第二百四十八話【敗北の記憶】
宮の応接室で、私はふたりの少年少女と向き合っている。
名を、アギト、そしてミラ=ハークスという。
ふたりはかねてより期待していたユーザントリアからの援軍で、その中でも特に優秀な戦力だ……と、先ほどヘインス部隊長から聞かされた。
そして、私もその強さの一端は目の当たりにしている。
彼らには命を助けて貰った恩があるのだ。
だから、まずはその件についてしっかりとお礼を。
そう思って、三人だけで話をしたいと望んだ……のだが……
「……あ、あの……頭を上げてください、ふたりとも。謝罪をされる謂れはありませんし、何を咎めるつもりも無いのです。どうか頭を上げてください」
アギトもミラも両手を床に突き、擦り付けそうなくらい頭を下げてしまってそこから動いてくれない。
ううん……本当に怒るべき出来事など何も無かったし、咎めるところも無いのだ。
それでも許すという言葉だけでは頭を上げてくれないとなると……ううん……
「……こほん。アギト、ミラ。もうそのままでも構いません、話を聞いてください」
謝意があって、けれどそれの理由になる事実が無い。
ならば、あとは時間の経過でふたりが奇妙な罪悪感を忘れるのを待つしかないだろう。
そんな判断を下し、私はそのままの姿勢で話を聞くようにとお願いした。
ふたりはそれに、相変わらず顔は上げてくれないものの、元気良く返事をしてくれる。
一応、話を聞いてはくれるみたいだ。
「昨日はありがとうございました。ふたりのおかげで私もユーゴも命を救われたのです」
「貴方達が通りかからなければ、今日の式典すら開けなかったでしょう。本当にありがとうございました」
まずは。と、考えていた通りに私もふたりへ頭を下げる。
そんな気配を感じたからなのか、ミラは慌てて起き上がって、私に頭を上げるようにと言い始めた。
それを聞いてかアギトも大慌てで起き上がって……ああ、なんだ。こうすれば早かったのか。
「では、そのまま貴方達も顔を上げたままでいてください。また頭を下げるのならば、私もそれに倣います。よろしいですね?」
「うっ……は、はい。承知いたしましタ」
ミラはどことなく居心地の悪そうな顔で、まだもじもじしながら私と向き合ってくれた。
ふふ……少しだけ言葉に外国の訛りがある。
きっと、今回の派遣に備えて必死に勉強してきたのだろう。
そんなところもまた、甲斐甲斐しいと言うか、愛らしいと感じてしまうな。
「では、本題に入りましょう」
「此度は私達の救援依頼を受けてくださって、本当にありがとうございます」
「港からこのランデルまでを旅されたのでしたら、既にご覧になっているでしょう。現在我が国は、魔獣被害によってかなり苦しい状況にあります」
「そこで、貴国の助力のもとに国を復興させよう……という予定だったのですが……」
しかし、現状は大きく変わってしまっている。
とても魔獣を倒してどうこうという段階では無くなってしまっているのだ。
「……はい、ヘインスさん……部隊長から聞いてます。魔獣の討伐作戦に出て、想定外の反撃に遭って……」
私が説明をするまでもなく、アギトは苦々しい顔でどこまで聞いたかを話してくれた。
現在、アンスーリァには戦力が無い。
足りていないというのではなく、絶無なのだ。
国軍はあれど、しかしそれが解放作戦の為に出撃することは無いだろう。
現在凍結中の特別隊も、動いたからとて戦えるものはほとんど残っていない。
ああ、そうだ。まだその区分については、ヘインスにも説明していなかったな。
もっとも、有名無実化している特別隊を紹介したとて、彼らには何も関係無いのだろうけれど。
「その話について、私も詳しく聞きたいと思っていましタ」
「この街に辿り着くまでにも様々な街の様子を見て参りましタが、そこまでひ弱な軍事力の国だとは思えませんでしタ」
「だというのに、主力部隊のすべてを投入してなお返り討ちにあったなど、並大抵のことではありまセン」
「……そうですね。ヘインス部隊長にはそこまで詳しく説明していませんでしたから、ふたりが聞いた話だけではつじつまが合わないかもしれません」
「ちょうど良い機会です、すべてを初めから説明させてください」
そして私はアギトとミラに、あのダーンフール以北への遠征についての説明を始めた。
まず、特別隊という私の保有する組織があることから。
特別隊は国軍と違い、税や国の資金から成立するのではなく、私の私財によって設立され、運営される私有隊であること。
それが重要であったこと、議会と現場との認識の乖離があってしまったことも含めてすべて説明した。
そんな特別隊の中でも、選りすぐりの精鋭を集めて小隊を編成したこと。
かき集めたとて小隊を組むのが精いっぱいであったこと。
けれど、小隊とは言え魔獣程度には後れを取ることは無かったのだ、とも。
そうだ、相手が魔獣だったなら問題など起こらなかった。
ましてや、全滅などあり得る筈も……っ。
「……けれど、私達の前に立ちはだかったのは、残念ながら知能の低い魔獣などではなかったのです」
「まず現れたのは、ゴートマンと名乗る人間の魔術師」
「その人物は、魔人の集いなる組織があるのだと、それが現王政を打倒しようとしているのだと宣言しました」
「――っ! 魔人の……集い……っ」
説明の最中、ふたりの表情が険しいものに変わったのが分かった。
もちろん、ずっと沈痛な面持ちをしてはいた。
苦い話を、敗北の経緯を説明されていたのだから、当然笑ってなどいられまい。
けれど……ゴートマン、魔人の集いという単語を出した途端、アギトにもミラにも憤りの感情が見えたのが分かった。
もしや……
「……貴方達も……いいえ、ユーザントリアもこの組織を知っているのですか?」
「……はい。ゴートマンも、魔人の集いも、嫌と言うほど知っています」
「アイツらは俺達の国でも、明確に悪意を振りまいて暴れていましたから」
アギトは嫌悪感を隠しもせずに、こぶしを握り締めていた。
穏やかな、暖かな少年だと思っていたのだが、彼にもこんな表情が出来たのだな。
そして……こんなにも苦しい思いをしなければならないほど、魔人の集いはユーザントリアでも被害をもたらしていたのか。
「かの組織についていろいろ尋ねたいところですが、まずはこちらの話を終わらせましょう」
「私達はそのゴートマンと、遠征の最中に遭遇しました。いいえ、より正確には、ゴートマンを捕縛する為の作戦ではあったのです。ですが……」
間合いを完全に測られてしまっていた。
今思い返せば、こちらの行動はすべて読まれていたようにも思える。
北上し、魔獣を倒し続け、そして部隊の疲労が溜まって来た頃。
引き返して部隊を休ませなければならなくなった、もっとも隙のある瞬間にあの魔術師は攻め込んできた。
結果として、ユーゴとマリアノさんを部隊後方に釘付けにされてしまっている。
そういう意味でも、やはり私達はあの組織に敗れたのだろう。
準備の段階、情報を集める段階で、圧倒的な差が生まれてしまっていたのだ。
「そして私達は帰還する道を封じられ、罠と分かっていても迂回せざるを得ませんでした」
「そして……その先で待っていたのは、魔獣でも、魔人でもないまた別の何か」
「それは自らを、魔女と呼ばれるものだと言っていました」
私の話に、ふたりは言葉を失った。
そして……ひどく動揺した様子で、青くなった顔を見合わせる。
もっとも、魔女だなどといきなり言われれば、誰だってこんな反応になるだろう。
おとぎ話か、あるいは子供をしつける為の言い伝えか。
どちらにせよ、現実味のある話とは思えないだろうから。
「……魔女……と、そう名乗ったんですか? それとも、そう呼ぶにふさわしいと感じたから、便宜的にそう呼んでるんですか?」
「名乗ったわけでも、私達が呼び始めたわけでもありません」
「ただ……そう呼ばれるものと同種の存在だ、と」
「自分には名前も、分類されるべき種族も無いのだと、そう言っていました」
だから、ふたりはきっと、魔女と名乗る魔人なのか、それとも人のような姿をした魔獣なのかを尋ねるだろう。と、そう予想していた。
そして、それに近い問いをアギトは口にした。
そこまでは……そう、そこだけは予想通りだった。
けれど、ふたりは悩むことなく再び顔を見合わせた。
アギトも、ミラも、何か確信を持っているらしい。
「その魔女について、外見的な特徴を教えて貰えますか」
「俺達も……魔女と呼ばれる存在に襲われたことがあります。そして……そいつもまた、魔人の集いと関係がありました」
「っ! ユーザントリアにも……あんなものが……っ。すみません、取り乱しました。魔女の外見について……でしたね」
ふたりも……ユーザントリアも、魔女による攻撃を受けていた……だって。
そう呼ばれるものがある、それと同種である。という無貌の魔女の言葉を思えば、当然別の個体が複数存在することは予想出来た。
けれど……まさか他の国でも人に牙を剥いていたとは……っ。
「私達の遭遇した魔女の外見的特徴は、まずなんと言っても貌が存在しないことです」
「首があって、頭部も存在し、顎の輪郭もあるのに、目も耳も口も存在しない」
「その特徴から、便宜的にそれを無貌の魔女と呼称しています。それ以外の特徴については……」
衣服を身に付けていた。
人間の腕に相当する部分が、鳥類の脚と酷似した形状をしていた。
それ以外の身体部分については、服によって隠されていた為、はっきりとは確認出来ていない。
けれど、大きさは人間とそう変わらない程度だった。
私のそんな説明に、ふたりは更に確信を深めたらしい。
ゆっくりと……重々しく、アギトは口を開いて言葉にする。
それは、自分達の知っている魔女だ、と。
その強さ、恐ろしさ、理不尽さをして、自ら体験した恐怖と同じものだ、と。
そして同時に、知らない魔女だ、とも。
自分達の遭遇したのとはまた別の――あるいは、もっと恐ろしい魔女なのかもしれない、と。




