第二百十八話【急所】
ダーンフールを出発してから、もう半日近くが経過していた。
マリアノさんが下調べをしてくれたポイントまではもうあとわずかだろうか。
目印らしい目印も無ければ、戦いながらの行軍では移動距離もそこまで正確には測れない。
だから、ここばかりは私とジャンセンさんが感覚で把握するしかないのだが……
「んー……そうだね、そろそろかな。姉さんの様子見ながら一回隊を止めよう。んで、迂回してダーンフールに戻る」
「何も無ければ、帰りは魔獣の数も減ってる筈だからさ。日が落ちる前には帰れるでしょう」
「はい、分かりました。では、後方へ指示を送った方が良いでしょうか」
私の提案にジャンセンさんは首を横に振った。
大回りで進みながら向きを変えるから、後ろの部隊もすぐに状況に気付くだろう、と。
それと、信号弾の種類もそう多く持っていないから。
問題発生による撤退なのか、それとも時間による撤退なのかを区別して伝える手段が無い以上、混乱は避けるべきだろうとのことだった。
「にしても、思ったより上手く行ったね。後ろがどうなってるか分かんないけど、デカい被害が出てる様子も無さそうだ。前については、何も言うまでも無いよね」
「はい。ジャンセンさんの目論見が上手くはまってくれた……のでしょうか」
「それとも、私がしばらく見ないうちに、ユーゴはどんどん進化を繰り返してくれていたのでしょうか」
一番前を走るふたりの活躍は、今までに感じたよりもずっと大きな安心感を与えてくれた。
マリアノさんはいつもと変わらない――色々揉めていたにもかかわらず、集中を欠くことも無く普段通りの武勇を見せてくれた。
それもきっと、まだ余力を残している状態だろう。
しかし、それ以上にユーゴの活躍に驚かされた。
いえ、彼の強さもとっくに理解しているつもりではいたのですが。
「言ったでしょ、アイツはあのくらいがちょうどいいんだって」
「ただ……帰ったらちょっと荒れるかもね。アイツ自身としてはさ、イライラして集中出来てなかったって、進化の機会を逃したって感じてるだろうから」
「その辺のフォローお願いしても平気? 俺じゃ何言ってもだからさ」
「はい、承知しました。その場合、真意は伏せておいた方が良いのでしょうか?」
「ユーゴの性格を考えると、貴方の意図に操られたように受け取ってしまいそうですし」
もっとも、そのくらいは自力で考え付きそうでもあるが。
それでも、人から言われるのとでは意味が違ってくる。
あまり刺激しない方が……と、どうしても出発前の苛立ちぶりを見ているから、そう思ってしまう。
「ま、そこはフィリアちゃんに任せるよ。最悪全部俺にふっ掛けちゃってもいいからさ、なんとかして機嫌だけは取っといて」
「いつまでもへそ曲げてるとは思わないけど、そういうとこ雑に扱うと子供は勘付くからな。自分は大切にされてないのか、って」
「そ、そこまで子供というわけでもないと思うのですが……そうですね。いくら聡明とはいえ、それと承認欲求とは別ですから」
こういう時、もう少し違った関係の相手がいてくれると助かるのだけれど。
ジャンセンさんのように張り合う相手でも、私のように守る相手でもない。
師事するに値すると彼が素直に認められる、能力が高く同時に謙虚な人物が。
パールはそれに近いかもしれないけれど、いつでも彼の相手を出来るとは限らないから。
それからすぐ、ジャンセンさんは馬車から身を乗り出して、マリアノさんに先ほどの予定を伝えた。
このまま進行しながら、進路を左に向けて大回りで向きを変える、と。
底の丸いフラスコでも描くような軌道で、私達はダーンフールへと帰還するのだ。
「さて、あとは帰り道に油断しないことだね。一番危ないのはこの瞬間だ……ってのは、後ろの連中の方が実感してるだろうけど」
「そうですね。目的を達成して帰還するとはいえ、北にはまだ魔獣も魔人の集いも控えている可能性が高い。そちらに隊の後方を向けるのですから、追われる形で攻撃される可能性は非常に高いでしょう」
「マリアノさんかユーゴが合流するまでに、被害をどれだけ抑えられるか」
現在の被害状況は、皆無とは言わないが、しかしかなり抑えられているだろう。
それもこれも、ユーゴとマリアノさんの働きのおかげだ。
私が見ていた限りでは、前から出現した魔獣のほとんど……いいや、全てがふたりの手によって処理されていた。
あれなら後方に迫った脅威はそこまで多くない筈。
もっとも、そんな前提があった上でも、被害が無いとは言い切れないのだが。
「頭、女王陛下。大きく曲がります、中に入ってどっかに掴まっててください」
「おう、分かった。でもお前、フィリアちゃんが先な? 先に俺を呼ぶんじゃねえ、一番偉いフィリアちゃんから声掛けろ」
「そういうとこだぞ、ランデルに派遣されなかったの」
べ、別に私は気にしないのだが……ジャンセンさんはなんだか世知辛い説教をしながらも、馭者の言う通り馬車の中に身体を引っ込めて壁に手をついた。
それから馬車は大きく右に傾き、進路を左へ――後ろ向きになるまで、円を描くように左へ曲がり続ける。
部隊の大きさが大きさだから、その弧線は体感よりもゆるやかなものだろうけれど。
「さーて、こっからだね。姉さん、ユーゴ。行き以上に警戒よろしく。なんか出るとしたら、向き変えて弱点を晒してからだ」
「るせェ! ンなこと言われなくても分かってるよ!」
お、怒られている……どうして……?
理由など無い、単にまだマリアノさんもイライラしているだけだ。
ということは、ユーゴもまだ機嫌を損ねたままか。
まだ危険の真っ只中にいるのだとは分かっていますが……はあ。
帰ってから、どう説明すればあの子は落ち着いてくれるだろうか……
「ま、どっちにせよここは安全だろうね。ただ魔獣が襲って来るだけなら、こっちには最強の戦力がふたり揃ってる」
「で、もし魔人の集いが襲って来るならここは狙わないでしょう」
「そりゃ、フィリアちゃんを直接叩ければ成果はデカいけどさ。でも、縦長の部隊の一番前を狙うとか、いくらなんでも――」
リスクが大き過ぎる――と、ジャンセンさんがそう言おうとした瞬間だった。
ごわん――という嫌な金属音が聞こえて、それからすぐに馬車が更に大きく右へと傾いた。
旋回に伴って横に引っ張られているのとはまた別の力が加わったらしいが、いったい何が……
「――――見つけた――――フィリア=ネイ――――アンスーリァ王――――ッッ!」
「――っ! この声――まさか、ゴートマン――っ」
見つけた。と、まるで呪いのような声が聞こえたと思えば、今度は馬車が左に傾いた。
い、いけない。何が起こっているのか分からないが、こうも大きく揺さぶられては横転しかねない。
もし先頭の車両がこんなところで横転すれば、後方の部隊は何も分からないまま突っ込んできてしまいかねない。
そうなれば大惨事を招いてしまう。
「っ! ゆ、ユーゴ! マリアノさん! 状況はどうなって――」
「――出てくんな――っ! このバカ! アホ! 間抜け! 大間抜け! デブ! 大バカ! バカ! バーカ‼ 狙われてるの分かってんだから顔出すな!」
ば……そ、そんなに言わなくても……
覗き窓から外の状況を窺おうとした私を、ユーゴはありったけの暴言で咎めた。
しかし、今の声は間違いなくゴートマンのものだ。
ということは、部隊の反転を待って――もっとも混乱の起こりやすいタイミングを見計らって攻撃を仕掛けてきたというのか。
「落ち着いて、フィリアちゃん。姉さん、外は任せてるからね。絶対フィリアちゃんの身に危険が及ばないように」
「そんでもって――念の為、そいつの魔術には警戒しておいて。何したら防げるとか知らないけど」
「ァア⁈ ンだそりゃ、役に立たねえなテメエも! だったら黙って引っ込んでやがれ!」
ユーゴの声もマリアノさんの声も、もうすぐそこで聞こえた。
ということは、ゴートマンはこの馬車を直接狙っているのか。
私を見つけた……と言っていたが、いったいどうやって。
あのタイミングでは、私は外に顔を出していない。
ゴートマンは特別隊という組織も知らなければ、私が同行していることも知らない筈。
とすれば……
「――他に仲間がいるかもしれません。こちらの情報を知っているか、或いはユーゴやマリアノさんのように感知能力に長けた人物が」
「ゴートマンがそうであることを思えば、探知の結界を使用出来る魔術師かもしれません」
「私は詳しくありませんが、そういった術もあるのだと教わりました」
「うげっ、そんなのもあんの? 魔術ってのはなんでもありかよ、ったく」
ともすると、いつかウェリズで発見した魔獣の幼体、それを造った医者と思しき人物の能力かもしれない。
医術に通じていれば人間にも詳しい筈だから、探知した情報から私を……この場にあまりふさわしくない、戦力足り得ない人間を割り出すことも可能なのかも。
「どっちにしても……か。姉さん! 全力で追っ払って!」
「今は捕まえること考えなくていい! とにかく部隊の反転を完了して、無事に帰還することが最優先!」
「ここにいるって分かった以上、捕縛は後でも出来る!」
ジャンセンさんの指示がふたりに通ったかどうかも分からないまま、馬車の外では大きな音が何度も繰り返されていた。
顔を出すな、外から見える場所にいるな。と、そう言われた私では、とても状況が把握出来ない。
けれど、物音で危険な戦闘が始まったとだけは理解出来た。




