第二百三話【再集合】
半ば挑発まがいなマリアノさんの言葉に、ユーゴはついに私から離れて戦う決心をしてくれた。
けれど、それは何も特別なことではない。
そもそもの前提として、彼がそうしていた理由はもう無くなっているのだから。
だから、その道行はなんの不思議も無いものだった。
不思議も、違和感も、危険も、不安も、何も無い。
強いて挙げるとすれば、馬車の中にひとりきりというのが久しぶりだったから、少し寂しかったかもしれない。
そんなくだらないことを思うくらい平和で、当たり前のことだった
「――着いたぞ。さっさと降りろ。マリアノいないからってサボるな」
「さ、サボってなどいませんよ。すぐに準備します」
当たり前の道中には何も変なことは起こらなくて、私達は誰ひとり欠けることなくダーンフールへと帰還した。
ユーゴにはマリアノさんのような士気を高めるカリスマはまだ無いし、ジャンセンさんのように指揮を執ることも出来ない。
それでも……ふたりを欠いた状態でも、なんら変わらず部隊は真っ直ぐに街まで到着することが出来たのだ。
「やーやー、大体半日ぶりだね。無茶な日程ご苦労様、フィリアちゃん」
「うっ……無理を言ってすみませんでした。お疲れ様です、ジャンセンさん」
別に恨み言じゃないよ。と、ジャンセンさんはそう口にはするが……どうだろう、本心は読めないから……
さて、そんな真意の分からないジャンセンさんだが、私達の編隊を見るや否や、少しだけ首を傾げてきょろきょろと周囲を見回し始めてしまった。
理由など問うまでもない。それについては私から説明しなくては。
「ジャンセンさん。実は、フーリスの街でいくつか情報を入手したのですが、そのどれもが既に街から出てしまっていたのです」
「そのうちのひとつ――フーリスを治めているハーデン族長という人物が、カストル・アポリアへ訪問していると伺いました」
「マリアノさんはそちらを追って、現在単独でかの国へ向かっています」
「うげぇっ⁈ ま、マジかよ、入れ違いかぁ。しかし……姉さんひとりで……か。ううん……不安……」
ジャンセンさんは私の言葉に顔を青くして、居ても立っても居られないといった様子で二の腕を掻き始めた。
その……気持ちは分からないでもないが、マリアノさんはきっと私達の中でも常識をわきまえている方だろう。
凶暴そうな言葉遣いや目つきをしているし、事実一度は襲われもしたが、しかしその思慮深さや規則を重んじる精神は確かだ。
だから、何もそんなに不安がることなど……
「いやね、姉さんとあのヴェロウってやつ、相性最悪っぽいんだよね」
「まあ俺が見たところ……ってだけだからさ、蓋開けてみたら仲良くやってるなんて可能性もあるけど」
「相性……ですか? ヴェロウはどちらかというと、秩序を重んじ、情に厚い人物に思えました。そしてそれは、マリアノさんにも同じことが言える筈です」
「ならば、むしろ相性という点では良い部類かとも思うのですが……」
いやいや。と、ジャンセンさんは首を横に振る。
私の認識は間違っている……と?
それは、マリアノさんについての? それとも、ヴェロウについて?
その答えは、どちらも正しくはないというものだった。
「姉さんについては、もうフィリアちゃんもユーゴもある程度理解出来てると思う。んで、あのヴェロウについても、多分間違ってない」
「問題なのは、今までそういう組み合わせをどこで見たことがあるか……って話で」
「……? 組み合わせ……というのはどういうことでしょうか」
「その……確かに、一国を纏める首長と話をする機会などそうあるものではありませんが……」
ぺちん。と、ユーゴに後ろから頭を叩かれてしまった。
どれだけまぬけなんだと言わんばかりのその表情に、ジャンセンさんも苦笑いを浮かべている。え、ええと……?
「いや、一国の主と今まで散々仲良くやってたじゃないの。そこはボケないで、ちょっとだけ不安になっちゃう。と、まあそれは良くて」
え、あ、ああ。私か。私のことか。と、納得出来たと思えば、すぐにまたジャンセンさんの困惑の表情にこちらも首を傾げさせられる。
いったい彼は何に悩んでいるのだろうか。
「姉さんがああいうやつと絡んでるとこ見たこと無い……っていうか、今までにいなかったタイプの男だからさ」
「もちろん、きちんともてなされれば相応に振る舞う……と思いたいけど」
「姉さん……やっぱりいじっぱりだし、機嫌悪いとすぐ殴るし……問題起こしそうで……」
「そ、そんなまるで、癇癪持ちの子供の心配ではありませんか」
「マリアノさんはそんな人物ではないと、むしろジャンセンさんこそよく知っている筈でしょう?」
主義、主張において噛み合わなければ、確かにマリアノさんは相手の言葉を折りに掛かるかもしれない。
ううん……それも容易に想像出来てしまうな、確かに。
礼儀正しくしている姿もイメージ出来るのに、そうでない未来も……わ、私は信じることを役目として請け負ったのだから、こんなところで味方を疑っていては……
「……信じて待つしかないか。だって、もう行っちゃったんでしょ?」
「俺達が今から隊列組んで戻ったとしても、そんなの間に合うわけない。いや、後からでも謝った方がマシかもしれないけどさ」
「き、きっと大丈夫ですよ。マリアノさんは冷静に、そして論理的にヴェロウと話をする筈で……ち、違うのですよっ」
「ヴェロウではなくて、フーリスを纏めているというハーデン族長という方と話をする為にカストル・アポリアへ向かったのです」
おっと。奇妙なところから話が随分ズレてしまっていたことを思い出した。
ジャンセンさんも私の言葉にハッとして、そういえばと言わんばかりに手を顎に当てて考え込み始めた。もう……
「ハーデン……族長? 市長じゃなくて? それまた変な奴が出てきたもんだね」
「まさかとは思うけど、フーリスはアンスーリァに住んでる俺達とは違う民族だ……とか主張し始めるんじゃないだろうな」
「それはまだ分かりませんが、しかし街の人々に慕われているのは確かですから」
「そしてどうやら、カストル・アポリアとも親交があるそうなのです」
「その際に交易を行う商団というのが、きっと盗賊団に属していた人々なのでしょう」
しかし、その商団についても調べきれなかった。
間が悪かったとはいえ、収穫らしい収穫は何も無しに帰って来たことは謝罪しなければ。
そう思い私が頭を下げると、ジャンセンさんはまた怪訝な顔をしてしまった。
「な、何に謝られてるのか知らないけど、どっちが当たりか分かんないから二手に分かれたわけだからさ。そっちははずれだったってだけだよ」
「むしろ、謝るとしたらそんな手掛かりを見落として帰ってきたこっちじゃない?」
「いえ、ジャンセンさんはフーリスの事情など……それも、族長や商団といった話などは知る由も無かったのですから……」
だから、それはフィリアちゃんもでしょ。と、ジャンセンさんは呆れた顔をした。
それはそうかもしれないが、しかしもう少しやり方を工夫したならまだ何か調べられたかもしれない。
そう思えば、やはり私は胸を張って帰還出来た立場ではないし……
「しっかしそういう話になると、ダーンフールの解放は姉さんの合流を待ってからかなぁ。なら、今のうちに他の気になることを潰しとこうか」
「他の……カストル・アポリアで何か問題でも起こったのですか?」
そっちにも気になることはあったけど。と、ジャンセンさんはそう前置きして、視線を私からユーゴへと向け直した。
ああ、そういうことか。
「はい。フーリスからここまではユーゴが先導してくださいました。マリアノさんからの任の為に、私を部隊に預けて先陣を切ってくれたのです」
「うん、そっかそっか。いやはや、我が子の成長記録を聞かされてるみたいですよ」
「お前もさっさと親離れ……女王様離れ? なんでもいいけど、ひとりでいろいろ出来るようにしないとな」
ユーゴはジャンセンさんの言葉に何も言い返さず、ただ黙って砂を蹴り上げて威嚇を繰り返すばかりだった。
馬か、あるいは犬か。どちらにせよ、立派な大人になるのならばそんなことしていてはいけませんよ。
「もともと俺はひとりで全部出来る、バカなこと言ってんなこのクズ」
「お前らが全然信用ならないから、なのにフィリアに危機感が無いから。だから俺が守ってただけだ。死ねこのクズ」
「あー、はいはい。分かった分かった。ったく、本当に口の悪いガキだな」
私に危機感が足りていないという部分については重く受け止めるが、しかしこれからはユーゴも特別隊の皆を信頼して動いてくれるようになるだろう。
少なくとも、マリアノさんに対してはもとより信用しているみたいだったし。
「ま、フーリスで姉さんと何話したのか知らないからさ。そういうのも含めて、集めてきた情報を交換しよう」
「族長だの商団だのは一回わきに退けて、フィリアちゃんから見たその街の印象を話してちょうだい」
「そこはこれからどう扱うべきか、どう扱わないとまずいかってのをさ」
「はい。ならば、皆からも話してはいただけませんか。私とユーゴが見てきたものなど街の一端に過ぎません。より多くの情報を、皆で共有しましょう」
なら。と、ジャンセンさんは、私と同行してフーリスへ向かってくれた隊員をひとりずつ指差して、報告する順番を決め始めた。
私とユーゴから見たものは、あの街の商業の形と、それを取り巻く商団という存在。
それと族長という名前だけ。
うん……だけ……だな。ど、どうしよう……私達だけ全然調べられてなかった……なんてことになったら……




