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異世界天誓  作者: 赤井天狐
第三章【たとえすべてを失っても】

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第二百五十三話【夕日】



 眠ってしまったミラをアギトがおぶって、ふたりは宮を出てしまった。

 けれど、もう寂しさはそれほどでもない。まったく無いとは言わないが、それでも……


「……ふふ。ああ、そうだったのですね。私は、貴方にも……」


 フィリア。と、ミラは私をそう呼んで、すごく嬉しそうに抱き着いてくれた。

 それがとても暖かくて、心強くて。そして……すごく、懐かしいとさえ思ってしまった。


 フィリア。と、彼は私をそう呼んでいた。呼んでくれていた。

 対等な相手として、無意味に虚勢を張ることも無く、どこか小ばかにした態度で。

 私のことを真正面から見て、名前を呼んでくれていた。


 もう一度、彼の声が――ユーゴの声が聴きたい。


 あの時、魔女を前にした彼が発した慟哭ではない。

 ジャンセンさんやバスカーク伯爵との別れに際して発した悲鳴でもない。


 優しくて、穏やかで、どこかぶっきらぼうな、私を呼ぶ彼の声が。

 もう一度、フィリアと呼んで欲しい。元気な彼の姿を見たい。


「……っ。ユーゴ、入りますよ」


 けれど、それがすぐには難しいことも理解している。

 だからこそ、私はアギトとミラにお願いしたのだ。

 ユーゴの友人になってあげて欲しい、少しでも心の傷を癒してあげて欲しい。


 簡単な頼みではないとは分かっている。

 それでも、あのふたりの優しさならば……と。


 こんこんとドアをノックして、少しの沈黙の後にまた私はユーゴの部屋へと足を踏み入れた。

 食事は……うん、きちんと摂ってくれているみたいだ。


「……ユーゴ。今日は遅れてしまって申し訳ありません」

「今からでも少し歩きませんか。昨日、約束しましたよね。また、散歩に行きましょう、と」


 ユーゴはやはり黙ったままだった。

 もしかしたら、来るのが遅かったから拗ねてしまっているだろうか。

 もうすぐ暗くなるのに、今からいったいどこへ行くのか。と、怒っているかもしれない。


「……あまり遠くへは行けませんが、それでもまだ案内したいところはたくさんあるのです」

「貴方はランデルの限られた場所でしか生活してきませんでした……いいえ、させてあげられませんでした」

「私がもっと自由で、もっともっと気を利かせられる大人だったなら、もう少しだけ楽しみを増やしてあげられたのでしょうが……」


 相変わらず返事は無い。

 けれど……彼はシーツを身体の上から退けて、ゆっくりと起き上がってくれる。


 良かった、散歩には付き合ってくれるつもりがあるらしい。


「さあ、参りましょう。と言っても、暗くなればまた魔獣に襲われてしまいかねません。なので、裏手から出て少しだけ歩きましょうか」

「実はですね、見晴らしの良い展望台があるのです」


 さあ。と、私が手を差し伸べれば、ユーゴはゆっくりとでもその手を取ってくれる。

 少しずつ……ほんの僅かずつではあるが、気持ちが回復し始めている気がする。


 私はユーゴの小さな手をきゅっと握って、またのんびりとした足取りで部屋を出た。

 廊下を進み、普段使っているのとは反対側の門をくぐり、そして宮の敷地の外へと踏み出す。

 空を見れば、もう赤らんだ太陽の姿が見えた。少しだけ急ごうか。


「ユーゴ、こちらです。さあ」


 ユーゴはそんな夕日を眺めながら、私に手を引かれるのを待っていた。

 いいや、それは私の勝手な思い込みなのだけれど。


 きっと夕日の眩さに目を奪われていただけだろう。

 それでも……なんとなく、私が手を引くまではそのままだと思ったから。


「そうだ。ユーゴ、先日のふたりを覚えていますか? アギトとミラです、あの時果樹園で助けてくれた。驚いたことにですね……」


 ふたりの名前を出すと、ユーゴは少しだけ強く私の手を握り返した。

 やはり、しっかり覚えていたか。


 それが良い意味か、それとも悪い意味かは分からない。

 魔獣を倒してくれた、助けてくれた人。と、そう紐付けられているだろうか。

 それとも……嫌な思い出の中の登場人物のひとりと覚えられているか。


「……あのふたりは、ユーザントリアからの援軍だったのですよ」

「昨日話したばかりでしたよね、大国から派遣された部隊が到着した、と。彼らはそこへ合流する別部隊だったそうなのです」


 どちらでも構わない。私のそんな考えは、非道だろうか。


 良いも悪いも無い、とにかくユーゴに変化があればなんだっていい。

 どんな形でも、今は彼の心にわずかでも刺激を与えられればそれで。

 そんな押し付けは、人道から外れているだろうか。


 頭の中ではそう考えながらも、私は今日あった出来事を説明し続けていた。

 アギトとミラはユーザントリアからの援軍で、その中でも特別な戦力だと太鼓判を捺されていたのだ、と。そして……


「それがですね、どうやらあのふたりは、魔王をも打倒してみせたらしいのです。そして、私はその実力の一端を見せていただけました」

「話に違わぬ、規格外の強さです。けれど……ふふ」


 すごく強くて、やや暴走気味で。そして……とても愛らしい。

 なんと言うか、マリアノさんとエリーを合わせたような子だったな、なんて。

 そんな説明をすれば、またユーゴは手をぎゅっと握り返してくれた。


「……あのふたりも加わってくれたなら、きっと皆の仇を討てます。いいえ、討ってみせます。なので……」


 なので……なんだ。お前は何を言いたい。

 フィリア=ネイ=アンスーリァ。お前はいったい、彼に何を告げたいのだ。


 そんな心の声が聞こえて、私は言葉に詰まってしまった。


 なので、早く立ち直ってください。

 早く立ち直って、また危険な戦いに身を投じてください。と、そんなひどいことを言いたかったのか。


 なので、もう無理をせずに休んでいてください。

 もう危険な戦いになど思いを向けず、宮でのんびりと暮らしていてください。と、そんな無礼なことを言いたかったのか。


 それとも……


「……なので、貴方は貴方の答えを出してください」

「私は……また戦って欲しいとも、もうつらい目に遭わないで欲しいとも、どちらとも言うことは出来ません。だって、どちらも本心なのです」


 ユーゴは私の言葉にゆっくりと顔を上げた。

 まだ虚ろなままの目を私に向けて、不思議そうな顔をしている。


 無理も無い。

 私の言葉には、とても意味など無かった。


 すべては自分で決めろ、私は関与しない。と、それを今更突き付けられて、彼が何を考える必要があるというのか。


「……私は貴方の決定を全力で後押しします。初めて……とは言いませんが、しかし普段とは逆ですよね」

「私が決めて、貴方にお願いして、力を振るって貰ってきた。けれど、今回はその逆」

「貴方が決めて、私はそれを聞いて、女王としてのすべてを尽くして成し遂げてみせる」

「貴方が一度も期待を裏切らなかったように、私もきっと応えてみせますから」


 ぎゅう。と、私はユーゴの手を握った。

 そして……すぐ、足も止めた。


 特別な理由など無い。ただ、目的地に着いたのだ。見晴らしの良い展望台に。

 でも……


「……少し、来るのが遅かったですね。あまりよく見えません。いっそもっと暗ければ、星空くらいは見られたでしょうが」


 そこから見えた景色は、薄暗い影と夕日に染められただけの赤い街並みだった。


 そのほとんどが真っ赤に塗りつぶされていて、けれど自然の風景と呼ぶにはやや人工物が多過ぎる。

 人々の営みと自然の調和が困った具合にミスマッチしていて、とてもきれいな景色とは呼び難いものだった。


「明日、アギトとミラに貴方をもう一度紹介します。歳も近いですから、きっと仲良くなれるでしょう」

「その際にまた、ここへ来ましょうか。もう少し明るければ、本当はもっと清々しい景色が広がっているのです」


 ユーゴは何も言わず、ただじっと展望台から空を見上げていた。

 街並みを見下ろすのでも、星を探すのでもなく。真っ赤になった空に、吸い寄せられるように。


「……もう少しだけゆっくりしていきましょうか」

「ここからならば、宮まではすぐです。近くを憲兵が守ってくれてもいます」

「だから……貴方の気が済むまで、のんびりしていて構いません」


 私がそう言えば、ユーゴはきゅうと手を握り返してくれた。

 分かった。と、そう言っているのだろうか。

 それとも、そんなに興味無い。と、少し呆れているだろうか。


 反応してくれていることだけが分かって、私にはユーゴの気持ちは読み取れない。

 でも……それで良かった。


 ユーゴはしばらくそのまま立ち尽くしていて、片時も空から目を背けなかった。

 その没頭具合が私には少し恐ろしく思えたが、嫌な出来事も怖い事件も何も起きたりはしなかった。


 ただ、夕日が沈むのを待っていただけらしい。

 空が赤から黒に切り替わる瞬間に、ユーゴは興味を失ったように顔を伏せる。

 それがもう帰ろうの合図なのだと、それだけはなんとなく読み取れた。


「また明日、きっともっと楽しい場所へ連れて行きますから」

「アギトもミラもいれば、ずっとずっと賑やかにもなります。貴方はそういうのを、うるさいと言って怒っていましたよね」

「でも……それを本心から嫌いだとは、一度も口にしていなかった」


 私はまたユーゴの手を引いて、来た道をまっすぐに戻り始めた。

 魔獣は現れない。危険は迫らない。でも……まだ、ユーゴの言葉は私に届かない。


 彼を部屋へと送り届けると、私はそのまま早足で執務室へと向かった。

 そこには少しだけ困った顔のパールがいて、今日明日中に目を通さなければならない資料があるのだと突き付けられる。


 私はそれに渋々頷いて、少し疲れた身体に鞭を入れる。

 これをやっておかないと、つい先ほどしたばかりの約束を破る羽目になりかねないから。

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