第二百二十話【烈火】
魔獣の討伐作戦は順調だった。
ダーンフールを出発し、そしてマリアノさんが下調べをしてくれた地点までを掃討する。
そして隊を反転させ、これからまたあの安全な街へと戻る……予定だった。
「――っとぉ……こりゃ、厄介なことしてくれたな」
「自然現象じゃねえ、意図的に仕組まれてる。こんな雨で決壊するくらいなら、とっくのとうに地形が変わってんだ」
しかし、そこへゴートマンが現れ、ユーゴとマリアノさんが部隊の先頭から――私の近くから引き離されてしまった。
その上、進路上を濁流が横切り、完全に足止めを食ってしまっている。
これらが全て計算されてのことだとすれば――ゴートマン、魔人の集いによる策略なのだとすれば……
「ジャンセンさん! 一度戻ってください! こちらの無事を確認すれば、もう一度があるかもしれません! 早く流れから離れてください!」
もしかしたら、私達の動向は見張られていたのかもしれない。
当然、ヨロクよりも外は、私達よりも魔人の集いに地の利がある。
監視をするにも、罠を仕掛けるにも、何をするにもあちらが先手。こちらはそれに対応しながらの進軍という形にならざるを得ない。
それは分かっていたが……まさかここまで正確に攻撃を仕掛けられるとは思わなかった。
「こうなったら、後方の部隊に援軍を送るべきでしょうか」
「ユーゴとマリアノさんが後れを取るとは思えませんが、進めない以上は立ち止まって交戦するしかありません。なら、出来るだけ戦力は固めた方が……」
「……いや、それは無しだ。何度も言うけど、一番に守るべきはフィリアちゃんで、今ゴートマンが狙ってるのもフィリアちゃんなんだ」
「だったら、まずは安全に帰還することを最優先。ここの守りを薄くするなんてのは以ての外だよ」
しかし、それでは部隊に甚大な被害が出かねない。
それに、こうして立ち往生してしまっているのだから、遅かれ早かれここも魔獣によって攻撃されるだろう。
ユーゴのことだから、ゴートマンを追い払うだけならばそこまで時間も掛からないとは思う。
けれど、彼が合流するまでに大群が攻め込んできたら……
「流れに沿って迂回するよ。これが不自然な氾濫である以上、その勢いは自然の川とは繋がってない筈」
「どこかで勢いが弱まるから、そこを乗り越えてダーンフールへ帰る」
ジャンセンさんはそう言うと、私の返答も意見も聞かずにまた馬を走らせ始めた。
頑固……なわけではない。
彼の言う通り、組織としては私が――最高責任者が捕らえられたり、殺されたりしてはならない。
だから先頭の部隊だけでも帰還させることを優先する。
それはもう理解している。だが……
「……っ。ジャンセンさんを追ってください。そして後方の部隊にも指示を。元来た道は既に使えないので、前の馬車に続いて迂回をするようにと」
私はここで耐える方が良いと考えた。
けれど、ジャンセンさんはそれを論じるまでもなく無視して進む選択をした。
ということは、彼にはここで部隊を止まらせた場合のシナリオが思い描けているのだろう。
その選択は最悪に繋がりかねないと危惧しているから、論じる暇さえも惜しんでこの窮地を脱しようとしている。
「ユーゴ……っ。早く……早く来てください……っ」
馬車は向きを変え、ジャンセンさんの背中を追ってまた進み始める。
こんな時に、私には何も出来ない。
ただユーゴの無事を祈り、勝利を願い、そしてゴートマン撃退の報告を待つことしか。
もう脅威のひとつを追い払ったと、だから合流したのだと、そんな彼の言葉を聞いて安心したいという浅はかな考えばかりが頭をよぎる。
ジャンセンさんの言う通り、この濁流が自然現象でないのならば、その終着点は近い筈だ。
無理に決壊させた川ならば、大本の水位はすぐに下がるし、そうなれば流れ出た勢いも止まる。
この降雨量では勢いを維持出来ないと、彼の考えは正しいだろう。けれど……
「……どこまで続くのですか、この濁流は。このままではダーンフールから遠ざかるばかりで、とても安全地帯になど向かえない……っ」
ジャンセンさんの見立ても私の甘い考えも食い破って、流れはまだまだ勢力を保っている。
もしや、川そのものに細工をされたのだろうか。
川縁を崩しただけでなく、例えば底を上げて許容出来る水位を低くした、とか。
しかしそれならば、そもそも流れ込む水の量が減ってしまうわけだし、それにそんな大掛かりな工事を、私達の通行の瞬間に合わせて完了させるなど不可能だ。
「――信号あり! 隊の中腹ほどからです! 色は赤――緊急交戦の信号です!」
「緊急――ま、まさか、ユーゴとマリアノさんを振り切ったというのですか、ゴートマンは――っ」
後方からの信号、そして隊員の報告に、ジャンセンさんはすぐにこちらへと合流した。
そして馬に乗ったまま、窓越しに私を呼び付ける。
「落ち着いて、フィリアちゃん。多分、横っ腹に魔獣が食いついただけだよ」
「もっともその場合、まだ姉さんとユーゴは自由に動ける状態になってないってことなんだけど」
「っ。これまでに見たゴートマンの行動には、あのふたりから逃げ続けられるだけの力があるようには思えませんでした」
「それが私の目を欺く為の策だったというのならば、ただ相手が上手だったと諦める他にありませんが……」
しかし、ゴートマンにあれ以上の力があるとは思えない。
あの人物はあくまでも魔術師、学びを得るものだ。
幼少から鍛錬を続け、魔獣や危険な敵との戦闘を繰り返してきたマリアノさんに匹敵する力など持ち合わせようもない。
とすれば……
「……やっぱり、魔人の“集い”なんだろうね」
「ゴートマンだって特別なんだから、他の特別が控えてたっておかしくはない。姉さんみたいに強いやつとか、ユーゴみたいに特殊なやつとかさ」
「ユーゴのように……あ、あり得ません。だって彼は……」
彼は……と、私の言葉を遮ったのは、またしてもジャンセンさんだった。
無駄話の時間は無い、一刻も早く濁流を超えてダーンフールへ帰るよ。と、そう言い放ってまた彼は馬車から離れて前を走り始めた。
彼は特別なのだ。
本当の本当に、彼だけが特別なのだ。
この世界には存在しなかった少年。
この世界の誰もが知り得ない世界、未来、生活を知る少年。
そして――この世界で最も強いという特殊さを、召喚により備え持った戦士。
その彼と同等の特別性など、他にあって良い筈も無い。
「……ユーゴ……」
だがもし――もしも、彼と同等の力を持つものがあるとしたら――
それはきっと、私と同じように禁忌を犯し、数多の犠牲を払ってまで何かを望んだ結果なのだろう。
ともすれば……魔人の集いには――このアンスーリァ国内には、それに見合うだけの絶望が渦巻いてしまっていた……ということになる。
もしもそれが私の妄想でないのならば、私達は――これまでの王政は――
「――っ! 頭! 後方から魔獣が――」
「――分かってる! 前からもだ!」
「テメエら! 腹括れ! 絶対にフィリアちゃんを守り抜け! どんだけ被害が出ようと、旗印だけは無事に送り届けろ!」
バンバン! と、空砲が鳴らされて、そして馬車の周りでは大声が響いた。
魔獣の襲撃が遂にここまで来てしまったようだ。
ならば今一番危ないのは、たったひとりで先頭を駆けるジャンセンさんだ。
「――前へ――っ! 皆、防御の陣形を前方に!」
「私を守らなくとも良いとはもう言いません。ですが、ジャンセンさんを失えばやはりこの隊は崩壊します!」
「彼の周囲に防御を! 同時に突破力を稼いでください!」
指揮権は私にもある。
迎撃はする、攻撃もする。しかし、重点的に守るべき地点をジャンセンさんは指定しなかった。
ならば、そこはこちらで決めて構うまい。
私の指示に、部隊はすぐ前方へと展開してくれた。
ジャンセンさんが先頭であることは変わらないが、その左右をしっかりと騎馬隊によって防御している。
これならば、よほどの大群と遭遇しない限りは大丈夫だし、その心配は限りなく低い。
何故なら、私達の進路の右側には濁流が続いているのだから。
この勢いでは、魔獣だって簡単には越えて来ない。
「ユーゴかマリアノさんの合流までこらえてください!」
「ジャンセンさんを守れと命令しましたが、同時に自分の身もしっかりと守って!」
「ひとりが欠ければ隊列はほころび、防御は体を成さなくなります! 誰ひとり欠けない気概で戦ってください!」
私ではこんな曖昧な指示を出すので精いっぱいだ。
あとは一番前で戦うジャンセンさんにゆだねるしかない。
彼ひとりに、全てを任せるしか……っ。
まだ……まだ、濁流の弱まる地点は見えてこない。
ダーンフールへ近付くどころか、このままでは未開の地区へと侵入してしまいかねない。
そんな懸念もある中で、私はただ祈るしか出来なかった。
部隊の皆の奮闘と無事を。そして、ユーゴのいち早い合流を。




