第二百四十九話【狂った善人】
魔女――という言葉に、ふたりは苦々しい顔を浮かべた。
そして、そう呼ばれる存在との接触があったのだとも教えてくれた。
ユーザントリアにもあんなものがいて、それと対峙した経験があるのだ、と。
「……そして、魔女による攻勢に遭い、部隊は全滅しました。戦えるものはひとりも残らず、私とユーゴだけが大勢の犠牲のもとに逃がされたのです」
私はあの遠征についての説明を終えてからやっと、ふたりが悲しそうな顔で私を見ていることに気付いた。
そのあとだ。自分の背中に、多量の汗が流れているのを知ったのは。
どうやら私は、あの一件を自分で思っている以上に――最低最悪の惨劇だという認知以上に、苦しくてつらいものだと、本能の部分で嫌悪しているようだ。
「そういうわけですから、現在のアンスーリァには……いいえ、私には、戦う為の力が残されていない」
「遠いところから来ていただいたところ申し訳ないのですが、貴方達にはしばらくこのランデルの警護をお願いすることになるかと」
それでも、泣き言を言っていい立場には無い。
少なくとも、こうしてはるばるやって来てくれているユーザントリアからの援軍を前には。
私は出来る限り冷静に、感情を押し殺して頭を下げた。
もう少し……いいや、しばらくは何も出来ない、させてあげられない。
当然、戦果を挙げる手段も無いのだ。
派遣された彼らにとっては、成果報酬も重要な目的だっただろう。
それも、まだしばらくは……
「……いいえ。何も出来ない……何もしないなんてあり得ません」
「俺達は助けを求められたからここへ来たんです。成果とか報酬とか、戦力が足りないとか、そんなの関係ありません」
「俺達は魔獣に苦しめられてる人を救う。そして――魔人の集いを捕まえる。ここで待ってるだけなんてあり得ません」
「……っ。そう……ですね。ですが、本当に何も……人もお金も、何もかもが足りていないのです」
「ふたりがどれだけ頑張ってくれようとも、本当にわずかな報酬すら……」
だから、そんなの関係無いんです。と、少しだけ語気を強めたのは、穏やかな少年だと思っていたアギトだった。
関係無い……とは。無い筈が無いのだ。
私に資金が無くとも仕事をする。そして、どれだけ財政が苦しかろうとも報酬は払わせる。
そんな考えは理解出来るし、道理だ。
けれど、そんな問題ではない。
本当に……本当に何も残っていないのだ。
振り絞った結果、すべてを出し尽くした結果がここにはある。
だから、たとえ大国の力を以って脅されたとしても、支払う報酬などどこにも残っていなくて……
「――ミラ、行こう。今の話を聞いて黙って待ってるなんてあり得ない。だってそうだろ。俺達は――」
「――かっこつけてんじゃないわヨ、このバカアギト。当然、そんなの言葉にするまでもないワ。助けを求める人がいるなら絶対に助ける、それが――」
――勇者だ――
ふたりは声を揃え、そして凛と背筋を伸ばして立ち上がった。
そこにはもう、悲しそうな顔をした子供などいなかった。
怒りと、そして誇りを胸に、真剣な眼差しで私を見つめるふたりの勇者がそこには立っている。
「報酬だとか待遇だとか、そんなの関係ありません」
「俺達は守りたいから守る、助けたいから助ける。そして――求められる限り、全力で希望を振り撒き続ける」
「それが、大魔導士マーリンに見出された勇者の使命です」
「――アギト――ミラ――っ。しかし……しかし、本当にわずかな報酬すら準備出来ないのですよ?」
「それに……戦いに出ようにも、兵はもうひとりも残っていません。大袈裟な言葉などではなく、戦えるだけの部隊員は皆……っ」
「こんな状況では、遠征に出ることも……」
関係ありません! と、ふたりはまた声を揃えた。
関係無い……わけはないだろう。このふたりはいったい何を言っているのだ。
対価も無しに他国を守る。
共に戦う仲間も、そもそも移動する為の馬車すらも出せない状況で、危険な魔獣を倒しに行く。
そんな行為は、優しさでも救援でもない。ただ身を切って差し出すだけの愚に過ぎない。
それを、このふたりは分かっていないのか。
「俺達はいつだってそうしてきました。そりゃ、生きる為、ご飯を食べる為のお金稼ぎとして魔獣を倒したこともいっぱいあります。だけど……」
「それハ、その先で困ってる人を助ける為ニ。私達が生きテ、生き延びテ、もっと大勢を守る為デス」
「住む場所モ食べるものモ提供されてイル今、これ以上の対価なんて必要ありまセン」
ふん。と、ふたりは鼻息を荒げ、そして私に深々と頭を下げる。
それからすぐにくるりと向きを変えて、応接室を出て行こうと……
「――ま、待ってください! どこへ行くのですか!? まさか……まさか、たったふたりで……」
「当然、魔獣を倒しに行きます! この街はかなり安全そうでしたけど、それでも魔獣が全く入り込まないってわけじゃない。なら、街の周辺にいる魔獣は倒せるだけ倒した方が良い」
「それで……この街が完璧になったら、次は北へ向かって魔獣を倒し続けます」
「そうすれば、そのうち魔人の集いも魔女も出てくる筈ですから」
な――ほ、本当に何を言っているのだ、このふたりは。
あり得ない。そんな献身はあり得てはならないだろう、普通。
勇者だから、そう望まれたから。そんな言葉はきれいごとが過ぎる。
だって、自らの命の保証が無いのだ。
家族に頼まれた無償の手伝いを引き受けるのとは話が違い過ぎる……のに……っ。
「――い、いけません! 貴方達はユーザントリアから預かっている大切な客人なのです。万が一のことがあれば――」
「――ありません! 万が一も! 俺達になんかあった時の問題も! 何もありません!」
あ、ありませんでは済まされないのだけれど――っ⁉
こ、このふたり、何かがおかしい。
いいや、すべてだ。根本的なところで、私とは常識が異なり過ぎている。
いや、ならば私がおかしいのか……?
いつも皆と少しズレていたのは私だったから、このふたりは正常で……?
「それじゃあ失礼します。絶対に……絶対にこの国は、人は、助けてみせます!」
「あっ、ちょっと待って――待ってください!」
待ちません! と、そう言い切られては、もう何も言えなかった……ではない!
ああもう、何がどうなっているのだ、このふたりは。
私がズレていてこのふたりが正しい……なんて考えはまったくの嘘だ、いくらなんでもそのくらいは分かる。
このふたりは根本的なところが狂っている。
何かこう……善性が過剰と言うか、善いとされることが当たり前になり過ぎている。
善とは悪い行い以外のすべてを指すのではない。
普通があって、それよりも悪いか、あるいは善いかという話の、その後者だ。
このふたりはすべての行為を、その善だけで満たそうとしているようにすら思えてしまう。
振り切り過ぎていては善人も狂人だ。
けれど、ふたりは私が何を言ってももう止まらない。
応接室を飛び出すと、そのままずんずんと宮の廊下を突き進み続けてしまう。
い、いけない。このまま危険地帯へ向かわせて、万が一にも彼らを失えば、この国からは完全に希望が絶たれてしまう。
「っ。ま、待ってください! せめて私も同行させてください! 軍からも急ぎ数名手配しますから、もう少しだけ……」
「……同行……ですか? それは構いませんが……軍の手配は必要ありません。俺達が言えば馬車くらいは出してくれます。ヘインスさんが」
いや、だから……と、何をどう説得すれば止まってくれるのだろうか。
先ほどからアギトばかりが返事をしてくれているが、それは決してミラが別の意見だからというわけではない。
彼女は彼ほどこの国の言語が達者ではないから、ふんふんと鼻を鳴らして頷くにとどまっているだけ。
ふたりともが完全に意見を同じくしている。同じくしてしまっているのだ。
立ち止まることすらしないふたりの後を追いかけて、私も彼らの宿泊する施設へと赴いた。
そこには既に馬車が出発準備を終えていて…………な、何故そんなものが……っ⁈
ま、まさか……このふたりだけでなく、派遣されてきた全員が同じような狂気を孕んで……っ⁉
「ヘインスさん! 馬車の準備を……」
「おう、してあるよ。話を聞いて、それを伝えたのは俺だからな」
「絶対そうすると思ったよ、お前も嬢ちゃんも。ほら、さっさと乗れ」
ありがとうございます! と、アギトは元気良くお礼を言って、そしてすぐさま馬車へと乗り込んでしまった。
違う……少しだけ私の認知とは違う……が、おおよそ同じだ。
ここにいる全員が、このふたりの狂気を、異常性を把握しているのだ。そして……
「……それを止めるのは、部隊長である貴方の役目でしょう……っ。それを……」
あろうことか、全員がそれを後押ししてしまっている。
おかしい……この部隊は、ユーザントリアは何かがおかしい。
もしや、これが勝ち続けるということなのか……?
勝利によって、戦いに向ける感情が私達とは変わってしまっている……とか……?
「……アンスーリァ国王陛下。もしよろしければ、彼らの戦いぶりをご覧ください」
「そうすれば必ず、御身の内にある疑問や懸念に対して答えが出る……いいえ。あのふたりが応えてみせる筈です」
「……っ。それは……信頼とは呼び難いものです」
「ただそうあって欲しいと、願って縋っているだけに見えます。妄信をも超越した、度し難い行為ですよ」
見て頂ければすべてお分かりになられるかと。と、ヘインスは私にも馬車に乗るように促した。
もちろん、もとよりそのつもりだったのだ。
私はためらうことなく馬車へと乗り込み、そしてどうにも興奮気味なアギトとミラのそばに腰かけた。
それから間も無く馬車は走り出して、私は多大な不安を抱いたまま彼らの戦いに同行した。
見れば分かる……と、ヘインスはそう言っていたが……




