第二百二十三話【予期など出来ぬ】
濁流に道を遮られ、魔獣の住処へと誘導され、そして私達は巨大な魔獣の群れの待つ罠の中へと飛び込んで行った。
その姿は絶望そのものにも思えて、馬車隊にも騎馬隊にも甚大な被害が出ている。
それでも――それでも部隊の士気は最高潮で、誰ひとりとして怯むことなく顔を上げてその光景を――奇跡を見つめていた。
「――うおぉおお――っ!」
魔獣が――黒い巨大な生物が、一撃のもとに討ち伏せられる。
それも、ここにいる誰よりも小柄な少年の手によって。
彼の携える短剣が空を斬れば、その軌跡上に立っていた魔獣の肉が断ち切れる。
彼が一歩を踏み出せば、その先にいた多くの人間が救われる。
この光景こそ――この奇跡こそ、私が求めていたもの。
この国を、アンスーリァを、人々を奮い立たせる最大の成果だ。
「――ユーゴ――っ!」
ずん。ずずん。と、魔獣が切り伏せられるたびに地響きが起きて、それが繰り返されるうちに巨大な魔獣の動きが鈍くなっていくのが分かった。
怯えているのだ。
初めに目の前に現れたのは獲物だった。
罠に掛けられ、まんまと誘い出された愚かな餌。
ただ蹴散らすだけの取るに足らない相手。
そうだと思っていたのに――
「フィリア! 悪い、ちょっと遅れた! とりあえずこいつら全部ぶっ倒せば良いよな!」
「はい! お願いします! 貴方ならば――いえ、貴方にしかそれは出来ません! どうか、この窮地を救ってください!」
私の言葉に小さく頷いた少年は、ここにいた巨大な魔獣にとっては大き過ぎる誤算だろう。
いいや、そもそもこの魔獣が算段を立てていたのかは分からないが。
どちらにせよ、この不気味な生き物は皆、取るに足らない相手の中に、大き過ぎる脅威を発見してしまった。
魔獣も獣である以上、怯えれば行動は変化する。
強い攻撃性――蹂躙を楽しむことなどもうどの個体も見せていない。
どれもこれも恐怖に立ち竦むばかりだ。
「やっと……やっと来やがったか、遅えよあのガキ……っ」
「っしゃあ! 状況は一気に好転したぞ! テメエら! 固まれ!」
「何度も言うが、最優先はフィリアちゃんの無事だ! ユーゴが魔獣を倒してる間、テメエらが盾となり壁となって女王陛下を死守しやがれ!」
また、魔獣が真っ二つに割れて崩れ落ちた。
それが地面に倒れ伏すと、ジャンセンさんは大声で号令を出す。
隊員はそれ以上の大声で返事をして、私の乗っている馬車をまた取り囲み始めた。
「間に合ったね、ぎりぎりだったけど。ケガは無い?」
「はい、おかげさまで私は無事です。そして……ここから先は、もう犠牲はひとりも出ないでしょう」
部隊が陣形を固めると、ジャンセンさんは馬から降りて馬車の中へと入って来た。
そして私の無事を確認し、そして強気な返答を聞くとすぐに笑って頷いてくれた。
彼にも確信があるのだ。
ユーゴならば、こんな危機すらもあっと言う間に解決してくれると。
「さあ、それじゃあアイツの活躍をここから応援してやろうか。っと……俺はあんま顔出さない方が良いかな? まだキレてると後がめんどくさいしな」
「そ、そんなことをこんな時に気に掛けることも無いと思いますが……そうですね」
「私も貴方も、あまり身を乗り出せば怒られる可能性はあります。守ってやってるんだから、ちゃんと守られていろ、と」
そうだね。と、ジャンセンさんはまた笑って、そして私達はふたり揃って身を屈めながら馬車の外へと顔を出す。
周囲を固められてしまっていて、覗き窓からではもう様子など確認出来ないから。
このくらいはユーゴも許してくれるだろう。
なにせ、彼の活躍を目にしたいだけなのだから。
「…………? あ……? アイツ、あんな……」
「……ユーゴ……? わ、私の勘違いでしょうか……? 彼はこんなにも……」
安堵の所為もあって少しのんきな気持ちで外を見た私達は、すぐに肝を冷やして顔を青くすることになった。
ジャンセンさんが唾を飲む音が聞こえて、それに気付いたら自分の手のひらに汗が溜まっていることにも気が行った。
ユーゴならばなんとかしてくれる。
この世界で最も強い彼ならば……と、そんな漠然とした期待は、あまりにも理解の範疇を越えた理不尽にねじ伏せられたのだ。
「――おらぁ! まだまだ――死ねぇえ!」
私にはもう、ユーゴの動きが眼では追えなかった。
いいや、何かをしたのは分かった。
結果として魔獣が切り刻まれたことも、彼がなんだか物騒な言葉を叫びながらはしゃいでいることも。
けれど……
「――アイツ――ど、どんだけ進化しやがったんだ――っ。これを期待して色々準備したとはいえ――想定外だバカ野郎――っ!」
初めのうちは、その大きさ故に魔獣の数など数えている余裕が無かった。
けれど、彼が来てから……彼が倒し始めてからは、地面に倒れた魔獣の数ならば、地鳴りの回数でなんとなく数えられただろう。
けれど今は……もう、数えるまでもないところまでやって来ている。
「――終わったぞ。こいつら、ここだけじゃなくて林の中にもいたんだ。全部ぶっ飛ばして来たらちょっと時間掛かった。ごめん」
「い、いえ……間に合ったのですし、そのおかげで後方の被害も抑えられたでしょうから……」
もう、視界を遮る黒い化け物は一頭も残っていなかった。
パニックになっていたとはいえ、数えられないくらい多くの魔獣がいた筈なのに。
ユーゴが来てからどれだけの時間が経った。
まだ数分……少なくとも、一度の食事が終わるよりも圧倒的に短い時間しか経過していない。
それだというのに……
「それと……ゴートマン、逃げられた。捕まえようと思ったんだけど、マリアノに止められた」
「フィリアになんかあったら、ゴートマンを捕まえても全部無駄になるから、って」
「だから、さっさと追っ払ってこっちに合流したんだ」
もう後ろの魔獣の気配もほとんど残って無いから、マリアノもすぐ合流すると思う。と、ユーゴは淡々とそう説明してくれたが……は、話が頭に入ってこない。
確かにユーゴは強かった、そしてどこまでも強くなれる能力を備えている。けれど……
「ユーゴ……あ、貴方はどこまで強くなるのでしょうね……」
「今、私には何が起こっていたのか分かりませんでした。眼に見えないくらい速く動いて……」
ちっ。と、ユーゴは舌打ちをして、じろりとジャンセンさんを睨み付けた。
それからすぐに私の方へ向きなおして、そういう力をくれたのはフィリアだろ。と、あっけなくそう言ってくれたのだが……そ、そういう話ではなくてですね……
「確かに、貴方の力はどこまでも強くなれるものなのだと、想像出来る範囲ならば無限にも等しい力を得られるのだとは理解しています」
「ですが……人間にあんな動きが可能だとは、一度として考えたことが無かったものですから……」
おかしいのは私の常識の無さなのか、それともユーゴの想像力なのか。
ユーゴの想像力を――思考能力を少しでも緊急時にまで温存出来るように。と、ジャンセンさんはそう目論んで、出発前の大事な時間にユーゴを挑発した。
本人もそれを理解したようで、今もイライラした様子でジャンセンさんを威嚇している。
だが……それを受けた当のジャンセンさんは、放心して言葉に困ってしまっているではないか。
つまり、ジャンセンさんですら想定出来なかった進化が、ユーゴの身に起こった……と考えるのが自然だろう。
「……いえ、こんなことで呆気に取られていてはいけないのかもしれませんね」
「ユーゴはまだまだ余裕があると……もっと先まで進化出来ると考えているのでしょう」
「だからこそ、この現実離れした現実にも慌てず浮かれず冷静に……冷静に……もう少し冷静に、落ち着いてください、ユーゴ。意図が理解出来たのならば、そう邪険にする必要も無いでしょう……」
「このクズの思うがままになったのがムカつくんだよ。死ねばいいのに。コイツだけは守らなきゃ良かった」
ムカつく。イライラする。死ね。アホ。バカ。と、先ほどの活躍など嘘のように、ただの子供のようにユーゴは暴言を吐き続ける。
いつも通り、普段通りに。
この結果は特別なものだとは考えていない……と、そう言われている気分だ。
「……ん。またちょっと魔獣が近付いてくるな。あのデカいのじゃないけど、小さいのでもない。この先から来る。フィリア、一応馬車の中入っとけ」
「は、はい。ユーゴ、気を付けて……と、今の貴方にこんなことを言うのもおかしなことかとも思いますが、油断はしないでくださいね」
「心に隙があれば、どんなに強大な力を持っていても足下をすくわれかねませんから」
分かってる。と、ユーゴは一度納めた剣の柄にまた手を掛けて、部隊の皆にもう一度陣形を汲み直すように言ってから、魔獣の死骸が転がる広場の向こう側へ向かって歩き始め――――
「――――面白い、個体が、ありますね。実に、興味、深い」
「まだ、幼体の、ようにも、見えます。成体よりも、肉体の、発達は、見られない」
「けれど、その膂力は、番号、四十七にも、勝る」
「非常に、面白い、個体が、ありますね――――」
「――――え――――」
声が聞こえて、それが全員の耳に届いたことを――ユーゴにも聞こえたことを――――声を聞くまで彼がそれに気付かなかったことを私が理解して――――
「――――フィリア――――っっっ!」
「――――非常に、強力な、個体、ですが、しかし、人間の、幼体に、違いは、ない、のでしょう。では――――」
――――それが私のすぐ後ろにいることに気付いた時には――ユーゴがこちらを振り返ったときには、私の周囲は真っ赤な血の飛沫で満たされていた。
私のすぐそばにいた部隊員が――大勢の手練れが――戦士が――皆――――




