第二百三十七話【そして、全てが無為だと思い知る・後】
「――っ。うわぁあああ――っ!」
ユーゴの悲鳴が聞こえて、姿が消えて、そして男達を襲う魔獣に白い光の線が降りかかる。
それだけで魔獣はすべて倒れ、動かなくなって、皆が守られて……そして……
ユーゴが駆け抜けたすぐ後ろを追うように、空間はぶつぶつと切り取られて丸い穴を開けた。
木々も、魔獣も、瓦礫も、人も、何もかもが同じように切り取られる。
ユーゴの後ろを――彼の通り過ぎたところを、ようやく守ったばかりの皆を――やっと、手が届きそうな目の前を――――
「――やめろ――っ! なんで――なんで俺を狙わない――なんでみんなばっかり――――っ!」
光の線が魔獣の群れから魔女へと飛び移って、また無貌の魔女は大きく吹き飛ばされる。
けれど、どれだけ手傷を負っても、地面に叩き付けられても、突き飛ばされても、その余裕ある態度が変わることは無かった。
そんな魔女に気を取られれば、今度はまた呼び出された魔獣の群れが、逃げられない部隊を襲う。
そして……
また、あの超大な魔獣の岩壁のような足が――切り刻まれた筈の足が、私達の目の前に立ちはだかった。
それの再出現に、ユーゴは悲鳴を上げるのも忘れてまた飛び掛かる。
だが……どうやらそれには高い再生能力が備わっている様子だった。
切り刻まれたそばから再生して、またゆっくりと持ち上げられて……
「――っ。皆! 撤退を急いでください! 早く! ユーゴが時間を稼いでいる間に――」
早く撤退を、超大な魔獣から距離を取って。と、私がそう叫んだとて、何も変わりはしない。
人間が走って移動出来る距離で、はたしてあの魔獣の足の裏から逃れられるのだろうか。
どれだけ必死に逃げ回っても、結局一帯を踏み潰されておしまいなのではないのか。
私の中にすらそんな絶望感が湧き上がって、それはすでに大勢の仲間を目の前で失っている部隊員にとっても同じことで……
「――フィリアぁあ――っ!」
それが迫る瞬間に、私の身体が宙に浮かんだ。
ユーゴがまた助けてくれたのだ。
魔獣の足を切り崩して、再生される端から切って切って、そしてギリギリのところでそれの着地点から逃がしてくれた。
彼が片手で抱えられるだけの人数を――――私ひとりだけを。
「――そんな――っ。こんなことが――」
そこには部隊があった。
特別隊の中でも選りすぐりの精鋭が、大きな列を組んで同行してくれていた。
けれど、今見えているのは、踏み潰された林と、そして岩壁だけだった。
その先に何が残っているのかなんて、希望はひとつも思い浮かばなかった。
「――っ。ふざけんな――っ! お前――なんで俺を狙わない! お前をボコボコにしてんのは俺だろ! なんで――っ!」
そう叫んだユーゴの目には、大粒の涙が溜まっていた。
そんな彼が睨む先には、もうずいぶんとぼろぼろになった……なっているのに、まだゆうゆうと佇んでいる魔女の姿がある。
貌など無いのに、余裕の笑みを浮かべて私達を見ている気がした。
「――何故と、問われれば、それには、すでに、返答を、している、通りです」
「その方が、楽しいと、思った、からです。楽しい、ことは、最後に、残したい、から」
「――っ。ふざけんな…………っ。ふざけんなお前――っっ!」
ああ、確かにその答えは一度聞いている。
私を最優先で殺すようにと、ゴートマンから頼まれている。
そして、私の価値を、立場を理解している。
だからこそ、一番最後まで残しておく。
そういう利己的な決定があったのだと、初めの問答で聞かされている。だが……っ。
「ここまで……っ。私ひとりを殺せば問題無いところを、皆殺しにする理由がどこにあるというのですか! 貴方の力ならばそれも出来たでしょう! なのに……っ」
こんな問いに意味など無い。魔女は困惑したように黙ってしまって、私の顔を覗き込むようなしぐさを見せた。
その答えこそが、楽しいと思ったから、なのだ。
皆殺しにしてから私を殺すことが、この魔女にとっては快楽に相当するだけ。
それは聞かされた、理解した、納得もした。
けれど……そんな理不尽に、憤らずにいられる筈が無かった。
「……まだ、残って、いますね。まだ、貴女を、殺す、段階では、ありません。まだ、残って、います」
「まだ……っ。ユーゴ! 生存者の保護を! きっとジャンセンさん達と同行する予定だった部隊です! 急いで向かわないと!」
まだ生き残りがいる。魔女は私達に向け、そんな報告をしてきた。
そう、報告だ。
まだ殺す相手が残っているから、それも必死に守って見せろ、と。
挑発にも近しい言葉だった。
けれど、私達はそれに縋って戦うしか出来ない。
ユーゴはまた私を担ぎ上げて、岩壁を迂回するようにまた林の中を進み始める。
私を担いだままあの超高速移動は出来ないのだろう。
景色は馬車に乗っている時よりも早く流れるが、しかしそれで私がどうにかなってしまうことも無かった。
「――誰か――っ! 誰かいませんか! 無事なものがあれば返事をしてください!」
私は大声を上げながら周囲を必死に捜索する。
けれど、どこを向いても潰された馬車の残骸と瓦礫と、そして魔獣の死骸ばかりだった。
「っ。ユーゴ、広場から林へ入った道を覚えていますか? そこから真っ直ぐにカストル・アポリアへ向かう経路を探しましょう」
「すぐにでも出発出来るようにと準備していたのならば、魔獣によって退路を断たれる前に移動してくれていたのかもしれません」
「まだ、ジャンセンさんとマリアノさんは……」
分かった。と、ユーゴは震えた声で返事をして、壊滅した部隊の残骸の中を駆け出した。
こんな光景、私ですらつらいのだ。
ユーゴの精神には大き過ぎる傷が残ってしまうかもしれない。
それでも、目に……頭の中に焼き付いてしまうくらいじっくりと生存者を探さなければならない。
目を背けていては……
「……っ。フィリア! 馬車だ! まだ無事な馬車が一台残ってる!」
そう言ってユーゴが指差した先には、それなりにダメージを負ってはいるものの、まだ無事に走れそうな馬車が一台残されていた。
それに、周りを警護する隊員の姿もある。
良かった、やはりジャンセンさん達を乗せた馬車だ。
彼らだけはまだ守れる、まだ生き延びられるのだ。
「……じ、女王陛下……っ。ご無事だったのですね……」
「ジャンセンさんは、マリアノさんは無事ですか!? まだ――まだ、他にも誰か残っていませんか!」
私達が合流すると、部隊員は茫然としたままながら敬礼してくれた。
けれど、私の問いには何も言ってくれなくて……
「……ま、まさか……おふたりももう……っ」
私もユーゴも大慌てで馬車の中へ飛び込んだが、そこには誰の姿も無かった。
もしや、ふたりはまた別の馬車に乗っていただろうか。
これは違う馬車で、私が見間違えてしまっただけだろうか。と、そんな望みを叩き潰すように、マリアノさんが臥せっていたであろう場所には血痕が遺されていて、取り換えられた包帯が山になっていた。
「……頭も……姉さんも……魔獣が出始めてからすぐ、戦いに出てしまって……っ」
「俺達は、何がなんでもこの馬車だけは守れって言われて…………っ」
「あの巨大な魔獣を相手に……っ。そんな……でも、ふたりはもう……」
マリアノさんは片腕を失って、武器も壊されてしまっている。
ジャンセンさんだって、あんなに大きな魔獣を相手に戦えるほどは強くない筈だ。
いいや、そもそも人間がひとりで戦える大きさの生き物ではない。それなのに……
「――っ。また――フィリア! この中入ってろ! また魔獣が来る!」
「っ。ユーゴ! 今度こそ――ここに残された皆だけは、なんとしても守り抜きます! この馬車を全力で守って下さい!」
ピン。と、また弦の音が聞こえると、ユーゴはすぐに馬車から飛び出して行った。
ふたりの捜索もしなければならないのに、もう攻撃が始まってしまった。
だが、ひとつだけ希望が残っている。それはこの馬車だ。
ジャンセンさんはここに残った者達に、何がなんでも守り抜けと命令を残したという。
ならば、この馬車には何か秘密があるのかもしれない。
何か策があって、それの準備の為にふたりは危険を承知で外へ出ているのかも。
「……っ。ユーゴ、お願いします……っ」
馬車の外の様子を窺えば、聞いていた通りに巨大な魔獣が群れを成して襲ってくるのが見えた。
しかし、それだけならばユーゴの敵ではない。
白い光が群れを襲って、それが晴れるころにはすべての魔獣が地面に倒れ込む。
一方的な攻防がそれから二度続いて……
「……? 魔獣が……現れない……っ! ユーゴ‼」
魔獣は現れなくなって、私達の視界にはユーゴ以外の動くものが確認されなくなった。
もしや、あの魔女が準備した魔獣を倒し尽くしたのだろうか。
「ユーゴ! 急ぎこちらへ戻ってください! きっと、魔獣はすべて出し尽くしてしまったのです!」
「この瞬間が近かったから、魔女は無茶な攻勢に出ていたに違いありません! ならば――」
「――この後は、あのデカいのとアイツ本人が攻めて来るだけ――っ! フィリア! 並走するから馬車出せ! 早く!」
魔獣によって行く手を塞がれないのならば、この馬車はカストル・アポリアへ向けて出発させられる。
それはつまり、ジャンセンさんとマリアノさんを探しに出られるということ。
希望が――もはや部隊と呼べるものは残っていないが、それでもまだ私の中には希望が芽生えた気がした。
「ユーゴ、ジャンセンさんの気配を追えませんか! 貴方なら――今の貴方ならば、普段以上に探知能力も発揮される筈です! ふたりの気配を探してください!」
「もうやってる! アイツら、まだ生きてる! フィリアが言った通りだ、ここからカストル・アポリアの方角に進んだとこに何人かいる!」
っ! やはり……やはり生き残ってくれていた……っ。
ユーゴの言葉に歓喜したのは私だけではない。
他の生き残った部隊員にも笑顔が浮かんで、この絶望的な状況でも前を向かせてくれている。
彼らが生きていてくれれば、まだいくらでも立て直せる。
ふたりさえいれば――ふたりがいて、これだけ強くなったユーゴがいれば――
「――面白い、ことを、しますか? まだ、何か、するのでしょう。そのように、見えます」
声はすぐそばから聞こえた。
本当にすぐ近く、私達の背後から。
けれどそれは、馬車を追って来ているのではない。
そうならばとっくにユーゴが迎撃してくれている。
ならば、この声はどこから――――
「――まだ、この先にも、残って、いますか? 面白い、ことを、まだ、考えて、いますか?」
「まだ、貴方は、強く、なりますか?」
「――っっ。ユーゴ――っ!」
どさ――と、ひとりが倒れて、馬車の中に新しい血のニオイが充満した。
魔女が――無貌の魔女が、私達のすぐ後ろ――馬車の中に、身を屈めて立っていたのだ。
そしてまたくるりと空間を切り抜いて、先ほど笑顔を見せてくれた部隊員のひとりを――
「――まだ――もう少し――残って――います――」
「貴女を、殺すのは、それよりも――――」
「――やめろって――言ってんだろ――っ!」
大きな音がして、そして馬車の天井が吹き飛んだ。
いいや、ユーゴがそれを切り落としてしまったのだ。
そうして入り口から入るよりも早く馬車の中へ飛び込んでくれば、魔女を外へと蹴飛ばしてくれる。
だが――っ。
ユーゴはまた魔女へ向かって突進して行く。
けれどその直前、こちらを振り返ってしまった。
今の瞬間に殺されてしまったふたりの隊員を見てしまった。
苦々しい顔で、怒りなのか悲しみなのかも理解出来ない感情に圧し潰されてしまいそうに見えた。
「っ。このまま進んでください! ユーゴはすぐに合流してくれます!」
「このまま進んで、カストル・アポリアまで! そして、あの超大な魔獣の攻撃範囲外まで!」
それでも、彼は戦うことを選んでくれた。
もうやめろと、絶望して投げ出してしまってもおかしくないのに、彼はまだ私達の盾となろうとしてくれている。
ならば、私も歯を食い縛るしかない。
このまま進めば、ジャンセンさんとマリアノさんがいる。
なんとか合流して、そして彼らを逃がさなければ。
この場所には私とユーゴだけが残ればいい。
皆が逃げてくれれば、ユーゴは私を守ること以外に余計な荷物を背負わなくて済む。
そうなれば、あの魔女にだって……
「――っ。誰かいる……頭だ! みんな! 頭と姉さんがいるぞ!」
馭者が叫び声を上げれば、明るくなった馬車の中にまた歓喜の瞬間が訪れる。
私も身を乗り出して前を眺めてみれば、確かにふたりの姿が――ふたりと、彼らに連れられている数名の部隊員の姿が確認出来る。
この馬車に残された隊員と合わせても十数名にしかならないが、皆無事に――
「――――こんな、ところに、いましたか。面白い、ことを、しようと、しているのですね」
魔女の声が聞こえて、突如馬車は暴れ始めて進路を変えた。
いいや、違う。制御を失って右往左往している。ま、まさか……
「ど、どうし――た――っ! うわぁああ!」
そんな状況に慌てた部隊員が馭者に確認を取ろうと立ち上がると、彼はすぐに悲鳴を上げてしりもちをついてしまった。
その反応に、私も他の隊員も状況を理解する。
魔女の攻撃によって、今度は馭者が……っ。
「――っ。私が手綱を握ります! 皆、後方を警戒してください! ユーゴと魔女の戦いから目を離さないで!」
「もしもユーゴが隙を作ったり、あるいは迎撃されて攻撃の手を休めざるを得ないようなことがあれば、すぐに身の安全を確保するのです!」
私は急いで馬車の前方へと飛び移って、胸に穴の開いた馭者から手綱を受け取った。
けれど……その場所にはふたり座るだけの広さは無いから…………っ。
私はもう動かない彼を押し退け、馬車から落としてその席に座る。
すべては、ひとりでも多く生き残らせる為に。
「――ジャンセンさん! マリアノさん! 皆、すぐに乗ってください! このままカストル・アポリアへ!」
「私とユーゴだけでこの場は凌ぎます! 早く!」
わずかな距離を無限にも思える時間走り続け、馬車はついにジャンセンさん達のもとへと辿り着いた。
しかし、この一瞬の停車すらも危険極まりない。
私はふたりにも怒鳴るように指示を出して、そして馭者台から飛び降りた。
「ユーゴ! ジャンセンさん達と合流出来ました! もう少し――あと少しだけこらえてください! 皆を逃がせば、貴方なら――――」
皆を逃がすことが出来たならば、ユーゴはきっと魔女を倒してくれる。
根拠なんて、彼の強さへの過信意外に存在しなかった。
それでも、絶対にそうなると思っていた。
けれど――
私が振り返ると、馬車はもうそこには存在しなかった。
馬と馭者台だけが残されていて、後ろに付いていた車はもうすでに切り取られた後だった。
もう、ユーゴですら魔女の攻撃を――――
「――さーて、最悪の展開になっちゃったね。姉さん、お前ら。覚悟は出来てるよね」
「――ァア? 誰に向かって口聞いてんだ、クソボケ。初めからそういう算段だっただろうが」
ふたりの声が聞こえて、そしてその背中はそちらを向くよりも前に私の視界へと入り込んできた。
私よりも前に、ふたりは歩み出ていた。
「っ! さ、退がってください! ふたりとも!」
「あの魔女は皆を狙っています! 私を殺す前に他の全員を皆殺しにすると、そう言ったのです!」
「ならば、私が皆よりも前にいれば……」
「一緒だよ、もう。ごめんね、フィリアちゃん。そんな顔させちゃって。こんな思いさせちゃって」
「でも……もう、一緒だよ。誰が前でも、誰が後でも」
ジャンセンさんは顔だけこちらを振り返ってそう言った。
一緒……いいや、違う。そんな筈は無い。一緒であるわけが無い。
あの魔女は意図的に私を避けて攻撃している。
私だけは生き残れるよう、と。
ならば、私が盾になれば、少なくともあの魔女が窮地に立たない限りは……
「――っ。お前ら早く逃げろ! 早く! 早――っ。うわっ」
キィンッ。と、甲高い音が聞こえて、ユーゴの剣の刀身が地面に落ちた。
どうやら魔女の反撃を避けそこなって、剣の根元を切り取られてしまったようだ。
「っ。ユーゴ! まだ剣はあります! 受け取ってください!」
私は急いで予備の剣をユーゴに投げて――――そして、それは彼の手元に届くことなく、空中でまた丸く切り取られて消えてしまった。
しまった、私が投げた程度ではただの標的にしかならない。
彼に取りに来て貰うしか……
「――こんな、ところに、いたのですね。まだ、こんなに、残って、いたのですね」
「――っ。やめろ――やめろぉおお――っ!」
ユーゴが私のもとへやって来るのとほぼ同時に、隊員のひとりが地面に倒れた。
私が彼に剣を手渡すのとほぼ同時に、さらにふたりが倒れた。
彼が剣を抜いてまた攻撃に移るまでの間に、もうひとりが……
「――がぁあああ――っ! 殺す! 殺してやる! お前なんか――お前なんか――――っ!」
「――面白い、ことを、言いますね。初めから、殺す、為に、やって、いたのでしょう。面白い、ことを、言いますね」
白い光がまた魔女を覆って――そして、それはすぐに消えてしまった。
その後にカランという金属音が聞こえて、また剣先が地面を転がるところを見てしまった。
ユーゴの剣はまた破壊されて――もう、予備の剣は私の手にも無くて――――いいや、それどころか――――
「――もう、強く、なりませんね。不思議な、個体でしたが、もう、これで、おしまい、ですね」
「――っ。うわぁああ――っ!」
ユーゴは壊された剣の柄か、あるいは石を投げ付けたようだ。
けれど魔女はそれも切り取ってしまって、ダメージはほんのわずかすらも与えられていない。
ああ、そうか。そういうことか。
この魔女は、もうユーゴでも追い縋れないだけの力で戦っている。
こんなことがあるのか。
この世界で最も強い、想像出来る範囲で無限に強くなれる彼をも凌ぐ強さが、こんなところにあってしまうのか。
魔女は顔を――何も無い貌をこちらへと向ける。
それだけでまた部隊員の身体が切り抜かれ、倒れた。
ひとり、またひとり。そして……
「――少し、不思議な、個体が、まだ、残って、います。貴女は、特別な、感覚を、持って、いるのですか? 不思議な、ことを、しました」
「……ァア? ンだ、テメエ。喧嘩ならもう買わねえぞ」
私と、ジャンセンさんと、マリアノさんだけが残されて、部隊は皆殺しにされてしまった。
もう、誰も残っていない。
誰も……この魔女を止められる存在は……
「――うわぁああ――殺す――殺す殺す――絶対殺してやる――っ!」
「――っ! まさか、まだ、強く――」
ユーゴの叫び声が聞こえて――今までのいつよりも感情のこもった怒声が聞こえて、その迫力に魔女もゆっくりとそちらを振り返った。
まだ強くなる――この世界で最も強い彼は、まだまだ強く――――
「――――ユーゴ――――」
飛び掛かろうとしたのだろう。
強かった頃をイメージして、彼は魔女に向かって飛び掛かり、殴り飛ばそうとしたのだろう。
けれど……彼はその場で転んで、倒れてしまった。
何が起こったのか分からないと言った顔で立ち上がって、ユーゴはまた地面を蹴った。
そして空気が歪むほどの速さで走り出して、魔女の蛮行を食い止めようとした。
けれど、彼はまた転んでしまった。
「――面白い、ことが、起こって、いますね」
「種の、平均的な、幼体と、変わらない、能力しか、持ち合わせない、ようです。面白い、ことが、起こって、いますね」
「……なんで……? なんで――なんで――なんでだよ――っ!」
ユーゴはふらふらと立ち上がって、そして石を拾い上げて魔女に向けて投げつけた。
けれど……それは切り取られることなく、魔女に届くこともなく、べちゃりとぬかるんだ地面で一度だけ跳ねた。
そして私は――ユーゴも、すべてを理解した。
もう、彼には強さを想像出来ないのだ。
守る筈だったすべてを失って、彼は――――
「――おい、デカ女。ガキ連れて逃げろ。カストル・アポリアじゃねえ、ランデルまでだ」
「……マリアノさん……? ま、待ってください! 逃げると言っても、この状況では……」
いいから。と、そう声を掛けてくれたのはジャンセンさんだった。
私の肩を叩いて、とてもやさしげな声でそう言ってくれた。
「いつも言ってるよね、フィリアちゃんがやられたら全部終わりだって」
「それは特別隊が……じゃない。この国が終わるんだ。それだけは絶対に避けなくちゃいけない。なら……」
「オレ達が時間を稼ぐ。さっさと逃げろ、このバカ女」
ふたりの姿に、私もいい加減理解してしまった。
そうか……私達は負けてしまったのだな。
これだけの状況に陥っていたのに、私はそんなことに今更気付いたのか。
いいや。今まで、どうしても認められなかったのだな。
「……な、何言ってんだよ、マリアノ……っ」
「お前……だって、もう逃げらんなくなってただろ! だから俺に任せて、馬車の中で休んでたんだろ!」
「だったら、ここは俺が――」
「さっさと消えろ――っ! 役に立たねえただのガキに用はねえよ――っ!」
俺が戦う――と、また石を拾い始めるユーゴに、マリアノさんはそう怒鳴りつけた。
けれど、その表情は優しいものだった。
呆れているのではない。
希望を繋ぐ為に、それしかなくて……
「……じゃ、指示出しよろしくね、姉さん」
「しっかし……久々に剣なんて握ったと思ったら、相手がこんなのかよ。ツイてねえなあ」
「っ。ま、待ってください、ジャンセンさん!」
「たしかに貴方は強いです、他の兵士に比べて特別なものがあるのだと私も理解しています。けれどそれは……」
マリアノさんにすら及ぶものではない。
私がそう言えば、ジャンセンさんは目を丸くしてマリアノさんの方を向いた。
そんな彼に向かって、彼女は小さくため息をついた。
「……そういえば、話したこと無かったね。俺達はさ、もともとこういう形のが得意なんだ」
「姉さんは周りを活かすのが得意。俺は好き勝手やる方が得意。だけど、俺がリーダーになっちゃったから、しょうがなくああしてたってだけ」
「だから……今からの俺達は、普段よりもっともっと強いよ」
ね。と、ジャンセンさんはマリアノさんにウインクをして、マリアノさんはそれにまたため息で応えた。
ま、待って欲しい。違うのだ、そういう話ではない。
先ほどまでの尋常でない強さのユーゴですら追い付けない相手なのだ、あの魔女は。
それが、少しばかり得意な戦型になったからといって……
「バカなこと言うな! ジャンセン! お前なんか勝てるわけないだろ! すぐ殺されて終わりだ! だから――」
「おいおい、いきなりどうしたよ、このアホガキ」
「人間のクズ、早く死ね……だっただろ、お前が俺を呼ぶときは。なんでいきなり名前なんて呼んで、心配なんてしてんだよ」
「なんだ? ああ? まさかお前、これが特別な別れだとでも言うつもりか?」
ジャンセンさんはユーゴの言葉を、まるで揚げ足を取るかのように笑った。
いつものように挑発しているようだった。
けれど……そんなジャンセンさんを前に、ユーゴは泣きそうな顔をするばかりで……
「さっさと宮へ帰れ、このアホガキ」
「ったく、熱でもあんのか? ここ終わらせたらまたウェリズに戻るから、今回の件を纏めたらそっちで合流な」
「ァア? ウェリズだあ? その前にヨロクの調査があんだろうが、サボんじゃねえよこのボケ」
っと、そうだった。と、ジャンセンさんはおどけてみせる。
いや、ジャンセンさんだけではなく、マリアノさんも。
ふたりのやりとりは、普段のそれとまったく変わらなくて……それの意味が私には理解出来てしまって…………っ。
「――っ。では、あとはお願いします」
「ユーゴ、行きましょう。幸い、馬車馬は無事でしたから。貴方と私だけならば、車が無くても問題にはならないでしょう」
「……フィリア……? な、何言ってんだよ、お前まで……っ」
「だって、あんなやつにジャンセンが勝てるわけ……っ」
私はユーゴのそばへと駆け寄って、そしてその小さな身体を抱き上げた。
彼は必死に抵抗するし、今すぐにでも無貌の魔女へと突進しようという勢いだが……しかし、もうただの子供が暴れているのと変わらなかった。
「……ご武運を。必ず、ともにこのアンスーリァを良い国にしましょうね」
「……うん、もちろん。それじゃ、またね」
まだ暴れているユーゴを馬に乗せ、私はふたりを残して馬を走らせた。
ユーゴは私の背中をずっと殴り付けていたが、そんなもの痛くもかゆくも無かった。
ただ……この胸の奥の痛みと、焼けるような苦しみはどうしようもなくて……
声が聞こえた。ジャンセンさんの声だ。
待ってくれてどうも。と、魔女に語り掛けていた。
声が聞こえた。無貌の魔女の声だ。
面白いと、思った、だけです。と、返事をしていた。
それからはもう風を切る音しか聞こえなかった。
魔女は……私達が林を抜けて元の林道へ戻るまで追いかけて来なかった。
それからも――日が暮れて、ダーンフールを過ぎて、真っ暗な中を進み続ける間も――――




