第二百六話【平和な話し合いwith拳】
 
「――きろ――起きろって。フィリア、起きろ。もう朝だぞ」
木の匂いと、それから土の匂い。ベッドなどよりずっと硬い床の反発に、私の熱を吸った毛布のぬくもり。そして、ユーゴの声。
普段と違う環境で、けれどいつも通りの朝を、今日も私は迎えたらし――
「――退け、クソガキ。ンなまどろっこしいことやってられるか。とっとと起きろ、このボケ女――っ!」
「――あっ」
――ぷ――と、私は声なのか音なのか、それとも断末魔なのかも分からない声を出して、ゆっくりと開いたばかりの瞼をもう一度閉じる羽目になった。
普段と違う場所で、いつもの声で目を覚まして、そして……いつもならばあり得ない鉄拳を顔面に食らって、覚醒したばかりの意識を切らしかけた。
い、いたい……
「な――何してんの姉さん! 殴んないで!」
「女王様! 上司! そういうの無くても女の子の顔殴んないで! 顔じゃなくても殴っちゃダメ! 何してんの本当に!」
「ァア? っせえな、ボケたことぬかしてんな、このアホ。いつまでも寝ぼけてやがるこのボケ女が悪いンだろうが」
痛烈過ぎる一撃にまだ意識がふらふらしているが、珍しく心配そうな顔で慌てているユーゴに介抱されながら私は身体を起こした。
ここは……馬車の中だな。
良かった、突然知らない場所に運び出されていたなんて事件は起こっていないらしい。
何も無いのならば、寝起きを殴らないで欲しかったのだけれど……
「ふぐ……おふぁようございましゅ、マリアノさん。出来れば次からは手加減を……」
「甘えたことぬかしてんな、このボケ。テメエが起きなきゃ部隊が動かねえだろうが。いつまでもだらけてんじゃねえ」
いつまでも……とは言われても、しかし馬車の覗き窓から見える外の空は、まだ真っ暗で星すら見えているのだが……
となると、マリアノさんはあの後カストル・アポリアを訪れ、ヴェロウと話をし、ハーデン族長を見つけ出し、そして休むことなくここまで走って来た……のだろうな。
彼女の体力もさることながら、馬の酷使が気に掛かるところだ……
「本当にごめん、フィリアちゃん。止めたんだよ。俺もユーゴも」
「だけど……はあ。いきなり帰って来たと思ったら、フィリアちゃんを起こして作業を始めさせろ……って。聞かなくて……」
「マリアノに任せるとヤバそうだったから、俺が起こそうとしたんだけど……流石にまだ夜中だったし、中々起きなくて……」
こういう時には、むしろ私が悪いという論調で掛かって来るユーゴすら私を味方してくれているではないか。
いったいどれだけ無茶苦茶をしてくれたというのだ、マリアノさんは。
しかし、当の本人はまだイライラした様子で私達三人を睨み付けて……そ、そんなに怖い顔を向けられると、こちらが悪いような気になってしまうではありませんか……
「ほら、姉さん。いろいろあったけどフィリアちゃんも起きてくれたんだから、ちゃんと説明して」
「いきなり押しかけてぶん殴って、さあ働けはいくらなんでも筋通んないよ。カストル・アポリアで何見てきたのか、ちゃんと俺達に説明してよ」
い、いろいろで済まさないで欲しい……
しかし、今はジャンセンさんに食って掛かっている場合ではない。
そうだ。問題は、マリアノさんが何故こうも急いで帰って来たのかだ。
そして……私を文字通り叩き起こしてまで、何をさせようというのか。
「ヴェロウからジャンセンに話が行ってると思うが、現在のダーンフールは管理者不在の廃墟群に近しい状態だ」
「だが、カストル・アポリアを国家として認めるとどこぞのバカが発言しやがった手前、その近郊であるこの街に、軍事拠点を無許可で設営することは難しい」
「ここはまだアンスーリァ国土内だとはいえ、女王自らが下手なこと言ってくれてるからな」
「ここはアンスーリァだが、しかし他国と競り合いかねない領土になってやがる」
「うっ……し、しかし、カストル・アポリアは本当に立派で、ヴェロウの能力にも疑うところは無くて……」
言い訳はいい。と、マリアノさんは私の言葉を遮った。
うぅ……やはり、軽率な発言だったか。
しかし、本心からの言葉だったのだ。
お世辞や政治的意図などは無く、本心からカストル・アポリアが国を名乗るにふさわしいと思った。
だから、その発言自体には後悔しない。
ただ……もう少し、相談はすべきだったとは反省しなければならないが。
「そういう事情があるからな、まずはダーンフールを街として復興させる」
「ここを人間の済む場所として造り直し、そしてその防衛の為に拠点を設ける。これなら文句も言えねえだろう」
「順序は当初の予定と逆になるが、そこまで大きなロスにはならない筈だ」
「ふむふむ、大義名分を作っちゃおうってわけね」
「でもさ、姉さん。たとえダーンフールをキレイに整備してさ、アンスーリァからお金を運び込んだとしても、だよ。人はどうするのさ、市民は」
「まさか他所から引っ張って来て……なんてわけにはいかないよね」
マリアノさんの提案に、ジャンセンさんは疑問を口にする。
私もこれまでに何度もこういう光景を目にしてきているが、きっとそれよりもずっと前からこうしてきたのだろう。
盗賊団を立ち上げた頃から……いいや、それよりも前からかもしれない。
だから、ふたりの議論には常に冷静さが見て取れる。
白熱しても、感情的になったりはしないのだ。
と、そんなふたりの様子は別として、ジャンセンさんの挙げた問題は大きなものだろう。
人のいない空っぽの街では、結局のところ、防衛機構の必要など無いとみなされてしまう。
しかし、現在のダーンフールにはごくわずかしか市民が残っていない。
他の街から移住を求めようにも、安全な暮らしを約束されているヨロクからでは、誰も移動したがらないだろうし……
「それについてはもう話を付けてある。ダーンフールの解放と同時に、フーリスもアンスーリァの経済圏に引き戻す。ふたつの街を合併させて、人口を共有させるんだ」
「フーリスと……もしや、ハーデン族長と話が出来たのですね? となれば、確かにそのやり方も不可能ではないかもしれません」
いやいや。と、やはりジャンセンさんは苦い顔で口を挟む。
彼の言いたいこと……この方法に潜む問題については私も思い当たるものがある。
それは、フーリスとダーンフールが離れ過ぎていることだ。
ひとつの街として扱うには、いくらなんでも遠過ぎる。
「話をきちんと聞け、このアホども。言った筈だ、話は付けてきた、と」
「ハーデンとヴェロウの両名立会いの下、フーリスとダーンフールのアンスーリァ経済圏への復帰、及び合併は、既に認められてんだ」
「既に認められ…………えっ。ちょっ……え、姉さん……? な、何やってんの⁈」
「いや、今回は別にそう大きな問題も……問題も……無い……無さそう……って感じだけど! そんな大事な話を勝手に纏めちゃダメだよ!」
「特別隊はフィリアちゃんの部隊で、フィリアちゃんは女王様で、っていうかアンスーリァのことならフィリアちゃん以外にも議会とか貴族とかの承認が――ゴホッ⁉」
大慌てでまくしたてるジャンセンさんを黙らせたのは、やはりマリアノさんの右拳だった。
も、もしやとは思うが……昨晩ジャンセンさんが危惧していた通り、武力による威嚇で合意を取り付けた……なんて話は無いだろうな……?
「その女王様が勝手やって面倒が増えてんだろうが」
「出発前にも確認したが、今回の作戦は急がなくちゃならねえんだ」
「ゴートマンがまた魔術を使えるようになったら、オレ達はまた南に隠れてやり過ごさなくちゃならねえ。それに、このバカ女を運ぶ為のエリーもいねえ」
「いちいちトロくせえ議会の豚どもの同意なんぞ得てられるか」
「豚……確かに、少しだけ乱暴なやり方だったかもしれませんが、本当に承認が得られたのだとすれば、それは大きな収穫です。ありがとうございます、マリアノさん」
「ただその……えっと……話し合い……によって説得してくださった……のですよね……? け、決して私やジャンセンさんにしたようなことは……」
ごつん。と、またマリアノさんの拳が私の頭頂部を襲った。
ぐ……ぅ……な、涙がにじむほど痛い……っ。
「テメエはオレをなんだと思ってやがんだ」
「カストル・アポリアとは、これからの活動の為にも友好関係を結んどく必要がある。フーリスについてもまったく同じだ」
「それを相手に武力行使なんぞ誰がするか」
「……そうだね。うん、ヴェロウもフーリスの族長さんも、これから仲良くしてかなきゃいけない相手だからね」
「でもね、姉さん。今仲良くしてなきゃいけないフィリアちゃんのことも殴っちゃダメだと思うんだ」
「もちろん、俺のことも殴っ――痛いってば――っ⁈」
マリアノさんの拳がジャンセンさんの脇腹を抉ると、まるで分厚い革を鉄の棒で叩いたような鈍い音が馬車の中に響いた。
本当に……本当に穏便な話し合いで決着させてきてくれた……のだよな……?
まだ少しだけ不安と不穏さが残った馬車の中で、私達は今日のこれからの予定を決め始めた。
ダーンフールをキレイに整備し、もう一度街として復活させるのだ。
やや心配になることはあれど、マリアノさんが取り付けてくれたこの承認は大きい。
あとはそれを無駄にしないよう急ぐだけだ。
 




