第二百六十二話【同調】
巨大な魔虫はバラバラに解体され、土埃を巻き上げながら地面に叩き付けられる。
それをやったのはミラではなく、アギトでもなく、ユーゴだった。
この世界でもっとも強いという力を取り戻した、誰よりも頼もしいユーゴが――
「――バカアギト! ぼさっとしてんじゃないわヨ!」
「――フィリア! まだ来るぞ! アホみたいな顔するな!」
――ミラと一緒に、私とアギトに暴言を吐きながら剣を構えなおした。
その……調子が戻ってくれたことは嬉しいのですが……言葉は出来れば穏やかになっていて欲しかった……と、思わなくも……
「……はっ。ま、まだ魔獣がいるのですか⁈ いったいどこから……っ!」
何をまぬけなことを考えているのだ。そんなだから気の抜けた顔だと言われてしまうのだろう。と、自らを毒突きたくなる。
ユーゴもミラもまだ真剣な眼差しを前方へ――土煙の晴れない地面へと向けていた。
魔獣の死骸の横たわるそこに、まだ何かが隠れていると感じ取っているのだ。
「――っ! そうか、子供! ミラ! 小さいのはユーゴよりお前の方が得意だろ! もう戦えるようになったんだから、さっさと魔術で――」
――うるさい――っ! と、そう怒鳴ったのは、ひとりだけではなかった。
ユーゴもミラも、声を揃えてアギトを睨み付けている。
「こんなチビより俺の方が強い。俺がひとりで戦った方が早いし安全だ」
「さっきまでビビってただけのお子様のくせニ、デカい口叩くんじゃないわヨ」
わ、わあ……ふたりとも、息が合うのだな……
まるで鏡に映るひとりの姿を見ているかのように、ふたりはまったく同じタイミングで、まったく同じ方の足を踏み出して……互いの肩がぶつかって、ものの見事に出鼻を挫かれていた。
「邪魔なのヨこのガキんちょ! もう戦えるのは分かったからアンタはすっこんでなさイ!」
「邪魔なのはお前だ、このチビ! さっきまであんなのに苦戦してたやつに任せられるか!」
あ、ああ……いけない、どうしてか喧嘩が始まってしまった。
アギトとミラが喧嘩している姿は、信頼と親愛の証でもある……と思うから、それは黙認出来る。
けれど……このふたりにはまだそんな絆は出来ていない。これはただのいがみ合いだ。
そんなふたりなどお構いなしに、土煙の中からわらわらと小さな魔虫が現れ始めた。
やはり蜘蛛らしい見た目の通り、大量の子を潜ませていたようだ。
先ほどの親固体に比べて圧倒的に小さいとはいえ、人の頭部ほどの大きさの蜘蛛の群れは十分脅威になるだろう。なのに……
「さっきから聞いてりゃ誰がチビよ! 私の方が歳上なんだかラ、もっと敬いなさイ! ふしゃーっ!」
「ぎゃーぎゃーうるさい、どこが歳上だ! アホチビ! バーカ!」
ふたりはまだ喧嘩を続けたままで、先ほど私達に注意をしたくせにもう警戒心が薄らいでしまっているように見えた。
「い、いけない……アギト、貴方の力ならば――魔具ならば、小型をせん滅するのは早い筈です。ふたりがあんなでは、もう貴方に頼るしか……あっ……」
「……すみません……その……頼るなら最後まで頼ってください……途中で気付いたとしても、そんな察した顔しないでいただけると……」
あっ、えっ、いや……その……申し訳ありません……
私は先ほどまでに見ていた雷を放つ魔具をアテに、アギトに戦ってくれるようにと頼もうとした……のだが、それらがミラによって封じられてしまったことを思い出して……その……
「……はあ。大丈夫です、女王様。俺は頼りないように見えるかもしれませんが、アイツは別ですから」
「ふざけてるように見えても、集中出来てないように見えても、アイツは絶対に魔獣なんかに負けません」
私の所為ですごくしょんぼりしてしまっていたアギトだったが、ため息ひとつですぐに真面目な顔に戻って、信頼の眼差しをミラへと…………まだユーゴと言い合いをしているミラへと向けた。
そしてすぐ、彼の信頼は正しいのだと証明される。
「――視界の端でわさわさ動くんじゃないわヨ――っ!」
「――うじゃうじゃわらわらとキモイんだよ――っ!」
ふたりは互いに向けあったフラストレーションを、襲い掛かろうとした魔獣へ向けて発散し始めた。
そ、そんな戦い方でいいのですか……?
「――合わせなさイ! 私が焼き払った方が早いケド、アンタも出しゃばりたいってんなら手伝ってやるワ!」
「――合わせるのはそっちだ! 俺がひとりでやった方がもっと早いのに、お前が出しゃばってるんだから!」
ふたりはまだ喧嘩をしたままながら、剣を抜いて互いに魔獣の群れの中へと突っ込んで行った。そして……
ミラが剣を振り抜けば、その刃の通った後には切断された魔獣が転がった。
それとまったく同じことが、ユーゴのところでも繰り返されて……いや、並行して繰り広げられている。こ、これは……
「遅イ! もっと速ク! 私はそんなのろまじゃないわヨ!」
「うるさい! お前がもっと速くしろ! 遅過ぎて邪魔くさい!」
ユーゴの動きが……ミラと鏡合わせのようになっている……っ⁉
そんな光景に、アギトは声を上げた。そうか、そういうことだったのか、と。
「アギト……アレはいったいどういうことなのでしょうか」
「ユーゴもミラも、共に戦うのはこれが初めて……いえ、格闘に至っては今日初めて見たばかりなのに……」
「初めてで十分……なんです、きっと。だってユーゴは、想像した通りに強くなる能力を持ってるんですよね」
「だったら、目の前で実演された強さはユーゴの頭の中に書き込まれて、再現可能な彼の強さとして登録されるんですよ!」
っ! そ、そんな方法が……
いや、確かに理屈は単純だ。
目で見たものは頭の中に思い浮かべやすい。見たことの無いものに比べれば、圧倒的に。
けれど……
考えもしなかった。
そして、思い付いたとしても実行になど移せなかっただろう。
当然だ。だって、彼が求めているのはただの格闘技術ではない。
国軍の、特別隊の誰かの技では足りない。
ひとりで無数の魔獣をも圧倒するだけの――天の勇者として名を馳せるほどの力でなければ――
「っしゃぁあ!」
「おりゃぁあ!」
ミラがくるんと身体を翻して剣を振るえば、ユーゴはそれと反対向きに回転しながら剣を振るう。
ミラが高く跳び上がれば、ユーゴは地面を這うように身を低くする。
ユーゴがまっすぐに飛び掛かれば、ミラは後退して周囲の確認をする。
ユーゴが魔虫を一か所に追い込めば、ミラがすかさず追撃を仕掛ける。
互いが背後に剣を投げ付け、互いの目の前に迫る魔獣を貫く。
合図も無ければ確認も無い。けれど、ふたりの行動はわずかなズレすらなく完全に同調していた。そして……
「――これデ――」
「――全部だ――」
まるで上等な演武でも見ているかのような光景に息を飲んでいる間に、魔中のすべてが倒されていた。
「ま、そこそこってとこネ。私ひとりならもっと手早く倒せたケド、子供に教えながらじゃこんなとこデショ」
「まだ言ってんのか、本当に子供だな。俺がお前に合わせて手伝ってやったんだ。お前がいなかったらもっと早かった」
危険がすべて排除されたのだと確認するや否や、ユーゴとミラはまた喧嘩を始めてしまった。
さきほどまであんなに息が合っていた……いや、気味が悪いくらい動きを同調させていたというのに。
「……ユーゴが戦えなかったのは……力を発揮出来なかったのは、それを思い出すことが出来なかったから」
「つらく苦しい記憶に妨げられて、自分の至った地点を……そして、誰かを守れる力というものをイメージ出来ないでいたから……」
そんなふたりを見ながら……いや、ユーゴを見ながら、私は先ほどのアギトの言葉を思い出していた。
初めてでも問題無い。ユーゴには想像を実現する能力がある。
ならば、実演すれば当然それをまったく同じだけ真似してみせるだろう、と。
「女王様。アイツ、あんなにちっちゃくてかわいいですけど、強さについては絶対のものがあります。それに、もっともっと強い人を俺達は知ってる」
「きっと……いや、絶対にユーゴの力になってみせます」
「……っ。はい、ありがとうございます。頼らせていただきます」
魔術の再現は難しいかもしれない。
けれど、ミラの体術を真似て、実力を伸ばし、そして自信を回復させた暁には……っ!
トラウマと向き合い、克服することが出来たならば、きっとユーゴはまたあの時の強さを取り戻してくれるだろう。
「アギト! アンタはそこでぼけーっと見てたからよく分かるデショ! 私の方がすごかったし速かったし強かったわよネ!」
「フィリア! お前だってそこでバカみたいな顔して見てただろ! 俺の方が圧倒的に強かった! ちゃんと証言しろ!」
ふたりの喧嘩は私達をも巻き込み始めて、馬車へ戻る道のりの間にも怒鳴り合いが続いてしまった。
また、怒鳴り声を上げられるくらいの元気が、ユーゴに戻ってくれていた。
私の胸の中にあったもやもやは、すっかり消えて無くなっていた。
ユーゴはまだ、戦う道を選んでくれている。
ならば、私は彼の想いに従おう。
もう、戦わなくてよいなどと侮辱めいた考えは抱かない。
以前と変わらないその頼もしい背中に、私はそう誓った。




