第二百二十七話【諦められず】
私は今、何を見ている。
何を見せられているのだ。
ユーゴの動きがどんどん良くなって、どんどん速くなって、次々に魔獣を屠って行く――のに――
「――ろ――――やめろって――言ってんだよ――――っ!」
悲鳴が聞こえた。
ユーゴのではない。
また、部隊のどこかから聞こえてきてしまった。
もう何度目だろうか。
ユーゴはまた、魔獣を全滅させた。
そして同時に、同じ数の――それ以上の巨大な魔獣が私達の目の前に現れる。
その度にユーゴはまた剣を構え、私のすぐそばまで戻って来てくれる。
いいや、違う。
もう、その発生を見るよりも前には私のそばにいてくれる。私を最優先で守ってくれている。
現れる魔獣はあまりにも巨大で、強力で、けれどそれらをユーゴは圧倒的な力で蹴散らしてくれる。
誰がどう見たって彼が一番強くて、頼もしくて、だというのに――
「――っ。テメエら――固まれ――っ! こっち来い! 早く――今すぐだ――っっ!」
彼の手の中に勝利が無いのは何故だ。
ユーゴが一番強いのだ。
巨大な魔獣は、その理不尽な大きさと数にものを言わせて蹂躙を繰り返そうとしているのに、結果としてはほんのわずかな被害をもたらすだけに終わっている。
そうだ、ユーゴはあまりにも絶望的な戦力差をひとりでひっくり返して見せている。
なのに――どうしてその彼が、あんなにも苦痛に表情を歪めなければならないのだ――――
また、魔獣が呼び出された。
ことここに至っては、理解など意味が無いのかもしれないけれど、うんざりするくらい思い知らされた。
いつかヨロクで発生した巨大な魔獣――誰にも見つからずに街の真ん中に現れたあの魔獣の秘密。
そして、瞬間的に移動してしまうゴートマンの秘密。
それらはすべて、この無貌の魔女によるものだったのだろう。
或いは、この無貌の魔女もその恩恵を受けているものなのかもしれないが……それはあり得ない。
今までとは規模も早さも違い過ぎる。
だから……確信してしまった。
これには――この魔女には――ユーゴといえど、勝利を手に入れることは出来ない――と。
「――どう――して――」
また――また、またまた――魔獣が現れた。
ユーゴが全て倒しきるよりも少し前に、今度は私のそばに彼が戻る前に現れた。
けれど、魔獣の攻撃が私を襲うことは無い。
どんなに隙を見つけても、どんなに数を並べても、ユーゴは私を誰よりも優先して守ってくれる。
眉をしかめて、歯を食い縛って、涙を浮かべながらでも私のもとへ駆け付けてくれる。
「――うぁあああ――っ! ふざけんなぁ――っ! ふざけんな! ふざけんなよ――ッッ!」
――もう――ユーゴの心が折れかかっている――
それでも、彼は私を守る為に――そして大勢を守る為に剣を振るってくれている。
魔獣を倒して、倒し続けて、ほんの少しずつ被害を出しながら戦い続けてくれている。
ほんの少しずつ――心を砕かれながら、尊厳を――誇りを――理想を、希望を――誰よりも強いという自覚と、誰をも守れるという夢を打ち砕かれながら、彼は――――
「――――シャキっとしやがれ――――クソガキがぁあ――――ッッ!」
――バァン――っ! と、大きな音がして、そして巨大な魔獣の一頭が宙に舞っている姿を発見した。
それは私にだけ見えている都合の良い妄想ではない、ユーゴにも他の皆にも見えている現実の光景だった。
現実に――
「――変わった、個体が、ありますね。あれは、なんでしょう。親愛する、ものからは、聞いて、いません」
「――――姉さん――――っ! ようやく来てくれた――っ!」
お腹が痛くなるくらい重たい咆哮が聞こえた。
それは魔獣の威嚇だった。
さっきまではそんなことをする暇も無く蹂躙するかされていたそれが、また別の脅威の出現に戸惑いを露わにしたのだ。
現実に現れてくれた別の脅威――マリアノさんの剛腕によって、一頭、また一頭と魔獣が打ち倒され――
「――っ。ちっ――邪魔だクソがァ――ッ!」
「マリアノさん――っ。ジャンセンさん! 部隊の指揮を! このままではマリアノさんが孤立してしまいかねません!」
マリアノさんの攻撃は確かに有効だったが、しかし絶命させるには至っていない。
それに、これまでに倒した魔獣の死骸が彼女の行く手を阻んでいる。
このままでは、こちらに合流することなく巨大な魔獣に囲まれてしまう。
そうなったら、いくらマリアノさんでも……っ。
「分かってる! もうやってるよ! だけど、全員固めたって身動きひとつ取れない状況なんだ!」
「いくらなんでも、想定外なんて話じゃない! こんなのありかよ!」
「っ。ユーゴ! マリアノさんを! 貴方ならばマリアノさんを助けられる筈です! 貴方ならば――」
胸の奥の奥――きっと、心という部分が鈍く痛んだ。
私は、全ての責任をユーゴに押し付けようとしていないだろうか。
貴方ならば出来る。
貴方にしか出来ない。
だから、貴方が助けなければならない。
私は彼に、そう言ってしまってはいないか、と。
けれど、今それを自ら諫めている場合ではないとも理解していた。
だから――私は唇を噛んで、あとでどれだけでも謝罪するのだと腹に決めてユーゴの名を叫んだ。
どうか――と。
「――うるさい、いちいち。言われなくても――」
「――っ。ユーゴ――」
ユーゴは少しだけ嬉しそうにこちらを見ていた。
どうして――と、問うまでもない。
マリアノさんの合流が――これで部隊の全てがここへ終結したことが――もう手の届かないところで犠牲を出してしまう可能性が消えたことが、彼にとっては最大の朗報なのだ。
そして、そのマリアノさんもまた、彼を手助け出来る数少ないひとりだから。
もうこれで、誰も犠牲を出さずに魔獣を倒せるのだ、と。
あとはあの無貌の魔女をなんとかする算段さえ付けられれば――と、そう考えて、希望を――
「――変わった――個体が――ありますが――面白くは――ないですね。なので――」
「――っ⁈ マリアノ――っ!」
ユーゴが剣を振るい、マリアノさんの周囲の魔獣と、そして私達と彼女との間にあった魔獣の死骸とが纏めて両断された。
そうして彼女が合流する為の道が開けたのと同時に、またピィンと弦の音が響いた。
響いてしまった。
「――ンだ――そりゃあ――ッ!」
「姉さん――ッッ!」
こちらへ駆けて来るマリアノさんの頭上から、初めにここで待ち伏せていたのと似た巨大な魔獣が、何頭も降り注いだ。
それは上空からやって来た――のではなく、彼女の上方に現れただけのようだった。
一頭として足から着地したものはおらず、すべてが地面に叩き伏せられ、大きく地面を陥没させるばかりだった。
それでも――っ。
「嘘……でしょ……っ。姉さん! 姉さん――ッ!」
ただの人間を相手にするには、過剰なほどの攻撃力だった。
隙間など無く降り注いだ魔獣の肉体は、彼女と共に合流しようとしていた部隊もろともにすべてを圧し潰してしまった。
悲鳴すらも聞こえることは無く、皆が――マリアノさんが――
「――せ――降ろせ――クソガキテメエ――っ!」
「――姉さん――? 姉さん!」
魔獣の落下に伴い巻き上げられた土煙の中から声が聞こえてきた。
それは間違いなくマリアノさんのものだった。
いいや、それだけではない。男達の叫び声も聞こえる。
悲鳴ではない、歓喜に打ち震えるような声だ。
「――痛っ! 殴るな! 落とすぞ!」
「っ! ユーゴ!」
突如暴風が吹き荒れて、ずしんという重たい音が鳴り響く。
それは、先ほど落ちてきた魔獣が今になって着地した音だった。
ユーゴによって受け止められていたそれが、乱雑に放り投げられた音。
部隊の皆の頭上を襲ったそれを、彼はマリアノさんを担ぎ上げながら防いでくれていたのだ。
「チッ! 余計なことしてンじゃねえ、このクソガキが!」
「うるさ。俺がいなかったら潰れてたくせに」
ァア! と、マリアノさんはツンとした態度のユーゴに食って掛かる。
ああ、もう。どうしてこんな時にまで喧嘩が続いてしまっているのですか。
いいや、違う。こんな時を脱しつつあるから、ユーゴにも心の余裕が生まれ始めているのだ。
結果として、今の攻撃からは被害を出さずに皆を守り通せた。
そして部隊はすべて終結し、ここからはマリアノさんも共に戦ってくれる。
こうなれば、もう簡単には犠牲など出させずに済むだろう。
「……ちっ。なんだ、随分数が減ってんな。オレがいない間に何があった」
「前見てろ、マリアノ。アイツ、ヤバイ。ゴートマンより危ないのがいる」
「そこら中に転がってる魔獣、全部アイツが出したんだ」
ァア? と、マリアノさんは真面目な顔になったユーゴにも突っ掛かった。
いいや、無理も無い。
言葉で聞かされて理解するなど、到底不可能な事象を目の当たりにしたのだ。
だから、ユーゴはそれ以上細かく説明しようとしなかった。
そんな彼を見て、マリアノさんも追及をやめて無貌の魔女をじっと睨み付ける。
「よく分かんねえが、ありゃ魔獣か。それとも魔人ってやつか」
「どっちにしても、テメエがこれだけ暴れて無事ってことは……」
「……アイツ、なんでか攻撃がすり抜けるんだ。だから、魔獣を全部倒すしかない」
「アイツがどこから出してるのか知らないけど、数には限りがあるだろ。無限なんてあり得ないんだから」
ユーゴの言葉にマリアノさんは目を輝かせ、そして手にしていた大剣を構えなおす。
そして顔をこちらに向けることなく、私とジャンセンさんに指示を出した。
そこから絶対に動くな、と。
「魔獣は俺が全部倒す。だから、お前はみんなを守れ。それくらい出来るだろ」
「上等こいたなクソガキ。やってみろ、オレが先に全部ぶちのめす。テメエはバカ女だけ守ってりゃ良いンだよ」
そしてふたりは地面を蹴り飛ばし、それぞれがバラバラに駆け出した。
弦の音が聞こえるのと同時に――魔獣の出現と同時に。
私は部隊の皆に囲まれて、その真ん中で彼らの勝利を祈り続けた。




