第二百五十四話【頼みの綱】
 
今朝は早くに目が覚めた。
少しだけ浮かれていたからだろうか。それとも、不安だったからだろうか。
今日はアギトとミラに、正式にユーゴのことを紹介する。
そして……叶うのならば、彼の友人になって貰いたい。
ふたりは快諾してくれた。
けれど……ユーゴが心を開いてくれるかどうかは別だ。
あのふたりにならば。と、そう思ったことは事実だが、同時に、今のユーゴが誰かと打ち解ける姿も想像出来ていないでいる。
「……私が心配したとて、何も変わりませんよ」
ぱち。と、両手で腿を打って、私は鏡の前へと向かった。
何も特別な行動ではなかったが、少しだけ意味を含めた……願掛けのようなつもりがあった。
リリィに言われてしまったことを思い出す。
見ていられないくらいひどい顔をしている。と、自分の心の状態を掴み損ねていた私に、彼女はそんな厳しい言葉を掛けた。
そして……そのおかげで、私はなんとか体裁を保つ程度の振る舞いを出来ている。
私にはリリィが、パールが、宮の皆が、そして国民が――義務が残されている。
けれど、彼には何も無い。
律してくれるものも無ければ、己で己を律してまで報いようと思える相手もいない。
それが、今のユーゴの中にある最大の問題だ。
私はリリィの言葉でぎりぎり踏みとどまれた。
おかしなところへ転がり落ちるのを引き上げた貰えた。
けれど、ユーゴにはそれが無かった。
そして……今のところへ落ちてしまった。
ならば、そこからでも引きずり上げれば良い。
私ではダメだった。けれど、アギトとミラならば。
ユーゴが一度でも自ら望んだ姿なら――魔獣を倒し、人々を救い、皆から英雄と呼ばれて親しまれる彼らならば、その心に訴えかけられるかもしれない。
「……よし」
大丈夫、きっとユーゴは立ち直る。
そしてきっと、また私の名前を呼んでくれる。
勇気を振り絞って、私は鏡の前で精一杯の笑顔を浮かべた。
相変わらず人相の悪い、いつもの不機嫌そうな顔つきだったが、それでも笑っていると判別するくらいは出来るだろう。
少しだけ急ぎ足で自室を出て、一度執務室へ……パールのところへ顔を出してから、私はまた応接室へと向かった。
すると、そこにはもう誰かが来ている気配が……話し声が聞こえて……
「よーしよしよしよし。ここか? ここが気持ちいのか? よーしよし。ごろごろー」
「ん……ふふ、何ヨそれ。えへへ」
聞こえてきたのは、アギトとミラの声だった。
驚かせないようにそっとドアを少しだけ開けると、ソファの上でじゃれあうふたりの姿が見えた。
アギトはミラを膝の上に乗せて、よしよしと頭やのどを撫で回す。
ミラは気持ちよさそうにそれを受け入れていて、少しするとごろんと横になって、もっと撫でるように催促し始めた。
「……なんというか、仲が良い……というよりも……」
どうしてだろうか。エリーがマルマルに接している時と同じ雰囲気がある。
いや、ミラはそうおかしなところは……無いわけではないのだが、それでも甘えている程度のものだ。
変なのは……それをまるで犬か猫かのように扱うアギトの方だろう。
ふたりはいったいどういった関係なのだ……?
「失礼します、もういらしていますか?」
さて。と、少しだけドアから離れて、そして今ようやく来たかのような言葉と共にドアをノックする。
勇者と呼ばれるふたりだけに、あまりああいった姿を見られたくないと思うかもしれない。多少は配慮してあげないと。
私の配慮は無駄な憂いではなかったらしく、ふたりは慌ただしい返事と共にドアを開けてくれた。そして……
「……他には……誰も…………いないわネ! フィリア!」
「わっ。ふふ、おはようございます、ミラ。今日も愛らしいですね」
フィリア。フィリア。と、ミラはさっきまでアギトに甘えていたのと同じくらいの距離感で、目一杯私のことを抱き締めてくれた。
ああ……なんて……なんて可愛らしいのだろうか。
「だからお前は……はあ。申し訳ありません、女王様。嫌だったら……拒んでいただいても……ごくり」
「どうして拒む必要があるでしょうか。ミラは私を想って、全身全霊で励まそうとしてくれているのに」
いえ、あの。と、アギトは何か言いたげだったが……しかし、私から目を背けてしまっていて、何を考えて何を言いたいのかは分からなかっ……ああ、そういうことか。
もしかしたら、アギトはミラを自分ひとりだけで可愛がりたいのかもしれない。
それを私が横取りしてしまったから。
「ふふ。ふたりは仲が良いのですね」
「え……ええ! もちろんです! 俺とミラは、あらゆる世界で一番仲良しな兄妹ですから!」
アギトはえへんと胸を張ってそう言った。
あらゆる世界で一番……か。なんと言うか、この世界で一番という言葉には身近に覚えがあったが、それ以上の規模を自称しているとはな。
「兄妹……ということは、アギトも魔術を修めているのでしょうか。その素養は血統に強く依存するとも聞きますし」
「うっ…………いえ、その……俺は魔術とか一切使えなくて……」
おや、そうだったのか。
私の問いに、アギトはなんだか寂しそうな……つらそうな、せつなそうな顔をしてしまっていた。
もしや、踏み込んではいけないところまで踏み込んでしまっただろうか。
「んむ……えへ……そういうフィリアも魔術師なのよネ? 魔力痕がちらほら残ってるワ」
「でも……もう最近はずっと使ってないみたいだケド」
「え、ええ。幼い頃は魔術を修めていましたが、王となってからは……」
もったいないワ。きっと色んなことに役立てられるのニ。と、ミラは私に頭をすり付けながらそう言った。
そう……だな。ミラほどの領域にまで達せられたなら、私も魔獣と戦うことが……ひとりで立ち向かうまでは行かないにせよ、戦ってくれる皆の補佐をしてあげるくらいは出来たかもしれない。けれど……
「……私はそこまでの腕前には至れませんでしたから。いえ……魔術を他のことに転用しようという考えに至らなかったのです」
「魔術とは自然の再現を目指す学問で、それ以外に目的と呼べるものは無い……と、そう教わったものでしたから」
「ま、大体の魔術師はそう考えてるでしょうネ」
「魔術は学びで、自己研鑽で、理想の具現で。だかラ、道具みたいに使うことは基本的にはあり得なイ」
「街の長だったり、軍人だったり、何かを守る為に仕方なく使うんであってモ、生粋の研究家からは、道を外れた怠け者扱いされるでしょうカラ」
そ、そこまで過激な思想を持った師ではなかったな、五名とも。
しかし……そうか。ユーザントリアが魔術の分野で抜きん出ている理由の一端を垣間見た気分だ。
各々が自らを律し、高い目標を定め、ストイックに研究を続けている。
やや過剰かもしれないが、結果としてはミラのような傑物が誕生しているのだから。間違ってなどいないだろう。
「あの……女王様。今日はユーゴを正式に紹介していただく……って話でしたけど……」
「っと、はい、その通りです。そして……ぜひ、ふたりに彼と仲良くして貰いたいと……」
でモ、その肝心の本人がいないわヨ? と、ミラは私の喉に鼻をくっ付ける勢いで顔を寄せてそう言った。
ふふ、くすぐったいですよ。もう……ああ……愛らしい……ではなくて。
「その……あの子はまだ塞ぎ込んでしまっていて。いきなり連れて来るのは少し……その……危ないかな、と。そう思ったので」
「……そう……だったんですね。いや、そりゃそうだ。だって、仲良かった友達みんないなくなったなんて……あんな歳の子供にあっていい悲劇じゃない」
きっと、何もしてなくったってつらい筈だ。と、アギトは悲しそうな顔でそう言った。
そして、その言葉には悔しさやもどかしさのようなものも感じられる。
まだ一度顔を合わせただけなのに、まるで自分のことのように心配してくれているようだ。
「新しい友達が出来たからって、その傷は簡単には埋まらない。だけど、それはほっといていい理由じゃない」
アギトはそう言うと、じっと私を見つめた。
そんな真面目な彼の空気に当てられてか、ミラも少しだけ私から離れて訴えかけるような視線をこちらへ向ける。
「ユーゴほど悲惨な状況じゃないけど、つらい目に遭った子を知ってます」
「その子は心が強過ぎて、自分で全部なんとかしようとし過ぎて、誰にも助けを求められずにいた。でも、それでもっと苦しんでた」
「たまたま……本当にたまたまですけど、俺とミラと、それから他の大勢の協力もあって、その子はちょっとずつ立ち直ろうとしてる」
今回も偶然だって言うなら、俺は出来ること全部やりたい。
ちょっとでも立ち直るきっかけになってあげたい。
アギトは真剣な顔でそう言い切った。
すごい……な。
本当の本当に無関係な、たった一度顔を見ただけの、言葉を交わしてすらいない相手に、これだけの思いをぶつけられるのか。
ぶつけられるから……勇者と呼ばれるのか。
「私も同意見ヨ。勝手に孤独に感じて塞ぎ込むなんてバカらしい……って、私が一番思い知ってルんだもの」
「塞ぎ込んでようが寝込んでようが、叩き起こして引きずり出して、何回だって顔上げさせてやるワ」
「……お前がそういう言い方すると、どうしても物騒なイメージばっか浮かぶんだよな。お前はじっとしてなさい。ハウス」
ふしゃーっ! と、ミラは激高してアギトに飛び掛かった。
仲が良い……からこその喧嘩なのだろう。
だから、これもまた愛情表現の、親愛の形なのだ……と、そう思う。
けれど……そ、そんなに強く噛み付かなくても……
しかし、ふたりの言葉には頼もしさしか……不安がちょっとだけ混じってはいるものの、それ以外は頼もしいばかりだ。
今はまだ喧嘩をしているアギトとミラに、私は最後の望みを託す。
きっと多くの絶望を目の当たりにしただろう。
きっと多くの希望を繋いだだろう。
そんなふたりの数多の経験と、そして勇敢さに。
 




