第二百五十話【理解が追い付く暇も無く】
私の不安などは他所に、馬車はひたすらに北へ進み続けた。
目的地らしい目的地は定まっていない。
というのも、今まで行ってきた解放の為の遠征とは違うのだ、根本的な目的が。
天の勇者と呼ばれる援軍の、その実力を推し量る。
それが、後付けで設定された今回の目的。
もとはと言えば、アギトとミラがやや暴走気味な正義感から、今すぐにでもこの国の魔獣を倒したいと言い始めたのがきっかけだった。
「あの……本当に、本当の本当にわずかな報酬すら支払えないのですよ?」
「一切の見返りを望めないこの状況で、貴方達は本当に危険な戦いへと身を投じるつもりなのですか?」
もちろんです。と、アギトもミラも真剣な顔で声を揃える。
ああ、どうしてだろうか。確かに、その在り方、気高さは、民から慕われ、尊敬され、希望を振り撒く勇者のそれだろう。
けれど……
天の勇者、大国よりの援軍。そんな肩書きを持っているとしても、彼らはまだ子供なのだ。
正義という言葉の美しさに、自ら身を焼いていることに気付いていないのではないか。
そんな懸念が、どうしても払えない。
「アンスーリァ国王陛下。その……申し訳ございません。差し出がましいようですが、これ以上何を言っても無駄かと」
「この二名は、私共の知る限りでも、ユーザントリアで一、二を争う頑固者です」
「特に、弱きを助ける為ならば、たとえ王命であったとしても、平然と背いてしまうでしょう」
「……それは……決して褒められたことではないのですが、そこのところを貴方や他の皆はどう考えているのでしょうか……?」
私の問いに、ヘインスをはじめとした派遣部隊の全員が目を背けた。
そうか……皆、このふたりの暴走には気付いているのだな。
そして……これだけの数の大人がいてもなお、彼らは話を聞き入れず、信念を貫き通そうとしている……と。
「……はあ。まだ幼いからこそ……でしょうか。打算や妥協が存在せず、どれだけ過酷であろうと最大の結果を求め続けてしまう、と」
魔王をも打倒したという話が真実ならば、内に秘める自信も相応のものだろう。
それにしても、こんな性格を知っているのならば何故、ユーザントリアの王は彼らを派遣したのだろう。
目の届かないところへ遣わせれば、知らぬところで無用な危険に関係し、最悪の場合は彼らを失いかねないのだ。
それを考え付かないほど愚かなら、とっくのとうに戦争に負けて国も滅んでいるだろう。なのに……
説得は不可能。このまま進み、彼らが魔獣を倒すところを見届ける他に無い。
そして、彼らの満足いく結果が得られる以外には帰還もままならないのだろう。
そう覚悟を決めると、いっそのこと……と、開き直れた気がした。
そうだ、いっそのこと、だ。
いっそのこと、彼らの善意――強過ぎる正義感にはしばらく厄介になろう。
表向きだけを捉えるのならば、報酬も無しに解放作戦の手伝いをしてくれると言っているのだ。
人の王としていささか人道に背いている気もするが、そんなことは私に限れば今に始まったことではない。
「……何を言っても聞かない。けれど、状況が把握出来ていないわけでもない。そうとなれば、もう私も腹を括ります」
「アギト、ミラ。貴方達の力を見せてください」
「もしもその力がこの国の解放に……かの魔女と魔人の集いとを打ち倒すに足るものだと判断すれば、私の全権を用いて、今一度解放作戦を実行に移します」
使えるものは使ってやろう。
あくどい考えかもしれないが、今のアンスーリァには手段を選ぶ余裕など無い。
こんな嫌な大人の考えがあるなどと、ふたりは気付いているのだろうか。
私の言葉に、ふたりともやる気を漲らせてふんふんと息を荒げていた。
どうしようもない罪悪感に苛まれてしまうな……
「――すんすん……近いわネ。アギト、警戒しときなさイ。そして――大人しく待ってなさイ」
「おう、分かってる。さっさと勝ってこい」
ふたりはそんなやり取りをすると、こつんと互いに拳をぶつけ合った。
それからすぐ、ミラは馬車から飛び降りて…………っ⁈
「――な――何をやっているのですか⁉ ミラ! 無事ですか⁉ ミラ――っ!」
い、いけない。普段ユーゴがやっている所為で、うっかり止めるのが遅れてしまった。
走っている馬車から飛び降りなどしたら、当然怪我では済まない。
どんなに良くても全身を強く打つ羽目になるだろうし、最悪の場合は骨折で動けなくなることだって考えられる。
というか、そもそも馬車から降りれば置いて行かれる以外に道が残されていなくて――――
「――揺蕩う雷霆――ッ!」
私が慌てて覗き窓から顔を出すと、強い光とともにミラの声が聞こえた。
今のは……魔術の言霊だろうか。彼女はいったい何をしようと――
「前方、中型魔獣の群れを発見! 何ごとも無ければこのまま進行します!」
「っ⁈ な、何ごとかが起こっていると、今自分で口にしたばかりではありませんか! 魔獣がいるのならば停止か迂回を――」
天の勇者が馬車から落下した。そして、魔獣の出現が確認された。
そんなふたつの出来事に直面して、馬車の中には何も変化など無かった。
いいや、ミラがいなくなった分だけの空間は出来ている。
だが……誰にも焦りや不安、興奮、あるいは奮起と言った感情の変化が見られなかったのだ。
そんな様子に私が言葉を失った瞬間、ごろごろと落雷が発生した。
雨など降っていなかったし、空に雷雲も掛かっていなかったのに、どこから……と、その疑問はすぐに別の疑問で突き飛ばされる。
「――っしゃぁああ――ッ!」
雄叫びが馬車の前方から聞こえて、それから鈍い音が連続して聞こえた。
それは、ミラの声と、そして何かが地面に叩き付けられる音だった。
それが聞こえてもなお、馬車の中には変化が無くて……
私は大急ぎで別の窓へと移動し、そして馬車の進行方向の状況を確認した。
するとそこには、先ほど報告された魔獣の群れ――の、蹴散らされた姿が確認出来た。
それからすぐ――
「――連なる菫――っ!」
馬車の周囲を取り囲むように、こぶし大の炎の球が出現する。
これは……街のはずれで私達を助けてくれた魔術だ。
しかし、ミラは今どこに……そして、この魔術はいったい何を標的にして……
「――っ! 上……まさか――」
火の玉は少しの間ゆらゆらとその場で漂った後、ものすごい勢いで上空に向けて炎を噴き出した。
それを見てから上を見上げるまでもなく、私達の目の前には翼を焼かれた魔獣が何頭も落下してくる。
「うおっ、上にもいたのか! 思ったより数が多い! 馬車いっぺん止めろ! これじゃ陛下に嬢ちゃんの活躍が見せらんねえ!」
「っ⁉ な……そ、そんな理由で危険地帯に留まるなど……いえ、進む方が危険な可能性もあるとは理解しています。ですが……」
どうやら私達は、かなりの数の魔獣に囲まれてしまっているらしい。
まだここはランデルからそう離れていない、比較的安全だった筈の場所だ。それが……っ。
こうなってしまうと、マチュシーの無事はとても期待出来ない、か。
そんな別件の憂いを振り払い、私は今も目の前に迫り続けている脅威に思考を向ける。
ヘインスは少しだけ慌てた様子で馬車を止めさせたが、それはつまり予定外のことが起こっているということだ。
「急いで援軍を! ヘインス、指揮を執ってください! このままではミラの身に危険が――」
ズグ――と、胸の奥の方が痛んだ。
そして強い吐き気と気だるさも襲って来る。
違う――これは違うのだ。
これはあの時とは――
ぎゅうと胃が締め付けられる。
私の頭の中には、あの時の光景ばかりが浮かび上がっていた。
ゴートマンの襲撃があって、部隊の進行方向を濁流が押し流し、そして……っ。
「――っ。アギト! 貴方も早く! このままではミラが――また――」
それだけは――っ。
また――また、皆を失ってしまう。
希望を、可能性を。すべてを失くしてしまう。
そんな焦りから、私は怒鳴り付けるようにヘインスとアギトに指示を出した。
だが……
彼らは冷静なままだった。
私の動揺や焦りに対しては少しだけ驚いた様子ではあったが、けれどそれを目の当たりにしても動じることは無かった。
それは……
「……安心してください、アンスーリァ国王陛下。かの勇者は、未だ健在です。少なくとも、この程度は窮地の内に――」
突如、ヘインスの言葉を遮るように暴風が吹き荒れた。
な――なんだ、今度は何ごとか。
もう何度目かも分からない異変にまた外へ目を向けると、巻き上げられた土で視界が真っ暗になっていた。
ま、まさか竜巻が……っ!
魔獣の群れだけでなく、こんな大規模な自然現象まで発生して――――
「――何故――どうして、馬車には何も――っ⁉」
目前には間違いなく竜巻が迫っていて、土も草も――岩も、木々すらも巻き上げていた。
けれど……どうしたことか、馬車の中にはやはり何も変化が無い。
誰にも動揺や不安が見られない。
こんなのやはり異常だ。
だというのに、それが当たり前に思えてしまう。
だって――この馬車の周りだけが無風なのだ。
「――――荒れ狂う雷霆――――ッ!」
竜巻はどんどん激しくなり、そして遂には電弧を生じながら周囲を破壊し始めた。
この馬車を中心として、それ以外のすべて――地上にいる魔獣も、空にいる魔獣も、何にも区別することなく、すべてを。
数秒の後に竜巻が収まると、周囲には動かなくなった魔獣の死骸が無数に転がっていた。
数などとても数えられないほどの大群が、たった数秒の間にすべて倒されてしまったのか。
それからすぐにミラが帰ってくると、ようやく馬車の中に変化が起こった。
やり過ぎだ! このバカミラ! と、そう怒鳴るアギトと、それに向かってけたたましく吠えながら飛び掛かるミラとの喧嘩によって。




