第二百五十九話【思っていたのとは違う】
馬車が出発してすぐのこと。
先ほどまでぴりぴりした空気をかもしていたミラが、少しだけ穏やかな顔になって私の方へと近付いてきたのだ。
もしかしたら、私とユーゴの緊張をほぐそうとしてくれている……のかとも思ったのだが……
「ねえ、フィリア。ちょっと聞きたいことがあるんだケド」
「え? あ、は、はい。なんでしょうか」
フィリア。と、ミラが私をそう呼んだから、事情を知らない医療班のふたりは顔を青くしてうろたえ始めてしまった。
そんな様子にアギトは頭を抱えて、約束を守りなさいとミラに注意をする。
まあ……そうだな。私自身はどう呼ばれようと構わないのだが、そういうわけにもいかない人も……大人もいる、という話だ。
「別にいいじゃなイ。だって、ユーザントリアの人間には、それくらいじゃ私を裁けないんだもノ」
「そういう話じゃなくて……ああもう、お前はどうしてそうすぐに悪ガキになっちゃうんだ。もうちょっといい子にしなさい」
ふしゃーっ! と、あやすような言葉遣いのアギトを文字通り力尽くで黙らせて、ミラはすぐにまた私の方へと顔を向けた。
この子の振る舞いはなんと言うか……奔放さが過ぎるように思えるな。
アギトの苦労がやや垣間見えた気がする。
「ユーゴには特別な力がある……いいエ、あったって話だケド。それはどんな性質のものだっタの?」
「え……ええと……説明が少し……いえ、大変難しいのですが……」
私なら大体なんでも理解出来るかラ大丈夫ヨ。と、ミラは胸を張って私にそう言った。
その……そういう次元の話でもないと思うのだ、この件についてだけは。けれど……こほん。
「そうですね。魔王の力をも目の当たりにした貴女からすれば、おおよそのことは些事に思えてしまうかもしれません」
「そこまでは言わないケド……そうネ。私はあらゆる“あり得ない出来事”を目にした自信があるカラ、何が来てもいまさら驚かないワ」
あらゆる……あり得ない出来事……か。
正直、私から見たミラの魔術も、あり得ない出来事の範疇に含まれてしまいそうだった。
けれど、それがなんとか魔術という括りの内側だと認識出来たのは、あの無貌の魔女を一度目にしているからだろう。
そういう意味でも、同じく魔女を見ているふたりからすれば、いまさら驚かされるものも無いと考えるのは不自然ではない、か。
「その……ユーゴの持っていた力は、自己の想像し得る限りで強くなり続ける……というものでした」
「肉体が強化される……のではなく、おそらくですが、戦闘を――行動を、行為を、望んだとおりに完了出来るという、結果に対して干渉する力だったのだと思います」
私は今現在推測されているユーゴの力について、一応はひとつとして伏せることなく説明してみた。
けれど……こんなもの、言葉で言われて理解出来る方がどうかしている。
なんでもかんでも、イメージ出来る範囲ならば実現してみせる。
乱暴に言えば、ユーゴの力はそういったものだ。
これを証明も実演も無しに信じる……というのは……
「……結果に対する……干渉……か。ミラ、それってさ……」
「ん、そうネ。フリード様の力に近いものがあるんでショウ」
あ、あれ……?
ふたりは思いの外あっさりと信じてくれたみたいで……というか、一瞬たりとも疑おうという姿勢を見せすらしなかった。
その上で、それに近いものに思い当たる節があるといった様子で……
「その……俺達もそういうタイプの力を……人を知ってます」
「その人はユーザントリアで最も強い……いや、なんかもう比べるとかそういう次元じゃない人で……」
「そこの説明は今はいらないデショ」
「あの方の力は大まかニふたつ。負けられないから負けないトいうもの。そして、あらゆる奇跡を代行するトいうものだったワ」
「推測の域を出ないケド、ユーゴの力は後者に近いものでしょうネ」
あらゆる奇跡を……代行する……?
代行……とは、どういうことだろうか。
そもそもの話として、奇跡という言葉もまたなんとも……こう……怪しいと言うか、信じ難いと言うか……うさんくさいと言うか……
「だとすれバ……うん、そうネ。予定は変わらないワ。このまま進んデ魔獣を倒す。それだけヨ」
「は、はあ……ええと……」
本当に身勝手な奴だなぁお前は。と、アギトがそんな言葉を口にして……言い切るよりも前に、ミラはまた彼の首に噛み付いた。
どうしてこの子は、こうも人体の急所ばかりを的確に攻撃するのだろうか……?
「がるるる……ぺっ。終われば全部分かるワ」
「そして……終わるまでは理解しない方が良いでショウ。知らないことにも意味はあるのヨ」
ミラはなんだか意味深な発言をすると、そのままアギトを蹴っ飛ばして馬車の一番隅へと行ってしまった。
そして、何やら荷物を漁り始めて……何か準備を始めた様子だ。
ユーゴの力の正体を知って、今からでも何かが変わる……なんて、あり得るのだろうか。
そんな私の疑問などは解決することも無く、馬車は先日訪れた山の麓へと到着した。
予想と違ったことは、ここに来るまでには魔獣と遭遇しなかったことか。
昨日の今日なのだから……とも思うが、それでもすぐに数を増やすのが魔獣というものだ。
その復活が遅いということは、ミラの攻撃は見ていた以上に容赦の無いものだった……ということだろうか。
「……山の中はそれなりに戻ってるみたいネ。アギト、気合入れときなさイ」
「おう、分かってる。女王様、ユーゴ。ここからは歩いて上るしかありませんが、もうちょっとだけ付き合ってやってください」
到着してすぐにミラは馬車から飛び出して、またすんすんと鼻をヒクつかせて山の状況を確認した……のだよな?
その……ニオイで魔獣の有無を確認するというのは、正直に言ってあり得ない出来事に含まれると思うのだが……
「……ユーゴ、行きましょう。大丈夫です。ふたりの強さは、貴方が見たあの時よりもずっとずっと素晴らしいものでした。恐れるものなどありませんよ」
ユーゴは私の言葉に顔をしかめて……けれど、すぐに手を取って立ち上がってくれた。
文句はある。嫌悪感もある。
けれど、このままでは私がひとりだけ付いて行きかねない……と、そう判断したのだろう。
そして……まだ、私を守ろうという思いを持ってくれているのだ。
戦闘をこなす装備を持っていないから。という理由で、ミラは医療班のふたりに、馬車に残るようにと指示を出した。
そんな理由なのだから、当然馭者も馬車で待機だ。
そうして私は、三人の子供と共に山中へと踏み入った。
なんと言うか……こんなところを国軍に見られでもしたら、きっとパールとリリィにまで話が行って、議会にも飛び火して、危機感が無いと三日は怒られ続けるのだろう。と、そんなのんきな考えごとをしていると……
「……来る。アギト、後退。アンタはフィリアとユーゴを守りなサイ」
任せろ。と、アギトはそう返事をするや否や、ミラから少し離れて私達のそばへ……え?
ま、待ってください。それはおかしい、いや、まずい。だって――
「ま、待ってください。ミラは確かに素晴らしい魔術師かもしれませんが、あんな小柄な少女ひとりで魔獣の相手をするなど――――」
ごおお。と、不快な叫び声が、私の抗議をかき消した。
い、いけない。もう魔獣が現れたのか。
強い緊張感に、ユーゴと繋いでいた手のひらにじっとりと汗をかいたのが分かった。
そして……それはユーゴも同じだった。
「っ。アギト、貴方も前へ出られませんか。あの子ひとりでは、もしも大型の魔獣が現れた際に危険過ぎます」
そう、そうなのだ。
それを考えて、だからこそミラのとてつもない力ですらも、今はあまり頼りに出来ないと判断したのだ。
魔術には、発動までの準備時間がある。
どれだけ短縮したとしても、魔力を練り上げ、術式を構築し、言霊か陣を用いてそれを発現するという工程は無視出来ない。
ならば、数頭の魔獣だけならいざ知らず、取り囲まれたり、仕留め損なってしまった時には……
「……まあ、見ててください。アイツはそんなやわじゃ――――」
ひゅ――と、風を切る音がして、それから私達のすぐそばを何かが通り過ぎた。
ま、まさか、そんなにも速く動ける魔獣が……? と、そう考えたら、汗も凍り付いてしまう気分だった。
けれど、恐る恐る振り返った先――何かが通り過ぎた先には、まったく想定していなかったものが見えた。
それは……魔獣の……
「……頭……だけ……? こ、これは……いったい……」
「……アイツはそんなにやわじゃない……ですけど……っ。ちょっとだけ配慮が足りない時があるんで、もうちょっとだけ下がっててくだ――ぼごぁッ⁈」
ドスン。と、今度は鈍い音が聞こえた。
いや、その直前にはまた風を切る甲高い音もあった。
けれど……私の気に止まったのは、鈍い音の方――またしても飛んできた魔獣の頭部が、アギトの腹部に直撃した音だった。
こ、これは……
「――ば……バカミラ――っ! もうちょっと周りに気を遣え! っていうか! 今までこういうの無かったぞ!」
「わざとか⁉ わざとだな⁈ わざと俺のこと狙ってるだろお前!」
「だったラいつまでも間抜けな顔してんじゃないわヨ、このバカアギト。気合入れろって言ったデショ」
どさりと地面に転がった魔獣の頭部は……いや、頸部は、鋭利な刃物によって両断されているのが分かった。
そして、それをやったのはどうやらミラらしい。
ま、まさかとは思うが……っ。
「あ、あの子は武器による戦闘も可能なのですか……っ⁈」
ごああ。と、また魔獣の咆哮が聞こえて、そしてその姿が私達の前に――ミラの目前に現れる。
それはどうやら、昨日ミラが爆破して出来た横穴に潜んでいたらしい。
少女の身体はおろか、大人の男よりもずっとずっと巨大な熊のような魔獣は、小さなミラを圧し潰そうと両前脚を広げて――
「――アイツは魔術がすごいだけじゃないです」
「頭の出来も、感覚器官も、それに――運動能力も、戦闘経験も、何もかもがすごいんです」
「伊達に世界救ってないですよ、天の勇者は」
突進してきた魔獣の首目掛けて、ミラは短刀を振り抜いた。
そしてそれが自分に覆いかぶさらないように、すれ違うようにして首を断つ。
魔獣の肉体は自らの勢いのまま前傾に倒れ、それから切り離された首だけは――
「――へぶふっ⁉ いってえ⁉ だ――だからなんでこっちに飛ばすんだ!」
「ぼさっとしてるからヨ。次、ちょっとでも隙見せたラ、痛いじゃ済まさないカラ。国王を護ってるんだって自覚を持ちなサイ」
取り残されたようにその場でまっすぐに落下し始めて……そして……振り返りざまに蹴り抜かれたミラの右足によって、的確にアギトの顔面へと叩き付けられた。
な、なんと言うか……少しズレたらその国王にぶつかりかねない……とは考えないのだろうか……ではなくて。




