第二百四話【民と統治】
 
単身カストル・アポリアへと赴いたマリアノさんの合流を待つ間、私達はそれぞれが得た情報を共有し、解放作戦の基礎を組み立てることにした。
私とユーゴからはフーリスの経済事情の推測、商団という存在、ハーデン族長と呼ばれる指導者について。
他の隊員からも似たような話が出て来て、私達の掴んだ情報が偽物ではなさそうだという裏付けも取れた。
それ以外にも……
「ふーん。レストランの料理はやたらパセリが多くて青臭い」
「海から捕って来たであろう魚は、運搬の距離が長くて保存も半端であろうことから生臭い」
「それを誤魔化す為に香辛料をバカみたいに掛けるから、食ってみるとやたらと辛い……か」
「この野郎! 飯食ってないで調査しろってんだこいつ!」
隊員から語られたのは、その街に暮らす人々の生活だった。
レストランの料理がおいしくなかったという愚痴はまた別として、人々の在り方についての情報はありがたい。
苦しんでいると分かればすぐにでも手助けに行かなければならないし、そうでないとなればゆっくりと話し合いをしてから解放に移るべきだと、こちらが考える余地が生まれる。
「ったく、アホはこっちで受け持つべきだった」
「さて、お見苦しいとこ見せたね。それじゃこっちの話もさせて貰おうかな」
「とは言っても、フィリアちゃんはもう見に行ってるし、なんならそこで数日暮らしてたんだもんね」
「今更かとは思うけど、俺から見た印象を聞いて欲しい」
「はい、ぜひ。私では見落としてしまったものも、ジャンセンさんならば気付けることは多い筈です」
謙遜もあるが、客観的にもそう思う。
私達はダーンフールを目指し、その途中に偶然あの国を発見した。
だからというわけではないが、調べるに際して心構えが出来ていなかった。
とにかく街に馴染むことと、それからアルバさんから貰った仕事をこなすことにいっぱいいっぱいだった。
エリーはそもそも、調査という名目すら把握していなかっただろうし。
だから、そこに国があると分かった上で向かった彼からの印象は、私達の抱いたものとは変わってくる筈だ。
「まず一個、ぶっちゃけちゃうね。俺はあそこを国とは認められない」
「確かにしっかりしてたし、俺達の守ってた街に比べたらいくらか立派だよ。でも、アンスーリァとは比べ物にならない」
「悪いけど、まだおままごとの範疇だ。とても国とは呼べない、ちゃちなものだよ」
「むっ。なんだよ、僻んでんのか? お前が出来なかったことされてたからって、ガキみたいにやっかむなよ」
そうじゃねえよ。と、ジャンセンさんはユーゴの言葉を感情的になることもなく否定した。
確かに、ユーゴの言葉にも少し頷きそうになる。
ジャンセンさんは、以前にもカストル・アポリアの存在に嫉妬めいた発言をこぼしていた。
しかし、そんな言いがかりだけで否定する人物でもないのは確かだ。
となると……何か致命的な欠陥がある、と。それを発見したのだろうか。
「別に変なこと言いたいわけじゃないんだ。まだ、あの場所は国と呼べるレベルにまで到達出来てない。んでもって、それは多分ヴェロウも織り込み済みだろう」
「だから……かな。フィリアちゃんのリアクションが意外だったんだと思うよ」
「直接会って話をしたけど、まだフィリアちゃんに対して人物を図りかねてるって顔してた」
「ヴェロウもそれを理解して……けれど、彼は私に対してしっかりと主張してみせました。カストル・アポリアは国であると」
「民主主義の、アンスーリァの狭い島の中に出来た新しい国家なのだと」
ジャンセンさんは私の言葉に小さく頷いた。
しかし、それは私の意見を肯定しようというものではない。
それは分かっているが、その意味は別にある、と。そう言いたいらしい。
「ヴェロウは本気で国を建てようとしてる。そこはマジだよ、本気も本気だった。そんな男が、一国の女王を前に無駄にへりくだったりはしない」
「ここはまだ街です、なんてさ。言ったら舐められるし、取り返しがつかなくなる」
「はい、ヴェロウの心意気は本物でした。それは理解しています。だからこそ、彼のもとに出来上がったカストル・アポリアは……」
そこだよ。と、ジャンセンさんは険しい顔でそう言った。
そこ……とは?
彼が人々を纏め、街を束ね、そしてカストル・アポリアは形を成した。
そしてそれは、間違いなく国と呼べるだけの機能を備えていたように思える。
経済だって、街としてはアンスーリァ最大のランデルよりも大きそうだった。
「“まだ”カストル・アポリアは完成してない」
「確かにヴェロウは立派な男だろうけど、まだ俺と同じところにいる」
「アイツは確かに人を集めたし、信頼も勝ち取った。でも、まだそれだけだ」
「アンスーリァにあってカストル・アポリアには無いものが――それも、致命的な欠落がある」
「人口でも国土でも、ましてや軍隊でも資産でもない、もっと大切なもの」
「人でも、土地でも、軍事力でもお金でもない……それはいったいなんなのでしょうか」
「生産者と消費者があって、作物を育てる土壌もある。海からは遠いですが、しかし大陸にはそういった国も当然ある筈です」
「カストル・アポリアにだけ足りていないものというのは、私にはまるで思い当たらないのですが……」
ジャンセンさんは小さくため息をついて、やや苦い顔で私とユーゴとを見比べた。
もしや……ユーゴのような特別な存在を指しているのか……?
いいや、それはあり得ない。彼のような特別さは国にとって必須ではない。
でなければ、彼がやって来るまでのアンスーリァも国ではないということになってしまう。
となれば……
「――君だよ、フィリアちゃん。カストル・アポリアには王がいない。人々を纏め、引っ張るだけの象徴が」
「……私……ですか……? ま、待ってください」
「カストル・アポリアは民主主義の国です。民が代表を定め、その代表によって国がけん引されていく。今はヴェロウが、そして後世にはまた別の優秀な指導者がその位に座るでしょう」
「象徴ということならば、ヴェロウこそが……」
私の言葉に、ジャンセンさんは首を横に振った。
まさかとは思うが、ヴェロウでは不足だ、と。そう言いたいのだろうか。
まさか、そんな筈は無い。だって、彼は私よりも優秀だ。
こんな理屈は通ると思えないが、私ですら女王として成立している。現在、アンスーリァという国が残っている。
ならば、私に出来てヴェロウに出来ない理由など……
「民主主義とはよく言ったもんで、ヴェロウの在り方もまた民のものだった。でも、それの意味するところをフィリアちゃんは美化し過ぎてる」
「早い話、民主主義なんて言葉はまやかしだよ」
「まやかし……ですか?」
そう。と、彼は小さく頷くと、また苦い顔でユーゴへと視線を向けた。
私もそちらを向けば、ユーゴは何やら深く考え込んでいる様子だ。
もしや、ジャンセンさんの言葉に思い当たる節がある……のだろうか。
「結局さ、言い訳でしかないんだよ。人を、街を、そして国を。纏め上げて自分のものにする。それを耳当たりの良い言葉に変換する為の言い訳」
「考えてもごらん。もし、ヴェロウが王になると言い出していたら」
「全ての権利を自分のもとに集めると、人々を統治すると。そう言い始めたら、アイツがどれだけ素晴らしい人物だろうと、必ず反発は起こる」
「それを緩和する為の言い訳だよ、あんなのは」
確かに、街にはそれまで長を務めていた人物がいただろう。
市長、町長。それに、フーリスの例を思えば族長という呼び名を使っていた街もあるかもしれない。
だから、そういった者から権利を奪うと言えば、反発はあって然るべきだ。
しかし、彼はもうそれを乗り越えて今の形を作ったのでは?
「民主主義、選挙による代表。それが意味するところは、権利の独占を放棄するっていう建前だ」
「他の権力者や貴族、街の長だったもの。そういうやつらに希望を残す為の言い訳だよ」
「満期になれば、誰だってその地位に座るチャンスが回って来る。そういう建前を作って、うるさいやからを黙らせたんだ」
「そ、それはいくらなんでも乱暴な言いがかりですよ」
「一度目の代表を決める際にも選挙はあった筈です。そこで公平に選ばれたのなら、やはりヴェロウには信頼があったということ」
「もちろん、他の長達にも参政権はあった筈ですから」
そうだけど、そうじゃないんだよ。と、ジャンセンさんは困った顔で首を傾げてしまった。
説明が難しいのか。或いは、私が要領を得ないからだろうか。
しかしそんな私の傍らで、いきなりユーゴが地面を蹴飛ばして不機嫌になってしまった。
こ、こちらもこちらでどうしたというのですか。
「……イマイチ分かってなかったけど、汚職事件とか賄賂とか、そういうのだったのか。お前の話でちょっと分かったの、なんかむかつくな」
「うん、まあそういうとこだよね。もちろん、それがあったって証拠もないから、言いがかりなのは事実だ」
「でも、それに至る経緯はなんだっていい。反発の声をねじ伏せ、抱き込み、結果としてカストル・アポリアの統治者になった。そこまではね」
よ、よくはない。あまりにもひどい言いがかりだ、ヴェロウの尊厳を無視している。と、私はそう反論したかったのだが、ジャンセンさんはそこを問題視しているわけではないと言う。
不正によってその位に座ったのでなければ、何も問題など無いように思える。
だってあの国は民主主義で、人々が自分達で守っていくのだと決められたもので……
「問題なのは責任の所在があいまいなことだ」
「アンスーリァは王政で、問題の全ては国王に降っかかる」
「でも、カストル・アポリアはなんかあったら誰の責任になるんだ」
「ヴェロウか、それともその周りの役人か。それとも、ヴェロウを選んだ国民か」
それは……やはり、双方に責任があるのではないだろうか。
だってそれが民主主義だ。
統治者だけに責任を被せるのだとしたら、それは民の総意とは言い難い。
多数決ではあっても、たったひとりの統治者の民意が反映されていないのだから。
「あの場所はまだ小さいから――街の規模だから成立してるだけだ」
「これがもし国の規模になったら、全部の責任を背負わせる為の選挙が始まる。統治者がただのスケープゴートになる」
「それを避けたなら、なんの責任感も無い、恩恵を受ける為だけの統治者が生まれる」
「アイツはまだ、その未来を避ける為の骨組みを組めてない。だから、まだカストル・アポリアは国じゃない」
まだ。と、ジャンセンさんはその単語を強調しているように思えた。
それはつまり、その可能性をヴェロウに見出してはいる……ということだろうか。
それでも、まだ、と。
まだ、カストル・アポリアは未完成なのだ、と。
そんなジャンセンさんの言葉に苦い顔を浮かべていたのは、唯一民主主義の生活を知っているユーゴだった。
 




