第二百六十一話【勝ちなさい】
――別の世界から来た人間――
戦いによる錯乱状態などではない、そんなものは見れば分かる。
ミラは至って冷静に、そして真剣に、はっきりとそう言った。
「――別の――世界から――っ。アギトも――とは、まさか――」
「――ユーゴも俺と同じ――召喚された人間――っ⁉」
あ、あれ……?
ミラの言葉に一番驚いていたのは、私でもユーゴでもなく、ある意味では当事者であるアギトだった。
いえ、その……召喚した、されたという意味では、私とユーゴも当事者なのだ。
全員が当事者で……けれど……ええと……?
「な……なぜアギトがそんなに驚くのですか……?」
「その……す、すみません、いろいろと……どうしてそれが分かったのか。別の世界から来たというのなら、アギトはここでは何者なのか」
「そして、だからこそ……というのはどういうことなのか……と、いろいろ尋ねたいことはあるのですが……」
「……ごめんネ、フィリア。話の腰を折ること、空気を読まないこと、まぬけなことに関しては、ユーザントリアでも間違いなく随一なのヨ、このバカアギトは」
ひどい! と、まだ混乱したままながら憤慨するアギトを、ミラは冷たい目で睨み付けた。
余計なことを言うな、話が進まない。なんて心の声が私にも聞こえてくるようだ。
そして……なぜだろうか、私まで耳が痛い……
「アギトがそれを知らなかっタ、気付いてなかったのは、私が教えてなかったからヨ」
「私にはそれが判別出来タ、コイツには出来なかっタ。ただそれだけ」
「そ、それがどうして判別出来たのか……というのは、尋ねても平気なことなのでしょうか……?」
ごめんネ。と、ミラはまた寂しそうな顔になって私に謝ってくれた。
その……アギトが先に驚いてしまった所為で、何から聞くべきか、何から答えるべきかがぐちゃぐちゃしてしまっている。
謝られるほどの問題でもない……とは思うが……
「それも簡単な理屈なのヨ。アギトを召喚したのは私だかラ。だかラ、召喚術式のおおよその仕組みが頭の中に入ってル」
「そして、フィリアには術式の魔力痕ガ、ユーゴには魔術的な組成ガ見えるかラ」
「っ! あ、貴女も召喚術式を……と、それは重要ではない……のですよね」
「私の身体に魔力痕が……それに、ユーゴの身体にも……ですか」
「し、しかし、今までにも魔術をたしなむ人間には何度も会っています。それを指摘されたことは一度も……」
へぼには分かんないわヨ。と、私の疑問を、ミラはあまりにも残酷な言葉でバッサリと切り捨ててしまった。
そうか……では、私がアギトを見ても何ひとつ違和感を感じられないのは……そう……か……
「もっとモ、見て分かるのなんテ、私とマーリン様と、それからお姉ちゃんだけでしょうケド。費やした執念が違うのヨ」
執念……ですか。
ミラはなんだか得意げに胸を張って……それからすぐ、アギトの足を踏ん付けてまた私の方へと目を戻した。
話が逸れてしまった。と……自ら逸らしていた気もするが、とにかく邪魔をするなと怒っているみたいだ。
なんと理不尽な……
「召喚術式によって呼び出されたのなラ、魔術による後天的な能力の付与も当然可能になル」
「想像した能力を発揮すル……なんて曖昧で大規模な能力ともなるト、それなりに対価も支払ったでしょうケド」
「それで生きてる辺り、フィリアも実力は確かだったんでショウ」
ミラはそんな誉め言葉を、ずいぶんと寂しそうな顔で……そして、やや苦い顔で口にした。
ああ……そうか、そうだろうな。
「……はい、その通りです。私は……ユーゴの召喚に際し、多くの犠牲を払いました」
「師を五名、そして……私自身の魔力のすべてを捧げ、術式に挑んだのです」
「それで済んだなら大したものヨ。それだけやって失敗した例だって知ってるんだかラ」
失敗……か。そうだな、そんな可能性だって当然ある。
いや、まっとうならば成功しないと考えて避けるべき愚行だ。
それでも私は踏み切ったし、結果としては成功して、こうしてユーゴが現れてくれた。
「話、戻すわネ」
「アギトの正体……別の世界から来たんダとしたら、それがどうしてこんなところで勇者と一緒にいるのカ、だったわネ」
「それもやっぱり話が単純で、勇者の私と縁があるかラ、その縁がきっかけでマーリン様とも縁があるかラ」
「だから、こうして一緒に行動する機会が多いのヨ。早い話が、勇者のおまけよネ」
「いてて……多いも何も、俺達はずっと一緒だろうが。お兄ちゃんをもっと敬いなさい、付属品扱いするにしても」
勇者の付属品である……という部分は否定しないのだな……
しかし……それならばなんとなく理解出来る。
ユーゴとて同じように見える筈だ。
その実がどういったものであれ、公にしていない以上は、女王とその近くの子供……程度の認識にしかならないだろうから。
「さて……で、一番大事な話をするわネ」
「私は召喚術式について詳しイ。そして――世界を救うってことについても実績があるワ」
「そんな私から見て、ユーゴはまだまだやるべきことがあるように思えたのヨ」
「っ! 天の勇者から見て、まだユーゴにはこの国を救えるだけの力がある……と、そういうことでしょうか」
私の問いにミラはこくんと頷いた。
一瞬たりとも躊躇すること無く、私達に気を遣っている様子も無い。
勇者として――それ以上に、凄腕の魔術師としての彼女が断言してくれた。
それはすごく希望が持てる話だ。だが……
「私から見テ、フィリアとユーゴの縁は完全に繋がってル……いえ、ユーゴの精神が、その肉体に完全に紐付けられてル」
「そして、肉体に備えられた魔術特性も、ひとつとして欠けた形跡は無イ。だかラ……」
だから、ユーゴにはまだ力が残されている。と、ミラは自信を持ってそう言い切った。
そんな彼女の言葉に、ユーゴは目を丸くしていた。
まだ、自分は戦う力を完全に失ったわけではない、と。そう言われて……嬉しいのだろうか。
それとも、そんなことを想う余裕も無いくらい驚いている……のか。
「私とアギトだけじゃ解決しきれない問題も多イ。国を救うのは、他の国の勇者じゃダメなのヨ」
「国の中に――自分達の中に希望の光があって初めて、大勢の生きる糧になル」
「だから――私はユーゴの助けになりたイ。いえ、ならなければいけなイ。同じように、世界を救おうとした人間としテ」
ミラの言葉には一切の迷いが無い。
先ほどからずっと、自信と、そして何より希望と正義に満ち満ちている。
見ていて眩しいくらいだ。
ユーゴにはまだ力が――強くなる可能性が残されている。
それを保証して貰えたことは何よりも嬉しかったし、安堵もした。
あれですべてを失った、もう二度と自信を取り戻す機会すら与えてあげられない、なんて最悪の可能性は否定されたのだ。
ただ……それでも……
「必ず――必ずアンタをまた戦えるようにするワ。その為ならなんだっテ――」
「――待ってください。ミラ……その話は、もう少しだけ待ってくださいませんか……」
勇気に満ちたミラの言葉を遮るのは、私の胸の内にあるもやもやとした黒い煙だった。
ユーゴには戦う為の力がある。
召喚術式によって付与されたから、最強に上り詰める為の力がある。
けれど……それは……っ。
「……ユーゴに戦う力が残っていることは理解しました」
「けれど……それはつまり、彼が戦いを望まないから、発揮されずに眠っている……とも考えられませんか……?」
すべて……すべて、私が無理矢理押し付けたものではないか。
その身体も、命も、力も。
すべてすべて、私が準備して、押し付けて、そうあれと願ったものではないのか。
戦って欲しいと、もう一度立ち上がって皆の希望になって欲しいと、そう考えないわけではない。
けれど……
もうあんな思いをさせたくない。
もう二度とこんな苦しみを味わって欲しくない。
それもまた、私の本心だ。
私は彼に身体を与えた。命を与えた。
あまつさえ、余計な力と責任感までをも与えてしまった。
だから彼は、生き方を選べなかった。
選ばせてあげようなどと傲慢な考えをいくら持とうとも、選ぶ権利を彼が見つけられないと理解出来ていなかったから。
「ユーゴは優しい子なのです。きっと……元の世界では、こんな苛烈な争いとは無縁な生活を送っていたのだと思います」
「ならば、こうして戦う力を失った今、本来あるべき穏やかな暮らしを望む権利だってある筈なのです」
気付けば私は、ユーゴの手を握り締めていた。
けれど……彼はそれを嫌がりもせず、握り返してくれもせず、ただぼうっとミラを見つめているだけだった。
「……もしも、ユーゴが心の奥底で戦いを忌避しているからこそ、もう能力が発揮されないのだとしたら……っ。それは何よりも尊重されるべきだと思うのです」
ユーゴの気持ちは私では理解出来ない。彼の心には触れられない。
バスカーク伯爵ならば、ジャンセンさんならば。或いは彼の真意を――望みを、これからの理想を読み取って理解してあげられたかもしれない。
けれど……っ。私では……彼らに託して貰っておいて、私などでは……
「……ん、そうネ。それはフィリアの言う通りだワ」
「っ。分かっていただけましたか、ミラ」
もう少しだけ待って欲しい。わがままかもしれないが、結論を急がせないであげて欲しい。
何も、もう二度と彼をたたかわせるつもりは無いと言っているのではない。
ただ、その選択を彼にさせてあげて欲しい。
そんな私の思いは理解して貰えたようで、ミラはふうと小さくため息をついて、視線を山の奥へと向けた。
「――だけど、そんなのはもう――本人がとっくに理解してるのヨ――」
「――え――それは、どういう――」
バウ――と、大きな音がして、私達の目の前に大きな土煙が上がった。
どうやら、何かしらの力によって地面が掘り起こされた――爆風によって土がひっくり返されたようだ。
そして……そんなことが出来るのは、この場においては魔術師であるミラ以外にいなくて……
爆風はそれから二度、連鎖的に地面を掘り起こした。
そしてそれが意図したものは……魔獣の巣穴への攻撃、眠っていた個体を叩き起こすことだった。
「――――いつまでそこで隠れてるつもりヨ」
「アンタ――自分のやりたいことはとっくに分かってんデショ――――」
爆風によって巻き上げられた土煙に、更に上乗せするように土が噴き上げられた。
それからすぐに現れたのは、ここへ来て初めに倒した熊のような魔獣よりもずっとずっと巨大な、四対の脚を持つ蜘蛛のような魔虫だった。
「――っ。ミラ⁉ 何してんだ! 早く魔術を――っ。お前まさか……」
「――戦いなさイ、ユーゴ」
「アンタの望みの為に――アンタが欲しいものの為に――アンタが取り戻したいものの――あらゆるすべての為に――――っ!」
眠りを妨げられた魔虫は、当然のように怒り狂っている。
ぎしぎしと牙をこすり合わせ、どこを向いているのかも分からない複眼でこちらの姿を観察していた。
けれど……その沈黙もそう長くは続かない。
「――バカミラ! 今は戦えないって言ってんだろうが! そういうのは時間掛けてゆっくり克服しなくちゃ――」
「黙ってなさイ、このバカアギト! ゆっくりしてる時間なんてそいつには残されてないのヨ!」
魔獣をいぶり出し、そして無理矢理ユーゴに戦わせる。
そんなミラのやり方に、アギトは強く反発していた。
そして、その為に戦おうとしない彼女の代わりにとまた銃を抜いて私達の前へと立ちはだかった。
「このバカミラ――っ! 誰でもお前みたいに勇敢になれるわけじゃないんだよ! ちょっとは気弱な小庶民のこと考えろ!」
魔弾の射手――と、アギトは言霊と共に引き金を引き、そして銃は雷の弾丸を――発射しなかった。
まさか、弾切れ……っ⁈
しかし、先ほどまでの戦いぶりを見れば、彼がそんな単純なミスをするとも……
「――誰がそれ作ったと思ってんのヨ。さっき細工しといたかラ、帰って私が直すまでは使い物になんないワ」
「ミラ……お前――っ。なんでだ! なんでそんな意地の悪いやり方するんだよ! みんなを守る、助けるのは、俺とお前の役目じゃ――」
それじゃダメだって言ってんデショ――っ! と、ミラはアギトの言葉を遮り、ここにいる全員にそう怒鳴りつけた。
そうだ、全員に、だ。
アギトだけにではない。私にだけでもない。
ここにいる全員――ユーゴにも。
「――アンタには力がある――責任がある――理想がある――希望が、夢がある――っ。守りたいものがそこにあるんデショ――っ!」
「だったら――さっさと立って前向きなさイ――ッッ!」
魔虫はまた土を跳ね上げ、まだ少し埋まっていた身体を完全にあらわにした。
そしてまたぎしぎしと威嚇を数度繰り返したかと思えば、私達へと向かってゆっくり進み始める。
そんな魔虫を前に、私はただ立ち尽くすしか出来なかった。
魔具を取り上げられたアギトは、それでもなお立ち向かおうとナイフを構えて私の前に立っている。
そしてミラは、手にしていた短剣をユーゴへと投げ渡して――――
「――――勝ちなさい――ユーゴ――――ッ!」
「――っ」
それからのことは、はっきりとは理解出来なかった。
ミラが剣をユーゴに投げ渡して……それから、魔獣がバラバラと崩れていったのだ。
アギトがやってくれたのかもしれない。
彼もまた召喚された者だというのならば、ユーゴのように特別な力を持っていても不思議ではない。
それに、でなければこうして勇者と共にはいないだろうから。
あるいは、ミラが彼の説得に折れてくれたのかもしれない。
それに、勇者と呼ばれた彼女が、無抵抗な私達を見捨てられる筈も無いから。
だから、きっと……と、いろんな可能性は頭の中に浮かんでいた。
けれど、それらのすべてがまったく見当違いなものだと、まだ晴れない土煙の中に見える人影に思い知らされる。
よく知った小さな背中。そして――
「――お前、むかつく。やたら偉そうだし、うざい」
「……上出来ヨ。でも、生意気なのは感心しないわネ」
何ごとも無かったかのようにこちらへ戻って来る足取りに、その余裕のある表情に、私は心底懐かしさを感じてしまった。
私の後ろにいた筈のユーゴが、また私の前で魔獣を倒してくれたその姿に。




