第二百五話【停滞に近しい】
ジャンセンさんは、まだカストル・アポリアは国として認められないと言った。
その理由に、かの国の根幹である民主主義の未完成さを挙げて。
「さて、ここまで文句並べてきたけどさ。もちろん、いいとこもいっぱい見てきた。っていうか、いいとこばっかだわ」
「すげえな、アイツ。まだ今は……だけど、そのうち本当に国を建てるかもしんないわ」
まだ。と、そこはしっかりと強調しながらも、ジャンセンさんはヴェロウの手腕を褒め称える。
私が知る限りでも、カストル・アポリアの市場形態は目を見張るものがあった。
あれはアンスーリァには無いもの――つまり、あの場所で生み出されたものだ。
ヴェロウが考え付いたにしても、誰かが考え付いたものを採用したにしても、あそこには多くの工夫が見られる。
「そうそう、ちびとも会ってきたぜ。アイツはどこ行っても変わんねえな、やかましいくらい元気だったよ」
「エリーは息災なのですね。予想通りではありましたが、安心です」
あの子に限ってホームシックで落ち込んでしまうなんてことは……と、そこまでは押し付けられない。
マルマルだってアルバさんだって、孤独には耐えられなかった。
それでもあんな小さな子がそれを感じずに済むのは、誰を相手にも親交を深めてしまえるからだろう。
どこへ行っても仲の良い相手が出来るから、孤独感を遠ざけられるのだ。
「……そんで本題になるんだけど、どうやらダーンフールの周りを守ってんのはカストル・アポリアじゃないらしいんだよね」
「ヴェロウに直接尋ねたんだ、そこに嘘つく必要はねえもんな」
「色々見てさ、こんだけ能力あるやつだったら……とも思ったんだけど……」
「そうでしたか……ううん。それについては、フーリスでもここと同じ現象を発見しています」
「もしかしたら、そちらが主体になって……いえ、しかし……」
もしもフーリスが魔獣を寄せ付けないすべを知っているのだとしたら、それをカストル・アポリアへ売り込まない理由が無い。
となると……ダーンフールとフーリスを守っているものは、カストル・アポリアを意図的に避けている……のか。
それとも、やはり地図に無い新しい国だから、単にその存在に気付いていないのか。
はたまた単なる偶然……気まぐれにこのふたつの街を守っているだけ……なのか。
「マリアノさんがハーデン族長から話を聞き出してくだされば、おおよその謎が解決するかもしれません」
「商団についての情報も得られれば、もっと正確に調べが付くでしょう。しかし……」
「もし、どこも関係してなかったとしたら……だよねえ。姉さんも収穫無しだった場合、ここをどう扱ったもんか」
っと、そうだ。私達はそもそも、ダーンフールの管理責任者を探して二手に分かれたのだ。
その収穫はどうだったのだろうかと私が尋ねると、ジャンセンさんは困った顔で首を横に振った。
ヴェロウもその人物の行方は知らなかった……と?
「一応市長はいたらしいんだ。でも、そいつはとっくに逃げ出した後らしくて」
「カストル・アポリアがダーンフールの市民を受け入れ始めた頃にはもうどっか行ってたみたいで、現状は誰にも管理されてない街……ってな状況みたいなんだよね」
「そうでしたか……ううん、弱りましたね」
「誰にも責任が無いのならば……と、勝手に解放して新しく長を立てても良いのですが、後になって揉めてしまうのは避けたいですし……」
まだ見ぬダーンフールの市長の悪口を言うつもりは無いが、安全になってから顔を出して、ここは自分の管理するものだと主張されると面倒だ。
やはり正式な手続きを踏んでから解放に臨みたかったが……
「最悪、フーリスとカストル・アポリアに後見人になって貰えばいいでしょ」
「もっとも、ヴェロウは簡単に許してくれるか分かんないけどね。あんまいい顔はされなかったからさ、ここに拠点を建てるって話をしたら」
「やはりそうですよね……はあ。なんとかしてこちらからの攻撃意思、侵略の意図が無いことを納得して貰えれば良いのですが……」
まだ……と、ジャンセンさんの言葉を借りるようだが、まだカストル・アポリアは小さく若く、そして弱い国だ。
書面での不可侵条約などを結んだとて、それに効力があるようには思わせられない。
この小さな島のふたつの組織がぶつかった程度では、他国の介入も望めないだろう。
こちらからは攻撃しないという宣言が、カストル・アポリアにとって意味のある制約になり得ないことが問題だ。
「……共同管理、そして解放作戦後には拠点の解体とダーンフールの譲渡……という形でならば納得して貰えないでしょうか」
「ちょっと。ちょっとちょっと、女王陛下。だから、それは問題発言だってば」
「自分の国の領土を切り売りしないで。反物じゃないんだからさ」
しかし、ヴェロウを納得させるには、相応に見返りを用意しなければ。
彼の――彼らの、カストル・アポリアの民の努力に報いる必要が私にはある。
彼らはアンスーリァの失態の後始末をしてくれているのだし。
もとより切り捨てた場所なのだから、権利の譲渡などむしろおこがましいくらいだ。
「大体、そんなことしたら余計に怪しまれるよ。フィリアちゃんは誤解されやすいんだから」
「俺はもう確かめてるし、しばらく様子見して納得もしてるけどさ」
「普通、組織の長はがめついもんだよ。相手の為、他人の為、世界の為に自分は損を被る……なんて思想、王様が口にしてる時点で、うさんくさいなんて話じゃないんだから」
「うさん……しかし、それが私の本心で……」
それを信じるかどうかは相手次第だから。と、ジャンセンさんは大きなため息をついてしまった。
確かに、自らの利益を求めない発言というのには裏を勘ぐってしまうものだ。
けれど、私にはちゃんと利がある。
アンスーリァを平和にして、人々が安全に暮らせるようになって。
政治が機能して、そして国力が向上する。
そうなれば……私は先王のようにはならないで済むのだから。
「最悪、カストル・アポリアもフーリスも敵に回して解放するしかないね」
「ここに拠点を構えること、それは絶対だ。魔人の集いさえ……ゴートマンさえなんとか出来れば、その後のことはなんとでも出来る」
「っていうか、そこをなんとかしないと後もクソも無い」
「出来るだけ穏便に決着を付けたいものですが……ダーンフールの問題も、魔人の集いについても。しかし、どちらも……というのはやはり難しいのですね」
理想論だけを語るのならば、マリアノさんがヴェロウを説得し、ダーンフールの解放を許可されること。
その上で、この街とフーリスの防御の秘密を入手出来て、それがこれからのアンスーリァにも活用出来るようになった……なんて。
本当に夢見話の与太話だ。それでも、そうあって欲しいと願ってしまう。
「そんじゃもう今日は寝よう。何するにしても、明日姉さんが帰って来てからだ」
「今晩は、いい報告が帰って来ますように、姉さんが暴れてカストル・アポリアが潰れてませんようにって、星に願うしかない」
「ぶ、物騒なことを言わないでください」
「マリアノさんは分別のある人物です。いたずらに敵を増やすような行為はしません。ジャンセンさんが一番よく知っている筈です」
いきなり襲い掛かって来ることは、他の誰よりもフィリアちゃんがよく知ってる筈だよね……? と、ジャンセンさんに細い目でそう言われてしまって、私は黙るしか出来なくなってしまった。
い、いいえ。マリアノさんは意図も無しに攻撃性を発揮しません。
あの時は……ヨロクの林で襲われた時は…………きっと、攻撃に対する反応を見て、私達と林に起こっている異常の関係を探ろうと…………手段として攻撃を選んでしまう部分を否定出来ていない……
「お前らもさっさと寝ろよ。嬉しいことに、この辺はなんか安全だからな。念の為に見張りは建てるけど」
「じゃ、そゆことで。おやすみ、フィリアちゃん。ユーゴ、お前もさっさと寝ろよ。寝ずに見張りとかしなくていいからな」
「うるさい。死ね。お前だけ寝るな。ずっと起きてろ。寝たらもう起きるな」
どっちだよ。と、ジャンセンさんは苦笑いを浮かべ、そして隊員と共にそれぞれが乗って来た馬車へと入っていった。
やはり、そこで眠るしかないのだな。
ダーンフールには宿らしい宿も無かったし、もう国営の設備も残っていなかったから。
「では、私達も休みましょうか。ユーゴ、ジャンセンさんの言う通り、今日はしっかり休んでください」
「貴方は大したことないと言うかもしれませんが、先陣を切り、魔獣と戦ったのですから」
「……分かってる。別に疲れてないけど、いろんなとこ行ったからな。流石に眠いから今日は寝る」
ユーゴはそう言うと馬車に乗り込んで、そして壁際で丸くなってすぐに寝息を立て始めた。
もう、すっかり疲れ果てていたではないですか。どうしてそう意地を張るのですか。
ユーゴの身体に毛布を掛けて、いつもならば聞こえない彼の寝息を耳にしながら私も馬車の中で横になった。
マリアノさんがどんな情報を持って帰って来るか……いいや。
彼女の方でも収穫が無かったとしても、ダーンフールの解放は進めなければならない。
ヴェロウの説得と、そして後に現れるかもしれない市長だった人物について。
もう少しだけ考えておこうと思ったところで、私の意識はぷつんと切れた。




