第二百二十六話【叶いもせず】
「――ユーゴ、気を付けてください」
「この無貌の魔女は、一度貴方の感知をすり抜けて私のすぐそばに現れています」
「それを戦闘に利用出来ないと考えるのは、いくらなんでも楽観的過ぎるでしょう」
「分かってる。もう誰も殺させないし、逃がしもしない。コイツはゴートマンよりヤバい。絶対ここでなんとかする」
私達を殺しに来た。目の前の存在はそう言い切った。
それがゴートマンの――魔人の集いの意思だとも言った。
そして同時に――その行為に快楽を見出しているとも。
もしもここで取り逃せば、次もまた奇襲を食らってしまう。
こちらは魔人の集いの所在も、この魔女の所在も分からない。
次がもしもあるというのならば、それは間違いなくランデルを急襲される瞬間だろう。
それだけは絶対に避けなければならない。
「ジャンセンさん、部隊の皆を少しだけ退かせてください。一瞬で数名を惨殺出来る能力を持ち合わせている以上、ここはユーゴに任せるのが得策です。そして……」
「うん、分かってる」
「お前ら、林を見張りつつ、この広場を囲うように陣形を組み直せ」
「もしも外から魔獣が来るなら、そこに戦力を集中して、絶対にこっちへは来させるな」
「相手の力が分かんねえ以上、戦場に紛れを持ち込ませない。一対一の構図を絶対に崩すな」
私とジャンセンさんのやり取りを、無貌の魔女は遮ることなくただぼうっと見ていた。
いいや、見ていたのかどうかも分かったものではない。
何せ無貌――顔が無いのだから。
眼も無ければ口も無い。
表情などというものが読み取れよう筈も無い。
それでも、魔女は黙って私達を見逃した。
「……ジャンセンさん、部隊は今どの程度合流しているのでしょうか。マリアノさんが最後尾に付いているとして……」
「まだしばらく掛かるだろうね。林は広かったし、それに部隊もかなり縦長に展開してる筈」
「ただその分、来た道の方角からは魔獣が襲ってきづらいだろうけど」
林からは続々と後方部隊が集結しつつある。
そしてユーゴと無貌の魔女を取り囲むように並び、半分が内向きに盾を構えて、もう半分が林から迫る脅威を警戒し始めた。
この状況は間違いなくユーゴに有利な筈だ。
いいや、乱戦という形でしか無貌の魔女に勝機は無いとさえ思える。
猛禽類の脚のような腕を見るに、その鋭い爪による攻撃を繰り出してくるのだろうか。
或いは空を飛ぶのかもしれない。
そう考えたならば、先ほどの惨劇にも説明が付く。
「……そんな可能性も十分に考えられるでしょうか。ユーゴがまだその気配を認識していないうちに上空から迫り、そして防御の真ん中に降り立った、と」
ユーゴは私の言葉に小さく頷いて、視線を魔女に向けたまま剣を握り直した。
もしも飛行能力があるのならば、それは非常に厄介だ。
ユーゴの進化に限りは無い……と、そういう前提で考えてはいたが、しかし人間の枠組みを大きく外れることは出来ない筈。
空高く跳び上がることは出来たとしても、空を飛ぶ翼は手に入らない。
自由に空中を移動されてしまえば、こちらから魔女を捕まえる手段は限られる。
「――一発で捕まえれば問題無いだろ――こんなトロそうなやつ――っ!」
私の懸念と同じものをユーゴも警戒している。
それが分かったのは、彼が深く深くまで身体を沈ませて、瞬発力を最大まで高めようとしているのが見えたからだった。
そして――それがどれだけの速さになるかまでは、私では予想出来なくて――
「――っだぁあ――っ!」
また――ユーゴは私の視界から消えた。
いいや、私から見て正面に飛び出したおかげで、その背中だけはずっと見えていた。
けれど、それが小さくなるスピードを私は捉えきれなかった。
ユーゴの身体はほんの瞬きの間に魔女の懐に潜り込んで、左腰のあたりに低く構えられた短剣が、魔女の胴を斜めに切り分けるように振り抜かれる。
言葉を話すから、まるで人間のように意思疎通が出来るから。
ユーゴはアレを相手に致命的な攻撃が出来るのか……と、そんな不安もあった。
だが、それは先ほどのやり取りのおかげで払拭された。
だから、この一撃で無貌の魔女は両断され――
「――――な――なんだ――コイツ――――っ⁈ この――」
――地面に倒れ伏す――と、私は確信していた。
それは何も私だけではない。
先ほど巨大な魔獣の全てをそうしたように、ユーゴの剣が目の前の脅威を一撃で打倒してくれると、そこにいた全員が信じていた。
けれど……
「――なんだ――なんだ――なんなんだお前――っ! なんで――」
ユーゴは振り上げた剣をもう一度魔女に向けて振り下ろし、今度こそその刃は、衣服越しに肩口から肉体を切り裂いた――筈だった。
それが魔女の脇から空へと線を結んだと思えば、ユーゴはもう一度身体を捻って真横に剣筋を通す。
それもまた、魔女の腹部にまっすぐな線を刻んでその身を断ち切った――筈だったのに――
「――――面白い、個体が、ありますね。どうして、そのような、顔を、するの、でしょう」
「――ッッ! ふざけ――っ」
魔女の肉体には傷ひとつ無かった。
それどころか、衣服に乱れのひとつすらも無い。
ユーゴの剣は間違いなく魔女の身体を――魔女の存在する空間を断ち切っていたし、刃がその肉の中から出てくる瞬間だって見えていた。
だというのに、魔女は無傷のままで腕をゆっくりと広げたのだ。
ユーゴはそれを見て大きく間合いを取り、また構えを低くして警戒心を最大のその更に上の段階にまで引き上げる。
そうだ。
最大よりも上――警戒よりも上の段階――懐疑と困惑と、そして恐怖へと。
「――親愛する、ものから、話を、聞いて、います」
「フィリア=ネイ、という、女王を、必ず、殺す、ようにと。そして、その妨げに、なる、可能性が、あるとすれば、ひとつ、面白い、個体が、あると」
ピィン。と、弦を弾いたような高い音が響いた。
魔女の言葉を聞き終えて、それが腕を広げ終わった時のことだった。
音は林の木々のざわめきに飲み込まれて、すぐにしんと静まり返る。
けれど――その音が意味するものを、誰よりも先にユーゴは探知していた――――
「――――フィリア――――ッッ! 逃げろ――――ッ!」
「――え――」
彼の顔がこちらを向いて、必死の剣幕が見えて――そしてまた彼の姿を見失った。
また彼を見付けた時には、私は彼に抱きかかえられていて――
「――番号、四十七は、この、個体よりも、脆い。人間の、個体では、今までに、見たことが、無かった」
ズン。と、地響きがすれば、魔獣が切り倒されたことに気付けた。
先ほどの巨大な魔獣がまた動き出した――いいや、それと同じ種類の魔獣がまた現れたのだ。
こんなにも見晴らしのいい場所で、誰にも気付かれず、私のすぐ後ろに出現した。
部隊が周囲を守っていることなど無関係に――
「――――では――番号――四十四は――どうでしょう――」
「どこまで――面白い――個体に――なるでしょうか――」
「――なんだよ――それ――っ!」
ピィン。ピィン。と、また何度か音が聞こえて、それからたった今起こったことを理解させる為のデモンストレーションが行われた。
いいや、そんな意図は無いのだろう。
ただ、そうすると都合が良かったのだと思う。
無貌の魔女が、面白い個体を――ユーゴを観察するのに都合が良い状況。
私達の目の前に――周囲に――この造られた広場全域に、先ほどのとはまた別の、しかし同等以上に巨大な魔獣が、とても十やそこらではない、途方も無い軍勢で出現したのだ。
「――っっ――うぉおお――っ!」
「っ! ユーゴ!」
現れた魔獣は、どこかに隠れていたとは到底思えない大きさだった。
林の木々よりも背の高いそれは、たった今現れたのだ。
ここに、この場所に。そしてそれを――私達は知っている。
ユーゴは魔獣の全てを倒さんと走り出した。
まず、私の周囲の魔獣が全滅した。
ほんの一呼吸の間の出来事だった。
あまりにも巨大な魔獣が、あまりにもあっさりと倒されて行く。
それから彼の攻撃範囲はどんどん広くなって、どんどん魔獣の数が減っていくのが目に見えた。
そして同時に――ユーゴの進化が進み続けていることも分かった。
現れた魔獣の総数は分からない。
けれど、彼ならば問題無くこれらすべてを蹴散らしてくれるだろう。
それは確信していた。
けれど――もうひとつ、同時に思い知ってしまったこともあった。それは……
「――――っ。くそ――ふざけんなぁ――ッッ!」
悲鳴が聞こえた。
ユーゴの……だけではない。
彼の悲痛な叫びの直前に、部隊の一部から……ばらばらと、私から遠い場所から、屈強な男達の絶望に飲まれる瞬間の断末魔が聞こえてきてしまった。
ユーゴがどれだけ進化しようと、強くなろうと、彼ひとりでは守れるものの数に限りがある。
それを、私達は見せ付けられた。
それからすぐに魔獣は全滅した。
ユーゴがやってくれた。
あまりにも絶望的な状況を、ユーゴが最小の被害に押しとどめてくれたのだ。
そして――
「――どこまで――面白く――なるでしょうか――」
「――ふざけんな――ふざけんなよお前――そんな――こんなの――っ!」
――また――弦を弾く音が聞こえた。
聞こえてしまった――
また、私達の視界は全て魔獣によって塞がれてしまった。
先ほどともまた違う、けれど圧倒的に大きな怪物。
もう、数を数えようとか、この状況を理解しようだなんて気にもならなかった。
もう一度、同じことが再現された。
魔獣が現れて、ユーゴがそれを倒してくれて、強くもなって。
けれど――なのに――
「――――どこまでも――――面白く――――なりますね――――」
「――っっ! や――やめろぉおおお――――ッッ!」
もう一度、もう二度、もう三度。
ユーゴがすべて倒し終われば、召使いが飲み物を持って来てくれるようにまた魔獣が出現する。
その度に、部隊のどこかから悲鳴が聞こえた。
ユーゴがどれだけ強くなっても、どれだけ速くなっても、どれだけ――守っても――――




