だけ重なってしまったのだ。
歳頃の少年を相手に、あまりにも無神経に距離を詰めるその姿が。
もちろん、それを心底疎んでいるわけではない。
少年は母親を愛していたし、同じようにフィリアという人物を好んでいた。ただ……
彼にとって、フィリアという女性は肉親ではない。
姉と呼ぶにもやや歳も離れた、憧れに近い感情を向ける相手だったのだ。
それが、ほんの僅かでも自分の母親とかぶさってしまったのだ。
思春期の少年が感じる落胆としては、やや大きな部類に入るだろう。
端的に言えば、少年は彼女を愛していた。
それが恋慕か、それとも崇敬か、或いは友愛かは、本人も知るところではない。
ただ、心から信頼を寄せ、誰よりも大切に思い、絶対に守らなければならない相手であると、そう思っていた。
そんなわけだから、少年は彼女には出来る限り美しくいて欲しいと、半ば押し付けにも似た勝手な願いを、無意識のうちに抱いていた。
母親というのとは対極に位置する、近寄りがたく、美しく、気高い存在であって欲しいと、出会った瞬間からずっと思っていたのだ。
だが……
「……はあ。アイツ……マジでなんなんだ……」
当の本人はそれを知らず、そして……少年にとっては残念なことに、彼女は比較的俗世的な人間であった。
人を思い遣り、喜び、悲しみ、孤独を嫌う。
当然のことではあるのだが、彼女はいささか人間味に溢れ過ぎていた。
もっとも、それは彼女の素顔を目にする機会の多い少年だからこそ知り得たものでもあるのだが。
しかしながら、とにかく少年ユーゴは日に日に理想を打ち砕かれる気分に陥るのだ。
初めて出会った瞬間には、まったく想像したことも無いようなおとぎ話の中の美姫かとさえ思ったのに。
それが、よもや母親と見紛うそぶりさえ見せたのだから。
けれど、彼はそれを案外悪くないとも思っていた。
それもまた、無意識のうちに、だ。
理由は単純明快。
そうであるならば、かの女王は手の届かぬ高貴な存在ではないとも思えたから。
ともに笑い、ともに泣く。ともに過ごし、暮らしていける相手だと、心の奥底でそれを感じ取ったから。
だから、少年はなんだかんだと彼女の願い通りの行動を選ぶ。
今日もまた、天の勇者と名乗る少女のもとへ向かい、もう一度強くなる為の鍛錬を積む。
そうすれば、もう心を閉ざしている必要も無いと知ったから。
まだ――彼女の隣に立つ資格があると知ったから。




