第百九十三話【妙に安全な道のり】
部隊は轟音をかき鳴らしながら北上し続けた。
ヨロクを出発し、そしてダーンフールを目指す。
騎馬も馬車も、道と呼べるぎりぎりの道に構わず突き進む。
蹄の音も耳に馴染んで、もううるさいとすら感じなくなった。
「……そろそろだよな。カストル・アポリアの近くを通るの」
「そうですね。ついこの間、たった数日滞在していただけなのに。まるで遠い故郷へ帰って来たような錯覚を覚えてしまいそうです」
そこまでか……? と、ユーゴは首を傾げたが、私にとってはとても大袈裟な話ではない。
私は宮に生まれ、王女として育ち、気付けば女王の位に就いていた。
ただの村娘として市場へ出向くなど、一度として経験したことが無かった。
家の手伝いをし、仕事の手伝いをし、そして疲れた身体と心を団らんで癒す。
アルバさんに貰ったものは、私にとって間違いなくかけがえのない日々だった。
「エリーは元気で……すね。あの子が塞ぎ込んでしまう姿など、とても思い浮かべられません」
「アルバさんはどうでしょうか。エリーに引っ張られて笑っているでしょうか。それとも、疲れて青い顔をしているでしょうか」
「慣れたら振り回しそうだもんな、アイツ。フィリアは慣れてなくても振り回されてたし」
これから私達は危険な場所へ赴く。
いいや、これからという話ですらない。今現在、進行方向にも魔獣の姿はあるのだろう。
それでも、私達はそんなのんきなやりとりをしていた。それが許されていた。
「後ろ、本当に暇だな。前の方も、この間に比べたらちょっと数減ってるみたいだし」
「それにマリアノがいるからな、こっちには何も仕事回ってこなさそうだ」
「安全ならばそれに越したことはありません。マリアノさんとて体力には限界がありますから、魔獣の襲撃が少ないのはいいことですよ」
自分が戦う機会を逸してしまうから。
そんな理由でユーゴは退屈そうにしているが、それがどれだけ罰当たりなことか彼は分かっているのだろうか。
分かってはいるのだろうな。
分かっていても、彼にとっての喜ばしい刺激は、そこにばかり集中しているみたいだから。
「横も全然、後ろとか一頭も来てない。はあ。この前は良かった。エリーがはしゃいでてうるさかったけど、ちゃんと戦えたし」
「もう、ダメですよ。カストル・アポリアがそろそろだということは、私達も知らない場所へ踏み入る目前という意味ですから」
「しっかり警戒してください。貴方の感覚は、皆に信頼されているのですから」
ユーゴは私の言葉にむっとして、けれど何も言い返さずにそのまま横になってしまった。
それだけ危険が迫っていないのだと前向きに捉える……のは良いとしてだ。
「……やっぱ、エリー連れ戻した方がいいかもな」
「もう、こんなところで横になんてなるからですよ」
ごろんと寝ころんだユーゴだったが、それから少しもしないうちに苦い顔で起き上がってしまった。
揺れる、跳ねる、それに音が床を伝わって響いても来るだろう。
普通、走っている馬車の中で横になどなれないのだ。
どういうわけか、エリーはうたた寝してしまえるくらい静かに、けれど誰よりも速く馬車を走らせていたけれど。
「冗談抜きに、アイツは必要だろ。なんか精密機械とか、壊しちゃいけないもの運ぶときとか」
「アイツがいたら、普通に走るのと変わんないだけの時間で運べるんだぞ?」
「そ、それはそうですが……しかし、エリーが自分で決めたことなのです」
にそうすることが正義なのだと、人を思い遣って選んだのですから。それを勝手な都合で無下には出来ません」
エリーの能力もまた、他の誰にも真似出来ない離れ業だった。
ううん、思い返すとやはり惜しいと思ってしまう。
何より、あの子は周囲を癒す存在だった。
魔獣に苦しめられている人々を助けるという役割において、心の安らぎを与えられるというのは重大な能力だっただろう。
「それよりも、ほら。ちゃんと周りを見張ってください。いえ、見ているわけではないので、見張りという言葉で正しいのかは分かりませんが……」
「そこはなんでもいいだろ、別に。それと、警戒したら魔獣が増えたり減ったりするわけじゃないんだから。何も無いのは変わんないぞ」
それはそうですが……
ううん、本当にこの馬車だけが危険から遠ざけられ過ぎている気がする。
もちろん、何も無いことは喜ばしい。
マリアノさんの許容限界を超える魔獣の大群などが現れようものなら、少なからず被害も出るだろう。
そうなっていないことはありがたいのだが、しかしどうにも……
「サボってる感誤魔化す為にやってる感出すだけなら、意味無いし体力無駄だから寝てろ」
「そういうやつ、クラスにも何人かいたぞ。無駄に張り切って仕事増やすだけのやつ」
「それで増やした仕事が片付けられない最悪のやつ」
「うう……確かに、貴方を休ませるのも大切なことではありますから」
「そうですね、今はゆっくり……この状況と、そしてジャンセンさん達に甘えて体力を温存しましょう」
どうしてか、ユーゴの言葉には毒気があった。
以前の世界――生前、そういった人物といざこざがあったのか。
ユーゴはものごとを要領よくこなすタイプに見えるから、何かにつけて衝突していたのかもしれないな。
どちらが正しいとは、私からは断言出来ないが。
そんなユーゴのアドバイス通り、私達は本来ならば安全な筈のない馬車の中で、のんびりと考えごとをしながらダーンフール到着を待った。
以前にカストル・アポリアを訪れた際に纏めて貰った、北の戦線――つまりはヨロク近郊での特別隊による戦闘の記録を、もう一度読み直しながら。
しかし、やはりと言うか……それを見ただけでは、とても有益な情報に辿り着けそうにない。
「ううん……規則性があるとジャンセンさんに言われた時には、なるほどと納得したものですが。自分でそれを探し出すとなると、思うようにはいかないものですね」
ジャンセンさんの言っていた通り、確かに規則性が……ゴートマンの襲撃には一定の周期があるように見える。
だが、それだけだ。
それを基に考えても、他の戦闘に連続性があるだとか、ゴートマンの不在を補うような動きがあるだとか、そういった要素があるようには思えない。
ユーゴもどうやら同じようで、少し前から不貞腐れてしまって見える。
「魔人の集い、実はチームとしてはそんなにしっかりしてないのかもな。ゴートマンがやばいだけで、他は大したことないとか」
「その可能性も考えられますが……しかし、あのゴートマンの様子を見るに、少なくとも思想や理念については同一のものを、それも確固たるものを持っていそうですから」
「組織として未熟でも、行動には統率が取れていても不思議ではない……と、思うのですが……」
ゴートマンが私に向けて放った言葉は、自身だけが私を許さないというものではなかった。
魔人の集いという組織が、自分の周囲にある人間の全てが現王政を許容しない、と。
そう言っていたように思える。
いや、そう言っていたのだ。そこは間違いない。
ゴートマンは、魔人の集いの総意としてそれを語っていた――語るだけの信頼や強固な繋がりが、魔人の集いにはあると考えるべきだ。
「……ま、実際に見れば分かるし、今そんなこと悩んでも仕方ないのかもな。そろそろだろ、荷物準備しとけよ」
「そろそろ……っと、もうそんなに走ったのですか」
「うう……警戒しておいてくださいとは私が言ったのですが、貴方はきちんと周囲の様子を把握出来ていたのですね。私はのめり込んでしまっていて……」
き、気付かなかった。
馬車はまだ減速を始めていないが、どうやらカストル・アポリアを通り越し、それからもしばらく走ったところにいるらしい。
となれば、もうじきにダーンフールが見えてくるのか。
「フィリアはそれでいいと思うぞ。不器用だし、いっぺんに色々やろうとするとコケそうだからな」
それに、周りに補佐するやつもいっぱいいる。と、ユーゴは馬車の天井を見上げながらそう言った。
いや、それは遠くを見ているのか。
南の方を――ランデルを、宮を。
パールとリリィと、それに宮の役人や議員を指しての言葉なのかな。
或いは、エリーやアルバさん、それにヴェロウ。
先ほど通り過ぎたばかりのカストル・アポリアにいる方々のことも指しているのかも。
「おーい、フィリアちゃん。そろそろ着くよ……っと、流石にもう仕度始めてるね」
「はい、ユーゴが状況を把握してくれていますから」
「ここまでの戦況はどうですか? 彼の報告では、被害らしい被害も出ていなさそうに思えましたが……」
少しまた考えごとをしていると、覗き窓からジャンセンさんが顔を出した。
そして、今のとこは離脱者無し。と、私の問いに笑って答えてくれる。
そうか、それは何よりだ。
やはり、ユーゴの感覚はアテになるな。
「……ま、ちょっと気にはなるけどね」
「ここ、前来た時はそれなりに魔獣も出たんでしょ? なら、ヨロクとハルの間に起こってることがここでも……って、そう考えといてもいいかもね」
「もちろん、無駄に重たく捉える必要は無いけど」
「ヨロクと同じことが……そうですね。これがユーゴや他の兵士達の戦いの成果であったなら、そんなに喜ばしいことも無いのですが……」
その可能性もまだ残ってるから。なんてジャンセンさんはまた笑顔を見せて、そしてすぐに自分の持ち場へと戻って…………あれ?
今、ジャンセンさんはどうやってここへ来たのでしょうか。
彼は馬車に乗っていた筈で、今日は馬に乗って並走しながら話をする……と言うのは不可能な筈だが。
ええと……はて?
「……っ! アイツ……なんか、変なの乗ってるぞ……?」
「へ、変な……ですか? わ、私にも外を見せてください」
変なの。と、ユーゴはそう言いながら、覗き窓から外をずっと睨み付けていた。
わ、私にも……と、場所を代わってくれるように頼むのだが、ユーゴは一向に退いてくれない。
それどころか、邪魔だ! デブ! と、私を罵倒し始める始末で……うう……




