第二百七十四話【口下手というか】
召喚術式。そして、屍術。それらを複合した、召喚屍術式。
私はふたりに……いや。ミラに、か。
ユーゴをこの世界に呼び出した術について、順を追って説明した。
それが多大な犠牲を伴うこと。
それが人の道に背いていること。
そして、それらすべてを理解した上で臨んだこと。
口頭の説明だけですぐに理解出来たのはミラだけだったが、もう少し詳しくかみ砕いて説明すれば、アギトもなんとなく飲み込んだようだ。
「……なるほどネ。なんとなく……いえ、間違いなく、かしラ」
「正直に言って、フィリアに召喚術式を完全に成功させるだけの技量があるとは思ってなかったケド、そういう理屈なら納得もするワ」
「死んで情報として漂うだけになった魂なら、生きてる人間の魂よりずっと呼び出しやすいでしょうかラ」
「……そうですね。貴女の力量を思えば、犠牲を伴ったとはいえ、この式に対しての私の力量はとても見合ったものではありません」
ミラの言葉には少し気落ちしてしまったが、それもまた現実だろう。
私は優秀な魔術師ではなかった。
いや、結果としては召喚に成功しているから、成果を残した魔術師ではある。
だが、研鑽を長く続け、術の最奥へと近付く……という点においては、褒められるほどのものは無い。
そんな私でも、この世界で最も強いユーゴを召喚出来たのは、前提と犠牲を大まかに書き換えたからだ。
生きている人間の精神を引き剥がすともなれば、元の肉体を殺してしまうか、あるいは精神もろとも破壊してしまうかといったリスクが伴う。
私にはそれを掻い潜って成功させるだけのビジョンが無かった。だから……
「私の知る魔術師はだいたいみんな倫理観がおかしかったケド、フィリアも例に漏れない感じネ」
「もっとも、召喚術式なんてものを選んだこと自体が、もう人としておかしいんだケド」
「うっ……そうですね。私は人の王として、いささか道を踏み外し過ぎているという自覚があります」
「それでも、そうでもしなければ越えられないだけの問題が積み上がっていたのです」
特別な力が――鬱屈とした停滞を打破する力が、あの時の私には必要だった。
いいや……そういった特別なものが無ければなんともならないと、思考を放棄してしまっていたのかもしれない。
その是非を今更論じるつもりは無いが、そうして選んだ答えは人道を踏み外すものだった。それは事実だ。
「……な、なあ、ミラ。その……死んでる魂だと楽……って、どういうことだ……? 一緒じゃないの? なんか違うの……?」
「……そうネ、違うのヨ。うんと簡単になるワ」
「それを詳しく説明してもアンタじゃ理解出来ないでしょうかラ、とっても簡単になるとだけ覚えておけばいいわヨ」
ひどい! と、アギトは涙を浮かべてミラの肩に縋りついた。
もっとちゃんと説明してと言いたげな彼を、ミラはまったく相手せずに私の方へ顔を向ける。
やはり、当たりがきついですね……アギトにだけは……
「……フィリア、俺もそこは気になる」
「死んでる方が簡単ってのは分かったけど……死んでるやつを呼ぶ方が悪いことみたいな言い方だったのはなんでだ? そこは本当に一緒だろ、どっちでも」
「え……? ええと……何故と問われましても、当然そうであると考えるべきではないでしょうか」
「屍術が疎まれる理由は、死者の尊厳を踏みにじっているから」
「死者の魂をもう一度蘇らせようという行為は、生物の在り方を無下にすることだから」
「その……生きている人間を呼び出すにせよ、その個人を蔑ろにしている……と、そう言われてしまえば……その……」
反論の余地は無いかもしれないが。
しかしそれ以前の問題として、死者を冒涜することは倫理に反するだろう。
平穏の中で生を全うしたにせよ、報われない最期を迎えたにせよ、死者に訪れるのは終わりの静寂だ。
その静けさこそが救いなのだから、それを荒らすことは……
「あ、俺もそこは気になりました。むしろ、死んじゃった人を生き返らせた方が良いことっぽくも感じます」
「生きてる人を無理に呼び付けて、全然知らないところで頑張れ……の方が、場合によってはひどいかなって」
「え、あれ……? ユーゴもそう思う……のですか。ええと……」
あれ? と、首を傾げたのは私だけのようだった。
こ、これはどういうことだろう。
もしや……いや、やはり、か。また、私だけが常識を勘違いしてしまっている……のでは……
「呼ばれた側はそう感じるのネ。ま、この世界の常識……いえ、良識が、他の世界でも普遍だなんて理屈が無いことは分かってるつもりだったケド」
呼ばれた側。と、ミラはアギトとユーゴを見ながらそんな言葉を口にした。
なるほど、視点が違えば価値観や感じ方も変わる。
当然のことだったが、まったく頭に無かったな。
それに……言われてみれば、この世界よりもずっと平和で安全な世界を知っている彼らと私達とでは、死生観というものも違うに決まっている。
「死者の魂をもてあそんではならないなんて、生きてる人間の決めたことだものネ」
「ユーゴとしてはどう思ったのヨ。もう一回生きる権利が貰えて嬉しかったのカ、それとも静かな眠りを邪魔されて腹が立ったのカ」
「どうもこうも、気付いたらここにいたからな。死んだ自覚はあるけど、実感はあんまり無いままだから……」
生きているまま別の場所へ来たのと変わらない、以前の生の延長のように感じられている……のか。
ユーゴはどこか困った顔でミラの問いに答えたが、しかし不満や憂いがあるといった面持ちではない。
それには胸を撫で下ろしても良いのかな。
「その……アギトはどうなのでしょうか。元の生活も同時にこなしている……とのことでしたが、その負担は小さなものとは思えません」
「だから……つらかったり、嫌になったりはしなかったのでしょうか」
「え……? あー……うーん。そういうのは一回も無かったですね」
「向こうのだと人生上手く行ってなかったから、むしろやり直せてラッキー……って、初めは思ってました」
「まあ……こいつの頑張りに引っ張られて、向こうでもしっかりしなきゃって、今は立ち直ってちゃんと生きてますけど」
やり直せて幸運だった……そ、そんな捉え方もあるのですか。
というか、聞けば聞くほどうらやむばかりの世界に生まれて、人生が上手く行っていない……とは、いったいどういうことだろうか。
やり直したいと願うまでの不遇があった……つまり、差別や貧困は残っていた……のか、それとも……
「……そういう意味だと、俺もこっち来れて良かったかもな。あっちの生活、つまんなかったから」
「あんな面白いとこにいてつまんないなんテ……アンタ、贅沢な性格してんのネ」
ユーゴも……か。
聞く限りでは理想郷もかくやといった世界なのだが、その現実は違うのだろうか。
安全や平穏が約束されている代わりに、何かが失われてしまっている……とか。
その何かというものは、私ではとても想像出来ないし、それが安全よりも重大なものとも思えないのだが……
「……あのさ、ユーゴ。あとで……いや、今日じゃなくても、いつでもいいんだけど。ふたりだけで話してみたいんだけど、どうかな?」
「その……ほら。向こうのこと知ってる俺達だけだから出来る話もあるだろうし」
「……? 別に無いけど」
少し様子を窺うようなアギトの提案に、ユーゴはあまりにもそっけない態度を取った。
そ、そんな冷たいことを言わないであげてください……もう……
なんとなくだが、アギトの意図は私にも理解出来た。
仲良くしてやってくれ、友達になってくれ、心の傷を癒してくれ。
そんな最初のお願いを覚えていてくれて、打ち解けるきっかけを作ろうとしてくれているのだろう。
と、それが分かっているのなら、私が助け舟を出してあげないと……
「こほん。アギト、もう少しだけそちらの世界についての話を聞かせていただけませんか」
「その……そうしているうちに、どうしても確かめたいことや、私達には聞かせられない話が出てくる筈です」
「それをまた後日、ふたりだけで話し合えば……」
「いや、だからそんなの無いって。フィリアに聞かれて困ることとか無いし、そもそもフィリアに何聞かれても大したことになんないだろ。アホだし」
うっ。そ、そんなに冷たいことを言わないでください……っ。
だが、どうやらアギトもミラも私の考えを悟ってくれたらしく、こぞってユーゴの説得を始めてくれた。
「前に召喚の関係で問題が起こったこともあったのヨ、コイツも。そういうの、いざって時に起こると厄介デショ」
「だから、相談出来ることがあったら全部やっとくべきだワ」
「そ、そうそう。いや……まじでそれは本当に」
「それがきっかけで……俺だけじゃなくて、大勢に迷惑かけたから。ミラにも、国中の人にも」
アギトのそんな言葉を聞いては、ユーゴも流石に無視し続けられなかったようだ。
それなら、まあ。と、渋々ながらも了承してくれて、ならさっさと始めろと言わんばかりの態度でアギトと向き合った。
この子はどうにも……ううん……
「えっと……じゃあ……ごほん。同じ世界出身ってことでさ、ユーゴのこともっと知りたくてさ。その……えーと……」
「なんも無いだろ、それ。なんも無いならもう終わりでいいだろ、なんだよこの時間」
うわぁん! 待って! と、あまりに情けない声でアギトは涙を浮かべながらユーゴに頭を下げた。
その……ユーゴもユーゴだが、アギトも大概……その……なんというか、もう少ししっかりして欲しいと思ってしまうな……
「……えっと、その……あのさ。俺の知り合いに、ユーリさんって人と、それからユートくんっていう、君と変わんないくらいの歳の子がいるんだ。それがさ、どっちもすごくて」
……? 彼はなんの話をし始めたのだろうか。
まだこの段階では理解出来ないが、しかし……とても重要なことを伝えようとしてくれている……のだろう。
きっとそれには間違いないから、私もユーゴも黙ってアギトの言葉に耳を傾けていた。
「ユーリさんは、マーリンさんの部下だったんだ」
「多分、この世界で一番あの人を尊敬してた、誰よりも大切に思ってた人。自分がどんな扱いをされてでも、マーリンさんを助ける為に戦ったんだ」
それから……と、アギトは両手で宙をこね回しながら話を続ける。
大魔導士マーリンの部下、か。
偉大な人物の話をして……それで…………どうするのだろう。
元の世界についての相談事を引き出す……のだから、それが何かに繋がるのだろうけれど……
「ユートくんってのは、向こうの世界で知り合った子なんだけどさ」
「その子はさ、友達の為に立ち上がって、いじめっ子に立ち向かい続けたんだ。ううん、今だってそう。現在進行形で頑張ってる」
もうひとつの世界での知り合い……ユーゴと歳の近い少年……か。
この話の共通点は……どちらも親しい誰かの為に、自分を犠牲にしてでも頑張れる人物である……といったところか。
たしかに素晴らしい人物像だが……ふむ。
「……うん。だからさ……えっと……あのさ、ほら」
「ユーリとユート……とさ、ユーゴ……でさ。ほら、うん。似てるから……あのさ」
「でさ、ユーゴも女王様の為に、戦えない状態でも魔獣に立ち向かってただろ?」
「だから……うん。俺の知り合い、名前が似ててかっこいいことする人多いなぁ……って…………あの……」
…………ふむ。
たしかに……似ているかもしれない。
けれど……その……ううん。
それは……その……響きが……というだけではないだろうか。
ユートという名とユーゴは世界を同じくするから、意味や込められる願いも似通う可能性は高い。
だが……こちらの世界の人物とでは、ただ音が近いだけ……のようにも思えるが……
「終わったな? なんも無いな、じゃあ終わりだ。なんだ今の時間、ふざけんな。このアホ」
「……ごめんネ。こいつ、本当に話をする能力が無いのヨ。どうしようもないくらいバカアギトなノ……」
そんなぁ! と、アギトはまた泣きながらユーゴに縋りつくが……申し訳ない、私もこれは……うん。
その……わずかではあるが、このアギトという人物についての理解が深まってきている気がする。
その……行動や思想、精神性については素晴らしいものがあるが……いかんせん……その……
「この大バカアギト。珍しく考えがある風だったから手伝おうと思ったのに、何も纏まってないじゃないノ」
「今の身の無い話の為に女王様の時間奪って、アンタ本当なら処されててもおかしくないわヨ」
「……お前みたいなの、クラスにひとりはいたよな。なんか……何も考えて無さそうで、本当に何も考えて無くて、ずっとバカやってるだけのやつ」
その……こほん。あまり言い過ぎないであげてください。
その……特にユーゴが人をけなす言葉を使うと、どうにも……私の心にもじわじわと痛みが……
何を伝えたかったのかは一切分からなかったが、ひとまずアギトの目論見は完全に失敗した……という結果を以って、私達は奇妙な空気に包まれたまま魔獣のひそむ地点を目指した。
ああ、えっと、川を越えた辺りだったな。
なんとも……緊張感はしばらく戻りそうにない……




